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16◆12月(最終話)

 冷戦状態は続いていた。

 神南の異動から十日は過ぎたというのに、アインはまだ不貞腐れている。会話の無さは、アインがこの家にやって来た当初と似ている。だが、アイン自身がまとっている雰囲気はまるで違う。不機嫌が服を着ているようなものだ。

 初めは面白がっていた神南も、こうも長期戦になるとは思ってもいなかった。機嫌を取ろうにも取っ掛かりがない。常套手段としては好きなものを目の前に差し出すのだろうが、生憎とアインにはこれといった好みはない。物でも食べ物でも釣れないとなると、神南にはもうお手上げだった。

「あー、アイン?」

 取りあえず話しかけてはみるものの、アインは冷たい一瞥を寄越しただけで口を開こうとはしない。神南とて大した話があるわけでもないので続きが出てこない。

「先に出る。行ってきます」

 それでも、自分が食べた朝食の後片づけをし、挨拶までして家を出ていくのだから、冷戦状態とはいえ4月とは雲泥の差ではあるのだが。

「……だからこそ、余計にこたえるってことか」

 自嘲気味に呟き、神南は時間ギリギリに出勤していった。


 神南と足並みをそろえることなく出勤するようになってから、アインの出社時間は飛躍的に早くなった。始業開始までの時間を細々とした雑務に当て、業務時間中は巡回に専念する。

 神南は余程勘が鋭いのか、モニタでも検知されないようなほんのわずかな歪みの前兆にすら気づいて対処していた。そこまでの能力はアインにはない。効率が悪くても、広い担当区域を隅々まで巡回するのを義務づけていた。担当者が変わったせいで対応が後手に回るようになったとは言われたくない。アインは、妙なところで神南に対抗意識を持っていた。

 人事部からの通達はまだない。それに対する苛立ちをも仕事にぶつけていたのかもしれない。どことなく尖った雰囲気が、ここのところ近づいてきていた同僚達を遠ざけてもいた。

「アイン、ちょっと」

 いつものように巡回に出ようとするアインを、綾女が呼び止めた。

 一瞬だけ期待をし、だがしかし、綾女の表情から待ち望んでいる話ではないことに気づくと、アインは不機嫌を隠そうともせずに言った。

「何か?」

「何か、じゃないでしょ。ちょっといらっしゃい」

 綾女は軽く溜息をつき手招きをする。

 仕方なく課長席の前まで行くが、アインは仏頂面のままだった。

「まだ機嫌直してないのね。それを表に出しっぱなしにしておくとは思ってもいなかったわよ」

「だから、何?」

 世間話のために呼び止められたのならば、それにつきあうつもりはさらさらないと言外に告げる。

「機嫌が悪いのは判るわ。まだ根回しは済んでいないし、済んだからと言ってすぐに結果が出るわけでもない。でもね、あなたならそれを隠すことくらい簡単でしょう? なんだってそうやって表に出してるの?」

「いやがらせ」

 端的にアインは答えた。

 あまりの答えに、綾女は絶句する。

「……それはつまり、私に対する抗議というわけかしら?」

「別に。課長にだけというわけじゃない」

「私も範疇には入ってるというわけね……」

 神南よりは扱いやすいと思っていた。アインが扱いやすかったのは、単に比較の問題だったらしい。

「原因と対策が判っているのだから、無視すればいい。僕が不機嫌で誰が困るの」

「気分的な問題よ。もっとも、実害はないけれど」

「ならば」

 言い募ろうとするアインを手で制し、綾女はこれ見よがしに溜息をついた。

「確かにね、ここの仕事は担当区域ごとにはっきりと線引きされているし、あなたの不機嫌が他の人の仕事の能率に影響するということはないわ。でもね、私が、嫌なの」

 我儘には我儘で対抗しようというのか、綾女は『私が』に嫌みなほどアクセントを置いて言った。

「課長。それ、ずるい」

「ずるくてもなんでも。もっとしゃきっとなさい。仕事の手を抜いていないのは判るわよ。でもね、その不機嫌さはあらぬことをいろいろと呼び込むものよ。いらぬ面倒は避けたいでしょう? 特に今は」

 言外に人事部の心証も考えろという綾女の忠告を、アインは正確に受けとめた。渋々ながらに答える。

「……了解。でも、来週になっても結果が出ないようなら、勝手に動くよ」

「あら。年明けまでは待つって言わなかったかしら?」

「何かしらの進展があるなら待つ価値もあるけれど、ただ結論を引き伸ばそうとしているなら待つ必要を感じない。現状は進展があるとは思えない」

「……そうね。仕方ないわね。もう一押ししておくわ」

 一勝一敗というところかと思いつつ、綾女は譲歩策を口にする。

「ありがとう」

 礼を言われ、なおかつ微笑みまで加えられて、綾女は一瞬呆けた。

 自分の笑顔が綾女にどれだけの衝撃を与えたかなどまるで気づかず、アインは巡回に出かけていった。

「反則技だわ」

 ぼやきながら綾女は席を立つ。

 交渉は電話ではしない主義だった。面と向かっていなければ読み取れないことも多いし、押し切れない部分も出てくる。

「ちょっと席を外すわ。よろしくね」

 内勤の部下に声をかけ、綾女は人事部へと向かう。

 その前にとふと思い立ち、資料課に寄ってみた。手を離れているのは重々承知の上で、神南の勤務態度が気になっていたのだ。

 ほとんど誰も通らないような暗い廊下を進み、行き止まりという表現がぴたりとはまるドアをノックする。

 投げやりな応えを聞き、苦笑しながら綾女はドアを開けた。

「もう飽きてるの?」

「綾女さん! どうしたんですか。アインが何か?」

 たった一人で資料の山をうんざりと見ていた神南が、驚いた表情で席を立った。

「何故アインのことであなたのところに来るのよ。もう関係ないでしょ、あなたの相棒でも部下でもないんだから」

「嫌みですか」

「嫌みに聞こえるのね。ということは、自覚はあるってことね」

「苛めに来たんですか? 資料課ここに拘束されてるってだけで、俺には十分苛めなんですけど」

「あら、異動の希望を出したのはあなたよね?」

「綾女さーん」

 本気で情けない声を出す神南に、綾女はくすくすと笑う。

「どんな具合かと思って来てみただけよ。それこそ、もう私の部下というわけじゃないですもの、本当は放っておくべきなんでしょうけれど、そろそろ大人しくできなくなってるころかと思ってね、釘を刺しに来たのよ」

「あー、まー、とりあえず、茶でも入れますから」

 照れ笑いを浮かべて神南は資料課に備え付けの給湯室に行く。

「白毫銀針がいいわ」

 何のためにあるのかよく判らないソファーセットに陣取り、綾女は給湯室の神南に声をかける。

「なんでそんなもんがあると思うんです?」

「あなたのことだもの。そのくらいの楽しみがなければ、出社拒否になりかねないでしょう?」

「……お見通しですか」

 ややあって戻ってきた神南が綾女のために運んできたのは、耐熱グラスに入れられた白毫銀針だった。

「ほらね」

「確かにね、飲み物くらい凝らなくちゃやってられませんからね」

 苦笑を浮かべて自分の前には薄い磁器の湯飲みを置く。

「玉露? 相変わらずまめねぇ」

「白茶よりは玉露って気分だったんですよ」

 のんびりと茶を飲みながら神南は答えた。

「で、本題は何です?」

 茶飲み話をするために綾女が来たとは思っていない神南は、真意を問いただした。だが、今日に限っていえば、綾女は本気で茶飲み話をしに来たのだった。

「あのねぇ、いつも策を巡らしているわけじゃないのよ、私も。ちょっとのんびりさせてくれてもいいじゃないの。こんな美味しいお茶が出るのはここくらいなんですからね」

 そう言って綾女は辺りを見回す。

 雑然としているそこは、手を付けられるのを拒んでいるようにも見える。

「それにしても、ここほどあなたに不釣り合いな部署はないわね」

 自分勝手にいじっていいとなれば、神南もこれほど苦手意識を持たずに仕事にかかれているかも知れない。だが、何故これほど面倒な分類をしなくてはいけないのかと思うほど煩雑な手順を踏まされるのでは、この資料の山にうずもれて途方に暮れるしかない。

「まったくですよ。ここくらいしか残ってなかったのも頷けるってもんです。つまりは、世代交代するまではここの主でいろってことになるんですよね……」

 口にして初めてそれに気づいたのか、神南はげんなりとした表情で天を仰ぐ。

「そのあたりは我慢しなさいとしか言いようがないけれど……。いっそのこと、上を目指してみるというのはどう?」

 ふとした思いつきを、綾女は口にした。

「ペーパーだけならなんとでもなる自信はありますよ。これでも長年勤めてきてますからね、それなりのノウハウは持っているし、ある程度の読みもできると自負してますがね。だがそれだけじゃ上には行けないでしょう。ほら、俺の場合、心証が悪すぎるから」

「あら、推薦書なら私が書くわよ?」

「面倒ですよ。それに、俺には上に立つような器量はない。そのくらいの見極めはついてますよ」

 苦笑を浮かべて神南は言った。

「そうね。あなたは人を動かすよりも先に自分が動いちゃう人だものね」

 綾女もただの思いつきを押し通すつもりはないようだった。きらりと一瞬瞳が輝く。

 それを見て、神南は溜息をついた。

「綾女さん?」

「なにかしら?」

「何を考えました?」

 長いつき合いだ、神南には綾女が何か悪巧みをしているように思えたのだ。

「大したことじゃないわよ。上り詰めた階段の先のことを考えただけ」

 それが怖いんじゃないか、とは口には出さずに、溜息だけで堪える。

「あー、そのへんは程々に。上り詰めたってしょせんは宮仕えですよ」

「判ってるわよ。裁量内の話をしてるんじゃない。……お茶、ごちそうさま」

「綾女さん、これからどちらへ?」

 不穏な空気を察して、神南は訊ねてみた。怖いもの見たさというのもあったのかもしれない。

「ちょっと局長に相談しにね。ああ、そういえばもうすぐクリスマスね。いい子にしてたらサンタさんがプレゼントをくれるかもよ?」

 まるで見当違いの話題を振ってくる綾女に戸惑いつつ、神南はとりあえずそれにのってみる。

「サンタにプレゼントをもらえるような年はとっくの昔に過ぎましたよ」

「そうかしら? あなたってまだまだ子供のようなところがあるわよ」

 その言い草に苦笑を浮かべるしかない神南に、綾女は極上の笑みを浮かべた。

「だからいい子でいるのよ?」


 アポイントはとらなかった。

 人事部へ行くつもりだったところを、神南に会って気が変わった。

 綾女は局長付の秘書に取り次ぎを頼んだ。

「お忙しいのかしら?」

 渋る秘書に畳みかけるように言う。

「アポなしで来る方に言われたくはないですね」

「それはごめんなさい。でもね、取り次いでいただける? 綾女が例の件でお話がある、と」

 秘書はその台詞を聞いて大仰に溜息をつく。

「最終兵器を持ちだされては、こちらに拒否権はありませんね。……少々お待ちください」

 インターフォンで来客があることを告げる。綾女の台詞もきっちりと伝達する。

 承諾の返答があったらしい。

「お会いになるそうです。――次のスケジュールにかからないよう、配慮していただけると有り難いのですけど」

 相手が綾女ということもあり、秘書は歯に衣着せぬ言い方をする。

「ちなみに次のスケジュールって?」

「総理府に呼ばれておりますので、30分後にはここを出る予定になっています」

「大丈夫。そんなにかからないわ」

 そう言い残し、綾女は局長室のドアをノックした。

 応えがあるのを待ってからドアを開ける。

「珍しいな、アポイントもとらずにきみが来るとは」

 書類を読んでいた局長が綾女を迎え入れた。

「ええ。ちょっと思いついたもので」

 次の予定が詰まっていることを考慮し、綾女は早速本題に入る。

「神南さんが資料課に移動したのはご存じですよね?」

 局長の地位にある檜川が末端の人事にまで通じている必要はないのだが、こと神南に関しては無関心ではいられない。綾女からもその旨報告を上げているし、そうでなくとも檜川自身が情報を集めている。

「ああ。他に行き場がないとはいえ、彼には不釣り合いな部署に移ったものだと思うよ」

「それでですね、アインが拗ねまして」

「は?」

 神南についての情報は集めても、その相棒に収まったアインについては預けっぱなしでいたらしい。檜川にしては珍しいほど間抜けな声を出した。

「ですから、一緒の職場じゃないと嫌だとごねまして。――あの子、本当に変わりましたわ。これもおそらく神南さんの影響だとは思うのですけど。それで、こちらとしても手放したくない人材なので、前例はありませんが兼任させようかと画策しています。ご協力願えます?」

「協力というが、私に人事権はないよ」

「一言だけあればいいんです。それで押せますから。局長だって怖くありません? あの神南さんを野放しにしておくのは」

 そう言われて檜川は組織図を思いだした。

「ああ、彼の上役はいない状態だな。確かにそれは怖い」

「ですので、アインに鎖の役目をしてもらうことにしました。あの子、言ってましたよ。錨の役目はできないかも知れないけれど、鎖にはなれると思うって」

「それはそれは」

 檜川は笑みを浮かべた。若いころの己のミスを、こうやってフォローしてくれる後輩が出てくるのは、なんとも面映い気分だった。

「いっそのこと、神南さんを上に祭り上げようかとも思ったのですけれど、それは本人に却下されてしまいましたから、不肖私、橘綾女が立つことに致しました。よろしくお願いします」

「まだその気になっていなかったのかい? 私はだいぶ前からそれを期待していたのだがね」

「まだ遠い先のことだと思っていました。でも、覚悟を決めましたので」

「その件に関しても、私に裁量はないけれどね。それでも嬉しく思うし、応援はしよう」

 その言質が欲しかった。

 綾女はにっこりと笑って退席を申し出る。

「そうそう。秘書の方が心配なさっていましたよ。これから総理府ですってね」

「他人事ではないよ、橘くん。そのうちきみは局長付になるからね」

 既に決定事項かのように檜川は言った。

 人事権は確かにない。それでも、局長としての発言力はかなり強いものだった。そして、それを使うことになんら躊躇いはない。

「そうですね。では、そちら方面にも顔つなぎを作っておきますわ」

 あっさりと言い放ち、綾女は一礼をして局長室を出た。


 急転直下。

 どこにどう圧力をかけたのか、アインには見当もつかなかった。

 いつものように神南とは最小限の会話だけで家を出て職場に向かったのだが、いつもなら誰もいない職場に綾女が先に出社していた。

「おはようございます」

「おはよう、アイン」

 挨拶一つで用事があると言外に匂わせた綾女に、アインは自分の席ではなく課長席の前に立った。

「おまたせ。今月二十日付けで希望どおりに兼任となるわよ。通知は後日。……神南くんに報告に行く?」

 アインは珍しくも対応に迷い、一瞬の隙を見せた。

 綾女がそれを見て微笑む。

「……神南さんには当日に」

 意趣返しとでもいうのか、アインはギリギリまで隠す方を選んだ。

「兼任と言うことだから、こちらでは特に報告はしません。つまり、兼任になったからってこちらの仕事が減るわけじゃないの。それは承知してるわね?」

 言わずもがなの台詞に、表情を堅くした。駄目押しに確認されるほど信用されていないのかと剣呑な光が瞳に浮かぶ。

「あなたを信頼していないわけじゃないのよ。神南くんより遥かに事務処理は長けているし、実務にも心配していないわ。それでもあの資料課の状態を見るとね、不安になるのよ。最終手

段として、結果的に管理課こっちの実務を神南くんが、資料課あっちの仕事と管理課こっちの事務処理があなたって担当になっても、目に見えるところがきちんとしてれば不問に付すわよ」

 綾女がここまで言うのだ、かなりひどい状態なのだろうと見当はつく。それでもそれをよしとしないのがアインだった。

「僕の仕事を神南さんにやらせるわけにはいかない。大丈夫」

「その台詞、兼任して三ヶ月後になら素直に聞いてあげるわ。何よりね、神南くんがそれをよしとしないわよ。却ってその方が有り難がるかも知れないわ」

 そうかも知れないとアインも思ったが、それは口にしないでおく。言葉にすればそのとおりになりそうで怖かったのだ。

「あの……、ありがとう、課長」

 無理を通した自覚はある。

 以前、綾女に言われたことの答えはまだ出ていない。どうして神南と一緒にいたいのか。それを突き止めるためにも、今回の我儘は押し通そうと思っていた。

 我儘だとは判っていたのだ。

 辞令は辞令。命令は命令。ごり押ししてなんとかしようとするほうが間違っている。大幅な人事異動が行われる新年度を待つのが順当だとも判っていた。

 それでも答えを見つけるためには仕方がなかった。他の方法を思いつけなかった。

「無理を通したって自覚があるならね、アイン。覚悟してもらうわよ。なるべく早く上に来て頂戴。前例がないことを理由に排除などさせないから。望みをかなえる近道よ」

 綾女にはアインの望みが判っているのだろうか。本人ですらまだ確実なものを掴んでいないというのに。

 だが、手段は幾つあっても邪魔にはならない。選択肢の幅は広いほうがいい。

 アインは頷いた。

「判った。課長こそ、僕に追い抜かれないようにね」

 アインの冗談に、あながち冗談と切り捨てることもできないと思いつつ、綾女は笑ってみせた。


 何も変わりはなかった。そんなそぶりはちらりとも見せなかった。

 その日の朝ですら、アインは仏頂面のまま先に家を出ていった。

 それが意趣返しだということは判る。

 神南は目の前に立つ少年を見つめた。

 頭の片隅では、さぞかし馬鹿面をさらけだしているのだろうとぼんやりと思う。

「本日付けで資料課に配属になりました、アイン・シュヴァルツです。管理課と兼任ということになりますので、何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

 にこやかな笑みを浮かべて挨拶する少年に、今年の4月を思い出す。

『…………よろしく』

 綾女の紹介を受けて彼が言ったのは、たったそれだけの言葉だった。

 その少年が、まるで別人のように笑みまで浮かべて挨拶をしている。

 神南の馬鹿面に拍車がかかったのも無理はない。

「あー、アイン?」

「正式な辞令だよ。文句無いよね」

 ほんの一月ひとつきでサナギが蝶になったような変化を見せた。神南が不貞腐れるアインを持て余している間に、何が起こったのだろう。

 目の前に差し出された紙に書かれた文章を目で追いつつも、中身は少しも頭に入ってこない。

 神南は混乱しながらも、アインの言った台詞を繰り返した。

「管理課と兼任?」

「そう。それにも書いてあるよ。僕としてはちゃんと異動したかったけれど、人材不足は如何いかんともしがたいということで、こういう形になった」

「……よく人事部が許可出したよなぁ……」

 神南はまだよく状況がつかめていない。ぼんやりと呟くだけだった。

「モニタールームの使用責任者は僕のまま。だから許可が下りた」

「ああ、そういうことか。……って、アイン、それじゃ仕事しすぎだって!」

 ようやく話の内容が理解できるようになってきた。神南は内線に手を伸ばす。

「抗議してやる。この内容じゃ、労働協定に反する」

「冗談じゃないよ! 神南さん、僕とは仕事したくないって?」

 内線を使えないよう牽制しながら、アインは声を荒立てた。ここで引き下がっていては、綾女に無理を言ったのも無駄になる。なによりも、やっとのことでもぎ取った辞令を覆されてはたまらない。

「そんなこと言ってるんじゃないだろ! いくらモニタールームが使えるからって、それじゃ時間外労働もいいところだ。協定の枠内ですませられるような仕事じゃないだろう。特におまえは」

 どっちの仕事も手抜きなどしないことを知っているから、神南は余計に心配をする。

 それが判るから、アインは微笑んで反論した。

「大丈夫だよ。今までと変わりない。神南さん、知らなかったの? 神南さんが異動してから、僕がモニタールームに入り浸りだったこと」

「……や、拗ねてるとばかり。仕事してたのか?」

「拗ねてもいたけどね」

 あっさりとアインは認めた。その上で言い募る。

「仕事の配分はこの一月ひとつきで慣れた。自動探査プログラムも走らせているし、モニタールームと携帯端末とのラインも太くしてある。異常が起きた場合は管理課の仕事が優先になるけれど、なにもなければ外回りをしないぶん、今までより却って楽になるくらいだよ」

「楽、ねぇ」

 神南は室内を見渡す。外回りの方が楽だと思うのは、デスクワークが苦手だからだろうかと思った。

 神南の視線につられてアインも室内を見回した。

 確かに綾女が心配するだけのことはある。それでもアインは手に余るとは思わなかった。

「神南さん。僕がどれくらい有能か知ってるよね?」

 駄目押しのように言われて、神南は苦笑するしかなかった。

「確かに。……嬉しいよ、アイン」

 その言葉には、仕事面だけではない感情が込められていた。

 アインはくすぐったそうに笑う。

 きちんと言葉に込められらた意味まで読み取るようになったアインに、神南は我知らず微笑みを浮かべていたのだった。



                                 《vég》

お読みいただきありがとうございました。

これにて終幕とさせていただきます。

思った以上にアインが神南に懐きすぎました。

そして喋らなすぎでした。

……おっかしいなぁ。心開いてからはもっと喋りまくる予定でいたのに。

おかげでちっとも話が進まなかったのでした。

それでも最初に考えていたところには着地できたので、まぁいいかな、と。

つたない文章にここまでつきあってくださった酔狂な方々に感謝です。


番外が1本あります。

ただし、主役二人は不在なので、ここの続きにではなく、琥珀シリーズ内に入れる予定でいますので、興味のある方はご覧になってください。


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