10◆9月-2
任務遂行当日、昨日のことはなかったかのように、アインはいつものとおりに起床し、いつものとおりに朝食をとった。
しかし神南には、アインが人形に戻ってしまったように思えた。動きが機械的に見える。必要以上に感情を消しているように思える。
やはり昨夜の一件が尾を引いているのだろうと後悔したが、それを悔やんでも何も変わらないことは神南にも判っている。今は何を言っても真意は伝わらないだろうと、神南はいつも以上にアインの動向に気を配ることを決意した。
特殊課のチームとは現地集合だった。普通ならば事前に顔合わせするはずが、当日どころか、今の今まで特殊課のメンバーの名前すら神南は知らされていなかった。
集合場所に現れた特殊課の面々に、神南は見知った顔を見つけて驚いた。どんなに久方ぶりだろうとも、そのむさ苦しい髭面を見間違うわけがない。
「ワキさん。あんたか」
神南は呻くように言った。
前もって顔合わせができなかったのは、特殊課内での選定に時間がかかっているためらしいということだったが、現れたのがこの男では、その情報も作り事だったのではないかと神南は疑っている。
綾女に人員の確認をしたときも、困ったような顔で連絡が来ていないと言われたのだが、思えばその表情もどことなく楽しげだったような気もする。
「おうよ。ご無沙汰だなぁ」
ワキと呼ばれた男は、濁声で答えた。人を小馬鹿にしたようなにやにや笑いも神南の記憶にあるままだった。
「誰?」
「丹羽和紀だ。ワキってのは名前を音読みした愛称みてぇなもんだ。ま、よろしくな、坊主」
アインの問いを聞きとめて男は名乗ると、その細身の身体には不釣り合いなほどの大きな手でアインの頭を撫でた。
そんな直接的なコミュニケーションに慣れていないアインは、びくりと身体を引いてしまった。
それを見て丹羽は豪快に笑う。
「なんだなんだ、人見知りが激しい坊主だな。これがおめぇの相棒か?」
「……ワキさん……あんたも変わらないね」
「おめぇに言われる筋合いはねぇよ」
最初の驚きが去ると、神南はこの人選に納得した。
丹羽はこの時空の人間ではない。本人もどこが自分の存在する時空だったか忘れるくらい、多くの時空を渡ってきている。その中には不安定な時空もあったという。そこでの経験を買われたのだろう。
「来たのがあんたのチームで助かったよ」
神南は正直に言った。
「もともと俺の提案だからな、今回のは」
「へえ、あんたの。……ちょっと待て。てことは、事前の顔合わせなしだったってのはやはり」
責めるように言う神南に、丹羽は笑いながら答えた。
「おめぇを驚かせようと思ってな。久しぶりに会うんだ、それっくらいの茶目っ気、許されるだろうがよ」
「茶目っ気なんぞ出すなよ。それは別として、珍しいな、ちゃんと手順踏んで提案するなんて。あんたの仕事じゃないだろ、これ」
丹羽の仕事に対するスタンスははっきりとしている。どこにでも首を突っ込みたがる神南とは対照的に、自分の仕事の範疇ではないかぎり、目の前で起こっていることにすら傍観者の立場をとる。
「いやぁ、ここが安定しないと、俺が困るんだわ。ちょっくら隣の時空で仕事があるんだが、妙な具合に影響受けててな」
頭をぼりぼりと掻きながら、丹羽はきまり悪げに言った。今まで助言は裏からしかしなかったし、手助けを求められてもきっぱりと断ってきた。らしくないとは自分でも思っているのだろう。
「なるほど。そう聞くとあんたらしいと思うよ。自分の仕事ならどんなことだろうとするもんな。で、他の面子も紹介してくれるんだろう?」
「見知った顔もあるだろうが、坊主のためにも一応な。左から牧瀬、達川、横原、沢本、初沢だ」
名前を呼ばれるたびに、丹羽の後ろに控えていた男達が、それぞれ軽く頭を下げた。
「俺が神南、こっちがアイン。よろしく頼みます」
ぺこりと頭を下げた神南にならって、アインも頭を下げる。
「んじゃ、今日の手順な」
丹羽は神南に焦点を合わせて説明を始める。アインをないがしろにしているわけではない。
説明は1回限りチームリーダーに、というのが丹羽の信条だった。それでついてこれないような人間はあっさりと切り捨てる。そうしなければ自分のチームに被害が出る。丹羽はそういう仕事ばかりをしてきたのだ。
それを知っている神南がじっくりと説明を聞いている傍らで、アインはどこかぼんやりとしていた。丹羽の説明が神南に向けてのものだとて、側のアインに届かぬ声ではない。いつものアインならば神南と同じように説明を真摯に聞いているはずだった。
ともすれば内面に向かってしまう意識を、アインはかろうじて外界とつなげていた。任務に集中しなくてはと思うものの、気を抜けば他のこと――自身の感情の動きについて考えている。考えがまとまらなくても、不安箇所がある場合は自己申告の義務がある。だが、不安定な状態を知られたら廃棄処分とされるのは避けられない。それならば安定を図るほうを優先すべき。しかしそれでは義務を怠ったことになる。
袋小路を行ったり来たりしているように思考にはまとまりがない。そもそもこうして考えていること自体、平生のアインにはあり得ないことだった。この状態でアインはどうしても神南と話す気にはなれなかった。言葉にすれば落ち着くのかもしれないとは思いも至らなかった。誰かに相談するという選択肢は、もとからアインは持っていない。
それに昨日の神南の言葉もトゲのように心に引っかかっていた。成功と失敗の二通りしかアインは知らない。失敗ではなく成功でもない状態など、アインには理解できない。だから予測どおりの結果でなくとも失敗にはならないという神南に、思わず怒りをぶつけてしまったのだ。そのことに対しても、アインは戸惑っている。『信頼』という言葉は知っていても、使ったことはない。なのに何故いま神南に裏切られたと思うのだろう。
アインがかろうじて保っていた外界との接続が希薄になる。
警告は発せられていたのだろう。だだそれがアインには届かなかっただけだ。
アインの立っている地面が揺らぐ。アリジゴクの巣に陥るような足下から崩れていく感じに、アインはようやく状況を悟った。
落ちる。
そう思った瞬間、アインの口からはいまだかつて出したことのないほどの悲鳴がほとばしっていた。
「うわあぁぁぁぁぁ!!」
その声だけを残して、アインは時空の狭間に落ちていった。
「アイン!」
一瞬、いや半瞬だけ、間に合わなかった。
伸ばした手を強引に引き寄せた丹羽に、神南は怒りの目を向ける。
「どうして止めた!」
「一緒に落ちたかったのか?」
神南とは対照的に落ち着いた声で丹羽は言った。
その声だけで、神南は自分の感情を抑えることに成功した。
「……悪い。確かにあそこで俺まで落ちるわけにはいかないな」
そして頭を軽く振る。それで気持ちを切替える。
「おめぇの相棒にしては情けねぇなあ」
「調子が悪いんだよ。それよかワキさん、俺がいなくても手は足りるよな?」
携帯端末のサーチ範囲を最大にセットしながら、神南は確認した。
「まぁな。もともとおめぇの相棒が使えるかどうか判らねぇからよ、おめぇは数に入れてねぇよ」
丹羽のチームの面々を見て、肯定が返ってくることは判っていたが、こうもあっさりと言われては立つ瀬がない。
それが表情に出たのだろうか、丹羽は苦笑いを浮かべて言った。
「言い直す。最悪、おめぇは相棒に掛かりっ切りになるだろうから、数に入れらんなかったんだよ。そうふてくされるな」
「ワキさんのことだから、それは判ってるよ」
アインの資料は丹羽にも渡っているはずである。それでも実際に見ないうちは戦力外として扱うのが丹羽だった。
「……行くのかい?」
「行くよ。悪いな、仕事手伝えなくて」
「いいさ。おめぇが直々に迎えに行くような相棒なら、本調子のときを見てみてぇもんだな」
「是非とも名誉挽回の機会を与えてやってくれよ」
右手をあげて、神南は丹羽に別れを告げる。そのまま歩みはだんだんと速くなり、終いには駆け足になる。
「綾女さん」
走りながら、神南は綾女に連絡を入れる。
『どうしたの?』
間髪入れずに答えが返ってくる。
神南は落ち着いた声で言った。
「アインが落ちた。周辺の時空に探査依頼出してください」
『判ったわ。あなたはどう動くつもり?』
綾女はほんの少しの動揺も見せず、無駄な話も一切しなかった。そしてまた、神南が大人しく探査結果を待っているだけではないことも承知していた。
「一番近かったところから始めますよ。特権、使わせてもらいますからね」
『了解したわ。気をつけて』
神南が思っているよりもあっさりと綾女は了承した。反論されることを予測していた神南の戸惑いが携帯端末を通じて伝わったらしく、綾女は言葉を続ける。
『今までなら事後承諾だったもの。確かに早めにこっちに回してくれるようになったわね』
言われてみて納得する。結果が同じだとしても、途中経過はやはり大切なのだろう。
「そっちでのフォロー、頼みます」
目から鱗がはがれ落ちた気分で、神南はそう言うと通信を切った。
それは一瞬だったのかもしれない。
気がつくと、アインは闇の中にいた。いつのまにか膝を抱えて丸くなっていたらしい。ゆっくりと身体を伸ばし、立ち上がってみる。足下が妙に不安定だった。立っている感じがしない。
最後の記憶は、足下が崩れていき、自分でも思っていなかったほどの大きな叫び声とともに落ちたことだった。そのショックが身体に変調を来しているのかもしれないと思った。
果てがどこにあるのかも判らない暗闇の中、周囲を伺ってみる。
何の気配もない。ここが屋内なのか屋外なのかすら判断がつかない。
見えるものといえば、自分一人だった。淡く光る薄い膜を纏っているように、アインの身体だけがぼんやりと見える。
苦味を帯びた感情が胸に去来する。仕事中にもかかわらず自分自身のことに気を取られていたのは、一体何のためだったろう。こういう事態に陥らないようにするためではなかったか。本末転倒もいいところである。
このあと、どんなに正しく調整できたとしても、この件ひとつでアインの廃棄処分は決定したも同然だった。少なくともアイン自身はそう思っていた。
廃棄処分を待つまでもないかと、アインは自嘲気味に思う。ここがどこだかは定かではないが、このまま放置されるならば廃棄処分となんら変わりはない。わざわざ処分するよりも手間がかからずに済む。
そう思ってしまったためか、アインは漆黒の闇の中、状況を打破しようとする気力が湧いてこなかった。もうどうでもいいという投げやりな気分で、アインは手首の携帯端末を見る。そこから有用な情報を入手しようとしてのことではない。ただの癖みたいなものだった。
座標が示されない。
それは、ここがアインのいた時空ではないことを示している。
他の時空に関しての知識をアインはあまり持っていなかった。基本的に時空間の移動は許可されていないので、時空管理局の職員ですら必要のない知識ということなのか、これといった資料がないのだ。かろうじて神南が所有している資料の中に、何点か他の時空について言及しているものがあったくらいだった。
その乏しい知識ではここがどこであるかなど推察はできない。それでもアインは他にすることもなく漫然と考えを巡らす。
息苦しくはない。肌寒くもない。とりあえずは生命の危機に直結するようなことはないように思えた。ただ、これが真の暗闇かと思わせるほどの闇は、気分的にアインを圧迫している。何もないと判っていても、闇は人の心に不安を引き寄せるものだが、ここはアインにとって初めての場所だった。何があるのかさっぱり判らない状況下での暗闇は、流石のアインでも恐怖を覚えないわけにはいかなかった。それは生物としての本能的な恐怖だった。
多少なりとも暗闇には目が慣れてきた。それでも相変わらず周囲には何も見えない。光源はやはり自分が放っているらしい燐光のようなものだけ。
アインはもう一度、気配を探る。
耳が痛くなるような静けさの中、何も感じ取れないことに驚く。感覚が遮断されているかのようだった。
アインはその場に座って膝を抱えた。
何も感じ取れないまま動き回るほど自暴自棄にはなっていない。だからといって助けが来ることを期待しているわけでもない。
牢獄のようだとアインは思った。そしてこの暗闇の牢獄には覚えがあると思った。
「ずっとここにいたのかもしれない」
アインは呟いた。声は闇に吸い込まれた
記憶を呼び起こす。
闇。それから、光。幸せな時間。……幸せな時間?
アインは自分の記憶に首を傾げる。
一番古い記憶は賢人会議よりあてがわれた部屋で目を覚ました自分。起動したばかりのマシンのように、それ以前の記憶は全くないはず。だからずっと自分はマシンなのだと認識していた。訓練内容からして殺人マシンだと。
その時間の中に『幸せな時間』はなかった。そもそも感情を廃されたマシンに『幸せ』を感じることすらあり得ない。
では、神南と過ごすようになってからのことだろうか。
アインは考える。――いや、違う。
確かに神南との生活、そして深森との出会いは、アインに『幸せな時間』をもたらした。しかしこの記憶はそれよりももっと以前のもの。おそらくは、賢人会議で目覚めるより以前のものだ。
その記憶の欠片を壊さぬようにそっと引き寄せる。
断片化された記憶は、ほんの少し手荒に扱っただけで霧散してしまう。
抱きしめる白い腕。優しい声はアインを別の名で呼んでいる。崩れかけた記憶ではその名を判別することはできないが、呼ばれているのが自分であることははっきりと判る。
逞しい腕がアインを高く持ち上げる。幼い笑い声。深みのある笑い声。
遠い幸せな記憶はそこまでだった。一転して闇に包まれる。最初にあった優しい闇ではなく、冷たく暗い闇。その中で遠くに泣き声が聞こえる。あれはアインも自覚していなかった、闇に押し込められた自身の声なのかもしれない。
その泣き声が少しずつ近くなってくる。
アインは記憶をたどる。
時空管理局に配属され、神南と初めて会ったときのことを思い出す。
特にこれといった感想は持たなかった。命令を遂行するための邪魔にならなければそれで良かった。けれど今思えばそれは確かに一条の光だった。闇の中に捕らわれたままのアインを救おうとする光だった。今なら判る。
深森に会ったときのことも思い出す。
何の躊躇いもなくアインの内面に触れてきた。それを嫌だと思わなかったのは、神南との生活のおかげかも知れないと思った。
この暗闇の中で光を思えば、それは神南であり、深森だった。
心細げに泣く声が、ここから出してくれと泣く声が、どんどん近づいてくる。そしてそれがいつしかアインと重なる。
頬が濡れているのを感じる。それを涙と認識したとき、聞こえていた嗚咽の声が自分自身のものだと判った。
「カンナミさん……カンナミさん……神南さん……」
祈りの文句であるかのように神南の名を呼びながら、アインは泣き続けた。それは生まれたばかりの赤子の泣き声にも似ていた。
泣き声が聞こえる。
耳のどこか奥に微かに響くその声を、神南は何故かアインのものだと思った。
「待っていろよ、アイン。いま迎えに行くからな」
焦る気持ちを押えつつ、神南は時空間を移動する。
それは神南に与えられている特権のようなものだった。どの時空に行こうとも、無条件で転移装置が使える。この特権を与えたのが賢人会議であることを考えると、あの組織の巨大さを新たに認識する思いだった。
如何に賢人会議を嫌っているとはいえ、神南はこの特権を使うことにやぶさかではない。特に今のような場合には、好き嫌いなど二の次となる。
特別仕様の神南の携帯端末は、アインのものとは違って、他の時空であってもきちんと座標が示される。それで他時空に落ちてしまったアインをサーチできる。
神南は最初は高をくくっていた。
他時空に落ちたと言っても、あのとき隣接していた時空以外には考えられない。アインの落ちたポイントと時間から、付近の時空はすぐに判別できる。多くても5〜6ヶ所に絞られる時空を探せばいいだけだと思っていた。アインのことだから、動かずにその場に待機しているか、若しくは時管局に保護を求めていることだろう。
だが、隣接していたどの時空にも、アインは見当たらなかった。
綾女の対応は素早く、神南が時空を渡り、そこの時管局に連絡を入れた途端に、アインの消息に関する答えが返ってきた。それは神南の期待しているものではなかった。
「該当者はありません」
「嘘だろ……? ここもか?」
神南は探索する時空の範囲を広げた。
万が一、あのとき一瞬だけ側を通ったかもしれない時空や、通常ではありえないが、隣接していた時空を素通りして、その隣の時空に落ちたかもしれない。ほんの少しでも可能性があるのならば、アインが落ちた時空がどんなに離れたところにあるとしても、神南は絶対に迎えに行くと心に決めていた。
それは、アインの保護者であることを自任しているからではない。他人任せにできないほど、アインは神南の家族になっていた。
その事実に気付き、神南はこっそりと苦笑を浮かべた。
家族などという響きは、もう自分の中にはないものだと思っていた。時間の流れから取り残されたものが、知りあい以上の関係を持てるとは思っていなかった。血のつながりがあってさえ疎遠になってしまった人たちのことを考えれば、それは神南自身、不思議な感じがした。
「どこにいるんだ、アイン……」
いくつ時空を移動しただろう。どれもこれも空振りに終わり、神南は次にどこへ向かえばいいのかすら判らずに、ただ転移装置のある部屋で頭を抱え込んでいた。
身体が異様に重く感じられる。これだけ連続して時空間を移動するのは、流石の神南ですら初めての経験だった。
転移の途中で、一瞬とはいえ時空と時空との間にある『虚空』と呼ばれる空間を通る。そこは生物が存在するのに全く適していない空間だった。物体が存在することもない。どこまでも闇だけが広がる空間だ。そこを通るときに、人の身体は問題ない程度ではあるものの、多少の損傷を受ける。これこそが、基本的に時空転移を許可していない理由だった。
一瞬の通過ではほんの少しである損傷も、これだけ連続して時空間を移動していれば、どうしても身体に蓄積されてしまう。それが神南の身体を異様に疲れさせていた。
手首の携帯端末が振動する。通信が入ったようだ。
緩慢な動きで、神南は携帯端末を操作した。
「はい、神南です」
『アインの居所が判ったわよ』
そこから聞こえてきたのは綾女の声だった。
「綾女さん? どうして」
普通なら、時空を越えて携帯端末に通信を入れることはできない。おそらくは彼女自身あまり使いたくはない裏技を使ったのだろう。
『それより、いい? どうやらアインは虚空に落ち込んでいるらしいのよ』
それは、携帯端末から綾女の声が聞こえてきた以上の衝撃を、神南に与えた。
「虚空!? それであいつは無事なんですか!」
『それらしい熱源があるってだけで、それ以上のことはちょっと判らないの。そこからなら05区に直接行けるわよね? そこの時管局には話を通してあるわ。力技になるけれど』
「判りました。極力05区に迷惑がかからないようにやりますよ」
そこから神南の行動は早かった。無条件で使えることをいいことに、手順としては許可を求めたものの、その返答がくる前に神南は05区に転移していた。
転移装置から出ると、驚いたような顔をした職員が待っていた。転移装置が動いているところを見たのも初めてなのかもしれない。
「どこだって?」
前ふりもなしに神南は尋ねた。いつもの神南には見られないほどの、余裕のなさだった。
「え、ああ、東区12ー45ポイントです。……あの、判りますか?」
「データは?」
「えっと、車のナビに転送済です」
「どこに?」
「正面玄関の前に止まってます」
「判った」
それだけ聞くと、あっけにとられている職員を残し、神南は急ぎ足で時管局を出る。案内を請うなどという選択肢はもとよりなかった。
アインが虚空に落ちたというのが事実ならば、既に時が経ちすぎている。生命維持に必要なものは何一つあそこにはないのだ。それらしき熱源があるということは、綾女が確認したときはまだ死体ではなかったということだ。だがその幸運にいつまでも頼るつもりはない。一刻を争うこのときに、神南は余計なことに時間をとられるわけにはいかないのだ。
正面玄関に横付けされている車に乗り込む。ナビを立ち上げ、目的地までの最短距離を選ぶ。
車はいきなりトップスピードで走り出した。無反動の車ゆえに加速を体感することは出来なかったが、飛ぶように過ぎ去っていく周囲の景色からそれが判る。客観的には常識外れのスピードであるにもかかわらず、神南にはそれでも遅いように思えた。