【1】騎士団食堂の末息子
夢渡りの一族には、生涯を共にする伴侶がいた。
一族の異能は本来、ただ、伴侶のためだけにあったという。
それぞれの一族が属する動物の能力を借りて、彼らは伴侶を得、守り、愛してきた。
だが、何時の頃からか、その異能を悪用するものがでてきた。
欲に塗れ、狂った異能に、夢渡りの絆は歪んでいった。
その歪みによって、彼は伴侶を得る前に失ったのだ。
――― そして、世界は赤に染まった。
***
「フラン! まだ寝てるのかい!」
母親の叫び声にフランは飛び起きた。古びた毛布を被ったまま、反射的に窓の外を確認する。よかった。まだ、二つ月がのぼっている。彼は寝台から転げ落ちるように下り、椅子にかけてある制服を引っ掴んだ。
肩まである髪を後ろ手に紐でくくりながら、一階の食堂に駆け込む。騎士団食堂の朝は早い。料理長である父親と兄達は既に仕入れに出かけていた。食堂の掃除をしていた姉が小言共に手渡したパンを口に放り込むと、彼は空桶を両側にぶら下げた天秤を担いで井戸へと走った。
騎士団食堂の末息子フランは、この春に12になった。彼の父親の家系は大柄な人間が多く、フランも、同年代の誰より背が高くしっかりした体つきとなっていた。彼の朝一番の仕事は、調理場で使う水瓶に水を汲んでくることだ。井戸と水瓶を何往復もする水汲みは重労働であったが、一人前と認められた証であり、少しだけ嬉しかった。
肩まである灰色の髪を青の髪紐で縛り、くりくりとした焦げ茶の目に笑みを浮かべた少年は、二つ月のもと王都を駆ける。一つの秘密を除いて、ごくありふれた平民の暮らしの中、彼は足音軽く、井戸を目指していた。
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フランの家は王都の三の郭で食堂を営んでいる。彼らが住む地区の食堂は、俗に騎士団食堂と呼ばれていた。理由は単純で、客に騎士が多いためだ。一家の食堂がある飲食店街、その城壁を挟んだ向かいには、騎士団宿舎がある。
宿舎には独身で王都に持ち家を持たない貧乏騎士が住まっている。食事のサービスはなく、自炊する余裕が激務の騎士にあるはずもない。
必然的に騎士達の足は、近場の飲食店に向いた。その結果、騎士団食堂と呼ばれる飲食店の集まる街が生まれたらしい。フラン一家の食堂は、その黎明期に開かれた古株だと酔った父親が言っていた。
騎士団食堂の開店は早い。朝の鍛錬後に空腹の騎士達が駆け込んでくるため、普通の食堂よりも早くから呼び込みを始めなければならないのだ。フランも、まだ二つ月が夜空に皓々と輝く時間から下働きの仕事を始めなくてはならなかった。
早起きが身体に染みついているはずの彼であったが、今日は危うく寝過ごすところであった。
理由は、ある夢だ。この夢こそが、フランの一番の秘密であった。
フランには幼い頃から見てきた夢があった。日本という国で夢渡りと呼ばれる異能の一族となる夢だ。それが、前世の記憶なのか、子供の妄想なのかは、フラン自身にも分からなかった。
夢で得た知識によって、フランは幼い頃から聡い子供であった。聞き分けの良い子、と近所で評判の子供は、しかし、内心で、この世界を生きる自分に違和感を抱えていた。
五つまで、彼は冷めた目で世界を眺めていた。『彼女』がいなければ、生まれ変わったとしても何の意味もありはしない、と。鮮やかな赤の夢を見た後、彼の目に世界は色褪せて見えた。
十二の彼は思う。女一人がいないからと世界に絶望するとか、俺もあの頃は若かったなぁ・・・・・・、と。よく、あのような甘ちゃんなことを恥ずかしげもなく思えたものだ。今となっては、地面をのたうち回りたくなるような黒歴史であった。
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彼が前世は前世に過ぎないと考え、自分は今を楽しもうと考えるようになった契機は、五歳の時に父親に言われた言葉だった。
当時、彼は、近所の悪ガキどもにママの良い子ちゃんとよくからかわれた。聞き分けが良いと近所の奥様方に可愛がられていた弊害だ。冷めた表情で悪口を聞き流す彼が、悪ガキ達はますます気にくわなかったらしい。小突かれたり、転ばされるたり、と手を出す者がでてきた。
夢で得た知識を使えば、反撃も可能だった。しかし、フランはそれをしなかった。
その結果、切れた口にスープが染みて、彼は無意識に顔をしかめた。厨房の隅で木箱に腰掛け、不機嫌そうに夕食を食べている末息子に、鍋をかき混ぜながら父親は笑った。
「メシが不味くなるようなことは忘れちまえ、チビ。人間、メシの時にゃぁ、一番幸せな笑顔を浮かべるもんだ。食うってのはな、チビ。自分が今、生きてて、明日も生きようってことだ。お前が明日も笑って一日を過ごせるようにって、この俺が腕をふるったメシだ。うめぇだろう。たんと食え」
父親は、末息子の怪我を喧嘩に負けたものだと勘違いしているようであった。フランを慰めるために掛けられた言葉は、しかし、父親が考える以上に、末息子の心の奥底まで響いた。
***
夢の中で生きる彼は、飢えを知らなかった。夢渡りの異能を使って、それなりの金銭を稼いでいたのだ。望めば、金で手に入るものならば、全てを得ることが出来た。
けれども、一つだけ、手に入らないものがあった。
それは、家族、だ。
夢の中の彼は、家族というものを知らずに死んだ。
彼が生まれた時には、夢渡りにおいて婚姻とは異能を残すための義務と化していた。
父親は、母親が彼を孕むとイヌの本家に姿を現さなくなった。
母親は、彼を産んだことで自分は義務を果たしたとイヌの族長に言い、別の男のもとに去った。
彼を育てた側仕人は、夢渡りの忠実な下僕でしかなかった。
彼が初めて愛したいと願った『彼女』は、手に入れる前に、同じ夢渡りの異能者に命を奪われた。
そして、彼は、独りで生きて、独りで死んだ。
***
夢の中の自分に思いをはせながら、五歳のフランは、温かいスープを啜った。ふち一杯まで並々と注がれたスープには、彼の好物のジャガイモがたっぷりと入っていた。彼は思う。夢の中の自分は一人だったかも知れないけど、『自分』には生まれた時から家族が一杯いる、と。
彼はスープの皿から目を上げると、忙しそうに働いている両親と兄姉を眺めた。
父親は、チビ、チビ、と彼の頭を荒っぽく撫でる。慌て者で、フランが生まれた時には調理中の肉切り包丁を持って産院に駆け込み、産婆を気絶させたという逸話を持っている。
母親は、フランはしっかりしているようで、お父さんにに似てどこか抜けているわねぇ、と丸い手で彼の頭をゆっくりと撫でる。どっしりしているのは身体だけではなく、その精神も、だ。フランが生まれた時には、喜びにうっかり肉切り包丁を持ったまま踊り出した父親を張り手で沈め、駆けつけた兵士に、この血は出産に伴ったものですよ。さぁさぁ、殿方はでていった、と微笑んでお引き取り願ったそうだ。
五人いる兄姉達は、それぞれのやり方で、彼をかまい・・・・・・多分、可愛がってくれている。
厨房の手伝いをしている兄達は、新作料理の試作品を、必ずフランに食べさせてくれる。
「フラン。ほら、市場で知り合いの行商人に分けて貰った南方の激辛唐辛子を使った新作トマトスープだ。食ってみろ。今までにない味だぞ」
新しい味というか、新しい世界が開けそうな辛さだった。口の中が焼けて、三日ほど、まともにものが食べられなかった。兄達は母親に、父親のトンデモ試作品に慣れたお前の舌と一緒にするんじゃないよ、と叱られていた。
その次に食べたのは、東の島国から取り寄せたという口当たりの良い果物を使った新作果実酒だった。唐辛子に焼かれた喉にも優しく、美味しかったが、当然、酔った。再び母親に叱られる兄達を、酔って潤んだ瞳でフランは見ていた。次は何かな、と密かに胸を躍らせて。
兄達がどんな料理を出しても、末っ子が拒むことは無かった。その後に母親の説教タイムがないことも、また、滅多になかった。
給仕を担当する姉達は、フランに色々なことを教えてくれた。
あれは、三歳ほどの時であっただろうか。食堂で夕食を取る中年騎士を一番上の姉が密かに指さしたことがあった。
「フラン。ほら、あの隅に座っている金髪の騎士様がいらっしゃるでしょう。あの方にお菓子を頂いてはダメよ。フランみたいに小さくて可愛らしい男の子がだぁいすきな方なの。食べられてしまうから、絶対に近づいてはダメよ」
食べられる? とフランは子供らしく小首を傾げてみせた。前世の知識から、あぁ、そういう趣味の人か、と内心で男をブラックリストに載せながら。
二人の会話を聞きとがめた二番目の姉は、小さい子に何を吹き込んでいるの、と一番目の姉を叱った。そして、「あの方に何かを言われたら、こう申し上げなさい」とフランにそっと囁いた。
数日後、噴水広場で父親を待っていたフランは、件の騎士に話しかけられた。お菓子をあげるから付いておいで、と笑いかける中年騎士に、フランは姉に教えられた通りの返事を返した。
「『黒椿亭のオリヴァーをご存じですか?』」
中年騎士は真っ青になって逃げ出した。そのことを姉に報告した日から、その中年騎士を見かけることはなかった。彼がどうなったか。それは今でも分からない。一度姉達に尋ねたが、彼女達は楽しげに笑うだけだった。
父が、冷めるから、早く食べろ、と頭をわしわしと撫でていった。幼子は、ぶきっちょにスプーンを握る。まだ手が小さい彼のために兄が市場で見つけてくれた木製のスプーンだ。鳥の絵が描かれた木の椀は、可愛くて彼が落としても割れないものを、と、母と姉が探してくれたものだ。
幼い頃、フランは違和感を感じてばかりだった。
夢の中、彼は成人男子の身体で敵と戦っていた。
――― 今、僕は小さくて守られてばかりだ。
夢の中、彼は独りで生きて独りで死んだ。
――― 今、僕には、父さんと、母さんと兄さんと姉さんがいる。・・・・・・家族、が、一杯いる。
夢の中、彼は大事な彼女を失ったことを嘆くばかりだった。
――― 今、大事な何かを、僕はまだ失ってはいないんじゃないかな。
スープを勢いよく食べた彼は、「ごちそうさま!」と父親に笑って、木箱から飛び降りた。椀とスプーンを皿洗い係の兄に渡して、「いってきますっ」と給仕する姉の横をすり抜ける。騎士団食堂を飛び出した彼に、「暗くなる前に帰ってくるんだよ」と母親が声を掛けた。
はーいっ、と良い子の返事を返した彼の口元には、この世界に生まれて初めて、心からの笑みが浮かんでいた。しかし、彼がそれに気づくことはなかった。
肉食獣の獰猛な笑みを浮かべた幼子は、その日の内に近所のガキどもに借りを返し、その後、王都屈指の勢力範囲を誇るガキ大将まで登りつめたのだった。
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騎士団食堂の末息子、フランには秘密がある。
赤に染まった世界で生きる、一人の男の夢を見ることだ。
それが、前世の記憶なのか、己の妄想なのかは彼自身にも分からない。
「どっちでもいいよ。それより、毎回朝寝坊しかけることの方が問題だ」
桶に汲んだ水をじゃぼじゃぼと揺らしながら、彼は騎士団食堂へといつも通り、王都を歩いていた。その答えが、もうすぐ己の前に人の形となって現れるとも知らずに。




