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第8話 魔法少女シロ、ネットのおもちゃになる

 午後一時四十五分。

 新東京市の地下深くに位置する、軍の対ノワール特務機関・広報センターの特別控室。


「うわぁ〜! シロちゃん、今日も最高にキュートですぅ!」

「お肌が真っ白で陶器みたい! このフリルのボリュームとレースの繊細さ、本当に完璧ですね!」

「ああっ、こっち向いてください! リップ、もう少しだけ血色感を足しますね!」


 三人のハイテンションな女性メイクアップアーティストたちに囲まれ、俺は鏡の前で完全に虚無の表情を浮かべていた。

 純白のシルクと大量のレースで構成されたゴシックロリータドレス。背中にはパタパタと動く小さな天使の羽。そして、銀色のツインテール。

 三十歳の小汚いサラリーマンである俺の自尊心は、今やこのフリフリの檻の中で、九割方死滅しかけている。


「……あの、メイクとか別にいらないんじゃないですか。どうせ変身システムが顔の造形から肌の質感まで、全部自動で弄ってるわけですし」

 俺は、鈴を転がすような超絶ロリボイスで、極めて理路整然とした抵抗を試みた。


「ダメですよシロちゃん! 今日は全国ネットの生放送が入ってるんですから! それに、これは私たちのモチベーションの問題なんです! こんなに可愛い素材、いじり倒さないと勿体無いじゃないですかーっ!」

 リーダー格の女性スタッフは全く聞く耳を持たず、俺の小さな桜色の唇にグロスを塗りたくり、チークをポンポンと乗せていく。


 なぜ俺が平日、就業時間中の真昼間にこんな辱めを受けているかといえば。


 昨夜の三連戦(とそれに伴うトイレ往復ダッシュ)から一夜明け、俺は這うようにしてクロノス商事に出社した。

 そして午前中いっぱいを使って、玲奈部長から叩きつけられたA社のコンペ用企画書をどうにか提出レベルまで形にし、「午後から、A社の競合店舗の現地視察に行ってまいります」というもっともらしい(しかし社会人としては真っ黒な)嘘をついて、会社を抜け出してきたのだ。


 外出の許可を得たのはいいものの、転送ワープされた先は軍の施設であり、待ち受けていたのは「マスコミ向けのお披露目記者会見」という、地獄のような公開処刑だった。


 バンッ!と、控室のドアが乱暴に開いた。


「ほら、シロ! これがあんたの台本よ。一言一句、間違えずに暗記しなさい!」


 白衣姿のマキ博士が、入ってくるなり分厚いバインダーを俺の顔に押し付けてきた。

 俺はため息をつきながら、その台本に目を落とす。


『――質問:シロちゃんはどうして魔法少女になったの?』

『――回答:えへへ、世界中のみんなの笑顔を守りたいからですっ!(ここでカメラに向かってウインク)』


『――質問:休日はどんなことをして遊んでるの?』

『――回答:お菓子作りと、可愛いお洋服を集めることですっ!(両手を頬に当てて小首を傾げる)』


「…………」

 俺は無言でバインダーを閉じ、デスクの上にそっと置いた。


「ちょっと! 何閉じてるのよ!」

「博士。俺の現在の脳の空き容量は、明日の会議で使うエクセルのマクロ関数の構造と、今月の住宅ローンの引き落とし額の計算で100パーセント使い切られています。こんな、脳細胞が死滅しそうなポエムを記憶するスペースは残っていません」


 そもそも、昨夜は午前三時まで残業(本業と副業のダブル)をしていたのだ。

 睡眠時間はわずか二時間半。

 頭の中には鉛の塊が詰まっているようで、まともな思考などできるはずもない。


「気合で覚えなさい! いい? これは軍のイメージ戦略なのよ! 最近、ノワールの出現が異常に増えて、市民が不安がってるの! だから、あなたみたいなキラキラした新しい魔法少女の姿を見せて、世間に安心感を与えるの! 絶対に、ボロを出さないでよね!」


「ボロを出さないでと言われましても……」

「さあ、時間よ! 行くわよ!」


 マキ博士に背中を押され、俺は重い、重すぎる足取りで控室のドアを抜けた。


 ――フラッシュの嵐だった。


 広い会見場のステージに俺が足を踏み入れた瞬間、何十台ものカメラのストロボが一斉に焚かれた。

 パシャパシャパシャッ!というシャッター音が、耳鳴りのように響く。

 会場には主要なテレビ局、新聞社、ネットメディアの記者たちがひしめき合い、熱気でむせ返るようだった。


「さあ、皆様! 新たに着任した街の守り手、【純白のエトワール・ブラン】こと、シロちゃんです!」

 司会の軍関係者が、誇らしげに俺を紹介する。


 俺は促されるままステージの中央、無数のマイクが置かれた演台の前に立った。

 身長145センチの身体ではマイクに口が届かず、スタッフが慌てて木製の足台を持ってきた。その足台に乗せられるという屈辱的な状況に、俺の目はさらに深海の底のように濁り、光を失っていく。


「それでは、質疑応答に移ります。質問のある方は挙手を」


 司会の声と共に、一番前の席にいたスーツ姿の男性記者が勢いよく手を挙げた。


「東洋タイムズの者です! シロちゃん、魔法少女への就任おめでとうございます。さっそくですが、シロちゃんが魔法少女になろうと思った『きっかけ』を教えてください!」


 来た。台本の最初にある質問だ。

 ええと、たしか「みんなの笑顔を守りたいから(ウインク)」だったか。

 俺は、極度に疲労した脳味噌に鞭を打ち、正体がバレないよう、必死に『子供らしい建前』を出力しようと口を開いた。


 しかし。

 徹夜明けの社畜の脳は、限界を超えると建前を処理するフィルターが機能不全を起こし、無意識のうちに最適化された『本音』が混ざってしまうという恐ろしいバグを抱えていた。


「ええと……」


 マイクを通し、会場全体に俺の愛らしいロリボイスが響く。


「『みんなの笑顔を守りたいから』です。……あと、断ると怖いお姉さん(マキ博士)にすごく怒られるって脅されたのと、お小遣い(歩合制の報酬)がいっぱいもらえるって聞いたので……。夜遅くまで働いても、ちゃんとお小遣いがもらえるなら、世の中の理不尽な大人たち(ブラック企業)よりはマシかなって……」


「「「…………え?」」」


 会場の空気が、一瞬にしてシベリアの永久凍土のように凍りついた。

 カメラマンたちのシャッターを切る手が、ピタリと止まる。


 ステージの袖で、マキ博士が「バカ! 何言ってんのよ!」と音のない悲鳴を上げながら、頭を抱えてしゃがみ込むのが見えた。

 しまった、少し本音が漏れすぎたか。だが、一度外れた脳のストッパーは、もう元には戻らない。俺の口は、淡々と滑り続けていた。


「あ、はい、次の質問どうぞ」

 俺が司会を差し置いて進行すると、別の女性記者が恐る恐る、震える手で立ち上がった。


「え、えーと……シロちゃんは、休日はどんなことをして過ごしているんですか? 趣味とか、お友達と遊んだりとか……」


 台本では「お菓子作りと可愛いお洋服を集めること」だったはずだ。

 だが、俺の口から出たのは、血の滲むような真実だった。


「……泥のように眠ることです」

「えっ?」


「目覚まし時計をかけずに、夕方まで死んだように眠るのが最高の贅沢です。……あと、旅行のパンフレットを眺めて、いつか行ける日を夢想することです。お仕事……じゃなくて、パトロールが忙しくて、実行に移したことは一度もありませんが」


 ざわざわ、ざわざわ。

 会場に、かつてないほどのどよめきが広がった。

 記者たちは「なんだこのませた回答は?」「どんな過酷な人生を送ってきたんだ?」「この子、闇が深すぎるのでは?」と顔を見合わせ、ペンを走らせるのも忘れて呆然としている。


 演台の端に設置された、ネット配信の様子を映し出すプロンプター用モニターが、俺の視界に入った。

 画面の横を流れる視聴者のコメント欄が、ものすごい勢いで、まさに滝のように流れ始めている。


『は?』

『休日の過ごし方が完全に俺らwwww』

『闇が深すぎるだろこの魔法少女』

『おい、俺たちのリアルな日常をロリっ娘に語らせるな泣くぞ』

『シロちゃん……親の過労死する背中を見て育ったのか』

『スパチャ投げる! シロちゃん、これでおいしいもの食べて旅行に行ってくれ!!』


「では、次の質問」

 俺が死んだ魚の目で会場を見渡すと、最前列の記者が震える声で尋ねた。


「し、将来の夢は……なんですか? 世界平和とか、そういった……」


「働かずに暮らすことです」

 俺は即答した。一秒の迷いもなかった。


「貯金箱にお金をいっぱい貯めて、そのお金が勝手にお金を生み出すシステム(インデックスファンド)を作って、山奥の安い一軒家で誰にも怒られずに暮らしたいです。あと、世の中の毎日遅くまで働かされている可哀想な大人たちが、早くお家に帰れる世界になればいいなと、常々思っております」


 会場から、フラッシュが焚かれる代わりに、パラパラと……誰かの拍手が起こった。

 見れば、中年のくたびれた記者が、ハンカチで目頭を押さえながら、何度もうなずいている。その後ろのカメラマンも、鼻をすすりながらガッツポーズをしていた。


「……す、好きな食べ物は!?」

 別の記者が、すがるように尋ねてきた。せめてここだけは、子供らしいキラキラした回答を求めているのだろう。


「……苦くてシュワシュワする栄養ドリンクと、コンビニの塩辛いスナック菓子です。最近は胃が荒れてるので、もっぱら元気が出る高麗人参エキスの入ったドリンクですね。あれを飲むと、動悸がして無理やり目が覚めるので、夜更かしした朝には重宝しています」


「ま、魔法少女としての、今後の目標は……!?」


「パトロールのノルマの適正化と、定時帰りです。精神論で無理な戦いを押し付ける悪い怪物は、物理的に粉砕して、この街の平和……労働環境を改善したいですね」


 沈黙。

 完全なる沈黙の後、会場は爆発的なシャッター音と、異様な熱気、そして謎の一体感に包まれた。


『栄養ドリンクと塩辛いスナックwwww』

『闇ロリきたこれ!!』

『哀愁ヤバい』

『この死んだ目……ガチだ……世の中の理不尽を全て知り尽くした目をしている……!』

『シロちゃん尊い! 俺が養ってあげるから戦うのやめて!!』

『赤スパが止まらねええええええ!!』


 プロンプターのコメント欄は、完全に祭りの状態と化していた。

 投げスーパーチャットの赤い帯が、画面を埋め尽くしている。


 俺は、事の重大さに気づく余裕すらなく。

「……すいません、もう三十時間くらいまともに寝てなくて腰が痛いので、そろそろお開きにしてもらっていいですか。夕方から……じゃなくて、学校の宿題を書かないといけないので」

 と、マイクに向かって深々と溜息をついたのだった。


 ――その頃。

 新東京市のどこかにある、窓のない薄暗い部屋。


 最高級の革張りのソファに深く腰掛ける、仕立ての良い漆黒のスーツを着た男がいた。

 男の顔は暗闇に沈んでよく見えないが、顔の上半分をカラスの嘴のような黒いペストマスクで覆っている。その口元には、残酷で冷ややかな笑みが浮かんでいる。


 彼の目の前には、壁一面を覆う巨大なマルチモニターが設置されており、その全てに、現在行われている『魔法少女シロ』の記者会見の生中継が映し出されていた。


『働かずに暮らすことです』

『世の中の毎日遅くまで働かされている可哀想な大人たちが――』


 モニターから流れるシロの言葉と、ネット上の大反響を示すグラフの急上昇を眺めながら、男――ノワールを裏で操る黒服の幹部、ベルモットは、手にしたブランデーグラスを静かに回した。


「……素晴らしい。実に興味深い絶望だ」


 ベルモットの低い声が、薄暗い部屋に反響する。


「魔法少女といえば、通常は希望や愛といった、我々にとって猛毒となる不安定な感情で構成されているもの。だが、あの白い少女はどうだ。あの小さな器に、どれほどの社会に対する諦観が詰まっているというのか」


 ベルモットはモニターに映るシロの『死んだ魚の目』を拡大し、陶酔したように見つめた。


「あの虚無の瞳。喜怒哀楽というノイズを完全に削ぎ落とし、ただ与えられたタスクを機械のようにこなすだけのオートマトン。あれこそが、我々の理想とする『新世界』を体現している存在ではないか。……まさか、軍の奴らが自らあのような逸材を生み出すとはな」


 ベルモットはグラスの琥珀色の液体を飲み干し、氷をカランと鳴らした。


「エトワール・ブラン……。お前のその『絶望耐性』の底、私が直々に確かめてやろう。お前が真に我々と同じ闇に堕ちる時、この愚かな世界は、完全なる秩序システムへと生まれ変わる」


 暗闇の中で、ベルモットのペストマスクの奥の目が、ノワールと同じ赤黒い光を妖しく放った。


 ――午後四時。


「……終わった」

 俺は、軍の施設から再びワープ機能を使い、クロノス商事の近くの公園のトイレへと帰還した。

 フリフリのドレスから、再びヨレヨレのスーツ姿に戻る。


 記者会見の後半はほとんど記憶がない。

 何を喋ったかも定かではないが、マキ博士が裏で頭を抱えながら「もう好きにして……」とつぶやいていたのだけは覚えている。


「ともかく、これでミッションコンプリートだ。あとはA社の視察レポートをでっち上げて、定時……は無理でも、夜九時くらいには帰るぞ」


 俺は自らを奮い立たせ、個室を出て、公園の出口へ向かおうとした。

 その時だった。


 平日の午後四時ということもあり、公園にはほとんど人気がない。

 だが、鬱蒼と木々が茂る奥まったベンチのあたりから、奇妙な声が聞こえてきたのだ。


「――はぁぁぁんっ……! たまらないわ……!」


(……ん?)


 何か、よからぬことでも起きているのか。あるいは、真昼間からノワールでも出たのか。

 俺は不審に思い、足音を殺して茂みの陰からそっと覗き込んだ。


 そこにいたのは、完璧に仕立てられたダークネイビーのスーツに身を包んだ、俺の直属の上司――氷室玲奈部長だった。


(なぜ、氷室部長がこんな時間に公園の奥に?)


 外回りの営業中にしては、明らかにおかしい。

 疑問に思う俺の耳に、彼女が両手で大事そうに抱え持ったスマホから流れる音声が届いた。


『貯金箱にお金をいっぱい貯めて、そのお金が勝手にお金を生み出すシステムを作って……』


(……あ)


 俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

 つい数時間前、俺自身がマイクに向かって死にそうなロリボイスで答えた、あの記者会見の音声だった。


 玲奈は、周囲に誰もいないことを(本人は完全に)確認した上で、そのスマホの画面を食い入るように見つめていた。

 そして、ふぅっと熱い溜息をつき、片手で自分の頬を包み込んだ。

 彼女の顔は、昨夜、ノワールとの戦いの後に俺に抱きついてきた時のように、林檎のように真っ赤に染まっている。


「……はぁぁぁ。この子……最高じゃない……?」


 普段の『氷山の悪魔』としての絶対零度のオーラは微塵もない。

 完全に限界オタクの顔になって、スマホの画面に映るシロ(俺)を指でスリスリと撫で回している。


「ああもう、ダメ! 私、この子のためにいくらでも課金できるわ……!」


 玲奈は、誰に聞かせるでもなく、しかし抑えきれない熱量で独り言を呟きながら、スマホの画面に頬擦りを始めた。


『……すいません、もう三十時間くらいまともに寝てなくて腰が痛いので……』

 画面の中から、俺の本当に辛そうなロリボイスが流れる。


「ああっ、可哀想に……! 腰が痛いなんて、どれだけ過酷なパトロールを強いられているの! この死んだ目……たまらないわ。私が養ってあげたくなる……。シロちゃぁん、お姉ちゃんがいっぱい甘やかしてあげるからねぇ……お小遣い、いくら欲しい? ふふっ、ふふふふっ」


 オフィスでは部下を震え上がらせる完璧なキャリアウーマンが、白昼堂々、公園の片隅でロリっ娘の動画を見ながら身悶えし、気味の悪い笑い声を上げているのだ。


(…………見なかったことにしよう)


 俺は、胃酸が逆流してくるのを必死に飲み込み、そっと、音を立てないように後ずさりした。


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