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第4話 真紅の戦乙女、絶対絶命

 視界が極彩色の光のトンネルに包まれ、身体がバラバラに分解されてから再び組み直されるような、強烈な吐き気を伴う浮遊感が俺を襲った。

 マキ博士が『強制転送ワープ』と呼んだシステムは、乗り心地という概念を完全に無視した軍事用の移動手段らしい。


「う、うっぷ……。博士、これ……労基署にチクったら、一発で業務停止命令が出るレベルの労働環境ですよ……」


 胃液(先ほど飲んだエナジードリンクの残骸)が逆流しそうになるのを必死に堪えながら、俺は通信機越しに抗議した。

 しかし、俺の超絶可愛いロリボイスによる恨み言は、マキ博士の耳には全く届いていないようだった。


『泣き言は後! もうすぐ現着するわよ、シロ! 今のうちに現地の状況を頭に叩き込んでおきなさい!』


 光のトンネルを移動する俺の視界の端に、再び半透明のARウィンドウが展開された。

 そこに映し出されたのは、まるでハリウッドのパニック映画のクライマックスのような、凄惨な地獄絵図だった。


 場所は、新東京市の中央公園。

 広大な敷地を誇り、昼間は家族連れやカップルで賑わうはずの市民の憩いの場は、今や赤蓮の炎に包まれていた。なぎ倒された街路樹、ひしゃげた街灯、そして、公園のシンボルである巨大な噴水は、黒いヘドロのようなもので完全に汚染されている。


 その惨状の中心で暴れ狂っているのは、先ほどの路地裏で倒した奴よりも二回りは大きい、巨大な『蜘蛛型』のノワールだった。

 黒い泥で構成された八本の長い脚が、鋭い槍のように地面を穿っている。胴体部分には、人間の眼球を無数に集めたような禍々しい複眼が蠢き、口からは酸性の黄色い糸をそこら中に吐き出していた。


 そして、その巨大な化け物を相手に、たった一人で立ち向かっている影があった。


『見え張ってるわね。彼女が、現在あの区画を担当している魔法少女よ』


 マキ博士の説明と共に、カメラのズームがその影を捉えた。


 燃え盛る炎を背景に空を舞う、真紅のシルエット。

 軍服をベースにしたような、スタイリッシュかつ華麗な赤いドレス。黒いロングブーツと、銀色の装飾が施された豪奢なマント。

 手には、身の丈ほどもある美しい氷の結晶で作られた長杖ハルバードを握り締めている。


 燃え上がるような赤い衣装と、長く美しい黒髪。

 俺のようなフリフリの過剰装飾とは違う、正統派で気高い『戦うヒロイン』というオーラを全身から放っていた。


『彼女のコードネームは【真紅の戦乙女スカーレット・ヴァルキリー】、通称ルビィ。強力な広範囲氷結魔法を操る、軍でもトップクラスの殲滅力を持つエリート魔法少女よ』


 映像の中のルビィが、氷の長杖を大きく振るった。

 瞬間、周囲の炎を凍りつかせるほどの絶対零度の吹雪が巻き起こり、巨大な氷の無数の槍が蜘蛛型ノワールめがけて降り注ぐ。

 物理法則を完全に無視した、圧倒的な魔法の力。美しい氷の結晶が炎に反射してキラキラと輝き、見とれるような光景だった。


「……すごいですね。あれなら、俺が応援に行く必要なんてないんじゃないですか? できればこのままUターンして、俺の布団にワープ先を変更してほしいんですが」


 俺が本気でそう提案すると、マキ博士は鼻で笑った。


『よく見なさい、シロ。彼女の動き、かなり鈍ってるわ』


 言われて、映像に目を凝らす。

 確かに、ルビィの放つ氷の槍は巨大な蜘蛛の身体に突き刺さっているものの、ノワールを完全に消滅させるほどの威力は出ていなかった。

 蜘蛛は痛み(?)に狂乱しながら、氷を砕いてさらに凶暴な攻撃を繰り出している。


 それを躱すルビィの足取りは、ひどく重そうだった。

 肩で激しく息をしており、マントはところどころ破れ、美しい顔は煤と汗に塗れている。何より、彼女の長杖から放たれる冷気のオーラが、風前の灯火のように明滅を繰り返していた。


「魔力切れ……ですか?」


『その通り。どうやら、今日の昼間からずっと本業(仕事)で無理をしていたみたいね。魔法少女の魔力(反絶望エネルギー)は、術者の精神的・肉体的なコンディションに直結するの。あんな過労状態で大型ノワールに単独で挑むなんて、自殺行為よ』


「なら、なぜ応援を呼ばないんです?」


 ビジネスの基本中の基本だ。自分が抱えきれないタスクに直面した時は、被害が拡大する前に速やかにエスカレーション(上司やチームへの報告・相談)を行わなければならない。一人で抱え込んで破綻するのが、一番組織にとって迷惑なのだ。


『彼女、無駄にプライドが高いのよ。自分が完璧でなければならないって、強迫観念みたいに思い込んでる。だから、限界を超えても絶対にSOSを出さない。……どこのブラック企業の管理職だよ、って感じよね』


「…………」


 マキ博士のその言葉に、俺の脳裏に、ある人物の顔がフラッシュバックした。


 完璧なスーツを着こなし、一切の妥協を許さず、自分にも他者にも極限のプレッシャーをかけ続ける『氷山の悪魔』。

 俺の直属の上司である、氷室玲奈部長の顔だ。


(……いや、まさかな。あんな気高い魔法少女と、あの鬼部長が重なるわけがない。徹夜明けで頭がおかしくなってるだけだ)


 俺は首を振って、その不吉な想像を打ち消した。


『さあ、着くわよ! 高度三十メートル上空に排出するから、うまく着地して彼女を援護しなさい!』


「高度三十……って、えええええっ!?」


 パラシュートもないのに、マンションの十階以上の高さから放り出されるというのか。労災どころか、即死案件ではないか。


 抗議する間もなく、俺の周囲の光のトンネルが弾け飛んだ。


 ――ヒュウゥゥゥゥゥゥッ!!


 鼓膜を劈くような風切り音と共に、俺の身体は夜空の真っ只中へと放り出された。

 眼下には、炎に包まれた中央公園の全景が広がっている。

 重力に魂を引かれ、俺の小さな身体は猛スピードで落下を始めた。


「あああああ……っ!」


 普通なら、ここでパニックになって手足をバタバタさせるだろう。

 しかし、俺の異常な絶望耐性(という名の感情の死滅)は、こんな絶体絶命のフリーフォール状態においてすら、俺の思考を恐ろしく冷静に保たせていた。


(……このまま地面に激突して死ねば、明日の朝イチの会議の資料、直さなくて済むな。いや、待てよ。この魔法少女の衣装のまま死んだら、身元確認で警察から会社に連絡が行く。それだけは絶対に避けたい……っ)


 落下しながら、俺は必死に空中で身体のバランスを立て直した。

 どうやら、この変身後の肉体は、俺の本来の運動神経を遥かに凌駕する身体能力を持っているらしい。空中でくるりと宙返りを打ち、足から着地できる姿勢を確保する。


 そして、眼下の戦場に焦点を合わせた。


 蜘蛛型ノワールとルビィの戦いは、まさに最終局面を迎えようとしていた。


 ルビィは既に地面に膝を突き、立ち上がる力すら残っていないようだった。

 彼女の正面に、巨大な蜘蛛がそびえ立つ。

 蜘蛛の二本の前脚――金属を容易に切断できそうな鋭利な鎌のような爪が、ルビィの華奢な身体を串刺しにすべく、高く振り上げられた。


 ルビィは、逃げようとしなかった。

 いや、もう動けないのだろう。

 彼女は顔を上げ、迫り来る死の刃を真っ直ぐに見据えていた。


 上空から落下する俺の目に、彼女の表情がスローモーションのように克明に焼き付いた。


 恐怖はない。

 ただ、自分の無力さを呪うような、そして、どこか全てを諦め、安堵したような……ひどく悲しい、自嘲するような笑み。


(……なんだ、あの顔は)


 俺の死んだ心臓の奥で、何かがチクリと痛んだ。

 あの表情は知っている。

 キャパシティを完全に超えた仕事を押し付けられ、誰にも助けを求められず、終電を逃した誰もいないオフィスで、静かに心が折れる瞬間の……あの絶望の顔だ。


 他人のような気がしなかった。

 ブラック企業の社畜として、あんな顔をして死んでいく人間を、俺は見過ごすことができない。


 俺は空中で、両手でしっかりと、重量二トンの『ドリーム・ステッキ』を握り直した。

 先端の巨大なピンク色のハートを、眼下の巨大な蜘蛛の背中へと向ける。


(……仕事の時間だ)


 俺は、落下の加速度と自重、そして二トンのステッキの質量を全て一点に集中させた。


 ――蜘蛛の爪が、ルビィを貫く寸前。


「ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!」


 隕石の衝突でも起きたのかと錯覚するほどの、天地を揺るがす轟音と衝撃波が、公園全体に吹き荒れた。


 俺の身体(と二トンの鈍器)は、ルビィを殺そうとしていた蜘蛛型ノワールの頭上に、寸分の狂いもなく直撃したのだ。


 アスファルトが爆発するように砕け散り、半径数十メートルにわたってクレーターが形成される。

 蜘蛛の巨体は、直撃の衝撃でペシャンコに押し潰され、ルビィを狙っていた鋭い脚も、ステッキの質量によって飴細工のようにへし折られて粉々に吹き飛んだ。


 舞い上がる土煙。

 降り注ぐコンクリートの破片。

 その中心で、俺は地面にめり込んだステッキの上に、ふわりと片足で着地した。


「……あ、すいません。着地地点、ちょっとミスりました。風に流されまして」


 俺は、土煙を払いながら、死んだ魚の目でそう呟いた。

 超絶ロリボイスの平坦な謝罪が、静まり返った公園に響く。


「え……?」


 背後から、呆然としたような女の声が聞こえた。


 振り返ると、そこには、尻餅をついたまま、信じられないものを見るような目でこちらを見上げているルビィの姿があった。

 彼女の目の前には、俺が粉砕した蜘蛛ノワールの体液(黒い泥)が飛び散っているが、彼女自身にはかすり傷一つついていない。


 間一髪、というやつだった。


 ルビィは、俺の姿――純白のゴスロリ衣装を着た、身長145センチのプラチナブロンドの幼女――を見て、完全にフリーズしていた。


「あ、あの……お怪我はありませんか?」


 俺は、業務的な気遣いで声をかけた。

 他部署のトラブル対応のヘルプに入った時のような、当たり障りのないトーンだ。


 ルビィの視線が、俺の衣装から、俺の持っている巨大なステッキ、そして最後に、俺の顔……いや、『瞳』へと吸い寄せられた。


 俺は知っている。

 俺のこの目は、夢も希望も吸い尽くされた、死んだ深海魚の目だ。

 こんな可愛らしい少女のアバターを着ていても、目だけは隠せない。おそらく、ひどく気味の悪いアンバランスな顔に見えているはずだ。気味悪がられても仕方がない。


 しかし。

 ルビィの反応は、俺の予想とは全く違っていた。


 俺の『一切の恐怖も絶望も感じていない、ただ虚無だけが広がる瞳』を覗き込んだ瞬間。

 ルビィの切れ長で気丈そうな瞳が、大きく見開かれた。


 彼女の唇が震え、信じられないものでも見るように、俺を見つめ返してくる。


 ルビィの目から見れば、俺の姿はどれほど異質に映っただろうか。

 魔法少女といえば、希望や愛といったキラキラした感情を力に変えて戦う存在だ。彼女自身も、気高いプライドを誇りとして戦ってきた。

 だが、目の前に現れたこの幼女は違う。

 魔法の光など一切纏わず、ただ純粋な『暴力』と『質量』だけで巨大なノワールをねじ伏せた。そしてその瞳には、恐怖も、絶望も、戦いの高揚感すらも一切存在しない。

 まるで、この世の全ての理不尽を受け入れ、感情を捨て去ったかのような、完全なる『虚無』。


 それは、常に完璧であろうと気を張り詰め、プレッシャーに押し潰されそうになっていたルビィにとって、ある種の『究極の救済』を見るかのような、鮮烈すぎるギャップだった。


「……あなたは」


 ルビィが、微かに震える声で俺に問いかけてくる。

 その声には、自分を助けてくれた謎の存在に対する、強烈な興味と惹きつけられるような熱がこもっていた。


「シロ、と呼んでください。新人です。ここは引き受けますので、あなたは下がって休んでいてください」


 俺はそれだけ言うと、地面に突き刺さっていた二トンのドリーム・ステッキを片手で引き抜いた。


「援護します」


 平坦な声で業務的に言い捨て、俺は巨大なステッキをズリズリとアスファルトに引きずりながら、再び再生を始めた蜘蛛型ノワールへと向かって歩き出した。


 ガリガリガリッ!と、超高密度合金のステッキがコンクリートを削り、激しい火花を散らす。


 魔法なんてものは使えない。

 俺にあるのは、この理不尽な重さの鈍器と、決して折れることのない(すでに折れきっている)社畜の心だけだ。


 背後から突き刺さるルビィの、雷に打たれたような熱い視線を感じながら。

 俺は深い深い、絶望的な残業の沼へと、再び足を踏み入れた。

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