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第3話 煌めけ純情、叩き潰せ物理

「ちょ、御堂博士! なんか身長が縮んでる気がするんですが!? それに、服の装飾が邪魔で動きにくっ……!」


 視界を埋め尽くしていた極彩色の光が、嘘のようにスッと収束した。

 路地裏の淀んだ空気が戻ってくるのと同時に、俺は自分の口から飛び出した「その声」に、全身の血の気が引くのを感じた。


「――ぅえっ?」


 思わず、間抜けな声が漏れる。

 三十歳の、酒と煙草とエナジードリンクで荒れ果てた低音のくたびれた声ではない。

 鈴を転がすような、という表現がこれほど当てはまる音は他にないだろう。アニメの深夜放送でしか聞けないような、甘ったるくて、甲高くて、無駄に愛嬌のある『超絶ロリボイス』。


 それが、間違いなく俺の喉から発せられていた。


 混乱する頭で、視線を下に向ける。

 まず目に入ったのは、自分の足元だった。履き古した革靴は跡形もなく消え去り、代わりに真っ白なフリルのついたニーソックスと、ピカピカに磨かれた赤いストラップシューズが、細く華奢な足にぴったりと収まっていた。


 いや、足だけではない。

 視座が異常に低い。175センチあったはずの俺の視点は、どう見積もっても145センチ程度しかない。

 そして、俺の身体を包み込んでいるのは、純白のシルクと大量のレースで作られた、ゴシックロリータ風の過剰なドレスだった。胸元には大きなピンク色のリボンが結ばれ、幾重にも重なったパニエがスカートを無駄にふわりと膨らませている。


 バサァッ、と頭の横で何かが動いた。

 手で触れてみると、絹糸のように滑らかな髪の毛。背中まで届くプラチナブロンドの髪が、耳の少し上で二つに結ばれている。いわゆるツインテールというやつだ。


「な、なんだこれは……俺のスーツは……?」


 足元にあった水溜まりに、自分の姿が映り込んだ。


 そこにいたのは、死んだ魚の目をした三十歳の疲れたサラリーマンではない。

 透き通るような白い肌、大きな蒼い瞳、小さな鼻と桜色の唇を持った、まるで精巧なフランス人形のような美少女。

 ただ一つ、その美少女の顔面には、三十歳の営業部主任である俺の『一切の感情が死滅した、虚無の表情』が完全に張り付いていた。


「アッハハハハハハハ!! 最高! 最高よ!!」


 装甲車の脇で、御堂マキ博士が腹を抱えて爆笑していた。

 彼女はタブレットで俺の姿をパシャパシャと連写しながら、歓喜の声を上げる。


「完璧だわ! 絶望と対極にある『純粋なる希望』のイデアを抽出して肉体を再構築した結果がこれよ! 『純白のエトワール・ブラン』、通称シロちゃん! 私のデザインした通り、いや、それ以上のギャップもえだわ!」


「あんたの趣味かよ……ッ!」


 俺は抗議しようとしたが、その声すらも「あんたのしゅみかよぉっ!」という可愛らしい舌足らずなトーンに自動変換されてしまい、怒りの迫力がマイナス一万パーセントくらいになってしまう。


 これは夢だ。

 徹夜明けの過労が見せている、悪質な幻覚に違いない。

 そう現実逃避を試みようとした瞬間。


『ギァ、アァァァァァァッ!!』


 先ほどガトリング砲でハチの巣にされたはずのノワールが、完全に再生し、怒り狂った咆哮を上げた。

 どす黒い泥の塊から、太さ数十センチはあろうかという巨大な触手が五本、六本と生え出し、空中を鞭のようにうねる。


「冗談言ってる場合じゃないわ! 来るわよシロ!」


 マキ博士が装甲車の陰に隠れながら叫んだ。


「武器よ! 呪文を叫んで、専用の武装デバイスを召喚しなさい!」


「呪文!? なんだそれは、聞いてないぞ!」


「あんたの視界の端に、AR(拡張現実)みたいにプロンプトが出てるでしょ! それを読み上げるのよ!」


 言われて意識を集中すると、確かに視界の右下あたりに、空中に浮かぶ半透明のテキストウィンドウのようなものが存在していた。

 そこに表示されている文字列を読んだ瞬間、俺の(物理的に若返った)心臓がドクンと嫌な音を立てた。


 そこには、こう書かれていた。


『煌めけ、私の純情ピュア・ハート! 世界に届け、愛の奇跡!』


「…………」


 俺は沈黙した。

 迫り来るノワールの触手よりも、この狂った文字列を声に出して読み上げることのほうが、俺の尊厳に対する致死率が高いのではないか。

 いや、無理だ。

 いくら心が死んでいるとはいえ、三十歳の男として、社会人として、守るべき最低限のラインというものがある。


『キサマ……クウ……クイツクシテヤル……』


 ノワールがジリジリと距離を詰めてくる。

 このままでは殺される。

 だが、この呪文を叫ぶくらいなら、いっそ触手に貫かれて労災を申請したほうがマシなのではないか……?


 俺の脳内で、急速な損益分岐点の計算が行われた。


 もしここで俺が死ねば、明日の朝イチの会議には出られない。

 氷室玲奈部長は確実にキレるだろうが、俺は死んでいるので怒られることはない。

 だが、待て。

 俺が死んだら、あの未完成の市場予測データの残骸はどうなる? パソコンのパスワードは? 引き出しの中に隠している、経費で落とせなかった領収書の山は?


 それに、だ。

 このふざけた格好のまま死体となって発見された場合、警察の現場検証や、最悪の場合、ニュースで報道される可能性がある。

『未明、新東京市の路地裏で、謎のゴスロリ衣装を着た三十歳男性の遺体が発見され――』

 ……ダメだ。それは労災や死よりも恐ろしい、完全なる『社会的なソーシャル・デス』だ。


 ならば、答えは一つしかない。

 ちゃっちゃとこの怪物を片付けて、この恥ずかしい衣装を脱ぎ捨て、家に帰って寝る。

 羞恥心? そんなものは、残業代と同じで最初から俺の給与明細には組み込まれていない。


「……ふぅ」


 俺は深く、重いため息をついた。

 そして、一切の感情を顔から削ぎ落とし、いつもの社内プレゼンの時のような、平坦で抑揚のない声(ただし声質は超絶ロリ)で、視界のプロンプトを読み上げた。


「煌めけ、私の純情ピュア・ハート。世界に届け、愛の奇跡。以上です」


『ちょっと! なんで最後ビジネスメールみたいになってるのよ! もっと感情を込めなさい!』


 マキ博士のツッコミが入るが、無視する。

 俺の棒読みの詠唱が完了した瞬間、システムが俺のやる気のなさをカバーするように、強制的に身体を動かした。


 俺の右腕が勝手に空高く突き上がり、顔の筋肉がひきつるように動いて、バチコン!と完璧なアイドル・ウインクをキメさせられる。

 同時に、何もない空間から大量のピンク色の星型エフェクトが吹き出した。


「な、なんだこれは……重っ……!?」


 光の中から出現し、俺の右手に収まった『それ』に、俺は思わずバランスを崩しかけた。


 それは、巨大なステッキだった。

 先端には大きなピンク色のハートがあしらわれ、持ち手には天使の羽のような装飾がついている。デザインだけ見れば、日曜の朝に放送している魔法少女アニメの主役が持っているような、王道で可愛らしいアイテムだ。


 しかし、何かが根本的におかしい。


 まず、サイズ感だ。身長145センチの俺の背丈を優に超える、二メートル近い長さがある。

 そして何より、その『質量』。

 プラスチックやおもちゃの類ではない。まるで戦艦の装甲板を凝縮したかのような、鈍く冷たい金属の輝きと、圧倒的な密度。

 体感重量は、少なくとも二トンは下らないだろう。普通の人間の腕力なら、持った瞬間に両腕の骨が砕け散ってペシャンコに潰れているはずだ。


 だが、なぜか今の俺の細腕は、その非常識な重量を支えきっていた。

 腕の筋肉が肥大化しているわけではない。まるで、重力の法則自体が俺の周囲だけ書き換えられているような、奇妙な感覚。


「それがアンタの専用デバイス、『ドリーム・ステッキ』よ!」


 マキ博士が装甲車の中からスピーカーで解説する。


「アンタの魔法適性は完全にゼロ! だから魔力によるエネルギー放出の代わりに、極限の絶望耐性がもたらす『痛覚鈍麻』『精神攻撃完全無効』、そして『異常な筋力と耐久力』の出力に全振りしてあるわ! そのステッキの材質は未知の高密度超合金! 遠慮はいらない、思いっきりぶっ叩きなさい!」


「……ぶっ叩く?」


 俺は手の中の二トンの鈍器を見つめた。

 魔法少女のステッキとは、ビームを撃ったり、浄化の光を放ったりするものではないのか。


『シャァァァァァァッ!!』


 俺が戸惑っている隙を突いて、ノワールが三本の触手を同時に突き出してきた。

 コンクリートの壁を豆腐のように貫く威力の刺突が、俺の小さな身体めがけて迫る。


「シロ! 避けて!」


 マキ博士の悲鳴が聞こえる。

 だが、俺は逃げなかった。いや、徹夜明けの鈍った思考では、回避行動に移るのが面倒くさかっただけかもしれない。


 ただ、この厄介な残業タスクを、一番手っ取り早く終わらせる方法を選んだ。


 俺は、右足を踏み込んだ。

 アスファルトがクレーターのように陥没し、凄まじい踏み込みの反発力が俺の身体に伝わる。

 そして、二トンの『ドリーム・ステッキ』を両手でしっかりと握り締め、野球の素振りの要領で、大上段からフルスイングした。


「……とりあえず、死ね」


 死んだ魚の目をしたまま、平坦な声で呟く。


 ――ズッッッッッドォォォォォォォォン!!!


 耳を塞ぎたくなるような、爆発音と金属音が混ざり合った轟音が路地裏に響き渡った。


 ステッキの先端のハート部分が、迫り来る三本の触手をまとめて粉砕し、そのままの勢いでノワールのどす黒い本体に激突したのだ。


 魔法の光など一切ない。

 あるのは、純粋な運動エネルギーと、圧倒的な質量による『暴力』だけ。


『ギャ、グォォォォォォッ!?!?』


 怪物の悲鳴は、物理的な衝撃によって途中で途切れた。

 二トンの鈍器によるフルスイングを食らったノワールの巨体は、まるでプレス機にかけられた空き缶のように、ペラペラにひしゃげた。

 いや、それだけではない。

 ステッキから放たれた衝撃波は、怪物の背後にあった雑居ビルの壁を広範囲にわたって吹き飛ばし、路地裏の地形そのものを扇状にえぐり取ってしまった。


 突風が巻き起こり、土煙が舞う。


 数秒後、風が収まった路地裏には、完全にペラペラのお好み焼き状態となってピクピクと痙攣し、やがて炭のように崩れて消滅していくノワールの残骸だけが残されていた。


「…………」


 装甲車の陰で、マキ博士が咥えていたタバコをポトリと落とし、口をポカンと開けて固まっている。


 俺は、地面にめり込んだステッキを引き抜き、肩に担ぎながらマキ博士を振り返った。


「あの、博士」


「……は、はい」


「魔法少女の魔法って、重力と運動エネルギー(物理)のことですか?」


 俺は死んだ魚の目のまま、純粋な疑問を口にした。


「……あ、あははは……。ま、まぁ、広義の意味では、物理法則を捻じ曲げてるから魔法……みたいな? いや、それにしても凄い出力ね。システムが悲鳴を上げてたわ」


 マキ博士は冷や汗をかきながら、引き攣った笑いを浮かべた。


 ノワールが消滅した跡から、黒い霧のようなものが立ち上り、俺の身体シロに向かって吸い込まれていくのが見えた。


「なんだ、これ」


「それがノワールの『呪い』よ。奴らが溜め込んでいた負の感情の残滓。普通の魔法少女なら、それを浴びただけで精神が汚染されて吐き気を催すか、最悪三日は寝込むわ」


 マキ博士の言葉に、俺は自分の身体の感覚を確かめてみる。

 精神汚染。吐き気。

 ……うーん。


「どう? 気分は悪くない?」


「……いえ。少し肩が重くなったような気がしますが、元から四十肩気味なので、これが呪いのせいなのか、長時間のデスクワークのせいなのか区別がつきません」


 俺が正直に答えると、マキ博士は頭を抱えた。


「アンタの精神構造、どうなってんのよ……。完全に呪いのフィードバックを無効化スルーしてるじゃない。……やっぱり、アンタは最高の逸材だわ」


 何はともあれ、仕事は終わったようだ。

 俺はステッキを地面に置き(ドスンと重低音が響いた)、マキ博士に向かって深々と一礼した。


「それでは、本日の業務はこれで終了ということでよろしいでしょうか。帰って寝たいので、この服の脱ぎ方と、元の姿への戻り方を教えてください」


 時計は見えないが、体感で午前三時は回っているはずだ。

 今すぐ帰って泥のように眠らなければ、明日の玲奈部長の追及を躱すための思考力が回復しない。


 しかし、俺のささやかな願いは、またしても打ち砕かれることになった。


 ――ドドォォォォォンッ!!


 突如、俺たちがいる路地裏から数キロ離れた、新東京市の中央公園の方角から、空を焦がすような巨大な火柱が上がった。

 地響きが足元を揺らす。


「な、なんだ今の爆発は!?」


 俺が驚いて振り返ると、マキ博士がタブレットを素早く操作しながら、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。


「おめでとう、シロ! 初陣ボーナスよ!」


「ボーナス?」


「あっちの区画で、別の大型ノワールが出現したみたい。すでに先行している部隊が交戦中だけど、苦戦してるわ。というわけで、直ちに救援に向かいなさい!」


「はぁ!? ちょっと待ってください、契約の時、そんな連続勤務の話は……」


「強制転送システム、起動ワープ・オン!」


「人の話を聞けぇぇぇぇっ!!」


 俺の抗議は、足元に再び展開された極彩色の魔法陣の光にかき消された。

 視界が白く染まり、強烈な浮遊感に包まれる。


 休む間もない連戦。

 このブラックすぎる労働環境の中で、俺はこの時まだ知る由もなかった。

 

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