第2話 冗談ですよね?
家だ。
小高い丘の上、風に吹かれてたたずむ一軒家。
その佇まいはどこまでも穏やかで、可愛らしくて、まさに私が夢にまで見た“理想の田舎暮らしの家”だった。
白壁に木枠の窓、レンガで縁取られた煙突からは、うっすらと煙がのぼっている。
屋根は深い赤の瓦葺きで、軒下にはツバメの巣がふたつ。
足元の小道には、丸石が不揃いに並んでいて、歩くだけで音が鳴りそうな楽しげな雰囲気だ。
「……あの、どなたか、いらっしゃいますかー!」
思い切って玄関前で声をかける。
でも返事はない。
ドアは重厚な木製。取っ手は真鍮で、触れるとほんのり温かい。
玄関マットには「Welcome」の文字が……ない代わりに、なぜか魚の絵が描いてあった。魚って。いや、なんで魚?
「失礼しまーす、あの、迷い込んじゃっただけでしてー!」
何度か声をかけてみたけど、やっぱり返事はなし。
中から物音ひとつ聞こえない。けど、煙突から煙は出てる。
生きてる感はある。でも人はいない。不在? 居留守? …それとも、畑仕事とか?
「……誰もいない……のかな」
勝手に入るわけにはいかない。
でも、あまりに気になる。気になりすぎて、気になり倒して、気持ちが倒立しそうなレベルだ。
ふと、窓に目を向ける。
丸くて小さな窓。ガラスはやや曇っていて、でも中の様子はうっすら見えた。
「おぉ……可愛い……」
思わず見とれる。中も外も、全部が理想通りだった。
中央に丸テーブル。
窓際に置かれたベンチ型の本棚。
カーテンは草木模様で、レース越しに光が差し込んでいる。
キッチンらしきスペースには、鉄製の小さなストーブ。吊るされた鍋とカップたちが陽光に照らされていた。
「え、なにここ。最高じゃない……? 住むしかない……」
いやいやダメダメダメ! 勝手に住んじゃだめ!!
……とか自分で突っ込んでいたら、ふと足元で「にゃぁ」と鳴く声。
そう。にゃんこ(仮)が、なにやらこちらをじっと見ている。
「どうしたの?」
私がしゃがんで問いかけると、にゃんこ(仮)はくるんとしっぽを回して、家の裏手へと歩き出した。
ちょ、ちょっと待って。まさか、家の中に入れる道が!?
裏へまわると、そこには小さな木の扉があった。
どう見ても裏口。しかも、なぜかドアに鍵がついてない。
開けたら——
「ふぁっ……いい匂い……!!」
パンのような、花のような、なんだか懐かしい香りが漂ってきた。
ついでに、目の前に広がる光景が、またしても心を貫いた。
白を基調にした小さなキッチン。
丸太でできた作業台。
窓から差し込む光に照らされて、そこに置かれていたのは——
じゃがいも。
「え、ジャガイモあるの!? ここ、天国???」
思わず泣きそうになる。
しかも見てみれば、天井からは乾燥ハーブが吊るされてて、壁際には保存用の棚、
クローゼットのような扉を開ければ、タマネギとニンニクが網に吊るされていた。
すべてが整っている。生活感があり、でも美しい。清潔で温かい。
「……この家、ほんとに誰も住んでないの?」
そうつぶやいた瞬間だった。
「いるよ?」
……え?
「いるよってば。そこにいるじゃん。きみが」
「ひゃいっ!?」
思い切り変な声が出た。
振り返ると、にゃんこ(仮)がこちらを見上げて、まるで「何驚いてんの」みたいな顔をしている。
「ど、ど、ど、どこから声出してんの!?!?」
「口だよ」
「口かーーーい!!!!」
思い切り叫んだ。
頭の中で鈴がぐるぐる鳴る。いや、これは現実。現実で猫がしゃべってる。いや猫じゃないのか? にゃんこ(仮)って何?
「というか、君、しゃべれるの!?」
「うん。しゃべるし、歩くし、歌も歌えるよ。……聞く?」
「それはいいです」
即答したら、にゃんこ(仮)はしっぽでコツンと私の足を小突いてきた。
「ここ、きみの家だよ」
……は?
「え? いやいやいや、私さっき転生したばかりで。なにこの神物件ってテンション上がってたとこで。何勝手に住もうとしてんのって自分にツッコんでたとこで——」
「うんうん、だからきみの家」
満面のドヤ顔。っていうか猫(?)のくせにドヤ顔が似合いすぎる。なにその自信。
「……理由を詳しく聞こうか、にゃんこ(仮)くん」
「名前はピルカ。あと、家の名義は“大魔術師モルガン”名義だけど、今の魂の所有者はきみだから、実質、君の家」
「実質ぅぅぅぅ!???」
衝撃だった。目の前がクラクラする。
「この家、かつての世界最強魔術師の家だよ。
でもその魂、いまはきみに宿ってるでしょ? だから、きみの家。さぁ、どうぞどうぞ」
そう言ってピルカは、尾でぽんと私の背中を押す。
なんかもう、全部が強引すぎて、よくわからなくなってきた。
「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、お邪魔します……」
半ば意識がふわふわしたまま、私はその家に一歩、足を踏み入れた。
土の匂い。木の温もり。じゃがいも。
そして、どこか懐かしさすら感じる空間。
ここが、私の……家?
本当に、スローライフ、始まっちゃうのかもしれない。
「……ちょ、ちょっと待って。座らせて。ほんと無理。倒れる前に座らせて」
家の奥の椅子へ、ほぼ崩れ落ちるように座った。
クッションはふかふかで、背もたれが背中に優しく寄り添ってくる。ああ、椅子ってこんなに慈悲深かったっけ。
ピルカ——しゃべる猫もどき——はというと、テーブルにぴょこんと乗って、涼しい顔で私を見ていた。
しっぽがゆっさゆっさ揺れていて、明らかに余裕のある表情をしている。
「はい、じゃあ深呼吸してー、せーの」
「ふー……じゃなくて!」
素直にやりそうになったけど違う。
「魂って何!? 憑依って何!? 世界最強の魔術師って何事!? どこからどこまでがギャグでどこまでがマジなの!?」
半泣きで叫んだら、ピルカがカップにミルク(どこから出した)を注ぎながら言った。
「全部マジだよ?」
「ぅぇぇ……」
ほんともう、心が持たない。
こういうときはアレだ。ジャガイモだ。
私は台所に走り、棚の中から一個のジャガイモを抱きかかえるように取り出した。
丸っこくて、少し泥が残っていて、表面にちょっと芽が出ている。
完璧だ。
「はぁ……ジャガイモ……ありがとう……君の素朴さだけが今の私を現実に繋ぎとめてくれてるよ……」
ジャガイモに語りかける少女、という光景を冷静に見たら通報レベルだけど、
今の私にはこれしか救いがない。
「それじゃ、説明してあげようか」
ピルカが、まるで“読み聞かせのお兄さん”みたいなテンションで語り始めた。
「まず、君の名前は水庭翠。地球出身。大阪梅田生まれ、京都実家の農業志望。ジャガイモ信者」
「信者て」
「で、この世界にはかつて《モルガン》っていう超絶規格外の魔術師がいたんだよ」
「過去形?」
「そう。いま、その人の体に宿ってるのが、君」
「…………………………はい?」
聞き間違いじゃないかと、ジャガイモを耳に当てるが、無音。
当たり前だ。ジャガイモに音声機能はない。
「つまり、こういうこと」
ピルカがしっぽでテーブルに図を描き始める。
ぐるぐる丸が地球。もう一つのぐるぐる丸がこの世界。そしてモルガンという点と翠という点を、なんかキラキラした線で結んでる。
「モルガンさんが、“地球って魔力ない世界なんでしょ? 超エモくない?”ってテンション上がって、バカンスに行きたくなったの」
「理由がギャルじゃん」
「で、誰か地球の人間と“スピリットスワップ”しようってなって。ターゲットが、君」
「なんで私ぃぃぃぃぃぃ!!???」
ジャガイモが手からすっぽ抜けて、床をぽーんと跳ねた。
ピルカはそれを華麗にキャッチしながら言った。
「ちょうど、魂の波長が合ったんだって」
「魂に波長とかあるんだ!? Bluetoothか何かか!?」
「ちなみに地球に行ったモルガンさんは、いまハワイにいるらしいよ。
“スピリチュアルがパワー全開で最高”とか言ってた。パイナップル食べてた。あとサーフィンしてた」
「軽ッ!!」
軽すぎる。世界最強魔術師がサーフィンって何? もう笑うしかない。
「で、私の魂は今この……その……モルガンの体に?」
「うんうん、完全にフィットしてる。
でもその体、気をつけないとダメだよ。魔力の器が異常でさ、扱い方を間違うとちょっとした事で自然災害を起こしちゃうレベルだから気をつけて」
「それ……くしゃみのアレ……!?」
ピルカがうんうんと頷いた。
つまり私は、目覚めて数分で気象災害レベルの魔力漏洩をやらかしてたということになる。
なんかもう、農業どころじゃない気がしてきた。
「で……私、この体のままで……どうなるの?」
「うーん、しばらくはそのまま? モルガンさん曰く“帰るまでそこ使ってていいよ☆”とのこと」
「“☆”じゃねぇ!!!!」
ぺたんと崩れ落ちた。
ジャガイモだけは手にぎゅっと握りしめていた。これだけが、変わらない。素朴で、優しい。芋の温もりだけが、今の私の味方だ。
「つまり私は、勝手に体を貸されて、勝手に異世界送りにされて、しかもとんでもない魔力まで持っちゃって、どう考えても“平穏なスローライフ”とは真逆の人生が始まろうとしてるってことだよね?」
「うん。まとめるとそう」
「ありがとう!! ぜんぜん嬉しくない!!!!」
大声で叫んだら、遠くの空に雷雲が一瞬で発生して、すぐに晴れた。
……魔力、絶対おかしいってコレ。
「……農業、できるのかな……この体で……」
ジャガイモをそっと撫でながら、私は遠い目をした。
農業に、くしゃみで竜巻起こすような魔力、要る?
鍬で耕すより、魔力で地面爆発させた方が早いのでは?
もはや、田畑を愛し育むどころか、大地そのものを作り直しそうなんですけど。
「……次は何が起きるの……?」
その問いには、ピルカも答えず、ただ窓の外の空を見上げていた。
次の一大事件が、もう近くまで来ている気配がしてならなかった。




