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死を待つ公爵の庭掃除  作者: よっし
番外編
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15/18

番外編4:月樹への罪悪感〜ヴェルナー視点・第二話〜

番外編4「月樹への罪悪感 ~ヴェルナー視点・第二話~」



リディアが屋敷に来て、三日が経った。


俺は、毎日窓から彼女を見ていた。


朝早くから庭に出て、黙々と作業をする姿を。


彼女は、疲れを見せなかった。


むしろ、日に日に生き生きとしているように見えた。


「不思議な娘だ……」


俺は、呟いた。


普通なら、この淀みに耐えられないはずだ。


長時間庭にいれば、頭痛や吐き気に襲われる。


でも、彼女は――


むしろ、淀みを「払って」いる。


***


三日目の朝、アーデルベルトが報告に来た。


「公爵様、リディア様が温室に向かわれました」


俺の手が、止まった。


「温室に……?」


「はい。昨日から、気にされていたようで」


俺は、立ち上がった。


温室。


母が愛した場所。


そして、俺が最も近づきたくない場所。


「まずい……」


俺は、窓辺に駆け寄った。


遠くに、温室が見える。


リディアが、扉を開けて中に入っていくのが見えた。


「何をしているんだ、あの娘は……」


俺の胸が、ざわついた。


温室の淀みは、屋敷の中で最も濃い。


七年間、誰も近づけなかった場所だ。


使用人たちも、あの場所に入れば吐き気に襲われる。


なのに、彼女は――


***


俺は、自室を出た。


温室に向かおうとして――


足が、止まった。


「俺が、行けるのか……?」


七年間、近づくことすらできなかった。


母の思い出が詰まった場所。


そして、俺の力で全てが枯れた場所。


でも――


リディアが、一人であの中にいる。


もし、何かあったら――


俺は、歯を食いしばった。


そして、階段を降りた。


***


温室への道を歩く。


体が、重い。


淀みが、俺を拒絶しているようだった。


いや、違う。


俺が、自分で自分を拒絶しているのだ。


「母上……」


俺は、呟いた。


「許してください」


温室の扉の前で、俺は立ち止まった。


中から、リディアの声が聞こえる。


「ああ……」


驚きと、そして――喜びの声。


俺は、そっと扉の隙間から中を覗いた。


***


リディアは、温室の中央に立っていた。


そして、その視線の先には――


月樹があった。


枯れ果てた、黒ずんだ木。


母が、俺の誕生を祝って植えた木。


でも、母が亡くなってから――


俺の魔力で、枯れてしまった木。


リディアは、木に近づいていった。


俺は、息を呑んだ。


彼女が、木に触れた。


その瞬間――


光が、溢れた。


金色の、柔らかな光。


それは、木の幹を伝って、枝へと広がっていった。


「まさか……」


俺は、信じられない光景を見ていた。


黒ずみが、薄れていく。


わずかだが、確かに――


木が、生気を取り戻している。


***


リディアは、木を抱きしめるように幹に手を当てていた。


そして、何かを囁いている。


俺には、その言葉は聞こえなかった。


でも――


その姿は、まるで母のようだった。


母も、あんな風に植物に語りかけていた。


愛情を込めて、優しく。


俺の目に、涙が浮かんだ。


「母上……」


この木は、もう二度と蘇らないと思っていた。


俺が殺してしまったのだと、ずっと自分を責めていた。


でも――


リディアは、諦めていない。


この木が、まだ生きていると信じている。


***


やがて、リディアが木から手を離した。


彼女は、満足そうに微笑んでいた。


「明日も来るわね」


彼女は、木に語りかけた。


「少しずつ、元気になろうね」


その言葉を聞いた瞬間、俺の胸が――


熱くなった。


彼女は、本気だ。


この木を、蘇らせようとしている。


七年間、誰も成し遂げられなかったことを。


俺は、扉から離れた。


そして、急いで屋敷に戻った。


リディアに、見られるわけにはいかない。


こんな、涙を流している顔を。


***


自室に戻ると、俺はベッドに座り込んだ。


手が、震えていた。


「もしかしたら……」


俺は、呟いた。


「もしかしたら、月樹は――蘇るのかもしれない」


その可能性を考えただけで、胸が苦しくなった。


期待してはいけない。


また裏切られるだけだ。


でも――


リディアの姿を思い出すと、期待せずにはいられなかった。


***


その日の夕方、アーデルベルトが報告に来た。


「公爵様、リディア様が温室で月樹の手入れをされました」


「……そうか」


「はい。そして、公爵様」


アーデルベルトの声が、わずかに震えた。


「月樹が、変わっています」


「変わっている……?」


「はい。黒ずみが薄れ、幹の一部が――生木の色を取り戻しています」


俺は、立ち上がった。


「本当か?」


「はい。私も、この目で見ました」


アーデルベルトの目には、涙が浮かんでいた。


「奇跡です、公爵様。本当の、奇跡です」


俺は、窓辺に歩いた。


温室を見つめる。


「母上……」


俺は、呟いた。


「あなたの木が、生き返ろうとしています」


風が、窓を揺らした。


まるで、母が答えているかのように。


***


その夜、俺は久しぶりに食堂に出ることにした。


七年間、避け続けてきた場所。


でも――


リディアと、向き合いたかった。


彼女に、礼を言いたかった。


扉を開けると、リディアが驚いた顔で立ち上がった。


「ヴェルナー様!」


「こんばんは」


俺は、ぎこちなく挨拶した。


リディアは、嬉しそうに微笑んだ。


「こんばんは。ご一緒できて、嬉しいです」


その笑顔を見て、俺の緊張が少し和らいだ。


***


食事が始まった。


最初は、沈黙が流れた。


でも、やがて――


「今日は……温室に行ったそうだな」


俺は、話を切り出した。


「はい。とても、素敵な場所ですね」


リディアは、目を輝かせた。


「アリシア様が作られた温室だと聞きました。お母様は、きっと植物がお好きだったのでしょうね」


母の名前を聞いた瞬間、俺の手が震えた。


リディアは、それに気づいて申し訳なさそうにした。


「あ……ごめんなさい。不躾なことを」


「いや」


俺は、首を横に振った。


「……ああ。母は、あの温室を愛していた」


それだけ言うのが、精一杯だった。


でも、リディアは――


優しく微笑んで、話題を変えてくれた。


「月樹も、とても立派な木ですね。まだ、生きていますよ」


俺は、顔を上げた。


「あの木は、枯れたはずだ。七年前、母が亡くなってすぐに……」


「表面は枯れています。でも、根は生きています」


リディアは、確信を持って言った。


「だから、お手入れをすれば、きっとまた……」


「無理だ」


俺の声が、大きくなってしまった。


「あの木は、私の魔力で汚された。私が近づくだけで、全てが枯れる。母の大切にしていたものでさえ、私は守れなかった」


俺は、自分の手を見つめた。


この手が、全てを壊した。


母の愛した木を。


庭を。


全てを。


***


リディアは、静かに俺を見つめていた。


その瞳には、憐れみはなかった。


ただ、まっすぐな――理解があった。


「ヴェルナー様」


彼女は、静かに言った。


「淀みは、誰のせいでもありません。溜まるべくして溜まり、流れるべくして流れる。ただ、それだけです」


「淀み……?」


「はい。ヴェルナー様が『呪い』と呼んでいるもの、私には『淀み』に見えます。そして、淀みは払うことができます」


俺は、彼女の言葉を噛みしめた。


呪いではなく、淀み。


それは――何か、救いのある言葉だった。


呪いは、絶対的で、永遠だ。


でも、淀みは――


流すことができる。


「君は……一体、何者なんだ」


リディアは、少し困ったように首を傾げた。


「ただの、お掃除好きな娘です」


その答えは、あまりにも純粋すぎて――


俺は、思わず笑いそうになった。


でも、我慢した。


七年間、笑っていない。


簡単には、笑えない。


***


食事が終わり、リディアが部屋に戻った後。


俺は、一人温室に向かった。


夜の温室は、月明かりだけが頼りだった。


俺は、扉を開けた。


淀みが、押し寄せてくる。


でも、以前よりは――薄い気がした。


俺は、月樹の前に立った。


「母上が植えた木……」


俺は、幹に手を伸ばした。


でも――


触れる直前で、手を引いた。


怖かった。


触れれば、また枯れてしまうのではないかと。


「俺は……」


俺は、膝をついた。


「俺は、臆病だ」


七年間、この木から逃げてきた。


母の思い出から、逃げてきた。


でも、リディアは違う。


彼女は、恐れずに向き合っている。


「母上……」


俺は、木を見上げた。


「リディアが来てくれました。彼女は、不思議な娘です」


風が、温室を吹き抜けた。


「彼女は、あなたの木を救おうとしています。俺にはできなかったことを」


俺の目から、涙が落ちた。


「だから、どうか――」


俺は、木に額をつけた。


「どうか、蘇ってください。もう一度、花を咲かせてください」


***


その時、不思議なことが起こった。


木が――温かかった。


冷たい、枯れた木のはずなのに。


わずかに、温もりを感じた。


「これは……」


俺は、顔を上げた。


幹の一部が、確かに――生木の色をしていた。


リディアが触れた部分が。


「本当に……蘇ろうとしているのか」


俺は、木を抱きしめた。


七年ぶりに。


「ありがとう……」


誰に言っているのか、自分でも分からなかった。


木に?


母に?


それとも――


リディアに?


***


翌朝、俺は早起きをした。


そして、窓から庭を見下ろした。


リディアは、もう庭に出ていた。


今日は、記憶の庭園の方に向かっているようだった。


「また、無理をして……」


俺は、心配になった。


彼女は、自分の限界を顧みずに働いている。


でも――


それが、彼女の生き方なのだろう。


目の前にある「気になるもの」を、放っておけない。


その性分が、彼女をここまで駆り立てているのだ。


「似ているな……」


俺は、呟いた。


「母上に」


母も、あんな風だった。


庭のためなら、自分の体調を顧みなかった。


植物を愛し、手入れすることに喜びを感じていた。


***


アーデルベルトが、朝食の準備ができたと知らせに来た。


「公爵様、今朝も食堂に?」


「ああ」


俺は、頷いた。


「リディアと、食事をする」


アーデルベルトは、嬉しそうに微笑んだ。


「かしこまりました」


食堂に向かう途中、俺は自分の変化に気づいた。


以前なら、人と食事をすることなど考えられなかった。


でも、今は――


リディアと話すことが、苦痛ではない。


むしろ、楽しみにすらなっている。


「俺は……変わっているのか」


俺は、自分の手を見つめた。


黒い痣が、わずかに薄くなっている。


淀みが、減っている証拠だ。


***


食堂で、リディアと向き合った。


彼女は、朝の作業で少し汗をかいていたが、笑顔を浮かべていた。


「おはようございます、ヴェルナー様」


「おはよう」


俺は、彼女を見つめた。


「今日は、記憶の庭園に行くのか?」


「はい。あそこも、とても気になって」


リディアは、目を輝かせた。


「きっと、素敵な場所だったんでしょうね」


「ああ……」


俺は、遠い目をした。


「あそこは、代々の当主が大切な思い出を刻んだ場所だ」


「素敵ですね」


リディアは、微笑んだ。


「思い出を、大切にする場所」


「でも、今は――」


俺は、言葉を切った。


「荒れ果てている。俺のせいで」


「ヴェルナー様」


リディアは、真剣な目で言った。


「過去を責めても、何も変わりません。大切なのは、これからです」


俺は、彼女を見つめた。


「これから……?」


「はい」


リディアは、力強く頷いた。


「これから、一緒に庭を蘇らせましょう。思い出を、取り戻しましょう」


その言葉に、俺の胸が熱くなった。


「一緒に……」


「はい。一人じゃありません。私がいます」


リディアは、微笑んだ。


「ヴェルナー様、私、頑張ります。だから――」


彼女は、俺の手に自分の手を重ねた。


「一緒に、頑張りましょう」


俺は、彼女の手を見つめた。


小さな、でも温かな手。


この手が、俺を――


この屋敷を、救おうとしてくれている。


「……ああ」


俺は、小さく頷いた。


「一緒に」


***


その日、俺は初めて――


庭に、出た。


リディアが記憶の庭園で作業をしているのを、遠くから見守るために。


庭に足を踏み入れるのは、七年ぶりだった。


淀みが、俺を包み込んだ。


でも、以前ほど苦しくはなかった。


リディアが払ってくれた場所は、確かに空気が違った。


俺は、東屋の近くまで歩いた。


そこで――


リディアが、黙々と草を刈っているのが見えた。


その姿を見ながら、俺は思った。


この娘は、本物だ。


口先だけではなく、本当に――


俺を、この屋敷を、救おうとしてくれている。


「ありがとう、リディア」


俺は、小さく呟いた。


彼女には聞こえない声で。


「君が来てくれて、本当に――」


俺の目から、涙が一筋、流れ落ちた。


「本当に、よかった」


風が、優しく吹いた。


そして、遠くから――


小鳥のさえずりが、聞こえた。


七年ぶりに聞く、生命の音だった。



***


【番外編4 了】

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