第4話:「私の名前は──千紗」
夕食後。
私は自室で書類仕事をしていた。
コンコン、と扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、やはりリーシャだった。
今度は、昼間のドレス姿。
しかし、胸元の開きが広い。鎖骨の下、谷間の始まりが見えている。
「クロード様、お疲れのところすみません。少し、お話があるのですが」
「話?」
「はい。その……改まって聞くのは恥ずかしいのですが……」
彼女が頬を赤く染めた。
照れている。
普段は積極的な彼女が、照れている。
──可愛い。
反則だ。こんなの反則だ。
「クロード様は……その……私のこと、どう思っていらっしゃいますか?」
「どう、とは?」
「好き、とか……嫌い、とか……」
リーシャが俯いた。
長い睫毛が、頬に影を落としている。
私は、正直に答えた。
「嫌いではない」
「……それだけ、ですか?」
「いや、その……」
言葉に詰まる。
好きか嫌いかと聞かれれば──好きだ。
この三ヶ月で、彼女のことが好きになっていた。
可愛くて、優しくて、一緒にいると安心する。
──まるで、前世の千紗と一緒にいたときのような気持ちになる。
「……好きだ」
私は、小さく言った。
リーシャの目が、大きく見開かれた。
「本当、ですか?」
「本当だ。だから、結婚式が待ち遠しい」
「クロード様……!」
彼女が私に飛びついてきた。
柔らかい体が、私の胸に押し付けられる。
甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
そして──胸の感触が、直接伝わってくる。
「え、リーシャ……」
「嬉しいです……嬉しいです、クロード様……!」
彼女が私の胸に顔を埋めたまま、泣き出した。
いや、泣いているのか、笑っているのか、よくわからない。
とにかく、感極まっているようだ。
「私……ずっと、ずっと……」
「ずっと?」
「ずっと……クロード様のことが、好きでした……」
──ずっと?
私たちは、三ヶ月前に会ったばかりのはずだ。
「リーシャ」
私は彼女の肩を持ち、顔を上げさせた。
涙で濡れた頬。潤んだ漆黒の瞳。
美しい顔が、至近距離にある。
──キスしたい。
いや、今はそうではなくて。
「聞きたいことがある」
「はい」
「君は……なぜ、私のことをそこまで知っている? 好きな食べ物、好きな飲み物、癖、仕草……初対面なのに、全部知っているように見える」
リーシャの表情が、一瞬だけ固まった。
「それは……」
「教えてくれ。君の正体を」
長い沈黙が流れた。
リーシャは、私から離れ、窓際に立った。
月明かりが、彼女の黒髪を照らしている。
「……クロード様は、前世の記憶をお持ちですか?」
私の心臓が跳ね上がった。
「……なぜ、それを」
「やっぱり」
彼女が振り向いた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「私も……持っているからです」
「リーシャ……?」
「違います」
彼女が首を振った。
「私の名前は……千紗。藤原千紗です」
──藤原千紗。
私の、幼馴染の名前。
「蒼真……いえ、クロード様。私、ずっと探していました」
リーシャ──千紗が、私に近づいてきた。
「この世界に転生してから、ずっと。あなたを、探していたんです」
「千紗……なのか……本当に……」
「はい」
彼女が微笑んだ。
その笑顔は、確かに──かつての幼馴染の面影を残していた。
「ずっと……ずっと、好きでした。前世のときから」
千紗が私の手を取った。
「高校を卒業するとき、告白しようと思ったんです。でも……怖くて……」
「怖い?」
「うん。蒼真を好きだったけど、それを言ったら……今の関係が壊れてしまう気がして」
彼女の声が震えていた。
「ずっと一緒にいた親友。何でも話せる相手。それが、恋愛なんかで壊れたら……もう、元には戻れないでしょ?」
「千紗……」
「だから、黙ってた。好きって言えなかった。言いたかったのに……」
涙が、彼女の頬を伝った。
「あのとき、卒業式のとき……言おうとしたの。でも、やっぱり怖くて……『なんでもない』って、逃げちゃった」
私は、彼女を抱きしめた。
「それから、ずっと後悔してた。言えばよかったって。でも、もう遅くて……蒼真は大学に行って、私も別の大学に行って……そのまま、会えなくなって……」
「俺も、同じだったよ」
私は言った。
「あのとき、君が何を言おうとしていたのか、ずっと気になってた。でも、俺は鈍感で……君の気持ちに気づけなかった」
「蒼真……」
「今なら、わかる。君のことが好きだったんだ。前世のときから、ずっと」
千紗が、私の胸に顔を埋めた。
「うん……うん……」
彼女が泣きながら頷いている。
私は彼女の背中を撫でながら、前世と今生の記憶を重ね合わせた。
幼馴染の千紗。
そして、婚約者のリーシャ。
二人は、同じ人物だった。
「この世界に転生してから、ずっと探してたんだ」
千紗が顔を上げた。
「蒼真も転生したって、なんとなくわかってた。だって、同じ日に死んだから」
「同じ日に……?」
「うん。私も、あの日に死んだの。交通事故で」
私は目を見開いた。
「そんな……」
「蒼真が死んだって聞いて、すぐに家を飛び出したの。嘘だって思いたくて……でも、走ってたら、トラックが……」
「千紗……」
「だから、この世界に来てから、絶対に見つけるって決めてた。今度こそ、ちゃんと伝えるって」
彼女が私の両手を握った。
「蒼真……クロード様。私、あなたが好き。前世のときからずっと。今度こそ、ちゃんと伝える」
私は答える代わりに、彼女を強く抱きしめた。
「俺も好きだよ、千紗」
「……っ」
彼女が私の腕の中で震えた。
「もう、離さない。今度こそ、ずっと一緒にいよう」
「うん……うん……!」
千紗が泣きながら頷いた。
私たちは、しばらくそのまま抱き合っていた。
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