感情の奔流
「ううっ、ここは、どこ?」
鈴虫やカエルの鳴き声が聞こえてくる夏の夜の下。
ボクは目を覚ました。
見渡すと公園のベンチに横たわっており、上を見ると男の顔が近くでぱっちりと目が合った。頭を男の膝の上に置かれ、顔を覗かれている状態である。
「!?な、な、なんっ、あぅ」
言葉にならない声が出た。
そこでボクは先程までの記憶を思い出した。それだけでも頭がパンクしそうなのに、あの男の人に所謂膝枕をされている状況にもついて行けずに気が遠のきそうになったが条件反射で飛び起きた。
その際には勿論、防衛の為に相手の顔にパンチもいれた。それもボクの全身全霊、力いっぱいのものをである。
その渾身のパンチで男が怯んでいるだろう事を祈りつつ、身をかがめベンチの背もたれを盾に身を隠しながら威嚇する。男はそんなボクの態度にオロオロしていた。その情けない姿が、逆にボクを落ち着かせるが気は抜かない。
「ゔ〜〜っ!」
毛を逆立てて威嚇する。
一体どれくらい気を失ってたのだろうか。ボクは相手から注意を払いつつも、体を確かめて無事なことを確かめた。多分、服も乱れてないしズボンのベルトも締め直したという気配はない。どうやら何かをされる前に目が覚められたらしい。
心が男なだけに、男に迫られるかもと言う状況は実に受け入れ難いが残念ながら今は女の身。その様な事にも注意しなければならない。
「怖がらせたみたいで悪かった。
本当に悪気はかかったんだ。だからそう警戒ばかりしないでくれると嬉しいな」
男の人は本当に困ったように頭をかいてバツが悪そうに視線を逸らした。
その様は、確かに害意を感じない。良く考えれば本当にその気ならボクは今頃ここにこうして無事ではなかっただろう。
「・・・」
でも気は抜けない。だって、さっきは襲われそうに・・・あれ?んぅ、よく分からない、けど確かに襲われて・・・いたっけ?だめ、寝起きで頭がこんがらがってしまうが、今の彼を見るに悪い人では、なさそう?
これが演技だと言われたらお終いだけど、でも少しは警戒はとくことにした。
ボクはベンチの背もたれから顔を出し、ビクビクと隠しきれない恐怖心を抱きながら話しかけた。
「あ、あなたは誰、ですか」
そう問いかけると、男はニコッと微笑みかけた。そして「ありがとう」と警戒を緩めたことに感謝してから続ける。
「そうだな、まず自己紹介しようか。俺は蓮、五十嵐 蓮っていうんだ。十六歳で如月高校の一年生だ。
そこで君の名前も教えて欲しいんだが、大丈夫かな?」
まるで子供相手に話しかけるように優しく諭される。
そっか。高校一年生ということはボクと同級生に当たるらしい。急に親近感が湧いてきた。背丈が高いのも相まって怖かったがちょっと安心した。それに学校名とかを教えてくれるあたり、悪い事はしないだろうと考えられる。もしされたとしても警察に言える弱みとなるし。
「・・・あい、です。小日向 碧。その・・・さっきはすみませんでした」
ボクは先程パンチを入れたことを謝った。しかし蓮はなんの事で謝られたか分からなかったようで、説明してやっと気づいて貰えた。というかあれが攻撃だった事に。少し、ショックだ。
「あいちゃんね、分かった。それとあれは気にしないでいい、怖かったら誰でもするさ」
「いや、でも・・・え?」
あ、あいちゃん?
何だか言われ慣れない言葉に戸惑いを見せる。まぁそっか。こんな見た目だもんね、言われかねないか。だけどそれにしてもあいちゃんって・・・。
ま、まぁそれはさておき、蓮はあの事をフォローしてくれる。やっぱりこの人優しい人なのかな。だったら、警戒しっぱなしというのも失礼なのかもしれない。
ここまで来たらボクはほとんどの警戒を解き一応礼儀として被っていたフードを下ろした。どうせ蓮はボクの容姿も知っているだろうし。
蓮はその動作に、キラキラと月光に照らされ銀の髪が金色に染まるのを見惚れて見ていた。でも不躾に見るのは失礼だと気づき咳払いをして誤魔化すと碧だけを見た。
そして話をそらすかのように尋ねてきた。
「コホンっ、んーとな。あいちゃん、ちょっと聞いてもいいか?」
「・・・なに?」
蓮は唐突切り出した。何を言い出すのだろう。ボクはドキドキとしながらそれを待つ。
「色々気になることは沢山あるんだけどさ、その前に一つ絶対に聞かなきゃ行けないことがある。
さっき、あいちゃんの独り言のあれは何なんだ。その、死にたいとかどうとか。
あれは本当なのか?」
「っ」
どうやら聞かれていたらしい。
恥ずかしいような、ボクの悲鳴を誰かが聞いてくれた事に嬉しいような、よく分からない感情が入り乱れる。
でもその問いにはどうしても俯いてしまう。本当はその言葉に対しての答え決まりきっていた。それはもちろんNOである。
だからボクは重い首を横に振る。
鬱々とし、煮え切らない態度に蓮は何か言いたげだったが「そっか、ならいい」と言ってボクの頭に何かを被せた。
「えっ、なにこれ」
突然の事にボクは慌てて頭にかぶさっているものを脱ぎそれを見る。それは黒色でメッシュの入った何の変哲もない帽子だった。だけど見覚えはあった。なにせ以前ボクが無くしたものなのだから。
「前にぶつかった時に落としただろ?ずっと返そうと思ってたんだがほら、あいちゃん逃げるから」
あぁ、だからあの時追いかけてきたんだ。
納得して、ちょっと安心して、帽子をぎゅっと胸に抱いた。
「・・・ありがとう、ございます」
そんな大した思い入れがあるものでもないが、あの日、外に出た時は確かにこの帽子が心の拠り所だった。それを手にすることでまた勇気を貰えた気がした。
「あの時の持っていてくれてたんだ。帽子無くなって悲しかったから、嬉しい」
ボクは頭を下げて礼を言う。
そして帽子が帰ってきたと言うよりも、優しくされたことにこれ以上無いほどの嬉しさがあったのだ。
「でも、ずっと持っててくれたの?もしかしてボクのために?」
「まぁそうだな。持ってたと言うより実はそこのコンビニでずっと保管しててな、急いでとってきたんだよ」
「?」
「俺そこのコンビニでバイトしてるんだ。昨日もバイトに行く途中だったんだけど、それでロッカーに保管してたんだけどそれでな」
な、なるほど・・・。
合点がいってスッキリとする。
「だけど返せて良かったぁ。ほんとまじ偶然。でもそれにしたってあいちゃんはここで何してたんだ?三十分も前からそれっぽい影見かけたけど」
「はえ?」
あれ、なんで三十分もここにいたことを知ってるの?
ボクはここで確かにずっと行こうか行かまいか悩み続けていたのだ。だけどなぜそれがバレてるの?ずっと後ろにいたの?それともツケられてた?え、うそ・・・。
ちょっとボクが懐疑心を持つが直ぐに否定された。
「ここに来るまで俺、そこのコンビニでバイトしてたんだけど黒い影がチラチラ見えてたぞ?最初は不審者かと思ったけど余りにも小さい影だったからなんだろうなってな。しかも何度もひょこひょこしてるから何事かと思ったぞ」
「うぐっ・・・」
コンビニから見えていたなんて。
ボクはあの行動も見られていたと知り赤面させる。
言い訳しなきゃっ。せっかく仲良くなれそうなのに、先の奇行で引かれてしまう。
ボクは目覚めおきだが脳をフル回転させる。でもそんな簡単に見つかる訳もなく、まとまらない頭から無理にして言葉を紡ぐ。
「あれは違くてっ!それは、えっと・・・」
でも、ボクの浅知恵では思うように弁が立たない。目を逸らし「あのね」「えっと」と場を繋ぐ。
あんな奇行をする奴だなんて思われたくない。折角友達になりかけているといのに、引かれて避けられたりなんてしたくない。
「あれはね、その、・・・だから、あれには理由があって」
そうしてやっとのことで思い浮かんだ言い訳を述べた。
「あの時、ボクだって行こうと思ったけど行けなかっただけでっ。
怖くて、足が動かなくて、動けって叩くけど、ダメで・・・、でももうご飯もずっと食べれてなくて。それで・・・諦めてただけ、なの・・・」
それは言い訳と言うより本当の事をただ言葉にしているだけだった。でももうボクは夢中で続けるしかなかったのだ。
ここまで言い切って、ボクは発した言葉に顔色を青くする。これではなんにも誤魔化せていない。それどころか、ほんとに変な人なんて思われかねない。
結局変なことを口走ってしまい、しゅんと俯き絶賛脳内では反省会である。
ああーーボクのバカっ!
なんで、まともに話すことも出来ないんだ。折角・・・ボクと話してくれるような優しい人だったのに。
変に思われたかも。
そう項垂れていると、思いもよらぬ言葉をかけられた。
「んーと・・・、あいちゃん?」
「・・・なに?」
蓮の顔を見るのが怖くて、視線を避けたまま言葉を返す。
「つまり、お腹減ったってことか?」
「え?」
な、何その感想。
明らかに変なこと口走ってたはずなのに。ポカンと呆けるボクを見て蓮はニカッと笑う。
「よっしゃ、じゃあ俺が買ってきてやるか」
「はえっ」
「んーなにがいいか?無難におにぎりでもいいか?それと何日分かの保存食も買う?それとも女の子はスイーツと相場が決まってるか。
まっ、なんでも片っ端から買ってくるわ」
「へ・・・ちょ、まーー」
嬉しいのだが、トントンと進んでいく話し待ったをかける。でも本当にこんなに良くしてもらっていいのだろうか。
ボクはすぐさま飛びつきたくなる程の提案にグッと抑えて待ったをかける。
その為にも、ボクが立ち上がろうとするとまたも頭をポンポンと撫でられた。
「だからなあいちゃん。腹減ってたら誰でも泣きたくなるから、飯食ったら元気だしてくれ、な?」
「ーーぇ」
声が詰まった。
それに撫でられた瞬間、思わずピクっと身が跳ねるがその心地良さもあって受け入れてしまう。多分、この人は大丈夫だ。そう信じたいから身を委ねられる。
久々に誰かに、優しく触れられた気がする。
それにこうして撫でられたのなんて、いつぶりだろうか・・・。
「?・・・あれ、」
視界が滲む。
人の温かみに胸が跳ね、さらには目元が熱く心が揺れる。それと同時に溜まっていたものが涙となって目頭を刺激する。
でも、ボクは必死に涙をこれ以上出さないように、唇を噛みしめて耐えてみせる。しかし一度緩んでしまったものはなかなか抑えが聞かなくなるもので、「ひぅっ」としゃくりあげてからは隠すのも困難となった。
「ぅ、あぁ、うぐっ・・・ひっく、」
「おっ!?え、ど、どうしたんだ?」
元気だせと言われた直後に泣き出した。
案の定、蓮も訳が分からずとまっどってしまう。「あ、あれぇ・・・」と慰めが逆効果になった事に情けない声を出して手を引こうとする蓮。
「ぃやっ、やめ・・・ないで」
ボクはまるで幼児退行したかのような直情的な言葉と、離れかけた蓮の手を無理に掴むと自らの頬へと寄せた。
あたたかい・・・。
人の温もりだ。いつからだろう。
お父さんとこうして触れ合えていた記憶を探るが、過去にはモヤがかかり何も思い出せなかった。
こうして触れ合った過去は一切なかったのだろうか?そうなのだとしたら嫌だな。
そんな真実かどうかも分からぬ結論がさらに胸を締め付ける。
涙が、蓮の手を伝い手首まで伸びていた。
人の涙など気持ち良いものでは無いだろう。しかしこの心が落ち着くまでまだ当分かかりそうだ。だからあと少しだけ・・・、ボクに我儘をさせて欲しい。
そして蓮も、その心情を察してか何も言わず最後まで手を貸してくれるのであった。
結局、この後ボクが泣き止むまでに数分は要してしまった。その時なんで泣いてしまったのかの言い訳に困ったけれど、蓮は何も言わずにただ見守ってくれていた。
そんな蓮の気遣いもあって、ボクは取り乱した心が落ち着いていくのがわかった。しかし落ち着くと押し寄せる羞恥心。顔を真っ赤にしながらぷいっと顔を逸らして不意につぶやく。
「ありがとう」
ボクにとって、今日で一年分くらいのありがとうの気持ちを伝えた気がする。それに対して蓮は「気にすんなって」と頭をまた撫でてくれた。
その時には流石に碧は泣くことも無く、それを見届けた蓮は一人にしても大丈夫だと判断しコンビニへと向かったのであった。
ボクはそんな蓮の後ろ姿を見ながら、またも「ありがとう」と零すのであった。




