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父親

 父親とは果たして何時から会っていないだろうか?

 多分高校に入学した時に手続きしてもらい、引越しの準備を手伝ってもらって以来だろうか。


 絶対に学校から碧が登校していないことは連絡が行っているだろうから、なんて言われるのか分からないのが怖かった。しかも今回はこの様な身体になってしまった事の報告と言うおまけ付きである。


 しかし本来碧は嫌なことは早く終わらせるタイプであり、今回も薬を貰い薬局を出た段階で行くことを決意していた。なぜならここから20分程の距離なのである。

 もう一度この付近まで来るなど面倒くさいし、碧自信嫌だったからだ。


 親に何か行く旨の連絡をしようか?

 しかしそれはそれで気まずいので、最早どうにでもなれとアポなしで行くことを決めた。薬を貰った時には日は真上を過ぎた頃で、あっちに行って帰る頃に日が完全に落ちちゃうかもなーなんて考えながら進む。

 どっちにしろ実家には長く居たくないし、顔だけ出して帰る。行く前から帰る事しか考えていたかった。

 気は重いが、帰ることばかり考えていると歩調はどんどんと早くなっていく。そうして病院からバスと徒歩を使い分けて向かった。


 バス亭には時刻表を見ずに向かったが、それでも記憶にある通りにバスが来てくれたので良かった。少しラッキーだと思いながらバスへ乗車する。するとお街とは逆方向に行くバスの為か、人が少ないがそれはいつもの事である。


 隣に誰もいないバスは居心地がよく、何も気を張らずに窓から流れる風景を見続ける。そうして2駅分進むと、早々と降りてしまう。

 そうして降りるとカエデの街路樹がずっと続く街道があり、その街道を抜けた先に家はあった。


 周りにちらほら家はあるがそれでも少しだけ郊外にあるこの実家は、どうやら元から体が強くなかった母の為に決めた場所らしい。らしいと言うのも碧を産んだ時に命を落としてしまい、もはや真相は父のみぞ知ると言ったところだから碧は知らないのだ。


 それに態々母親が死んだ原因である自分が、母親の体が弱かったという話はかなりしずらい物があったのだ。父親もしたくないだろうし。


 そんな事を考えながら碧はその街路樹の下を進むと木の影で日を隠し、ひんやりと体感温度が下がった。更に風でも吹けば汗が乾き熱を下げる。


「・・・きもちぃ」


 なんか父親がここに家を立てた気持ちもんかる気がする。碧は家に行く前に、少しだけ涼んで行こうとカエデの木の下で帽子とマスクを取り、目を閉じ身体全体で風を感じた。

 小さい頃から陰鬱で下ばかり見ていたからか、あまりこの心地よい木漏れ日を感じたこと無かったが改めて見るとなんて綺麗なのか。


 風が吹けば木々が囁くように枝枝が揺れて騒めく。人も少ないし、もう少しこうしていようと考えていると、後ろでドサリと何かが落ちる音が聞こえた。


 なにかの荷物か、人の手から落ちる程度の高さと重さの軽い音である。


 誰か通行人がいたのだろうか。


 碧は反射的に後ろを振り向いた。すると、そこには会いたい様な会いたくない様な、そんなよく見知った顔の人物がいた。


「!?お、おとう、さん・・・っ」


 そう、父親であった。


 そもそもあまり家も少ないこの場所を通る人物は限られているので、そのような事があっても何もおかしくは無かった。


 バッチリ目が合い、あちらも驚いた顔をして固まっていた。しかし碧は咄嗟に帽子を被り直し、目を逸らしてしまった。

 碧本人はなんでそんな反応をしてしまったのか分からないが、本能的に父親から「誰?」と言われるのを恐れたのだろう。


 せめて自分から説明してから、そう思っていたのに心の準備も出来ていないのに遭遇してしまうことは完全に予想外であった。


 碧は途端に怖くなり出直そうと顔を俯いたまま背を向け立ち去ろうとする。しかしその後ろからは予想だにしない声がかけられた。


「待ってくれ!

 く・・・いや、碧、なのか?」


「っ・・・え?」


 呼び止められた碧は、まさかの言葉に足を止めた。


 なんで?

 今のボクは明らかに男の時とは異なりすぎている。同じ点で言えば目の色ぐらいだろうか。しかしそれでもそんな情報量のみで言い当てられるものだろうか。まさかの先程のお父さんという言葉を聞こえていたのだろうか?


 混乱の最中にいる碧だが、ゆっくり振り向くとそこには先程の驚いた顔ではなく、確信を持ったからかなんなのか、いつもと変わらない目をした父がいた。まぁいつも通りと言っても力のない無気力な目な為、何を考えているのかは実際のところ分からないのだが。


「おとうさん」


 どうして分かったのかは知らないが、しかし1つ言えるのは安心と言う言葉であった。


 碧は公道にも関わらず、その場でへたり込む。そして下から見上げる父親の顔は昔の・・・子供の頃の記憶を想起させた。


 懐かしさと安堵感から、心の緊張の糸が切れるとホロリと涙が零れそうになる。

 しかし小っ恥ずかしい気持ちもあり雑に目元を拭き取って平静を装いながら立ち上がる。

 そしてパンパンと汚れてしまった所を叩くと随分と久々に見た父親と顔を合わせた。


 最後に会ったのは半年程前であるはずなのに、随分と顔を合わせていなかったようにも感じる。

 なんだか思い出の父親の顔よりも、今の顔はかなり老けて見えた気がした。


 皺があり、どこか覇気のない目はクマまである気がする。一見すればだらしない。しかし苦労をしてきたのであろうその姿に妙に胸が苦しくなる。


「その・・・お、おとうさん。ただいま」


「ああ・・・おかえり。碧」


 父親は笑うでもなく、当たり前の様にそう答えるのであった。


 ☆


 碧の父親は小日向 怜二(れいじ)といい、昔からそこまで遊んではいないだろうと思わせる朴念仁みたいな人である。


 とにかくあまり多くを語らないその姿に、碧が積極的にコミュニケーションを取ろうとする訳もなく、好みや趣味は勿論、経歴や仕事も碧は知ら無かった。


 そしてそれは再会してからも変わらず、どうしてその姿になっているのか、どうして最初に会った時に分かったのかといった事も聞くことも話すこともなく、ただ黙って家へとついて行くこととなった。

 家に着いてもただ黙って玄関を開け、碧が通るまで開け続けるから碧も身を小さくしながら家へ入った。


 家に入ると、碧に似てかなり几帳面に物の整理や清掃が行き届いており、靴も揃えて玄関から家に上がった。

 それを見ながら相変わらずだなと思いながらも、碧は「おとうさん!」と呼び止めた。


 すると怜二は振り向き、未だに玄関にいる碧を見る。


「あの、えっとね。

 今日はあることを伝えに来たの」


「・・・?」


 怜二は無表情ではあるが、首を傾げて碧の言葉に疑問を持っているのが分かった。


「今日来たのはそれだけだから。

 ボク、伝えたらもう帰るから、ここで大丈夫・・・」


「・・・・・・そうか」


 お互いに会話との間に間が多く、ぎこちなさもあるが似た者同士といった感じであった。

 いつも通りなのだが、久々に会ったからかその間すら碧は気まずさを感じる。

 更にそれに加え緊張から、右手で左腕を抱き寄せる。


「そのね。ボク、体が女の子になっちゃったんだ。

 で、でも今日お医者さんに行って、体診てもらったの。そしたら性別が変わったこと以外は変なとこないって」


 見て分かっていたとは思うが、衝撃的な内容にも関わらず怜二は碧の言う言葉を黙々と聞いていた。流石に記憶でもここまで朴念仁な人だったとは思えないが、今だけは都合がいいのでそのまま続ける。


「でもその事おとうさんにも伝えてって言われて・・・。

 あとね、役所に行けば性別変更の手続きも出来るみたいで、その時また来るかも」


「そうか。

 分かった。その時にはまた来なさい」


 その言葉を聞いて安心する碧であったが、しかしここまで反応がないのは完全に予想外であった。

 何も言わずとも気がついて貰えた時には思わず泣いてしまったが、やはり父親は碧に興味は無いのだと知った。

 そう思うと胸の奥からムカムカするものが湧き初めた。子供が女の子になったとしても何にも気にしないんだと。


 もう少し驚いてくれてもいいのに。

 やっぱりお父さんはボクがどうなろうとどうでもいいんだろうな。


 寧ろ母親を殺した張本人だし、どうにでもなれとすら思っているに違いない。

 碧は良くない感情が抑えられず、少し嫌味を込めて今までの事を全てぶちまける事にした。


 どうせお父さんなんてどうでもいいんでしょ?と当てつけるように。


「あのね、おとうさん。ボク学校に行かずにずっと家に引きこもってるんだ」


「・・・」


 知ってる癖に。

 なのにお父さんは何も言わない。


「あとね、ずっと言えてなかったけど、一人暮らししたかったのも、遠くの学校に行きたかったのも中学の人とも馴染めなかったし・・・、それに、おとうさんとも顔合わせたくなかったからだったんだ。


 それなのに、新しい学校でもボク、結局ダメだった」


 内心笑ってるかも。

 こんな我儘で嫌な子供が言うことを聞かず、反発した先で失敗したのだ。完全にいい気味だろう。


「もう生きるのも嫌になったこともあったよ?

 何度も死のうっておもった。

 出来て無いけど・・・でも、でもあれから何度も死ぬかもって思うこといっぱいだった!」


「・・・」


「っ、」


 声を荒らげる碧に気圧されてか、それとも黙って聞くとを選択したのか玲二は未だに答えなかった。


「そ、、それでね!それで、女の子になっちゃった時もすごく大変で」


 碧は感情が溢れ出すものだから、思わずその時を思い出して辛くなる。


「怖くて、外出られなくなって・・・、それからーー」


「碧」


「ーーっ、」


「お腹、空いてないか?」


「・・・は?」


 やっと返答が帰ってきたと思ったら、そんな言葉であり、碧は豆鉄砲を食らったかのように腑抜けた。


「ご飯、作ろうと思っていた。

 食べていきなさい」


 怜二はそういうと、手に持った荷物を持って家の奥へ消えていく。それはビニール袋であり、中には食材などが入っていた。


 それは先程碧を見た時に落としたものであり、食事を作ろうと思って出かけていたのは本当であろうが、なぜ今?と言う疑問が湧いた。

 しかし話の途中で帰る気にもなれず、玄関にポツンと取り残されると「なんなの・・・」と独りごつと不完全燃焼のまま黙って靴を脱ぐと家へとお邪魔するのであった。











 トン、トントン


 お世辞にも軽快とは言えない包丁の音が聞こえる。どういう訳か、碧は怜二がご飯を作り終えるのを食卓で待っていた。


 母親がいなかった我が家では、父親が炊事の担当をしており、こうして作る姿は見慣れたものだった。

 しかしそれはどこかぎこちなく、不器用な後ろ姿から何時も心配しながら見ていた。

 心配なのは怪我をしないかは勿論、今日は美味しくできるだろうかという自分の不安であった。


 そうしてハラハラしながら見守っていると、出来上がった物が碧の目の前に置かれる。チャーハンである。

 昔ながらの父親の味と言っても過言では無いそれを、久々に食べることとなった。


 最早阿吽の呼吸かのように匙を取りだしそれを碧に渡すと、一度父親の顔を見てから不承不承ながらに小さく「頂きます」と言い口に運んだ。


「・・・」


 ーーはむ


 まぁ、うん。・・・ちょっとハズレだ。


 碧は今日のチャーハンにそう評価した。一見焦がしチャーハンの様に香ばしそうだが中はベチョベチョでどうにも頭が混乱してしまう。味はともかく食感が良くなかった。


 これが均等になってから碧の中では中当たり。

 更にそれに加え味よしと来れば当たりとなるのだ。


 それが中々来ないこと。

 だからこうして子供の頃はゲーム感覚で気を紛らわせていた。

 しかし食べ物を無駄にすることも出来ず、黙々と食べているとそれを見ていた怜二がボソリという。


「今日は・・・、イマイチだったか」


「え?」


 碧は思わず食べるのをやめて怜二のことを見た。


「なかなか、美味く作れなくてすまない」


 そう言って玲二も向かいに座ると、同じように黙々とチャーハンを食べ始めた。しかし怜二には味は分からないのか、相変わらず表情を変えずに食べていた。いや・・・、よく見れば偶に焦げが強いところを食べたのか、苦い顔をする事もあった。


 おとうさんも自分のチャーハン美味しくなかったんだ。何だか初めておとうさんのそういう姿を見た気がした。


「・・・」


 違う、見てなかっただけだ。

 お父さんはボクの表情でチャーハンの味も指摘するほど見ていたのに・・・。


 しかしそう思うと同時に、まさか今まで父親にそういう姿を見られていたのかと逆説的に考えた。もしかして、今まで勝手に批評してたのもバレてたのだろうか。

 少し恥ずかしい気持ちと、申し訳ない気持ちでなんとも言えなくなる。


 それからは互いに会話などなく、ひたすら食器と匙が接触する音だけが響いた。


 そうして食べてから食器を洗い、ご馳走様と伝えるともう話すこともないかと身支度を始めた。


 それを怜二は何も言わずに見続ける。


 父親としてもう何も言うことは無いのか?

 碧はそんな事も思いはしたが、何だかそれがお父さんらしいかと1人で納得すると、少し微笑んだ。


「おとうさん、・・・また来るね」


「・・・ああ」


 一応玄関まで見送りに来た怜二にそう言った。

 しかし相変わらず怜二はただそれだけである。


 しかし、だからと言ってもう腹は立たない。けれどどうにかこの父親にギャフンと言わせたい気持ちが強くなる。


 碧は靴を履き、トントンと踵を合わせながら玄関に手をかけて言った。


「ねー、おとうさん」


 碧は少し悪い顔をしながら振り向いた。

 未だに表情が読めない顔をしている父親に向かって碧は言い放つ。


「ボク、好きな人が出来たよ。

 それも男の人」


 碧がそう言うと、怜二は今日初めて会った時と同じぐらいに目を開いた。


 本当は碧にはそんな自覚なんて持てていなかったが、今ここで父親を驚かたいとオーバーに伝えただけだった。


 本当は気になっている人がいるだけ。

 でもそれを驚かせたいあまり、あえて「好き」という言葉を使う。しかし、驚いたのは怜二だけでなく碧もである。余りにその「好き」という言葉が腑に落ちる事に驚いた。


 あぁ、そっか。

 ボク、れんの事が好きなんだ。


 碧はそれに気がついたからか、怜二を驚かせることに成功したからか、屈託のない笑みで更に畳み掛ける。


「あ、碧、それはいったいーー」


「でもね。その人、違う学校にいるの。

 だからボクもれんと一緒の学校に通いたい。いいよね?おとうさん」


「ーーお、おぉ・・・」


 それは返事だったのだろうか?

 いや、違うだろう。怜二自体別に気にしていなかったが、それでも学校行けなくなった話をした後に別の学校に行きたいなどと言う話をされてまたも困惑してしまう。


 しかしそんな動揺した言葉を分かっていながら碧は巫山戯る。


「いいの?

 ありがとね、おとうさん!」


 碧はそれだけ言うとクルリと身をひる返し玄関をくぐる。


 そして「いってきます!」と言い残し扉を閉めた。最後まで父親の驚いた顔を眺めながら、してやったりとスキップしながら家を出た。


 そんな後ろ姿を見ながら、まさかこんなに子供らしいイタズラじみた顔をする碧を見ることになるとはと、怜二は呆けてしまう。


 しかし、遠いい記憶の思い出が重なる。

 それこそ10年以上前の、この家族の形が変わってしまう日の以前のように。

 特に今の碧の姿を見ていると尚更である。


 好きな人とやらのことは未だに納得はしていないが、それでも碧にも心の許せる人が出来たのだと、碧が出かけたあともずっとその向こうを見続けるのであった。












 そして碧は、帰りもカエデの街道を進む。時に跳ね、クルッと周る。今は帽子もしておらず、その度に綺麗な銀色に輝く髪がふわりと広がる。

 もしここに誰かがいれば妖精がいると勘違いしたであろう。

 そんな光景が広がっていた。


「ふ、ふふ。

 ちょっと調子に乗りすぎちゃったかも」


 でも、学校かぁ。

 言ってみたはいいけど、もしそんな事が本当にあれば、どれだけ楽しいだろう。


 れんや、かえで。

 真尋さんに、たしか果歩さんや和葉さんと言ったかえでの友達もいるんだっけ?


「いいなぁ・・・」


 碧は木々がざわめく木漏れ日に目を細めながら空を見つめる。


 意味もなく手を伸ばすと、何だかいつもより近く感じられ手が届きそうな錯覚を覚える。たまには上を見上げて歩くのも悪くないのだと思うのであった。

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