自覚
「・・・」
ぽー
碧は椅子に座らせると、相変わらず虚空を見つめ続ける。
「えーと、ご飯食べる?」
その瞳が楓を映しているかは分からないが、楓の問いかけには反応を示す。
しかし碧はその言葉に首をゆっくり横に振り、否定の意で返した。
まさか拒否されるとは思っていなかった楓は驚いたが、確かにこの家には食べるものはあったことに合点がいった。
「どうしたの?食べないと元気でないわよ?」
楓は勝手ながらに碧の家にあった菓子パンを拝借すると、碧に見せるように差し出した。
碧はギューッと服を握りしめ口を固く結んだ。
「たべると、・・・きもち、わるい」
たどたどしく碧は答えた。
「それは・・・、えっと、もしかして食べると戻しちゃうとか?」
こくり
碧は苦しそうに頷いたが、楓はそう言われてどうしたものかと頭を捻る。
多分食べれない原因は容易に考えつきはするけど・・・、蓮のやつどんな喧嘩でもしたらここまで追い込めるのよ。
楓は忌々しくここにいない蓮に悪態をつきながら碧を撫で抱き寄せる。
一番の根本原因を取り除けるのは蓮だけだろうが、兎に角食べてくれないと良くないので今はこうして安心させる事が重要だと考えた。
一体いつからこの調子なのだろうか。
蓮と碧が最後に会ったのはコミケの日だろうから、その日からだと考えるとあまりに状況は良くない。
机には食べ物を食べた形跡はあったが、すぐ戻してしまうと言っていたしまともに食べれてはいないのだろう。
最悪は病院に行って点滴なりして無理やり栄養を入れるしかないのだが・・・。
楓は碧の私生活を思い出すがあまりにも保護者と言ったものの影が見えず、例えば保険証を果たして持っているのかなど様々な不安があった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
手をこまねいている自分に言い聞かせるように、楓は碧の背中をトントンと優しく叩く。規則性と微妙な振動が揺り籠のような安らぎをもたらした。
あまりに脳に栄養が足りていない碧にその言葉が十分に届いているかは分からないが、それでも本能的に来る安心感からいつしか楓の横で寝息を立てるようになっていた。
今の碧にあるストレスや不安を取り除く。ご飯を食べれられないのも、全てはここから来ているはずだからだ。
楓は寝てしまった碧をひとまずベッドへと寝かせるために抱き抱える。その時に体の軽さに驚く。多分40キロもないと感じるほどに軽かった。
多分、なにかの間違いがあれば簡単に失われてしまいかねない儚い命に、改めて蓮に依存したままではいけない危うさを実感する。
最初はどう仲直りさせようかと考えたが、これはただ前の形に戻すだけではダメだ。出来るだけ膿を出し切る方が碧の・・・いや蓮の為にもなると考える。
だとしても、戦をするにも何とやらと言うし、一先ず碧のお腹を膨らませるべく楓は動き出すのであった。
☆
いい匂い。
刺激的でも、食欲を唆るようなスパイスな香りでもない。しかしこの美味しそうな香りはどこかで嗅いだことあるような優しい香りがする。
どこで嗅いだんだっけ?
懐かしい子供の頃?いや・・・、もっと最近にこの匂いを嗅いだことがあった気がする。
たしか、あれは女の子になって、初めて生理というものが来た時に食べた、そう、お粥の匂いだ。
そうだ思い出した。
たしか、蓮が作ってくれたっけ。
その時も今みたいに具合悪くて、不安でいっぱいだった時に作ってくれて嬉しかった、なーー
「ーーーーー、」
ぽろっ
涙が一筋、碧の目尻から流れ静かに泣いていた。
いつから起きていたのか分からない。覚醒と夢現の境目もわからず碧は目を開きぼーっと楓の姿を眺めていた。
楓はずっと集中してリンゴの皮をむいていた。そして出来上がったうさぎリンゴに満足げに頷いていた。
そしてそれをお皿にのせ作業がひと段落した時に碧と目が合った。
「あら、碧ちゃん起きてたの?
お粥出来てるけど食べるかしら?」
「・・・」
こくり
蓮に捨てられて以降、ご飯を食べる度に吐きトラウマ気味になっていたのに、楓の言葉にすんなりと頷き受け入れる。
楓はその反応を見ると、キッチンの方へ向かい温かいお粥を器に入れて持ってきた。そして碧の身を起こし、お粥を匙ですくうとフーフーし冷ましてから碧の口へ運ぶ。
碧は特にそれを拒むことなく、口に入れるとほぼ噛むことなくするりと喉を通った。
「どう、美味しい?」
「・・・おいしい」
「良かった。もっと食べる?」
「・・・うん」
碧が見せる積極性に、楓はにこりと笑うともう一度同じように冷ましたものを口に運んでくれる。
そして熱いものが喉を通る度に少しづつ人間らしさを思い出すように、表情を作り、そして涙がまたこぼれ落ちる。
「・・・っ、ぅぅ、、」
静かに、しかし大粒の涙を流しながらも口を開け楓のお粥をもらう。
「うぅっ、・・・あり、がとぉ、、かえで」
「ほら、ゆっくり食べないとお腹がびっくりしちゃうわよ?」
「うん・・・うんっ」
そうは言いつつも食べようとするのをやめないので、困ったように悪いながらも楓は碧が満足するまでお粥をすくい続けるのであった。
碧は結局、器によそわれたお粥を全て食べ、食後のデザートにきっちりリンゴまで頂くとかなり顔色が良くなり落ち着きを取り戻した。
勿論全ての問題が解決した訳では無いが、少なくともご飯を食べれないと言うストレスが無くなった事による変化であった。
「かえで、ありがとね」
「ううん、いいのよ。それよりちょっとじっとしててねー」
「んっ」
そう言い碧の口元をハンカチで拭う。
そして慌てて食べた汚れを綺麗にし、「これでよし!」と楓は気が満足すると、話を切り替え本題に入る。
「それじゃあ聞いてもいい?
蓮と何かあったの?てっきり喧嘩したのかなって思ったけど・・・」
「っ・・・」
その問いかけに碧はまたもフラッシュバックをしてしまったようで見るからに顔色を悪くさせる。
その反応を見ても、ただの喧嘩のようには思えなかった。本当はこの問で碧の表情を曇らせることは分かっていたが、それでも聞かなければと思ったのだ。
「勿論無理にとは言わないけど、それでも言った方が楽になることもあるわよ」
「・・・」
特に碧の場合は溜め込むタイプであるからなおのことである。それは碧も分かっていて、1人で答えが出ないからこれだけ悩んでいたのである。
本当は言葉にするだけで思い出すから嫌なのだが、現状を何とか変えたいと思うのは碧も同じなのでポツリポツリと話し始めた。
「ボク、・・・れんに捨てられちゃった」
「捨てられた?」
あまりに急な言葉に楓は意表を突かれる。
そんな訳は無いと言いたいところだが、碧の言い分を最後まで聞くために状況の整理を優先させる。
「うん。ボクね、れんを傷つけちゃったみたいで・・・、でもそれがなんなのか分からくて」
碧は今でも思い出す。あの時の辛そうな蓮の顔を。きっと、それだけの事を自分はしてしまったのだと考えていたのだ。
「それでね、ーー」
そして語られるあの日の出来事。
全てが稚拙であり、纏まりきれていない言葉と文脈はメチャクチャで全てを伝えきるには多くの時間が要されたが、それでも何があったかを全て話した。
勿論蓮が何を考えていたかは分からない、しかしその時自分が何を思ったのか、何があったのかを事細かに伝えた。
自分は馬鹿だからと、楓なら至らない自分に代わり答えを出してくれると信じていた。
「それは何とも・・・」
その説明に対して楓はそんな微妙な言葉を返した。幼なじみの恥部に触れてしまったような感覚に言葉を濁す。
しかしこれが碧と言うイレギュラーでさえなければ何事も無かったと思うだけに、何とも蓮だけを責めきれない微妙な行き違いである。
しかし、その後の行動は頂けない。
顔を合わせづらい気持ちは分からなくは無いけどそんな無責任すぎる幼稚な行動に振り回される碧が不憫でしょうがない。
現に碧は語る時もどれだけ自身が悪かったのだと脚色を加えて語られているし、蓮が悪かったなど1ミリも疑わず自分を責め続けている。
そしてまるで自分を責めて欲しいかのように、楓にどうすれば良かったのかを問いただす。
「・・・ボク、何をすればよかったの?」
もはや蓮からそこまでの愛情表現をされて気づけないのならば、自分で答えは出るはずもないだろう。しかしそれを言うことは、蓮の碧に対する思いを勝手に伝えてしまう事になる。
どうするか・・・。
楓は不安そうに楓の言葉を待つ碧を見ながらどうするかと思案する。
多分一見したほとんどの人はこの2人は付き合っていると思うだろう。だが違う、2人の距離感はそれだけ異常なのだ。蓮と碧をよく知る者にとってはそれがどれだけ歪かが分かる。
蓮は間違いなく碧が好きだった。それは今回の事が無くても分かりきっていた。しかしそれが碧となると本当に分からない。
碧は果たして蓮の事が好きなのだろうか?
ここまで愛情表現をしているにも関わらず、こんなにも読めない人は初めて見る。こればかりは碧に自覚して貰うしかない。もし本当に自覚できないのであれば幼馴染には申し訳ないが楓は2人を応援することは出来ない。
だから、蓮が確認したかったであろう事を幼馴染に変わり聞くことにした。
「蓮はね、・・・碧ちゃんに好きになって欲しかったんだと思う」
「?ボク、れんのこと好きだよ?」
「あのね、そうじゃなくてーー」
楓はゴクリと唾を飲む。
本当に何でこんな野暮な事してるんだろうと、最後まで葛藤しながら続く言葉を碧に伝えた。
「碧ちゃんは蓮と付き合えるのかってことよ」
「つきあう?」
「ええ。男と女として、2人が付き合ってそういう中になるってこと」
そう言われ碧は「えっと・・・」と言葉を詰まらせた後、何かにはたと気づくと碧の答えを出す。
「付き合えば、れんが帰ってくるの?
それじゃあ付き合う!ボクれんと付き合いたい!」
碧は希望が見えたかのように顔を明るくさせた。しかし碧とは逆に楓は顔を歪ませる。
違う、そうじゃないのだ。
楓は恐れていた事を平然と答える碧に頭を悩ませる。
「聞いて、あいちゃん!
付き合うってことはね、一緒にいたり共に同じ時間を過ごすだけじゃないの。
勿論みんなが皆という訳じゃないけど、付き合えば、肉体関係になるかもしれないのよ?分かる?」
楓はあえて直接的で強い言葉を使い碧にその事実を伝えた。現に蓮は碧にその様な関係を仄めかしたのは事実なのだから。
しかし碧はその言葉を聞いて、少し迷った表情を作る。
「そんな、・・・まさか」
碧はまさかと思った。
楓はその反応で本当に分かってなかったのだと、理解はしていたが改めて驚かされる。
しかし楓には分からないだろうが、碧の擁護をするならやはりどうしても他者とは異なる点が大いに関係している。
なぜなら見た目はこれだが心が男だからだ。
男友達といくら出かけようが、お泊まりをしようがそんな発想が湧かないように、碧も女として視線は感じることはあっても無意識下に頭の中でブレーキがずっとかけられ続けていた。
しかし今楓に言われて、そういえばそうだったと合点が行くことも多かった。
そしてあの日の出来事を思い浮かべても、襲われる寸前まで行っていたという事実に打ちのめされる。
蓮がボクそういう風に考えていた。
「ーーーーーーーっ」
怖いような嬉しいような、どうしたらいいか困って心臓がドキリと大きく跳ねた。
いやしかしだ。そんなはずは無いと首を振る。なぜなら蓮だってこんな心が男の奴なんて嫌なはずだ、蓮はそれを知らないから。だけど本当にそうなっていればボクはいったい、どうしていただろうか。
どうしよう、分からない。
なのにこうしている間にも楓に碧の返答を催促される。
「碧ちゃん、答えはでそう?」
「っ・・・。ううん、分からない」
けれど答えなんてすぐ出るわけが無い。
蓮の気も分からないのだから。しかしもし蓮が碧にそう言うことを迫ってきたことを仮定する。
もし本当に、あの時蓮と一緒にお泊まりしていたら。蓮が伸ばしかけていた手が本当に胸へ届き、碧がその時目を閉じその小さな桜唇を差し出していればーーーー
「ーーーーわかんない。分からないけど、・・・きっとボクはれんが帰ってきてくれるなら何でもする。
もしその条件が付き合ったり。え、えっちな事だったら、絶対する、と思う」
先程と変わらない、自分を軽んじるなんて危うい言葉。
きっと碧は蓮の為なら本当にどんな事でもするのであろう。その関係を繋ぎ止めるために、それこそ体を使ってだろうと。
しかしそんな変わらない答えにもかかわらず、楓は先程とは違って全く違う印象を受けていた。
何故ならば、碧の顔が夕日にも負けないぐらいに真っ赤に焼けていたからだ。
不安げに手の甲で口元を隠し、潤ませる瞳はまさに恋する少女のそれであり、もはや碧の頭の中で何が繰り広げられているのかは聞くのは野暮と言うものだった。
果たして本人は自覚をしているのだろうか分からない。でもこんな反応が見れただけでも1歩前進だと楓は胸を撫で下ろすのであった。
「あっ!」
「え、なに!?」
楓はこれ以上の言葉は要らないと判断したが、これだけは言わなければと補足するように「でも」と切り出した。
「その・・・、作るようなことはダメよ?」
「はぇ?つくる?」
楓は少し言葉を濁しながら忠告を入れる。しかし察しの悪い事に、それだけでは碧は分からない。これで伝わればいいと思ってはいたが、今までのやり取りでそうだろうとは思っていたために、心構えは作っていた。
「それは・・・えっと、ちょっと碧ちゃんこっち」
そうして楓は周りを気にする必要は無いにも関わらず、碧に近寄り言った。
「その・・・あ、赤ちゃんのことよ」
カマトトぶる訳では無いが、それでも言うのがはばかられるワードを碧の耳元で囁いた。
そう言われた碧は、「あかちゃん・・・赤ちゃん」と理解しずらいその言葉を何度も反芻するように繰り返す。
そっか、今のボクは赤ちゃんができちゃうんだ。・・・蓮との赤ちゃん。
碧は実感が未だ持てていないみたいに、ぽーっとその言葉を呟きながら呆けてしまうのであった。
碧なら既成事実なんて事をしかねない恐ろしさがあるので、楓は念の為に釘をさしておく。
果たしてどれ程の効果があるかは分からないが。
碧はどこか上の空になっていてすぐに了承してくれないのが怖いところだが、まさかそんな事は有り得ないかと考える楓であった。




