金木犀は枯れない
駅前のビルに入っている雑貨屋さん。
学校帰りの学生や仲のよさそうな親子連れで店内は賑わっている。
そんな中、
わたしはひとり、文具ブースのとある棚と睨めっこをしていた。
「ううん……」
(ちづるちゃん……こういうの、好きかな?)
目に映るのは、煌びやかなボールペン。
握る部分が透明の筒になっていて、中でラメ混じりの液体が揺れていた。
わたしは紫色のペンを手に取って、まじまじと観察した。
傾けるたび、筒の中のラメが照明の光を弾く。
(でも、もう高校生だし……大人っぽいデザインの方が、いいかも)
ペンをそっと、元の場所に戻した。
少し広めのボールペンコーナー。
もっと他にいいペンがあるはずと、
上から下、端から端へ、慎重に棚を見回す。
それでも、なかなか「これだ」というデザインのペンが見つからない。
反対側のコーナーへ向かおうと、棚の角を曲がったそのとき——
「……あ」
『スタッフいちおし!』
そんなポップと共に置かれていた色とりどりのペン。
それは——
ペンの中で、小さな花が咲いていた。
(ハーバリウムペン……?)
ポップの下に書かれている文字を、心の中で呟く。
はじめて見たデザインのペンに、
とくん、とくん、と。
胸の奥でゆるやかな音が鳴った。
(きれい……)
棚に並べられているハーバリウムペン。
赤、青、黄、緑……。
ひとつひとつ、じっくりと見つめていく。
透明の液のなかに咲く、小さな花たち。
持ち手は花と同じ色味で、
ゴールドのペン先や頭、繋ぎのパーツが上品に光を返していた。
——このペンにしよう。
これしかない。
心はもう、決まっていた。
(あとは……色、どうしよう)
ちづるちゃんは、
元気で、かわいくて。
たくさんの友だちに囲まれている、人気者。
人と話すことが苦手で、内気なわたしともなかよくしてくれる。
そんな、やさしい子。
わたしの——
唯一の友だち。
(ちづるちゃんには、黄色がぴったり)
明るくて、見ているだけで、元気をもらえる色。
その色は、太陽のようなちづるちゃん、そのものだった。
わたしは手のひらで包み込むようにそっと、
黄色の花が咲いたハーバリウムペンを取った。
少しだけ白い花が混じっていて、たおやかに黄色の花を引き立てている。
すてきなプレゼントが見つかったと、
気づけば口元を緩ませていた。
うれしさにトクトクと高鳴る鼓動。
わずかに頬が熱を帯びる。
レジに向かおうと顔を上げたとき、
棚にちょこんと置かれたプレートの文字が目に入った。そこには——
『名入れ承ります』
そう書かれていた。
追加料金がかかるようだけど、
(プレゼントだもん)
迷わなかった。
お会計のとき、お願いしよう。
そう心に決めて、はやる気持ちでレジへと向かった。
プレゼントを受け取った、ちづるちゃんの笑顔を想像しながら——。
***
ついにやってきた。
ちづるちゃんの誕生日。
わたしは朝からそわそわと、ちづるちゃんに声をかけるタイミングを見計らっていた。
人気者のちづるちゃん。
普段から周りにたくさんの人がいるけど、今日は一段と多くの人が、ちづるちゃんの元を訪れていた。
それはやっぱり、誕生日だから。
(ちづるちゃん、すごいなぁ)
いろんな人に祝ってもらっているちづるちゃんの姿に、胸の奥が温かくなった。
「あちー!」
前の席に座る男子が、ノートで顔を仰ぎながら叫んだ。
そのまま椅子から立ち上がって、窓を開ける。
カラカラとレールの音がして、
心地のいい風がそよいだ。
ふわりと、甘い香りが鼻をくすぐった。
(金木犀だ……)
オレンジがかった黄色の小さな花びらを思い浮かべて、そっと目を細める。
視線を戻せば、ちづるちゃんは今も友だちと笑い合っていた。
その後も、結局ちづるちゃんがひとりになることはなく、
とうとう放課後になってしまった。
ちづるちゃんの周りには、相変わらず人がたくさんいるけど……
(今を逃したら、誕生日に渡せない)
ちづるちゃん以外の人と話したことは、ほとんどない。
注目されるのも、苦手。
——行かなくちゃ。
そうは思っていても、床に張り付いたように、足は動かない。
緊張で指先が冷えていく。
うだうだしている間に、ちづるちゃんが友だちと教室を出ようとしていた。
「っ!」
わたしは思わず、目をぎゅっと瞑った。
そして、鞄の陰に置いていた紙袋を掴んで——
「ち、ちづるちゃんっ」
意を決して、ちづるちゃんに話しかけた。
「ん?こころ?」
ちづるちゃんが振り向いた。
周りの友だちも、不思議そうな顔でわたしを見る。
わたしはおずおずと、ちづるちゃんの前まで歩いていった。
「こ……これっ」
声が上擦った。
喉の奥が震えている。
ちづるちゃんはそんなわたしを馬鹿にせず、わたしが差し出した袋をじっと見つめた。
「もしかして、誕プレ? あたしにくれるの?」
「う、うん」
ちづるちゃんの言葉に、こくりと頷く。
ちづるちゃんは少しだけ目を見開いて、次の瞬間——
「うそっ?! うれしい、ありがと!」
花を綻ばせたように笑った。
両手で大事なものを扱うようにやさしく、わたしからのプレゼントを受け取るちづるちゃん。
わたしはちづるちゃんの笑顔に、
ほっと胸を撫で下ろした。
「ここで開けて落としたら怖いから、家で開けるね」
「……うん」
プレゼントを開けた反応が見たかったなと、
少しだけ胸の奥が沈む。
だけど同時に、ちづるちゃんがわたしからのプレゼントを大事に思ってくれていると、くすぐったさに指先をもぞもぞさせた。
「ちづ〜、早く行こ」
「あっ、うん!」
「じゃあね、こころ」
友だちに急かされて、そそくさと教室を出て行くちづるちゃん。
振り返らない背中に寂しさを感じたけれど、
「しょうがないよね」
そう自分に言い聞かせた。
(プレゼント、無事に渡せてよかった)
ちづるちゃんのよろこぶ顔も見られた。
それだけで、じゅうぶん。
わたしはひとり、またひとりと減っていく教室で、既にいなくなったちづるちゃんの影を追うように、出入り口をしばらく見つめていた。
***
ちづるちゃんの誕生日から、二日。
ちづるちゃんがプレゼントのペンを使っている様子はない。
わたしが、友だちと楽しそうにしているちづるちゃんの様子を思い返して、
気に入らなかったのかもしれないと、不安になっていたときだった。
『きれいすぎて、家で使ってる!』
トイレで鉢合わせたちづるちゃんが、笑ってそう言った。
(あの日、勇気を出してよかった)
今は帰宅途中。
さっきのちづるちゃんとのやりとりを思い出して、顔が綻ぶ。
心なしか、足取りも軽い。
爽やかな風が、背中を柔らかくおした。
(今日は少し、遠回りしちゃおう)
わたしは、いつもならまっすぐ行く道を、左に曲がった。
その道は最近新しくできた道で、どこに出るのかは、あまりよくわかっていない。
普段なら怖くて、絶対にこんなことしないけど、今日はなんでもできる気がする。
(だって、ちづるちゃんがよろこんでくれたから)
全身があたたかく満たされる。
目線を上げて大きく手を振り、見知らぬ道を進んでいった。
しばらく歩き続けていると、見覚えのある建物が目に入った。
(あれ?このあたりって……)
——ちづるちゃん家の近くだ。
わたしの家からは、そこそこ距離があるはずだけど。
新しい道は、結構長く逸れていたらしい。
帰るのに、さらに時間がかかっちゃうと、
気まぐれに知らない道を進んだことに、少し後悔をした。
ちづるちゃんとは、保育園からの付き合い。
わたしの両親は忙しくて、お迎えはいつも最後。
そんなわたしを見かねたちづるちゃんのママが、母に声をかけて。
それから、ちづるちゃんと一緒に迎えにきてくれるようになった。
保育園でもちづるちゃんとばかり遊ぶようになったのは、自然なことだったと思う。
両親は仕事ばかりで全然構ってくれなかったけど、ちづるちゃんとちづるちゃんのママがいたから、寂しくはなかった。
(最近は、ちづるちゃんのママに会えてないなぁ)
ちづるちゃんは中学校に上がった頃から、ちづるちゃんのママと仲が悪くなった。
その状況で会いにいくのも気が引けて、
段々と、ちづるちゃん家からは足が遠ざかっていた。
家の前まで、行ってみようかな——?
足先が、ジリッとちづるちゃん家の方を向いた。
通り過ぎるだけ。ただ、それだけ。
後ろから夕日がさして、影が伸びていく。
遠くでカラスが鳴く声が聞こえた。
五分ほど歩いて、
ちづるちゃん家の前の道に差しかかったときだった。
ふと——
視界の端で、なにかがきらりと光った。
(……ん?)
夕日に反射したのだろうか。
いつもなら気にせず通り過ぎているけど、今日はなんだか気になって、足を止めた。
大きなお家の生垣。
手入れの行き届いていない、草木の隙間から覗いていたのは……金属?
(誰かが捨てたのかな……?)
ポイ捨てなんて……と眉を顰めていると、
上空から「カァアー」という鳴き声が落ちてきた。
見上げると、
電線にカラスが一匹、停まっていた。
嘴の先がわずかにこちらを向いている。
ジロリと見つめられている気がして、
ふいっと、すぐに目を逸らした。
カラスが狙っているのかもしれない。
そのままにしておこう。
わたしは足先を振って、再び歩き出そうとした。瞬間——
「わっ」
体を打ちつけるような、強い風が吹いた。
耳を震わす轟音と風の勢いに、
わたしは思わず身を屈める。
ガサガサと草木は暴れ、空からは羽ばたく音が聞こえた。
(び、びっくりしたぁ……)
風がしんと沈んでいって、様子をうかがうように、そろりと顔を上げた。
そのまま空気をなぞるように上を見上げると、カラスはもういなかった。
気を取り直して、行こうと、
再び前を向いたとき。
カツンッ。
硬いものが落ちた音がした。
何だろう。
反射的に振り向いて——息が止まった。
そこにあるなんて、思いもよらない、
視界に映る、地面に落ちている物。
それは数日前に見たばかり。
——黄色の、ハーバリウムペン。
「っ、はぁ……」
ドクン、ドクン。
心臓だけが大きな音を立てる。
それなのに、体の中から血が抜けていくみたいに冷たくなって、膝が小刻みに震えた。
(まさか……ちがうよね……?)
徐々に重石をかけられているような。
鈍い動きで地面にしゃがみ込む。
震える指先でおそるおそる、転がるハーバリウムペンを拾い上げた。
ペンの持ち手を見ると、そこには——
『Chizuru』
ちづるちゃんの、名前が刻まれていた。
(ちづる……ちゃん……)
喉の奥で「ヒュッ」と掠れた音がした。
頭の中がぐるぐると回って、まるで誰かに鷲掴みにされているような圧迫感。
捨てられた?
ううん、まさか。
ちづるちゃんはそんなことしない。
落としただけ? だけど——
『きれいすぎて、家で使ってる!』
そう言ってた。
外にあるなんて、おかしい。
そうだ。これは「ちづるちゃん」のペンじゃない。
きっと、同じ名前の違う人の物。
落として探してる人がいるかも。
道の端に置いておこう。
わたしはそっと、ペンが見えるように生垣の根元へ置いた。
(……今日はもう、帰ろう)
ちづるちゃん家の方向は、もう見られなかった。
沈み始めた夕日。
ふらふらと揺らめく影に、住宅の影が覆い被さる。
ひんやりした風が、首筋を刺していった。
***
あの日から、数日。
わたしは今日も、たくさんの友だちに囲まれているちづるちゃんを見ていた。
(ちづるちゃん、楽しそう)
笑顔のちづるちゃんに、自然と口元が緩んだ。
あの日見た物については、気にしないことにした。
だって、ちづるちゃんのペンなはずないから、気にする必要なんてないの。
きっとちづるちゃんは家に帰って、宿題だとか日記書いたりとか、そういうことにペンを使ってくれているはず。
風がそよいで、空いている窓から、甘い香りを運んでくる。
端に寄せられたカーテンがゆらゆらとはためいた。
(ちづるちゃん)
わたしは目を細めて、ちづるちゃんを見つめた。
放課後。
わたしは委員会の活動を終えて、帰ろうとしていた。
土埃の匂いが鼻をつく玄関。
下駄箱から靴を取り出そうとして、ふと思い出す。
(宿題、置いてきちゃった)
下駄箱に伸ばした腕を静かに下ろす。
急ぐ用事もないからと、
ゆっくりと教室に向かい始めた。
廊下の窓は開いていて、
音楽室から楽器の音が聞こえてくる。
そんななか、手前のクラスを横切る途中、
楽器の音に混じって、人の話し声があることに気がついた。
クラスメイトが教室にいる。
この時間まで残っている人がいるなんて、めずらしいなぁ。
そんなことを思いながら、
着いた教室のドアに手をかけようとしたときだった。
「そういえば、ちづ」
そんな声が、耳に入ってきた。
(ちづるちゃん……?)
どうやら、教室にいるのはちづるちゃんと、ちづるちゃんの友だちらしい。
「なにー?」
「ちづって、双美さんと仲いい?」
自分の名字が出た瞬間、ぴくんと肩が跳ねた。
『双美』というのは、わたしのことだ。
(……わたしの話、してたんだ)
うれしいような、くすぐったいような気持ちが胸の奥に広がる。
でも、話題にされてしまうと、余計に入りづらくなってしまって——
わたしは宙に浮いていた手を戻した。
(トイレにでも、行こうかな)
立ち聞きするのも悪いかなと思って、離れようと思った。だけど。
「……」
足は動かなかった。
ちづるちゃんが何と答えるのか、気になってしまったのだ。
(実は一番仲がいい……なんていうのは、期待しすぎかな?)
胸の奥でトクトクと鼓動が鳴り始める。
緊張に、手のひらがじんわり汗ばんできた。
沈黙の間が焦れったい。
そう感じた瞬間だった。
「ううん、全然」
その言葉に、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
「えー? この前誕生日プレゼントもらってたじゃん」
「同じ保育園のよしみってだけ」
続くことばに、目の前がぐわんぐわんと揺れる。
——これは、本当にちづるちゃんの声なの……?
ふらっと体が傾いて、壁に体を押し当てた。膝ががくがくと震える。
廊下を、一際強い風が突き抜けた、そのとき——
「むしろ嫌い」
ちづるちゃんの言葉が、
心臓を突き刺した。
容赦ない言葉が、次々と襲いかかってくる。
「小さい頃に遊んでたからって、勘違いしてるんだよね」
「今のあたしのことなんて、なーんにも知らないくせにさ」
呼吸が浅くなって、息が苦しい。
微かに香る甘い匂いが、喉の奥を掻き回す。
「プレゼントだってさ、黄色のペンだよ?」
「あたしが好きなの赤だし。黄色なんて嫌い」
脳裏に映るちづるちゃんの顔が、どんどん黒く塗りつぶされていく。
目の奥が熱くなって、視界が歪んだ。
「ほんと、大嫌い」
「っ」
口元を手で押さえる。
これ以上は耐えられない。
わたしはおぼつかない足取りで、ふらふらとその場を離れた。
階段を降りて、堪らず走り出した。
近くのトイレに駆け込んで、個室のドアをバタンッッ!!と荒々しく閉めた。
「ふっ……ふぅっ……」
まさか、嫌われているなんて思わなかった。
小さい頃と比べて遊ばなくなった。
それでも、仲のいい友だちだと思ってくれていると。
そう、思っていた。
(どうして? どうして……ちづるちゃん)
腕で顔を覆って、ドアに寄りかかる。
そのままずるずると、しゃがみ込んだ。
「うっ……ああっ……!」
しゃがみ込んだ拍子に、制服の裾が冷たい床に触れた。
じわじわと布越しに冷たさが染み込んでくる。
静かな空間に、わたしの嗚咽だけが響き渡った。
「あのときは、悲しかったなぁ」
とあるマンションの一室。
女が薄暗い部屋で、ぽつりと呟いた。
窓には段ボールが貼られていて、部屋の中には僅かな光さえも入ってこない。
「次の日から、学校来てなかったの……気にしてくれてた?」
女は静かに振り向いた。
誰かに話しかけているが、返事どころか物音一つしない。
女は不愉快そうに、眉をぴくりと動かして、肩をすくめた。
「なにも答えてくれないの?
……まあいいよ。ゆるしてあげる」
「だって、友だちだもん」
女の目の前、ソファにはぐったりとした人影がひとつ。
白いニットの胸元には、紅い花が咲いていた。
その濁った瞳は、もう何も映していない。
それでも女は満足そうに、
にんまりと口もとを歪めて、
スゥッと目を細めた。
「似合ってるよ——アカイロ」
錆びた鉄の匂いが鼻をつく。
その奥に、ふわりと甘い香りが混じった。
あまいあまい、赤い金木犀の香り。




