第5話 王太子からの“停戦嘆願”──パンとにんじんの外交会談、開幕ですわ!
朝一番。
ベルナーが青ざめた顔で駆け込んできました。
「お、お嬢様ぁあ! 王都から、たいへん立派な行列が!」
「また外交団ですの? 今日は畑休みなのに」
「いえ、今度は――王太子殿下ご自身でございます!!」
「まぁ。珍しいお客様ですわね。お茶を多めに淹れなければ」
マリアが硬直しました。
「お嬢様、“お茶”ではなく、“国交回復会談”のつもりかと!」
「会談でも、喉は渇きますもの」
そう言って、私はお気に入りのティーカップを選びました。
花模様のふちどり。
このカップで飲むお茶は、不思議と穏やかな気持ちになれるのです。
……殿下にも効くといいですわね。
――――――
王太子アルノルトが到着したとき、
私はすでに庭先のテーブルでパンを切り分けていました。
「リリアナ! お願いだ、もう何もするな!」
開口一番それですか。
さすが殿下、要点を押さえていらっしゃる。
「何も、とは?」
「君が動くたびに国が動くんだ!
外交団、信徒、農民、商人……!
ついには神殿が“リリアナ暦”を制定したと聞いたぞ!」
「まあ、日めくりですの? 便利ですわね」
「便利じゃないっ!!」
殿下の声が裏庭にこだましました。
鳩が一斉に飛び立ちます。
少し落ち着いた方がよろしいですわね。
私はティーポットを差し出しました。
「殿下、まずはお茶でも。落ち着きませんと、にんじんも折れますわ」
「……にんじん?」
「ええ、本日の議題は“にんじん外交”ですもの」
「議題って……君が決めたのか!?」
「はい。にんじんをガルダにも輸出すれば、
両国の食卓が豊かになります。結果的に平和に寄与いたしますわ」
アルノルトは一瞬、口を開けたまま固まりました。
「……まさか、それで戦争を防げると?」
「にんじんにはビタミンが豊富です。怒るより健康が大事ですわよ」
「…………」
殿下は顔を覆いました。
隣にいた側近が小声で呟きます。
「殿下……確かに、民の間では“にんじん条約”を望む声が高まっております」
「そんな条約あるか!!」
「リリアナ様が提案すれば、すぐ出来るかと」
アルノルトの目が遠くを見つめました。
悟りの境地に近い表情です。
――――――
ティータイムは和やかに進みました。
殿下も途中から観念したようで、パンを口に運びます。
「……このパン、うまいな」
「レモンタイムを練り込んでおりますの。平和の香りですわ」
「平和の香り……そうか。
……リリアナ、君は本当に、何も考えていないのか?」
「ええ。考えても仕方ありませんの。
畑も人も、急に育ちはしませんから」
「……そうだな」
殿下の表情がようやく柔らかくなりました。
遠くでマリアがそっと胸を撫で下ろしています。
その時――。
「殿下ぁああああっ!!」
セレスティーナが馬で駆け込んできました。
スカートを翻し、涙ながらに叫びます。
「殿下! 巫女様が殿下を誘惑しておられますわ!!」
「誘惑って……パンを差し上げただけですわ」
「ほらあぁあああっ!! やはり愛の証を!」
「愛ではなく、朝食ですわよ?」
マリアのため息が風に溶けました。
殿下は顔を覆い、側近たちは書記官に何かを書き取らせています。
“パン外交、成功”――と。
どうやらまた何か、歴史に残ってしまったようですわ。
――――――
その夜、私は日記にこう記しました。
――王太子殿下とにんじん条約を締結。
――条文第一条:「怒らず、食べて、寝ること」。
――セレスティーナ様は泣いて帰られた。理由は不明。
――明日はにんじんスープを作る。
マリアが肩越しに覗き込み、ぼそりと呟きました。
「お嬢様、世界平和が炭水化物で成り立っている気がいたします」
「そうかもしれませんわね。
パンとにんじんがあれば、大抵のことは解決しますもの」
私はにっこり笑って、明日の仕込み用にまた粉をこね始めました。




