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第19話 春風のパンと、王都からの手紙──平和って、案外忙しいですわね

春。

畑の小麦が風に揺れ、どこかで鐘が鳴っています。

銀河の騒ぎも遠くなり、世界は穏やかに流れていました。


平和とは、思ったより忙しいもの。

パンを焼き、にんじんを抜き、トマトを煮込み、

夜は猫と星を眺める――そんな日々。


「お嬢様、王都からお手紙が届きました」


マリアが差し出した封筒には、王家の紋章。

見覚えのある筆跡に、私は微笑みました。


「また殿下ですの?」


「いえ……今回は、セレスティーナ様からでございます」


「まぁ。珍しいことですわね」


封を開けると、流れるような筆跡。

そこには、少し照れくさいくらいの言葉が並んでいました。


『リリアナ様。

あのときのわたくしは、恋と憧れを勘違いしていました。

あなたを羨んで、でも本当は尊敬していたのだと思います。

一度お話しできませんか?

王都の春の庭園で、焼きたてのパンを持って。

  ――セレスティーナ・ルーベンス』


「……焼きたてのパン、ですのね」


マリアが笑いました。

「お嬢様、パンが外交を超えて友情まで焼いております」


「まぁ、炭よりましですわね」


私はオーブンに火を入れました。

甘い香りが春風に溶けていきます。


――――――


王都・春の庭園。

花が満開で、風が優しく流れています。

ベンチの前で、白いドレスの女性が立っていました。


セレスティーナ・ルーベンス。

あの頃の華やかさとは違い、どこか穏やかで大人びています。


「リリアナ様。本日は、お越しいただきありがとうございます」


「こちらこそ。

 昔の縁というものは、焼き直しがきくものですわね」


「焼き直し……?」


「パンの話ですわ。焦げても、こね直せば大丈夫ですの」


セレスティーナは、ふっと笑いました。

「……あなたは昔から、そうやって軽く言ってのけるのですね。羨ましいわ」


「わたくしも焦げることはありますのよ。

 ただ、焦げたところも香ばしくて好きなんです」


二人は同時に笑いました。

あの卒業パーティの夜には想像もしなかった笑いです。


――――――


そこへ遅れて、アルノルト殿下が姿を現しました。

白いシャツに黒の上着。

以前よりも、ずっと穏やかな目をして。


「……こうして三人で会うのは、初めてだな」


「そうですわね。婚約破棄の時以来かしら?」


セレスティーナが頷きました。


「殿下。あの時は、本当に……お騒がせいたしました」


アルノルトは苦笑します。

「いや、俺の方こそ。あの頃の俺は若かった。

 世界も、自分も、君たちも――ちゃんと見えていなかった」


「でも、今は見えますの?」


「見えるよう努力している。

 世界は、パンの香りでやっと落ち着いたが……俺の胃はまだ不安定だ」


「まぁ、平和と消化には時間がかかりますのよ」


三人の間に、穏やかな沈黙が流れました。

花の香り、パンの香り、そして春の音。


「……焦げた部分も、人生の一部、ですわね」


「ええ。“焦げた分だけ、深い味”ですわ」とセレスティーナ。


殿下が小さく笑いました。

「お前たちは、世界を救ってもまだパンの話か……」


「だって、パンですもの。

 世界で一番、やさしい食べ物ですわ」


――――――


帰り道。

夕陽が差し込み、街に甘い香りが漂っていました。

人々の笑い声。子どもの歌。

そのすべてが、どこか“焼き立て”みたいに温かい。


「マリア。焦げたところも、やっぱり人生の香ばしさですわね」


「お嬢様、今日のパンも、最高に焼けております」


「ありがとう。明日は少し甘いのを焼きましょうか。

“友情ブリオッシュ”なんて、響きがいいですわね」


「お嬢様、それ、また祝日になりますよ」


「まぁ、平和が増えるのは良いことですわ」


春風に乗って、パンの香りが王都中に広がりました。

争いの終わりの香りではなく、

――“人と人がもう一度笑い合う香り”です。

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