第15話 “パンの香りで世界会議”──聖女、起きてるだけで外交成立!
朝の空気は、よく焼けたパンのように香ばしかった。
エルフォード領の厨房に、今日も私の“日課”の音が響きます。
こねて、叩いて、丸めて、焼く――それだけのこと。
けれど最近、その小麦の香りが国際問題になっているらしいのです。
「お嬢様! 王都から使者が……“香り外交”の件でございます!」
マリアの声が、扉の向こうから慌ただしく聞こえました。
「香り外交? また妙な名前ですわね。どんなお話かしら?」
ベルナーが飛び込み、息を切らして言いました。
「“お嬢様のパンの香りを王都全域に流して、会議を和やかにしたい”と!
香りの魔導研究所が、転送装置を完成させたのです!」
「……まぁ。便利になりましたのね。
でもパンの香りをそんなふうに使ってしまって、いいのかしら?」
「お嬢様の焼くパンは、“平和の香り”と呼ばれておりますから!」
私は思わず笑ってしまいました。
「平和の香り、ですの? 焦げたら戦争でも起きますわよ?」
「……実際に起きかけましたからね」とマリア。
「うふふ……それは申し訳ありませんわ」
――――――
王都・大議事堂。
各国の代表が円卓を囲み、張り詰めた空気の中――。
ふわり、と、香ばしい香りが流れました。
「……これは……」
「なんと柔らかく、穏やかな香り……」
「敵国の代表の顔すら、悪く見えぬ……!」
アルノルト殿下は、こめかみを押さえました。
「……パンの香りで国際関係が改善している……」
セレスティーナがうっとりと目を閉じます。
「殿下、これが“香りの魔法”ですわ。
言葉を超えて心を結ぶ、まさに聖女の奇跡……」
「いや、“焼いた”だけだろ……」
側近が記録を取りながら呟きます。
(※この会議は後に“ブレッド・アコード(パンの協定)”と呼ばれる)
――――――
そのころ私は、エルフォードの庭でパンを焼いていました。
「マリア、王都はうまくいったかしら?」
「はい。“パン香条約”が結ばれたそうです。
各国が“焼きたての香り”を外交文書に封じて送るとのことです」
「まぁ、それは楽しそうですわね。
けれど香りなんて、風に流れてしまいますのに」
「それが“心を運ぶ風”だと、詩人たちが言っておりました」
私は笑いながら、オーブンをのぞきました。
焼き立てのブールが、ふっくらと膨らんでいます。
「心もパンも、膨らみすぎると少し割れてしまいますわね。
でも、それくらいがちょうど良いのかもしれませんわ」
マリアが肩をすくめました。
「お嬢様の一言が、また名言集に載ります」
「えっ、また? ただの感想ですのに……」
ベルナーが駆け込んできました。
「お嬢様! 世界通貨が“スリープル”から“ブレッド”に切り替わりました!」
「えっ、寝てたら稼げる時代から、焼いたら稼げる時代に?」
「まさに“労働の復権”でございます!」
私は笑いながらパンを持ち上げました。
「じゃあ、働き者が報われる良い時代になりそうですわね。
パンをこねるのも、畑を耕すのも、平和の仕事ですもの」
マリアがそっと言いました。
「お嬢様、あなたが国を耕しておられるのです」
「まぁ、それは畑違いですわよ?」
――――――
夕暮れ。
各国でパンが焼かれ、香りが風に乗って街を結びました。
王都の広場では、かつての敵国同士がパンを分け合い、
子どもたちの笑い声が響いています。
――武器を置き、パンを持て。
それが自然と、人々の合言葉になっていました。
「お嬢様、今日も世界が穏やかです」
「それはよろしゅうございます。
……では明日はブリオッシュに挑戦してみましょうか」
「お嬢様、それは高脂肪です! 外交リスクが高いです!」
「まぁまぁ、バターは平和の象徴ですのよ?」
私は軽く笑いながら、生地をこね続けました。
パンの香りが、またひとつ国境を越えていきます。




