神なんてろくなものじゃない
「クロウリー様……どうか祝福を……」
「ああ……主よ……」
うーん……誠にカオスである。
こいつらは神に祈って何が楽しいのだろう。
ここは教会。
創造神クロウリーを礼拝する教会である。
教会に集う信徒たちが、今日も今日とて飽きもせず、見たことも無いような神のことを崇め奉っているのである。
僕には全く理解のできない行動である。
聖典によれば、クロウリーはまず世界を創造し、その後に動植物を創造し、そして人類を創造した素晴らしく敬うべき存在なのである、らしい。
それはすごいことだ。
これが本当のことなら確かに感謝するべきだろう。
僕たちが今この瞬間にも生きていられるのも、そのクロウリー様が創造してくれたお陰なのだから。
しかし、しかしだ。
こうも毎日毎日、祈る必要があるだろうか。
朝起きて、祈る。
太陽が真上に来て、祈る。
夜寝る前に、祈る。
やりすぎやりすぎ。
祈りすぎ。
さすがのクロウリー様も苦笑いだろ。こんなの。
最初は信心深いなあと感心していたとしても、今頃ドン引きだろうな。何なら恐怖まで感じているかもしれない。
もしそうなら凄いぞ。神に恐怖を与えたんだぞ。
しかもこれ、ただ拝んでいるんじゃないんだよな。
この世界は神もいれば悪魔もいる。魔法もあれば呪いなんてものもある。そんな世界で熱心に神を拝んでいると、運が良ければ神の祝福なんてものが与えられるのだ。
神の祝福を与えられた者は、聖騎士だの聖女だのになれるのだ。将来安泰である。
お分かりだろうか。
神を拝むのは何も神を信仰しているから、という理由だけではないのだ。いや、そういう信心深い人もいるだろうけど。
神を拝む上で、ちゃっかり祝福を貰えないかな、なんて思っている奴がいるのである。
信心深いやつ。
図太いやつ。
親に連れてこられて退屈そうにしてるやつ。
もう本当に、カオスなものである。
え?
何でこんなに教会のことに詳しいのかって?
そりゃまあ、かく言う僕も、教会に集う信徒の一人だからね。詳しいのも当然だよ。
全くもって信仰心を持っていない信徒という、僕もカオスを作り出している要因の一つである。
僕が最初この教会を訪れたのは5歳の頃。母親に連れて行かれたことがきっかけだった。母親はよく僕にクロウリー様の素晴らしさ、尊さを耳にタコが出来るぐらい聞かされてきたのが懐かしい。
でも僕はクロウリー様を敬うことが出来なかった。クロウリー様の素晴らしさに感化されるより先に、母の話が面倒臭いと思う方が早かったからだ。
だから僕はクロウリー様に対しても、教会そのものに対してもあまり良い印象はない。
そんな僕が、すでに立派な大人になった今でも律儀に教会に通っている。
でも僕はあんなカオス達とは違う。むしろ逆だ。
本当なら今でも教会から足を洗いたい。そこらの商会で働くもよし、どこにでもいるような冒険者になるもよし。何でもいいから教会にはもう行きたくない。
でも行かない訳にはいかない。
さっきは信徒と言ったけど……普通の信徒じゃないんだ。
受けちゃったんだよ!祝福を!畜生め!
逃げられないじゃないか!
あれもこれも神のせいだ!クロウリーのせいだ!
何でだよ!何で僕に祝福が来るんだよ!
全然信仰してなかっただろ!
何ならちょっと悪口言ってたぐらいだったのに……
そのせいで「神に選ばれた」なんて言われるようになってしまった。今逃げ出したら背教扱いだ……。
今までもこんな風によく分からない奴に祝福を与えて来たんだろうか。神とはそんな適当な感じなのだろうか。みんなが思うような神々しい存在ではなく、昼間から横になって菓子でも貪っているかもしれない。
僕に祝福を与えた時点で、神なんて凄い存在なんて思わなくなった。
律儀に祈りを捧げる信徒には何も与えない。
それよりも何処の馬の骨とも知れない奴に祝福やらなんやらを与えてしまう。
神はそういう身勝手な存在なのだ。信仰など関係なしにその御業を発揮なされるのだ。
祝福を受けた時から、常々そう思う。
神なんて、ろくなものじゃない。