第九十五話 キャプテンの意地
前回、凛子がやべぇ動きをしました。
「ま、待って? 今、何が起きたの?」
あまりにも一瞬の出来事すぎて、状況を理解できなかったらしい阿部がきょろきょろと周りを見ながら聞いてくる。
だけど阿部以外のみんなもわかっていないのだろう。全員が説明を求めている状態だった。
当たり前だと思う。だって、今のはどっからどう見ても――。
無意識に口もとへ手を置き、動揺を隠す。
今の長谷川がやってみせたのは、疑いようのない瞬間移動だった。
未来と同じ、『瞬間移動』の動きだった。
「……吸収したんだよ。シュートの仕方を真似たように」
再開した試合に魅入られながら、自分が理解している範囲でみんなに説明する。
「今の、長谷川が急にドリブルをやめて手に持っただろ? あれは、ドリブルしてるとそっちに意識がいって速く動けないからだ」
長谷川がシュートを決めるには、未来という強力な壁をどうにかして避ける必要がある。
あの足の速さを最大限に活かせば突破できるだろうが、かといってボールを持ったまま移動はできない。トラベリングで反則になる。
だから長谷川は未来の瞬間移動の動きを真似た。
さっき瀬戸を抜いた時と同じように、たった一歩で未来の横に出て、そこで跳んで、シュートをしたのだ。
「持ったままでも三歩までは動けるっていうルールを利用して、未来を出し抜くために。更に言えば」
「相沢の恐怖心を煽るため……だな」
勘のいい斎が、こちらを見ながら言葉を繋ぐ。
「そういうことだ」
未来がする動きを、長谷川は一度見ただけで物にする。同様に使ってくる。
それは勝利をもぎ取るためにしてきたはずの未来の動きも力も、全てが相手チームの戦力になるということ。
未来が頑張って動けば動くほど未来たちのチームは不利になり、自分たちのチームが有利になるという事実を、長谷川は体現してみせたのだ。
「ちょっとマズいね。長谷川さんもあの動きができるようになったら、吉田も世良も、私と同じでついていけないよ」
保井が心底、不安そうな顔をする。だけど俺は自信を持って、それは問題ないと言い切った。
「大丈夫だ。未来は強いから」
バスケも、もちろんそれ以外も。
保井は目を丸くする。放課後の練習を思い出しているのか、数秒こちらを見つめたのち、「そうだね」と笑ってコート内に視線を戻した。
調子を上げている長谷川はもちろん脅威。
だけど未来も平静を取り戻していて、むしろ先程よりも落ち着いて見えた。
長谷川が未来から離れようと。シュートに繋げようとして瞬間移動を何度も試しているが、一度それを見てしまった未来は二度目なんて絶対に許さない。
長谷川が消えたように見えた時には既に未来も消えていて、次に姿を現すだろうその位置へ正確にくっついていく。
「未来、邪魔ぁあ!!」
「凛ちゃんこそ鬱陶しいよ!!」
暴言を吐く二人は互いに牽制し合うために、他のチームメイトとは接触させないで済んでいる。
長谷川の思惑通りにはいかない。
だけど、気のせいだろうか?
特に変わりなく試合が進んでいるにも関わらず、少しずつ、吉田と吉住のコンビネーションが乱れてきたのは。
噛み合っていたはずの歯車が、ごく微妙なタイミングのズレを生み始めているように見えるのは。
「七瀬ちゃん!」
背中を反らして長谷川のブロックを避けながら、未来がなんとかボールを投げた。
「取らせないよっ!」
吉田宛てのボールを瀬戸が奪いにかかる。
上から降ってくるそのボールを掴むべく、二人は同時にジャンプしようとした。
「くっ……!」
しまった、そんな声。
踏み込んだ拍子に吉田の膝がカクンと折れた。
体勢が崩れてジャンプができない。
手が届かない。
「もらいっ!」
ボールを掴んだ瀬戸が須田へパス。
受け取った須田によって華麗なシュートを決められた。
「わぁいっ」
歓喜の声を上げる須田とは対照的に、はぁはぁと細かく呼吸をする吉田は顔をしかめた。
「キャプテンッ! だいじょう……」
「大丈夫。いけるよ」
吉住が慌ててかけた心配の言葉を遮って、自分に言い聞かせるように言った吉田。
一度深呼吸をするも息の乱れは収まらない。それでも吉田は未来の方を向いて、笑って大きく頷いた。
「未来。大丈夫だから、そのまま続けて」
吉田の必死の願い。未来は長めに彼女を見つめてから、同じように頷いた。
「疲れてきてるんだね、みんな」
隣にいる秀が、全体的に崩れ始めた理由を口にする。
「そうだね。世良はまだなんとかって感じだけど、パスが乱れてきてるし、余裕ではなさそうね」
保井も同意し、手を合わせて祈った。
第一試合から交代無しで、全力の試合を続けている吉田と吉住。
特に吉田は決勝戦が始まってからずっと運動神経抜群な瀬戸にマークされていて、常に短距離走のような動きを強いられている。
頼みの綱である未来は長谷川との一対一で自由になれないから、いつも通りの連携プレーもできない。
それでも、ここぞという時にボールを託されるのはやはりキャプテンの彼女で、それを決めなければならない義務がある。
そうやって地味に溜まってくる疲れとストレスは、吉田をじわじわと蝕んでいくのだ。
「相当キツいポジションだろうよ」
それでも吉田はきちんと自分の役割を果たす。
滴る汗を拭って、整わない呼吸を必死に落ち着けて、疲れで動きにくくなってきた足に鞭を打って。
バスケ部を勝利へと導くために。
幾らか取って取られての攻防が続く。
吉住が須田に邪魔されながらも下から上に投げ、ボールがネットに近付いた。
そのまま入るかと思いきや、バックボードに当たって跳ね返る。
その真下には待ち構えている瀬戸がいて、このままだと捕られる。そう思った刹那。
瀬戸の真横から吉田が床を踏み込んで跳び、右腕を目いっぱい引き伸ばした。
驚く瀬戸に構う余裕はない。ゴールに打ち直す余裕もない。吉田は後ろにいる誰かへ片手でパスをする。
未来と長谷川が、飛んで来たボールを見据えて同時に駆けた。
ゆっくりと、ふんわりと落ちてくるボールとは対照的に、全速力で走る二人。捕らえたのは、未来。
手に掴んだそのボール。誰の名も呼ばず、誰かがいるかも確認せず、一直線にゴールの真上へ投げ飛ばす。
後ろは見ない。前も見ない。悩みなどしない。
だってそこにいるはずなのだから。
「あぁぁぁぁっ!!」
大声で叫ぶフルスイング。
確認しないで投げたその先には、吉田。
振り下ろした手がボールの中心を叩く。
久しく、ドゴッ! とリングを通過する音が響いて、床へ勢いよく接触したボールは高く跳ねた。
「きたぁああああっ!!」
体育館中に湧き上がる大きな歓声を受ける吉田は着地して、肩で息をする。
ボールが跳ねる音を響かせながら何度か呼吸をして天井を見上げ、「未来」と小さな声で呼びかけた。
「それでいい」
試合残り時間、五分。29対29の同点。
未来は大きく頷いた。
「正念場……だな」
斎の唾を飲む音が、聴力が上がっているためにやけに大きく聞こえる。相槌を打つ俺にもその緊張はしっかりと伝わってきた。
「長谷川! 本気でやれ!!」
「はぁっ!? 本気じゃないように見えんの!?」
突如放たれた瀬戸からの怒号。眉間にシワを寄せて間髪を入れず叫び返した長谷川は、足元に目を落とす。
「やってるよ。そういう約束なんだから」
すぐそばにいる未来には聞こえないぐらい小さな、俺たちの耳でも辛うじて聞こえる程度の掠れた声で、感情のわからない呟きがあった。
【第九十五回 豆知識の彼女】
瀬戸茜、バスケは素人。
経験の長い七瀬を追い詰める実力。バレーでもいい動きをしていましたが、身体能力は桁外れです。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 罪滅ぼし》
凛子の目線で見た、球技大会の裏側のお話です。
よろしくお願いいたします。