第九十一話 洗練された
前回、対等な戦いをするために、お互いの弱点を教えあいました。
こちらにも聞こえる二人の会話内容。その内の何かを不思議に思ったらしい秀は、切れ長の目を瞬かせた。
「ちょっと意外だった。相沢ぐらい強くても相手の凄いところって研究したりするんだね」
「お? 鍛錬ばっかしてる印象があるか?」
俺が問い返すと、秀だけじゃなく阿部や加藤、斎までもが頻りに首を縦に振った。
家での様子を見ていないみんなからしてみれば、未来は一人で鍛錬に明け暮れる頑張り屋さんってイメージらしい。
「あながち間違いではないんだけどな。基本は体を鍛えたり体力作りだから。その合間合間に調べ物だったり、実力者の動画見たりしてんだ」
「うへ……思った以上にストイックだなぁ」
「ストイックなんてもんじゃねぇよ。俺も見習って一年近く同じ生活してるけど、投げ出したくなるくらいキッツイもん」
強くなるためとはいえあまりにもハードすぎるスケジュール。
何時に起きて、この時間までにこれとこれを終わらせて、へろへろになったまま次は……と、愚痴も含めて長々と説明する。
「しかもな、ゴミ箱の当番に当たってる日だって同じルーティーンなんだよ。零時から明け方まで戦って、少しだけ仮眠取って学校行くまでの間に鍛錬して、学校行って、帰ったらすぐに鍛錬して、休憩しながら新しい知識付けて」
「えっ、待って待って土屋君。少しだけ仮眠ってどれくらい?」
「一時間も無いです」
「短いっ!!」
「一時間ってそりゃ、お主も眠いじゃろ?」
「だからハードだって……」
「で、でもでも! 学校で居眠りしてるところなんて見たことないよ?」
「寝ると勉強追いつけなくなるからでしょう、絶対」
「やめてやれ秀……。相沢なりに頑張ってんだから」
ズバッと事実を述べてしまう秀を、斎が苦笑いで止めに入る。
「言われなくてもわかってるよ。だけどこの間の勉強会、ちょっと先のことが心配になったんだもん」
「なあ、俺あんまり見てなかったけどさ。未来の勉強ってそんなにやばいのか?」
「あれっ、土屋君聞いてないの? 未来ちゃん球技大会のあと補習入れられてるよ?」
「は!? 何それ聞いてねぇぞ!?」
「あー、言うの恥ずかしかったんじゃろなあ……。返ってきたテスト見て半泣きになっとったぞ」
なんだと……。
「授業も寝るようになったら冗談じゃなくて高校行けないと思うよ、相沢」
もう少し鍛錬の時間を削って勉強させた方がいいと言う秀。
こいつ、本当に前と比べ物にならないぐらい表情豊かになったし、しかも言葉がくっそストレートになったなぁ。
「死人と殺り合うようになったせいかも」
「え?」
唐突に話が変わってなんのことかと反射的に聞き返した俺へ、秀はニンマリと笑って答える。
「土屋、こいつ言うようになったなぁ、みたいなこと思ったでしょ」
「……思いました」
なぜバレた。
どうしてと思う俺に、秀は少しだけ笑ってその理由を教えてくれた。
要約すると、相手の表情から何を思っているのかを当てる特訓を最近しているのだそう。人間相手で何を考えているかわかるようになったら、戦いの場でも活かすことができるだろうから、と。
「みんな頑張ってんだなぁ」
「そういう土屋は? 弥重先輩との鍛錬頑張ってるし、大分成果が出てきてるんじゃないの?」
「実感はあるけど……でもまだまだかな。凪さんが遠征に行ってる間の課題、全然クリアできてないから」
興味を示したらしい秀に「課題って?」と聞かれ、「これこれ」と言いながらポケットに手を突っ込んだ。
そこに入れていた四つ折りの薄いピンク色の紙を出して、広げて見せようとした時。
「あーもうッ! しつ、こい!!」
長谷川の怒声が響いた。
「凛ちゃんこそ、邪魔!!」
三人チームなのに他のやつには見向きもせず、未来一人にだけ常にマークをしてくる長谷川。それを逆手に取って、未来も長谷川に張り付いて動きを制限しているらしい。
「おお、相沢さんの暴言! 痺れるのぉ!」
「痺れるな痺れるな」
いつもと違う雰囲気のせいで未来ラブモードへ移る加藤にチョップを加え、現実に引き戻しつつコート内に再度目を移す。
長谷川へのパスを防ごうとしたのだろう。飛んできたボールを未来は片手で叩き返す。
弾かれた先は、運良く吉住がいる方向だ。
「いい感じ!」
「うん、でも高い!」
両手を握る阿部へ保井が短く伝える。
飛んでいったボールはかなり高い位置で吉住の真上に到達。
須田にマークされながらも何とか振り切って走っていた吉住は、グンと踏み込んで跳び上がり、掴んでシュートを打とうとする。
しかし追いついた須田がブロックに付いた。
このままでは捕まると気付いたのだろう、吉田がコートの端を回るようにして吉住の方へと駆ける。
それに気付いた吉住は咄嗟にボールを右へ落とし、吉田に望みを託した。
「あああっ!!」
二回バウンドしたボールを彼女はこけそうになりながら拾い上げ、体を捻って強引にゴールへ投げる。
バックボードに当たるか当たらないかの位置にふわりと落ちて、リングの上をくるりと一周したのち、内側に入ってなんとか得点をもぎ取った。
「よし!」
「うわぁ、やるじゃんバスケ部キャプテーン」
未来の動きを封じつつ彼女を見つめていた長谷川は楽しげに笑った。
「いくら長谷川が個人で未来ぐらい強くたって、私も世良もバスケ歴は長いからね。簡単にコンビネーション崩せるなんて思わないでよ?」
「強気だねー。そういうのは好きだけど、やられっぱなしは嫌なんだよねぇアタシ」
長谷川にボールが渡り、打つ姿勢に転換する彼女に対し未来がブロックにつく。
しかし長谷川は投げなかった。
さっき未来がしたのと同じように、未来の体を軸にして回って躱し、背中側についた瞬間高く跳んでボールを投げた。
ブロックは完全に振られ、危なげなく緩やかな弧を描いたシュートが決まる。
「長谷川ってさ、本当に負けず嫌いだよね」
「だな。わざと未来と同じ動きをしやがった」
秀に同意しながら激戦を見守る。
未来のそばから離れなかった長谷川が、攻めるべきゴールの逆方向、自陣のゴールの方へ走り出した。代わりに瀬戸が未来のすぐ前へと張り付いて、追いかけることを許さない。
何をしているのかと驚いたその時、長谷川へボールが送られる。
吉田が長谷川からボールを奪おうと近寄った。
しかしその対処法を既に考えていたようで、吉田の足の間をドリブルで通してくぐり抜ける。
そして、深く深く床を踏んだ。
――まさか……!?
俺と、多分未来もあいつが何をしようとしているのか同時に気が付いた。
一般の中学生なら無理でも長谷川ならできること。
彼女は下からではなく、ゴールの上から投げ入れるつもりだ。
瀬戸を振り切って長谷川を止めに行くのはきっともう間に合わない。未来は自軍のゴールを守りに走る。
「させないよー相沢さん!」
未来の前に瀬戸が立ちはだかる。
小柄な未来が腕を広げて遮られる様子は、巨大な壁に行く手を阻まれた小動物のよう。だけど。
「相手がでっけぇのなんて、未来は慣れっこだからな」
ついにやりと笑い、ハッとしたような瀬戸の顔を認識する。
瀬戸の目の前にいた未来は、誰にも見えないくらいの動き、スピードで彼女の横に出た。
「でった、瞬間移動! 練習の時に私がいつも抜かれてたやつ!!」
保井が未来の動きのキレに騒ぐ。
瀬戸に進行方向を完全に遮られたにも関わらず、それをものともしない『瞬間移動』のような動作をした未来は、跳ぶ。
――バチッ!!
「は!?」
ボールを捕らえた音と長谷川の驚愕はほぼ同時。
長谷川が高く跳んで投げ飛ばしてきたボールを、未来が間一髪ゴールの手前でキャッチした。
瀬戸がぽかんと口を開ける中、着地した未来はドリブルをして一気にコートを駆け抜ける。
自陣のゴールから相手のゴールへ、そして長谷川の目の前で跳ぶ。
跳びすぎたと思うほど高く空中を舞い、グルッと体を一回転させてボールを叩きつけた。
ガァンッ!!
「おおおああああっ!?」
「未来ぅううううっ!!」
コートの内外どちらからも上がる大歓声。
大きな音とともにゴールが揺れ、ボールが勢いよくネットを通過する。
体操選手みたいな未来の動きに称賛の声が飛び交った。
「はんっぱねぇな……。あれ、さっきの瞬間移動どうなってんだ。見えなかったぞ」
斎を筆頭にみんなの目が点になって、なぜか俺の方が得意な気持ちになる。
とはいえ、ぶっちゃけよく見たら見えるはずなのだ。
未来が言うには、相手の瞬きをするタイミングと、それに合わせたスピードと、どうやって気配を消すかどうかって話らしいから。
実際に目の前にしたら消えたように見えるのが普通だし、他のやつにはできっこないけど。
キラキラした目で未来に抱きつきに行く吉田と吉住。
しかしコートの端からピピッと短く笛を鳴らされ、二人は動きを止める。
何事かと周りがザワつくと、審判の先生が未来を指さした。
【第九十一回 豆知識の彼女】
凪は自分がいなくても弟子の鍛錬を見る。
課題を行うたびに報告をさせているようです。その様子はまたもう少し先で。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 理解者》
ホイッスルの意味は。
よろしくお願いいたします。