第九十話 弱点
前回、未来の対戦相手となった凛子はなぜそこにいるのかを語りました。
彼女は『未来よりも自分の方が上だということを証明したい』と言いましたが、斎は『他の理由』があるのではないかと推測しています。
走る。走る。ボールを取られないように。相手に追いつかれぬように。
試合開始から五分が経過したらしい。最初から今までずっと未来をマークし続けている凛子は、何かの拍子にボールを奪い取れる位置から離れず話しかけてきた。
「未来はさぁ、比較的ダンクシュートが多いよね」
振り切りたい一心で、未来はゴール付近から強引にジャンプをする。しかしその動きを予想されていたのだろう。凛子は未来と同じタイミングで跳び上がった。
「だからなに?」
ダンクシュートの動きを遮られ、咄嗟に下向きに持ち替えた未来はキャプテン、七瀬へパスをする。
いい位置にいた七瀬はそこから投げて二点分をもぎ取ろうとした。
しかしそれも予想していたらしい凛子は、今の今まで未来の目の前にいたはずなのに、自慢の俊足で駆け抜けそのボールまで遮った。
手に阻まれて行き先が変わったボールは未来の真上に飛んでくる。
「未来!」
「おっけー!」
近くには誰もおらず、ゴールからも近い状態。
ボールを受け取った未来は、キャッチしてすぐにゴールへ体を向けた。
「どうしてダンクが多いのか当ててあげようか」
構えた瞬間に聞こえる、誰もいなかったはずの背中側からの声。
「だってさ」
バビュンという効果音が聞こえてきそうな程の勢いで戻ってきた凛子。彼女の長い腕が、未来が放ったボールをいとも簡単に跳ね除ける。
「みんなよりも小さい未来は、手を伸ばしただけでもこうしてブロックされちゃうんだもんね」
「くっ!」
バシッと音を立てて飛んでいったボールは空中で世良と瀬戸が取り合いになって更に弾かれ、それを拾った須田によってシュートを決められてしまった。
得点に繋げられると確信を持っていたのだろう。凛子はボールの行方になど目もくれず、「あともう一つ」とこちらへ顔を近付けながら見下ろしてきた。
「未来は単純に、投げ技が得意ではない」
凛子が口にした、自覚がある弱点に未来は目を見開いた。
「キューブを使っている時でさえ、基本的に自分の身体能力まかせで遠距離攻撃はほとんど使わないのが相沢未来。それは死人が相手なら敵を欺く武器になるけど、こういうチームプレイでは向かないスキルだよねぇ」
嘲笑しながら凛子はいじめっ子のような表情をする。
彼女の言葉は正解だった。
未来は体術の方が得意で、全体を狙うような範囲攻撃ならともかく、自分の体から離れるような能力はあまり使いたくない。
こういう球技だって大いに外すことはないけれど、どうしても感覚的にできるダンクを優先してしまうのだ。
「凛ちゃん、私と一度も共闘してないのによく知ってるね?」
なぜこちらの弱みを知っているのか。その理由を知りたいあまり直接答えを求めた未来に、凛子は呆れたようにため息をついた。
「もちろん。だってアタシは、純粋に未来を尊敬してるからね」
「……尊敬?」
全く予想していなかった返答を、未来は目を見開いて復唱した。
「うん。いつか絶対に、上をいってやるって思ってる」
そう言った凛子は先程までの挑発的な顔から一変して、優しい微笑みを浮かべた。そして、未来に背中を向ける。
凛子の意図はよくわからない。けれど――。
エンドラインから世良のスローイン。
瀬戸が完全に七瀬をガードしていて、取られそうだったからだろう。ゴールからは比較的遠い場所、凛子が近くにいる状態の未来のもとにボールが飛んでくる。
凛子にカットされないよう勢いよく前に出てボールを掴む。キュッとスパイクが鳴るほどその場から転回して、こちらへと足を踏み出した凛子を軸に彼女の背中側に回りこんだ。
「世良ちゃん!」
コート内に入ってきた世良にパスを出す。
七瀬も瀬戸から距離を取るべく、気付かれぬよう慎重に後ろへ下がり、脇をくぐるようにして彼女の前に出た。
「世良、こっち!」
呼ばれた方向、世良は七瀬へパスをする。
「あははっ、無駄!!」
七瀬の手にボールが届いたと思った瞬間、彼女の後ろにいたはずの瀬戸の手が間に割って入ってきた。
凛子に付いて回られてブロックされやすい未来ではなく、七瀬へパスを出すのをわかっていてわざと隙を作ったようにも見えた。
「須田ー!」
「はーい、長谷川ー!」
世良のパスカットに合いながらも、危なげなく須田へ、そのまま未来を押しのけた凛子へとボールが滑らかに繋げられる。
もしかしたらこの日のために練習してきたのかもしれないと思うほど、とても綺麗なパスワーク。
「ナイス二人ともー!」
ボールを受け取った凛子はゴールの真正面まで走る。彼女に追い付けるのは現時点で未来だけだ。
「させない!」
凛子がシュートをするために踏み込んだ瞬間、同じように未来も床を蹴って真上に跳び上がり、ブロックをするべく腕を伸ばす。
しかし、合わないと未来は悟った。
同じタイミングでジャンプをしても背の高い凛子には届かない。だからそれに合うよう跳んだはずなのに、自分の手にボールが当たる感覚は無い。
指先の数ミリ上を抜けて弧を描いたボールが、ドゴンッ!! とリングに当たりながらネットに入る音が聞こえた。
「いえーい」
からかうように舌を出すのを見ながら、どうして止められなかったのかと疑問を抱く。
彼女との身長差はほぼ十センチ。そのハンデを無かったことにするためのタイミングは完璧だったはず。
なぜ。なぜ。そう考えながら試合を継続。
ボールがバックボードに当たる音が鳴る。
ネットをくぐり抜ける音がする。
相手チームのファインプレーが続いて、点差を開けられた12対4の時。
ふと、凛子が得意な戦闘方法を思い出した。
「そっか……。だからか」
呟いて、唇の端に理解の笑みを浮かべる。
「未来先輩」
体育館の出入口から外へ出てしまったボールを未来が取って戻ってくると、戦況を良く思わない世良が心配そうな顔で駆けてきた。
「長谷川先輩をどうにかして止めないと、どんどん差が開いてしまいます。何か対策を打ちたいんですが……」
「うん、そうだね。でも大丈夫だよ」
一切迷わずに大丈夫などと言い切ったからか、世良は目を丸くした。
「もう絶対に、気持ちよくは打たせてあげないから」
表情に浮かぶ、黒い笑み。
世良は不安そうにボールを持ってコート外へ出た。
未来の用意ができたか確認してからスローイン。
飛ばされてきたボールは相手チームに取られないよう高く長く飛ばされていた。
須田が途中で取ろうとするが高くて届かない。
相変わらず凛子にくっつかれている未来は早めに踏み込んで跳び上がる。それでも少し跳べば凛子も追いついてくるから、精一杯手を広げ、指先まで意識して腕を引き上げる。
ギリギリのタイミングで先に手が届いたそのままバレーのトスのように体をのけぞらせ、ゴールに背を向けた状態で後ろ向きにシュート。
飛んでいったその先でバシュンッと気持ちのいい音が聞こえた。
「未来ちゃんすごい〜!」
自軍のゴールの更に向こう側、体育館の壁際の方から加奈子の声が飛んでくる。
「本当にもう、加奈に心の底から同意するよ……」
やられたといった顔をする凛子へ、ほとんど時間を空けずに須田からスローイン。
飛んできたボールを受け取ったそこから動かずシュートを打とうとする凛子を見て、未来はこれまでよりもほんのちょっとだけ遅く跳び上がった。
「嘘でしょ……っ!」
苦笑いで驚きの声を出した彼女から飛んだボールは未来の手によって遮られ、ゴールとは全く違う進行方向へと軌道を変えられる。
そして――ダッシュ。
誰よりも早く走り出した未来は、空中に浮遊するボールをジャンプして掴み取る。
そのまま数回のドリブル、次いでもう一度大きく踏み切って投げた。
「なっ……!」
ガァンッ!!
凛子の声と未来がリングにボールを打ち付けた音が鳴ったのはほぼ同時。
彼女のボールを止めた未来は一瞬で攻撃に転じ、シュートを決めてみせた。
得点板の数字が動く。12対8。
「さすがと言えばそれまでだけど、ちょっと対応が早すぎるんじゃない!?」
「へへ。思い出しちゃったんだよね、凛ちゃんの得意な戦い方」
未来は少し笑って、焦りで挙動不審になる凛子へ向き直った。
「凛ちゃんはね、相手をよく見て戦うんだよ。ほんとにギリギリのギリギリまで見て、相手の隙をつく。そのためか、次の動作に入るまでが少しゆっくりなんだよね」
未来の言葉を聞いて、凛子は目を大きくする。
「なんで、知って……?」
「前に言ったことがあったかな。キューブの大会を観るのは勉強になるからよく行くんだよ。そんな力自慢の人たちが集まる中で、ぶっちぎりの一位を取り続ける凛ちゃんの戦い方、研究してないわけないでしょ?」
未来を尊敬していると言った凛子。彼女もまた、未来の戦い方をどこかで調べてきたのだろう。
「凛ちゃんのその強さは、相手を確実に仕留めるための切り札になるけれど、瞬間的な判断が必要な時……特に予想外の出来事が起きた場合は邪魔になってしまう紙一重の武器かもしれないね」
さっきされた意地悪のお返しのように、未来はにっこりと笑う。
実際のところ、相手の弱点を言う必要はなかった。むしろ黙っていた方が有利だったと言える。
だけど敢えて伝えたのは、未来の観念によるものだろう。
戦うのであれば同じ条件で戦いたい。
対等な関係でありたい。
互いの特性を知った上で、百パーセントの力を出せる環境で、みんなと一緒に全力で戦って勝ちたい。
そう願っているために。
転がっていたボールが審判から投げられる。
ふんわりと投げられたそれを受け取った凛子はじっと見つめたのち、顔を上げた。
「本人に教えてしまったこと、後悔しないよう祈ってるよ」
「……しないよ」
自信満々に笑うその顔に、同じ表情で答える。
凛子にどんな目的があって今この場にいるのかはわからない。だけどこちらの弱点を明確に言葉にしたのは、彼女なりの優しさだと未来は思う。
自分の苦手分野を敢えて明示させることで、動きにムラがあるから気をつけろと教えてくれたのだ。
「ありがとう。凛ちゃん」
試合を再開するべくコート外へ走っていく凛子の背中を見つめ、未来は小さな声で感謝した。
【第九十回 豆知識の彼女】
遠距離攻撃が苦手だと自覚しつつ、未来はまだ改善できないでいる。
ストイックな未来さんは苦手だからと放置せずどうにかしようと頑張っています。けれどもまだまだ上手くいかない様子。理由は二章後半に明かされますのでお楽しみに。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 洗練された》
隆一郎視点に戻り、決勝の続きです。
よろしくお願いいたします。