第八十八話 しゃっくりとマスク
前回、秀と斎の種目は優勝。
斎を寝かせる為、保健室へと向かった加奈子と秀は、ノーマの上で泣いている夏帆を見つけました。
「帰ってこんなぁ」
加藤が心配そうに呟いたのは、保井が体育館を出てから四、五十分が経った頃。未来たちの第二回戦の最中だった。
「だな」
短く返し、確認のために体育館の出入口から外を見てみるも、靴箱にもたれかかって水分補給をしてるやつしかいなかった。
サッカーはもう終わったのだろう、グラウンドで行われているのはソフトボールに変わっていた。
「これだけ帰ってこないところを見ると、単純に捻っただけじゃないみたいだな」
「じゃろなぁ……骨折とかしてないといいのう」
加藤の懸念に「おう」と相槌を打って、外を気にしつつ俺は試合の観戦に戻る。
相手チームがシュートを外してしまったらしく、ボールを取った吉田が未来に振り向きざまにパスをしていた。
未来は前に走りながらブロックを引き付けてシュートをするように見せかけ、背中側にいる吉住へとボールを投げる。
キャッチした吉住はぐんと踏み切って跳び上がり、ダンクシュートを決めてみせた。
「吉住もよく跳ぶなあ」
長年培ってきた経験もあるだろうが、身体能力の高さに驚いた俺は周りの歓声に重ねて拍手をする。
「つちや……」
周囲の声に混じり、小さな声で名前を呼ばれた。
誰だろうと首を百八十度、横に振って声の主を探していると、出入口の方から再度声がしてそちらに振り向いた。
「い!? ど、どうしたお前大丈夫か!?」
「おい、なんじゃ土屋。いきなり大声出して……ってうお!? お主いったい何をしとるんじゃ!?」
俺の仰天で加藤もこちらを向いて、同じように慌てふためいた。
「何って……? こっちのセリフだよ……。何をしてるんだろう僕は……」
大きな大きなため息をついて、助けを求めるような声を出す主。それは、保井を背負った秀だった。
一緒にいる保井へ先に声をかけてやりたかったが、秀の口から魂が出ているような錯覚が起きて、心配の矛先がどうしてもそちらに流れてしまう。
それもそうだろう、秀は女子が苦手なのだ。こんなに密着状態になっていてこいつが普通でいられるわけがない。
なのにどうしてと驚いていると、後ろから阿部が顔を出した。
「私がお願いしたの〜! 保健室で保井さんを見つけてね? 試合に出られなくなっちゃって、申し訳ないって悲しそうにしてたから、せめて横で応援させてあげたいなと思って!」
「もう無理……。土屋、あとは任せた」
体育館の壁際に保井をゆっくりと下ろした秀は、俺と加藤の間に挟まるようにして蹲り、黙ってしまった。
「ご、ごめんね秋月。ありがとうね」
焦った調子で言う保井に、秀は数秒経ってから親指と人差し指をくっつけておっけーマークを作った。
「保井、足は? 大丈夫なのか」
こけて痛そうにしていた右足についてやっとこさ俺が聞くと、保井は困ったように笑う。
「えへー……。ううん、ダメみたい。捻挫だったよ」
右足首に手を添えながら、保井はここに来た経緯を阿部と一緒に説明してくれた。
ノーマを使っても治るまで二時間かかると世紀末先生に言われ、そんなに時間がかかっちゃ試合に戻れないと、みんなに申し訳なくて泣いていたらしい。
泣き続ける彼女のためを思って、少しリラックスさせようと阿部が【精神の解放】を使ってくれたのだそうだ。
秀や斎と一緒に研究所にいる時に毎回使っている技で、息詰まった空気や心の重みを軽くすることができるらしい。
「え、けどキューブの能力って素体には使えないんじゃ?」
「うん、そうなんだけどね。技の対象を『人』じゃなくて『空間』に指定するの。そうしたら、その空間にいる人に対してだけは作用できちゃうんだよね〜」
初耳だった。理屈を教えてもらおうとすると、何かが面白かったらしく保井がくすくすと笑い始めた。
「けどね? 落ち着いたはいいんだけど、今度はしゃっくりが出てきちゃってさ。全っ然止まらなくて。見兼ねた阿部さんがそれも治してくれて……」
「わ、わわ! 保井さんその話はいいよぉ!」
「ええ? でも名前可愛かったよ。ねぇ秋月?」
話を振られた秀は面倒そうにもそりと動き、腕の隙間からこちらを見上げた。
「まあ……柄にもなく笑っちゃったよ」
「ほう!? 秋月が笑ってしまう技名って何じゃ?」
加藤が興味津々で阿部に詰め寄った。
照れたような反応をする阿部は黒歴史を晒すかの如く、腕で顔を隠し、少し迷ってから震える声でその技名を口にした。
「しゃ、【しゃっくり解放】……」
告げられた名前に保井がまた笑いそうになっている中、俺と加藤は顔を見合わせて、数秒固まった。そして、同時に頷いた。
「「確かに可愛い」」
「もういいよぉ!!」
顔を真っ赤にして照れる阿部を宥めるべく、それも対象を空間に指定したのかと聞いてやる。
荒ぶる感情を抑えようと頑張る阿部も、すぐ俺の問いに答えてくれた。
「しゃっくり自体がそもそも出ない空間になるから、直接は効かなくても間接的に治してあげられるようになるのっ」
「んー、なるほどなぁ」
やっぱり不思議だなと思っていると、俺の頭にある可能性が浮かぶ。
「なぁ、それさ。同じように保井の足は治せないのか? 例えば【痛み無し】を体育館に指定して、この場にいてもらったら……」
阿部の怪我を治す技でどうにかできそうに思えて言ってみたけど、ようやくしっかりと起き上がった秀が首を横に振った。
「怪我や病気を治すのとはわけが違うんだよ」
「無理なのか?」
「うん。落ち着きを取り戻したり、しゃっくりを抑えたりは自分の力でもどうにかできるでしょう?」
「深呼吸とか、しゃっくりに合わせて唾を飲み込んだりとか」と身振りを交えて説明される。
「だけど怪我はさ。その瞬間に自分の力では治癒できない。そんな魔法みたいな能力はないのが人間。だから【痛み無し】を空間に指定しても、同じような作用にはならないんだよ」
「あ……つまり、キューブを使わずとも自力で何とかできるかできないかの違いか」
「そうだね」
秀の淡々とした説明で完全に納得した俺は、なるほどなと心の中で呟いた。
「難しいのう。阿部の回復の技が使えたなら試合も復帰できたじゃろうに……」
「災難じゃったな」と加藤が保井を慰めると、男子コートの方から応援の声が飛んできた。
どうやら女子バスケの攻防を見て興奮しているやつらしい。
「そういえば、試合は? 土屋も終わったの?」
ハッとしたような秀に聞かれ、俺は苦笑した。
「おー、準決勝で敗退した。相手チームに男バスのやつが二人いたのと、一回戦で加藤に体力削られすぎたせいだな」
「ああ、それは厳しいね」
ここで加藤を持ち上げてしまうとまたドヤ顔を向けられそうだから、何度か頷いて話を切り替える。
「秀はどうだったんだ? サッカー。誰かと仲良くなれたか?」
「なるわけないじゃん。みんなと一緒になんて苦手だし、目立つし。散々だったよ」
ありえないと一気にまくし立て、最終的には「土屋が団体種目に出ろなんて言うから」と俺のせいにしてくる秀。
そんな全力の抗議につい笑いながら、俺は秀が持っている空になったペットボトルを指さした。
「その割にはちゃんと本気出してきたんじゃねーの? それ、飲み切るぐらいにはさ」
「うるさいな……」
今度は反論できずギロリと睨んでくる秀を更にからかっていると、一際大きな歓声が上がった。
迫力のあるゴールの音に次いで、笛が鳴る。
得点板は45対18となっていて、未来たちバスケ部の勝利だった。
「すごいね〜!」
阿部が大きな拍手を送る中、両チームが礼を終え、彼女らは次の試合メンバーたちと交代でコート外に出てくる。
保井がいると気付いたらしい吉田がこちらを指し示して、みんなと一緒にパタパタと走ってきた。
「保井! 大丈夫!?」
声をかける吉田に、保井は申し訳なさそうに言った。
「ごめん、捻挫した」
「捻挫……。そっか」
コートの方から試合を始める声が聞こえ、みんなの意識がそちらへ向けられる。しばらくその様子を見てから、保井が重い口を開いた。
「でもね、私はバスケ部だけど別に強くはないし、何なら未来の方が上手いから、きっと大丈夫だと思ってるんだ」
そんなことないと首を横にぶんぶん振る未来と、みんなを順に見た保井は続ける。
「問題なのは、私が抜けてチームはこのまま三人になってしまうところ。前半後半どっちも十分ずつ。今、第二回戦が終わったんでしょ? で、あのチームの第二回戦が終わったらその後に決勝。この試合を待ってる二十分ぐらいは休憩できるけど……体力的に、結構キツイ試合になると思う」
ごめんと謝りながら俯く保井の頬を、吉田が両手でぷにっと挟み、前を向かせる。
目を真ん丸にした保井に、吉田は強気な笑顔を見せた。
「大丈夫! 体力ぐらいどうとでもなる。保井はそんなこと気にしなくていい。ただ、足にボールが当たらないようにだけ気をつけて、どっしり構えてくれてたらいいんだよ」
そこまで話した彼女たちに、女子コートからの笛の音が届く。
「何? なんの笛の音?」
疑問を抱いた阿部が時間を確認してくれた。前半が終わるにしてはまだ早すぎるだろうと思ったが、やはり試合を始めてからまだ二分しか経っていない。
だけど得点板には既に、27対0という脅威の数字が並んでいた。
今の見ていない間に何が起きたのだろうとみんなで愕然としていると、審判の先生がこちらに歩いてきた。
「リタイアするチームが出た。今から決勝戦を始める。用意しろ」
「……まじか」
さすがに吉田も動揺を隠せない。
二十分ほどは休憩できるはずだったのに、すぐに決勝戦が行われるとは誰も予想していなかった。しかも相手はまだ二分しか動いていないのだ、体力もあまり使っていないだろう。
「休ませてはくれないのねぇ」
肩を竦める吉田へ、巻いていきたいんじゃないかと保井が推測を述べる。
「私のハプニングで時間が遅れちゃったからさ」
「んー、もしかしたらそうかもね。まぁ何にせよ、勝つしかないって!」
話を纏めた吉田はみんなをしゃがませて、保井と一緒に円陣を組んだ。
「いくよ! バスケ部ファイッ!!」
「おーっ!!」
気合いを入れ直した彼女たちは、三人でまたコートへと入っていく。
その先にいるのは、未来のクラスから出ているもう一つのチーム。瀬戸茜、須田。そして、キャップ帽に丸いメガネ、黒いマスクをしたスレンダー女子。
バスケ最終戦。この試合に勝てばバスケ部の優勝。
絶対に負けられない勝負。
緊迫する空気の中、自分たちの居場所を守るため、彼女らはコートの真ん中へと向かう。
両チームが向かい合い、未来の前に謎の女の子が立った時。未来は気付いてしまったらしい。それが、誰なのかを。
「……凛ちゃん?」
そのあだ名を聞いて、見学している俺たちは揃って驚きの声を出す。
「やっほー、未来ちー」
聞き慣れた、その声と喋り方。
「ごめんね? 優勝するのはアタシらだよ」
着けている黒いマスクを外してメガネを放り投げ、隠れていた顔が露になる。ニンマリと笑ったのは、長谷川凛子、其の人だった。
【第八十八回 豆知識の彼女】
加奈子のネーミングセンスは作者直伝。
だって思いつかないんだもん……ねぇ阿部ちゃん?
今回凛子が出てきて全員のイラストが更新されましたので、次回から人物紹介がみんな三年生バージョンになります。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 最強の敵》
凛子さんの口から語る、メンバーチェンジをしてまで試合に出てきたそのわけは。