第七十九話 前日④
前回、雲の上へ。タスケテと声がしました。
「えっ……」
攻撃はこない。
代わりに複数の眷属から青い糸が引かれ、吸い込まれるようにバスケットボールの死人の口へと入っていく。
次いで、ぐしゃり。ひしゃげる嫌な音。
むごい光景に思わず口元を押さえた。
「……うそ」
喰われてしまったのだ。
未来に助けを求めた眷属と周りにいた数体が、抗う間もなく捕食された。
バスケットボールの死人は未来になど目もくれず、それはそれは美味しそうに眷属を味わっている。
食い終わる前に別の眷属へ糸を伸ばし、逃げようとする彼らをまた残酷な音を響かせ噛み潰す。
嚥下した先はどんな構造なのか。
小さな体には到底入らないだろう数と大きさが、次々と腹の中へ収まっていく。
「どう、して……」
心臓が激しく脈を打つ。
死人が死人を食うなど見たことも聞いたこともない。
そもそも自由に作り出している時点で異質なのだ。
しかもむしゃむしゃと品のない音を鳴らし、貪るその姿。
食を楽しんでいるとしか言いようがない。
――落ち着け。
言い聞かせ、ギリッ……と、奥歯を鳴らす。
世良に見せた強い意思を含め、やはりこの死人、他の個体とは明らかに違う。一時の感情で討伐してはならない。
刀の先を死人へ向け、空いている手はポケットに。
通信機を取り出し耳に装着した未来は、本部のトップへ直接電話をかける。
『私だ』
ワンコールで応答した男性の声に、相変わらずですね、などと言えるほど余裕はない。
未来は端的に伝えた。
「死人をひとり、連れていきます。受け入れ準備を」
『キキッ……キュイッ!』
捕獲されると知ってか、食事を終えたからか。
こちらへ反応を示さなかったバスケットボールの死人は突如として襲いかかってきた。
「【木刀・改】!」
通信を切り、日本刀を思わせる『改』の【木刀】を追加で生成。
繰り出されるマテリアルの弾丸を二刀流で捌きながら、ソテツの葉を羽ばたかせて死人に近接。
「ふっ!」
無防備な口へ刀を突き刺した。
だが手応えはない。
『腕』が生えたのだ。死人の右側面から出現した、関節の外れた青白い細腕にガードされている。
本体には当たらない。
――変化が早い。さっき食べた子たちのエネルギーを変換してる?
冷静に分析しながら刀を引く。
今度は斬ろうとするがそちらも上手くいかない。
同じような細腕が左からも生えて、刀を受け止め、挟んでポキンと折る。
柄だけが未来の手に残る。
『キキッ、キュヒヒッ!』
「……楽しい?」
折った刀も吸収して、死人は殴りかかってくる。
こちらの頭部を狙う拳を柄を利用して受け流し、新たに【木刀・改】を作り出した。
口は元からあったとして、この体型の変わりよう。もしこのまま変化し続けるとしたら。
大事になる前に腕を切り落とそうとする。
だが、硬い。
切れ味の良い刀を使っても、彼が生やした腕はびくともしない。せいぜい皮膚が切れていればいいところ。
『キッキ、キキッ!』
ほらどうした、やってみろ。そう言いたげな嘲笑。
随分と感情豊かだと未来は思う。
間を置かずに足まで生える。
さっきまでバスケットボールでしかなかった死人は、歪ではあるが、たった数分で四肢を手に入れた。
やはり、食べた分だけ成長している。でなければこんなに早く人型になったりしない。
変化を急いだ理由は強くなって人を殺すためか、それとも言葉を得るためか。
後者であればありがたい。本部へ連れていくには力を制御させる必要があり、職員の安全のためにもできるだけ良好な関係を築かねばならない。
一切怪我をさせず、納得できるまで話し合えるなら。
死人になった理由や哀しみを知り、和解して、一方的な捕獲ではなく協力を得られるならば、最も良い結果になるのは間違いない。だが、
「うん……そうだよね」
事はそう甘くはない。
死人の背中側から追加で二本の腕が生えた。
先にできた青白い腕とは真逆の、真っ赤で、大きく太い、頑丈そうな腕。
ハエを叩き落とすような仕草で片方が未来に迫る。
「【葉脈】、アクセルモード」
くるりと後転して回避。
つい最近編み出した技を使って両手の【木刀・改】を赤く光らせる。
斬る。
『――キィッ、アァアアアアアアアアアアッッッ!!』
噴き出す体液に死人は絶叫する。
未来を攻撃した頑丈そうな腕が、軽い一太刀で根元から切り落とされたのだ。
痛がる死人はもう一本の太い腕で傷口を押さえ、青白い両腕で未来を叩きつけようとする。
しかしそちらも赤い刀の餌食となり、空中を激しくのたうち回った。
普通の刀ではびくともしなかった死人の腕を、容易く切断できるまで殺傷力を上げる技。それが【葉脈】、アクセルモード。
葉と茎の維管束が結合して、水分や栄養を届ける仕組みから得たインスピレーション。
鍛え上げた素体の力をエネルギーとして注ぎ込むことで、作り出す技を最大限強化するのだ。
「無駄だよ」
考え無しに蹴り出す両足も赤い刀で切り伏せる。
せっかく作り出した腕と足のほとんどを失い、攻撃手段が減っていく死人。
おそらく次に繰り出される攻撃は、
「【過度を慎め】」
死人が眷族を作り出したと同時、未来が生み出す紫色の花が討伐を終える。
攻撃手段がなくなったならまた増やせばいい。眷族を作って捕食し、もう一度変化しようとするだろう。
予想通りであった。
「ねぇ、バスケットボールさん」
為す術なく呆然とする死人へ、未来はめげずに話しかける。
「あなたはどうして死人になったの? 何が哀しくて、誰に伝えたくて生まれてきたの?」
思い出してほしい。自分が魂を宿した理由を。
人を殺すために生まれたわけじゃないだろう。気持ちを伝えることを諦めないでほしいと、声に出して願った。
『キ……ギッ!』
ギョロりと睨まれる。
当たり前だ。彼からすれば、未来だって他の人間と変わらない。むしろ自分を殺そうとしている。
味方っぽい言い草で取り入るつもりなんだろう? そう青い瞳が訴える。
しかしなぶるような台詞は出てこない。
口から発されるのは変わらず鳴き声だけ。
成長したのは体だけなのか、彼はまだ話せないようだった。
『キィ……キュ、キ』
ぽろっ……と。大きな単眼に見合わない、小さな涙。
声に出して言えない感情が、赤い液体となって流れ、夜の空に消えていく。
そんな儚さとは正反対の濃厚な体液が、傷口からどんどん溢れて落ちてゆく。
「治療する。動かないで」
言った途端、拒絶反応。
近寄ろうとした未来を死人の手が払い除け、体を鷲掴みにして力が込められる。
ミシッ……と音が鳴る。
「いいよ、やっても」
死人の体が跳ねた。
すぐさま出た許可の言葉。驚いた拍子に力が入り、骨折どころか体を握り潰されそうになる。
しかし未来の表情は変わらない。
涼しい顔で死人を見つめ、苦しさを隠して観察する。
いいよ、なんてなぜ言うのか。彼は本気で戸惑っているようだ。
「それで気持ちが楽になるのなら、やってくれて構わない。あなたには、その権利がある」
死人になるほど哀しかった思い。
言葉にできないもどかしさ。
理解してもらえない絶望。
伝えようとしているのはわかるのに、その内容まではわかってあげられない。
そんな人間、こわしたくもなるだろう。
体を差し出して解決できるならば、喜んでその暴力を受け入れよう。気が済むまで殴って、四肢をもいで、磔にして観賞でもすればいい。
だがそれだけで解決できないことは、未来が一番よく知っている。
暴力で心が満たされるはずがない。愛情を求めて生まれる彼らは、根源となる哀しみを取り除くことでしか解放できないのだ。
その事実に、目の前の死人は気付くだろうと思う。
今日生まれたばかりではあるが、頭のいい子だ。力に頼るか否か、自分で考えて判断できるはず。
こちらの要望ではなく己の意思で、戦わない選択を取るだろう。そんな確信を持って未来は伝えたのだ。
青い単眼は未来を捉えて離さない。
体を締め上げたまま時間だけが過ぎていく。
お互い何も言わないままどれくらい経ったのか。
前触れなく、ふっ……と死人が脱力する。
手から力が抜け、骨の位置が戻り、未来の体が自由になる。
「ありがとう」
酸素を十分に取り込んで、武器を消した未来はゆっくりと死人に近寄った。
宣言した通り手当てを始める。
あまり刺激しないよう、そっ……と、最初に斬った腕の付け根に触れ、少しずつ【カルス】を形成する。
カルスとは、植物が傷を負った際に作る細胞のこと。人間でいう瘡蓋と同じ役割を持つその細胞が傷口を覆い、溢れ出ていた体液を止める。
「あなたを討伐するつもりはない。連れていくってさっき言ったけど、痛めつけるとか、苦しい思いは絶対させない。約束する」
他の腕や足も治療しながら、未来は包み隠さず話す。
言葉は悪いが、生け捕りにして、あなたの生体について知りたいのだと。
今までに見たことのないタイプの死人。彼を筆頭に、死人について何かわかるかもしれない。未来が目指しているもののために、その命を使ってほしいとはっきり伝えた。
「時が経てば、自然と話せるようになる。仲間を食べなくても強くなれる。……今は言えない哀しい気持ちも。いつか、言葉にできるから」
話をしている間、彼はじっと未来を見ていた。
その言葉が真であるかを確かめるように。
嘘偽りがないか見定めるように。
そうしている間に、五つの瘡蓋が出来上がる。
赤い腕が一つ残る丸い形で落ちついた。
『……キ』
ペッ、と口から刀を吐き出した。かと思えば、彼は刀身を咥えて未来の手に優しく置く。
「いいの?」
攻撃の手段を自ら手放した死人へ聞く。
返事ができない彼は目を閉じて、全身で頷いてみせた。
未来がまだ何もできないでいると、焦れったいとばかりに死人は口を大きく開ける。
中にある青い球体――死人の心臓があらわになった。
『キュイ』
やれ。そう言っている。
「……ありがとう。協力に感謝します」
自ら命を差し出す行為に礼をして、未来は口を結ぶ。
帰ってきた【木刀・改】を死人へ向け、喉元に生えた青い玉の表面を手早く切り落とす。
「【朝顔】」
球体から四角に変わった心臓へ、蔓を優しく巻き付けた。
対象を自在に操れる【朝顔】が、彼の吸収・射撃の能力を封じ込む。
学校から本部へ行くまで、住民の安全のための最低限の措置。痛みを感じない程度の僅かな拘束だ。
「行こう。あっちに着いたらすぐに取るからね」
励まして、都の真ん中にある本部へ向かう。
いくらゴミ箱から離れているとはいえ、眠った世良を一人にするわけにはいかない。【育め生命よ】で動く植物を作り出し、外敵が来たら戦うよう命令してそばに置く。
彼女が目を覚ましたらなんて説明しようか。そう考えながら、未来は学校を後にした。