第七十四話 幸せ
「なんか、恐ろしいもの見た気がするわあ」
「俺も」
まさかの逆転劇を見て、俺たちは愕然としていた。
「まあほら、相沢だから」
「…超納得」
秀が他に言いようが無いというような顔で言った。ここにいる誰もがうんうんと頷いて彼女の凄さを称える。
俺は腰を上げ、凝視しすぎて固まってしまった体をぐぐぐっと伸ばす。ポキポキとなる音に合わせて腰が楽になっていった。
「ていうかさ。球技大会で優勝できなかったら同好会に戻るって話だけど」
「はい」
俺は隣にいる2年生に聞く。
「バスケ部だけでチーム組むんだろ?周りからとやかく言われたりしないのか?」
ずるいって反論するやつがいそうだなと思うんだけど。
「…えっとですね、寧ろ歓迎されているというか…」
「へ?」
「あーその点は問題ないよー」
タンタンと一定のリズムを刻むボールと、それを突く吉田が近寄ってくる。真っ直ぐに落ちては、また手のひらに吸い付くように戻ってくるボールのコントロールは、さすがのものだった。
「問題ないって…」
「いやぁ、私らあんまりにも弱すぎて誰も何も言ってこないのよ〜。去年、一昨年もバスケ部だけでチーム組んでやってたんだけど、一回戦目で敗退してるしね」
まじか。
「なら尚更、今年は負けられないね?」
吉田の後ろからひょっこり。未来が顔を出した。
火照った頬と少し汗で張り付いた前髪が、なんとも言えない色っぽさを感じさせる。
――やばい。
つい未来から視線を逸らしてしまった。
今、はっきりと自覚した。前みたいに『可愛い』だけで済ませられなくなっていること。
ちょっとずつ大人になっていく姿を間近で見ているのは……そろそろ、危ないのかもしれない。
「土屋、顔赤い」
「ッ! うっせ!!」
ニヤリと笑って小声で言う秀。それを引き剥がすように肘でグイッと押し返す。それでもその顔をやめない秀は、朝のお返しと言って小さく舌を出した。コイツ、後で覚えてろよ。
「そうだ、バスケ部員の紹介をしとくね」
額の汗をタオルで拭いながら吉田が言った。
「一応、キャプテンは私、吉田七瀬。今年からだからまだそんな感じじゃないけど。副キャプは今皆の隣にいる2年の吉住世良」
「吉住世良です。一応バスケは小2の頃からやってます」
「その頃から一緒にしてたから、結構長い付き合いなんだ。で、メンバーは左から、保井夏帆、1年の畠山、三浦」
吉田が全員の名前を言う。
「あああの、は、はたけやまです…」
「みうらです…」
縮こまって自分の名前を言う1年生たち。その顔は、怖がっているように見える。
「相沢未来です。ごめんなさい、怖がらせてしまって。ちゃんと人間なので、安心して」
安心させるよう笑顔で言う未来。少し緊張が解けた1年生二人に、吉田と保井がうんうんと頷く。
「め、綺麗ですね」
ぽそっと、俺たちの隣にいる吉住が言った。
「そうじゃろ!?綺麗じゃろ!?」
「うわっ!」
すぐ近くにいる加藤がそれに反応して大声を出した。隣の秀がびっくりして声を上げる。恨めしそうな顔を向けられた加藤が、すまん。と咄嗟に謝っていた。
秀のやつ最近表情豊かになってきたなとか思いながら、俺は吉住世良を見た。
「吉住さん、怖くないの?」
未来が目を丸くして言う。
「世良でいいですよ相沢先輩。私は特に怖いとは思いません。どう見たって同じ人間ですし、今のゲームを見ていて、逆に仲良くなりたいなと思ったぐらいです」
表情を一切変えることなくクールに言う彼女に、未来がぽかんとする。そして口をぐっと閉じて、少しだけ彼女の近くに寄り、らしくない事を口にした。
「あの…な、なでなでしてもいい?」
「ふぇっ!?」
「んッ!?」
唐突の申し出に彼女の無表情が崩れる。
俺たちも変な声を出す。
顔を赤くする吉住は少し俯きながら上目遣いで、どうぞと小さく言った。
それを聞くなり未来がそっと、ショートボブの頭に手を乗せてゆっくり撫でる。しかし耐えられないとでも言うように、撫でながらぎゅっと彼女を抱き締めた。
未来より少しだけ低い位置にある彼女の顔が、さらに赤く染まる。
「あー。どうしよう。世良ちゃんかわいい。かわいいよぉ」
お前の方が可愛いわ。
「これは…見たことの無い光景…」
「私たちにもこんなことしたことないよね」
長谷川と阿部が顔を見合わせる。
なんならずっと一緒にいる俺も見たことないぞ。
秀と斎も呆然として彼女らを見る。
加藤は無言だが、多分俺と同じで未来を可愛らしいと思ってるんじゃないだろうか。
「あああ相沢先輩、あああのっ…」
「はっ!ご、ごめんなさい!」
耐えきれなくなった吉住がどもりまくって言う。未来も我に返ったようで、抱きしめる腕を勢いよく離して後ろに数歩下がった。
「ごめんなさい世良ちゃん。あの、つい…」
「いえっ!大丈夫です」
照れが残る吉住は、全然大丈夫じゃなさそうだった。
「なんかいい感じだねぇ。ね、保井っ」
「だねぇキャプテン。この流れのまま皆で1ゲームやってみようか?」
「いいねー!!」
空気が和んだ中、バスケ部員達は試合の準備を始める。だがそこで、19時を知らせる放送が鳴った。
「あ、もうそんな時間?」
「やば、早く片付けて帰らなきゃ」
そう言えば、俺は部活入ってないからこんな時間まで残ってることあんまり無いけど、校内に居ていいの19時までだったな。
「私も手伝うよ」
「あぁーいいよ相沢さん!私らがしてたゲームの片付けだし、そんなに時間かからないから!」
手伝おうとする未来に、吉田と保井が申し訳ないとばかりに手をブンブンと振る。
「それより、球技大会もうすぐだしさ。明日からとか、放課後来れるかな?」
「うん。大丈夫だよ」
「んーっありがとう!じゃあまた明日お願いね!」
未来に抱きつく二人。
…いいなあ。って、女に嫉妬してどうすんだよ俺。
「じゃあ後は部員さんらに任せるとして、ワシらは先に帰るか」
「そうだね」
加藤が立ち上がって、鞄を持つ。それに合わせて皆も立って扉の方へと歩き出す。
「未来、置いてかれるぞ。って何してんだお前ら…」
吉田と保井に抱きしめられてると思ったら、なんとそこに吉住が加わっていた。今度は未来からじゃなくて吉住の方から、ひしっ!という感じで。
「相沢先輩、また明日です。また明日、ぎゅってしてください」
急激に懐かれてやがる。
また明日ねと、名残惜しそうに三人から離れる未来も鞄を持ってこちらへ来る。少し恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔をして。
「良かったね」
体育館から外へと出たとき、髪をほどく未来に秀が言った。
「うん…嬉しい。本当に」
夕焼けに照らされながら、未来がはにかんで言う。
皆でぞろぞろと歩く中、彼女は自分の手をゆっくりとグッパーして、しばらく見つめていた。
「…あったかい」
「ん?」
小さく呟く未来に、長谷川が聞き返す。
「人のぬくもり。…あったかいね」
そう、手を握って言う未来は、長谷川ではなく、俺でもなく、斎の顔を見て言った。
「でしょ?」
斎も、いつもの明るい笑顔じゃなくて、優しい微笑みで未来に応える。
…え、なんだお前ら。
「今が、人生の中でいちばん幸せ」
そう言って未来は長谷川と阿部の間に割り込むように体を滑り込ませる。おおっ!と、長谷川の声がするも、すぐにキャッキャと三人で会話を始める。
その様子を加藤が羨ましげに見るが、俺はそれよりも気になった。今の二人の感じが。
「斎…お前一体何を?」
「えっと…まあ色々ね」
少し照れたようにはぐらかしたが、斎は答えてくれた。
「ほら、去年のヘビの死人。お前が盗み聞きしてた後に言ったんだよ。本来、人はあったかいものだって」
斎はふと笑う。
「さっきの吉住さんへの行為もそう。少しずつだけど……相沢も、変わってきてるんだよ」
「……そういうことか」
「そ。じゃー球技大会相沢も頑張るんだし、俺もちゃんとやるかー」
「えぇー、一緒にサボろうよ…」
「秋月!サボりはワシが許さんぞ!」
話の流れが変わってしまって、というか変えられてしまって、その色々については聞けなかった。会話が球技大会の話で持ち切りになってしまう。
「でもその前に、テストだけどね」
冷静に言う秀の声に、前を歩く未来がビクンっとして立ち止まる。顔を覗き込むと、忘れてたと言わんばかりに焦りでいっぱいになっていた。
「未来ちー、アタシらも教えるよ」
「そうだよ未来ちゃん!一緒に頑張ろ!」
「うう…幸せ撤回かも…」
嘆く未来に長谷川と阿部がよしよしと、頭と背中を撫でていた。