第七十三話 好敵手
未来ボールのまま二戦目。
コート内にボールが跳ねる音だけが聞こえる。5回、6回、それぐらい跳ねさせて、未来が右へ、ピッと小さな音を鳴らして動く。
「ん!?」
得点係の一人が驚いた声を出した。
それもそのはず、だって未来はその一歩だけで吉田との距離を開いてその位置のまま華麗にシュートを決めてしまったのだから。
ボールが跳ねる音だけが響く。
吉田がびっくりしたように未来を見た。
「え…、え?」
「2点目」
そう言って彼女らは見つめあっていた。得点を言う落ち着いた未来の声がする。
「ここからじゃよくわからないな」
バスケ部員達はその様子に驚きを隠せないが、俺たち素人はとにかく未来が遠いところから綺麗にシュートしたようにしか見えなかった。
キュッキュッ
幾度となく聞こえるスパイクの擦れる音。1点取った後の未来は、凄まじい勢いで得点を重ねていく。あっという間に同点まで追いついてきて今は5対5そして、まだ攻撃権は未来にある。
「はぁっはぁっ」
息が乱れ始める吉田。対する未来の呼吸は落ち着いていた。
ピッ!
未来の強行突破。吉田の真ん前まで走る。一定の距離を保ちたい吉田は後ろへステップを踏み腕を広げてそれ以上の侵入を妨害する。
だが。
キュッキュキュッ
また軽やかに躱されバックボードに当たることなくアーチを描いてボールが吸い込まれるように網に入る。
「はぁっはぁっまじか!」
膝に手をついて中腰になる吉田。
「何で急に未来を捕まえられなくなったんだろな?」
俺は誰に言うでもなく言う。隣で阿部と加藤もうんうんと首を振る。
「視線だよ」
斎がそれにすぐさま答えた。
「視線?」
「うん。俺らもだけど、素人はバスケ部員みたいに細かいステップの動きとか、ボールを取られない工夫とか、そういうのできないだろ?」
全員うんうんと頷く。
「だから相沢の場合、素人らしく視線をキョロキョロ動かす。で、動こうとしてる先に視線を送ることで吉田をそっちに誘導してるんだよ」
「じゃあ未来ちーはその逆に向かって動いてるってこと?」
「そ」
「でもそれって、吉田さんがそれに気付いちゃったらすぐにボール取られちゃうんじゃないの?」
恐らく全員の意見を代表して阿部が言う。
「そこがミソなんだよ。気付かれる前に他のやり方に変えたりまた視線を使ったりしてる。例えばさっき2年生ちゃんが言ってた、ハーフターンヘジ」
「はい、そうです」
「んん、よくわかんない…。どういうこと?」
「相沢先輩、1本目は普通に実力でキャプテンを抜いたんです。2本目は一旦視線で翻弄してキャプテンを誘導したと思ったら、唐突のシュート。3本目はハーフターンヘジからのシュート。…相沢先輩、キャプテンがしている動きを真似してるんですよ」
「え、そんな事、素人にできるものか?」
「できるわけないじゃないですか!だから私たちが驚いてるんです!!」
あ、すまん。
「とにかく、相沢は相沢なりの戦法を編み出したわけだね」
「そう。でもな、視線の誘導って、言うほど簡単な事じゃねーぞ」
斎が体育座りのまま膝に肘を当てて頬杖をつく。
「誘導したからって必ずしも相手がそっちに動くわけじゃないし、逆にそれに釣られたように見せかけて付け込む事もできるからな。現に何度かそうされてる」
「…それでもあんなに軽々とゴールしちゃう未来ちゃんって…」
「それを分かってて更に逆の行動をしてるんだよ」
恐ろしいやつ。皆がしんとする。
「てか斎のその観察眼も十分怖いけどな?」
「いや俺の場合は研究とかで養われただけだから!」
手を床にバシン!と打ち付ける斎。
…痛そうな音が鳴ったなあ。
そう思いながら得点ボードを見ると、今は5対6で、ここで未来がゴールを決めたら終了だ。
「まだ、負けないよ」
ボールを持つ吉田が何度か両手でボールを床に突いて言う。
「うん、楽しいもんね」
未来が微笑む。
そして沈黙。コートに緊張が走る。
「吉田さん」
まだボールを持つ吉田に未来が声をかける。
その顔に、不敵な笑みを浮かべて。
「勝たせてもらうよ」
ゾクッと来る、その言葉に。
吉田は好敵手を見つけたというように、目を見開いて笑う。
「いいね…。その鼻へし折ってあげる!」
パシュッと音を鳴らして未来へとボールが渡される。
「ラスト、7本目…」
未来が息を短く吐く。
ボールが手に吸い付くようにドリブル。吉田の左脇に入る。視線はゴールに一直線。このままシュートを決めるつもりか。
いや、右手にあったボールを突いて低い位置で左手に持ち変える。左脇から右脇へと体を翻す。
だがそこに吉田の巨体が壁をつくる。先へは行かせない。そしてシュートも打たせない。
この距離と角度、そして大きな壁。どうしたってここからのシュートはできない。
未来は素早く左足を吉田の体中央付近に置く。自身の体を吉田に近付け右足がキュッと動いた。
「スピンムーブ!?」
2年生が叫んだ。
吉田の体には小柄な未来が沿うようにくっつき、背中が向けられ、そこからその後ろへ、くるっと一回転。
吉田は未来が動く軸にされたのだ。
そしてそのまま――。
バスンッ!!
あの小さな体が余裕でゴールの高さを超える。少し距離が遠いかと思われたが斜めに跳んでも届くそのジャンプ力。
綺麗なダンクの決まる音。
ピーッ!
笛の音が鳴った。
「終了!5対7!相沢さんの勝ちですー!」
保井が叫ぶ。
着地した未来は、小さく跳ねるボールを拾う。
「…相沢さん」
吉田が未来の近くへ寄る。その身長差がわかるぐらいの近さまで。
「素晴らしかった。凄いね」
吉田の右手のひらが未来に向けられる。それを未来も握り返し、顔を綻ばせた。
「嬉しい。吉田さんが手加減無しでやってくれたから、私も凄く楽しかった。ありがとう」
二人はいい表情のまま、暫し見つめ合っていた。