第六十五話 染まる桃色、青の花
前回、呼び捨てにするか否かでわちゃわちゃ。
斎に連れ去られた隆一郎でした。
「じゃーまた明日ねー」
「ばいばいみんな〜。未来ちゃん! よくわからないけど元気だしてね〜!」
学校の門を出て、ギャアギャア騒がしかったやつらとはおさらば。
やっと静かになると思ってほっとしていると、口をへの字に曲げた斎が光のない目で俺を見てきた。
「な、なんでしょうか斎さ……」
「次、同じことやってみろ。キューブに不具合が起きてもメンテナンスしてやらないからな」
「うぉあ!? それはマジで勘弁してくださいっ」
困る。ほかの何よりも困る脅し方だぞそれは。
「土屋さ。何したか知らないけど、斎にはケンカ売っちゃダメだよ? 口だけなら僕でも勝てないんだからね」
「安心しろ秀。ついさっきその『口』を身をもって体験してきたからよ……」
本気で怒ってるわけじゃなかったらしく少ないメンタルダメージで済んだけど、キレたらきっと今日の比ではない。
絶対に斎をキレさせてはならないと、俺は深く頭に刻み込んだ。
「大丈夫? 隆。さっきの……なにか怒られたの?」
斎と秀にもばいばいをして帰路に就くと、未来がぐすんと鼻をすすりながら聞いてきた。
「おー……。まあな」
つまるところ、盗み聞きしてたとバレて斎からお叱りを受けたのだ。
だって無理だよ。谷川探偵に隠し事なんてさ。
と言っても、会話を聞かれた件については斎は別に構わなかったらしい。ただ内心を覗かれるのは恥ずかしいっていう理由で、もう二度とやるなとチョップを食らった。
「つか、未来こそ大丈夫か? 立てなくなるまで泣くなんて、すげぇ久しぶりじゃんか」
首を回して、後ろに目を向ける。俺におぶられた未来の顔が見えた。
涙痕が残るその頬が、俺の問いかけに対して一度こくりと上下する。
「ごめんね、隆も疲れてるのに」
「いいってそんなの。これでも男なんだし」
未来のしょんぼり声に俺は笑って返してやる。
どうやら泣きすぎて力が入らなくなってしまったらしく、長谷川たちの身体検査を受けたあとぺたんと座り込んでいた未来。
男勢入って良しと許可を貰ってその姿を見た俺に、未来はちょっと申し訳なさげに頼んできたのだ。
――ごめん、隆。お願いしてもいいかな。その……おんぶ。
疲れなんて完全にふっ飛んだよ。頼ってくれんの、嬉しくて。
「隆、なんかバイブ鳴ったよ。携帯」
「んあ、マジで? もう九時回っちゃったし、母さんかもな」
教員も混乱してただろうに、校長は冷静に現状と安否の知らせを生徒の家族にしてくれたんだそうで。
世紀末先生に言われてメールの受信ボックスを開いたら、父さん母さん両方から心配してますみたいな絵文字と、『待ってる』の一言が届いていた。
もしかしたら再度送ってきたのかもしれない。
「ごめん未来。鞄のポケットに入ってんだ、取ってもらっていいか」
「うん」
未来は返事をしながら俺の腕にかけた鞄に手を突っ込んだ。
「秋月君からだよ」
「秀?」
「うん。ほら」
さっき別れたばかりでなんだろうと思っていると、未来は俺が見えるように携帯を持った腕を回してきた。
表示は確かに秀からのメール。内容は――。
件名:バタバタして聞き忘れちゃったんだけどさ。
土屋って、誰か身近な人亡くしてるの?
無理に聞くような話じゃないのはわかってるから、無視してくれてもいい。ただ、そんな感じのことを言ってたような気がして、気になっただけだから。
「……誰も、亡くしてないよね?」
未来からの確認の言葉に、俺は「ああ」と返事をする。
「返信しといて。気のせいじゃねーの? って」
後ろで未来が文字を打つ音を聞きながら、俺は放課後すぐの靴箱前で、自分が発した言葉を思い返した。
――生きてくれ秀。もう、これ以上……これ以上大事なやつが死んでいくのは、もう見たくないんだ!!
鮮明に思い出せる、俺が叫んだあの言葉。
俺はまだ、身近な人や大切な人を亡くした経験がない。
なのにあのときの俺は、あたかも誰か失っているような言い方をした。
もちろんクラスメートが目の前で死んだのは事実だし、もう見たくないと思っているのも事実。
でも俺が本当に大事だと思ってる人は、今ここにいる。
ちゃんと生きて、俺のそばにいるんだ。
「そっか。って、返ってきた」
「さんきゅ」
「返信もういい?」
「うん。鞄に突っ込んどいてくれ」
はーい、と返事をしながら未来は携帯を鞄に入れてくれた。
疑問はあるものの、とりあえず今はどうでもいいとも思えた。この場に未来がいる。それだけは何があっても変わりないから。
だから俺は、その確かな存在に溢れんばかりの感謝の気持ちを伝える。
「あのさ、未来。今日ありがとな」
秀と仲直りできたのも、俺がずっと悩んでいた疑問が答えにたどり着いたのも、全部未来のおかげ。
未来がした今日の行動を知っていると言うわけにはいかないから、何に対してのお礼かは伏せたけど、俺が知っていると本人も何となくわかったのだろう。照れたような反応が返ってきた。
「け、けど。ちょっとぐらいは、その……俺も頼ってくれよな? 俺は別に強くねーし、斎や凪さんみたいに心強いこと言ってやれないけどさ。ガキっぽいケンカもするし、頼りないかもしれねーけどさ」
ゴニョゴニョと脈絡なく文句を言って、言って、言い続けていると、我慢できなくなったらしい未来が声に出して笑い始めた。
軽く睨んでやるべく後ろに顔を向けながら、俺は最後の文句を言い放つ。
「んだよ。笑うなバカ」
「へへ、ごめん。でもね」
耳が、未来の温かい頬に一瞬触れた。
「隆は強いよ。自信を持っていい」
頬が俺の首もとに移動する。
ぎゅっと、後ろから未来に抱きしめられた。
――こいつ、いきなり何を……!
顔が一気に熱くなる。
驚き以上に抱きしめ返したい衝動に駆られるが、どうにか耐えろと自分に言い聞かせた。
だってこいつはただ全身で俺に伝えようとしただけだから。
泣いてちょっと弱ってるだけだから。
だから去れ煩悩! 来たれ平常心!
心臓が破裂する前に、早く。
早く戻れ通常モード。
平常心、平常心、平常心!!
「だあああもう!! 何なんだよその蠢く細長い生き物は!?」
「ひっ!?」
ドキドキを強引に追い払うべく俺は大声を出した。
びくっと未来の体が飛び上がる。声に驚いたのか内容に驚いたのかはわからない。
でも確信した。こいつ、やっぱり何か隠してやがる!
「おんぶしたときからずーっと気になってたんだよ! もぞもぞ、もぞもぞ! 未来以外の何かが俺の背中を這う感触! お前いったい何を連れてんだ!?」
「う、ううん! 何もいないよ!」
「嘘つけ!」
「嘘ちゃう! 何もおらんよ!!」
「嘘じゃねぇか! 関西弁! 思いっきり焦ってんだろ!!」
疑わしい未来を取り調べにかかろうとすると、視界にひょっこり、つぶらな青い瞳のヘビが映りこんだ。
「あーっ!! てめぇ未来! まさかこのヘビ!?」
「わあああごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
全力で謝ってくる未来の腹の前、つまり俺の背中の後ろから顔を出したそのヘビの見た目。
こぢんまりとした牙と、胴体部分には目を凝らさないと見落としそうなほど小さな手と鉤爪。艶やかな鱗を持つ背中には、左右対称に丸い斑点が並んでいる。
間違いない。明治に送り届けたはずの、キクノサワヘビの少女。その原形!
「なんで連れてんだよお前は! 逃がしたのか!?」
「に、逃がしてない! ついてきちゃっただけ! 家族と一緒に行けば良かったのにね、ついてきちゃったんだよ!」
その必死の弁解を手助けしたいのか、ヘビは未来の腹から肩へと滑らかに移動して、未来の顔に頭をすりすりと擦り付ける。
まるで猫が飼い主に甘えに行くかのようなその光景。どこからどう見ても、懐いているとしか言いようがなかった。
「あーもう……どうすんだよその子。家連れて帰んのか? そりゃ形はほぼ元に戻ってるけどさ、存在できてるってことはある程度力が残ってんだろ?」
「うん、そうだね。でも家族の魂が出て行っちゃってるから、前みたいに危険な力はもうないんだよ。だからさ、家で育てたいなーと思って」
「ああ、なるほどね。そういう理由ならまあ、俺も賛せ……なんて?」
何かおかしな言葉を聞いたような気がして、もう一度言ってもらおうと俺は未来に聞き返した。
「えっと、危険な力はもうないの。ほら、牙もこんなに小さいし」
「うん、それはおっけー。理解した。じゃなくて、そのあと」
「そのあと? ……育てたいなと思って?」
育てたいなと思って。
うん、聞き間違いじゃなかった。良かった。
育てたいなと思って。
そだてたいなとおもって。
――ソダテタイナト、オモッ……?
「はああああ!?」
俺の反応、多分正しいと思う。
だって死人を育てるなんて見たことも聞いたこともない。おそらく人類史上初の試みだ。
それが俺の家で行われる?
研究所じゃなくて?
通常の家庭で?
一般人がいるあの家で!?
「無理! 無茶、無謀! できるわけねぇだろそんなの!!」
「で、でもこの子なんにも悪いことしてないもん! ご飯もいらないし寝床だってキューブがあるもん、特に改めて何かする必要はないんだから別にいいでしょ!?」
「そりゃ俺と未来だけならの話だ! 俺とお前の二人で住んでるなら俺だって快く歓迎してやるよ!! けど母さんや父さんは!? 死人と一緒に暮らすなんてマダーでもない人からしたらどんなに怖いかっ」
「おーい何を言い争ってるの我が子たちよ。ご近所迷惑だぞー?」
ガチャッと扉が開く音とともに、母さんが玄関から顔を出した。気付かぬうちに家の前まで帰ってきていたらしく、「おかえり」と笑顔を向けられる。
少し屈んで未来を下ろしながら事情を説明すると、母さんはなぜかきょとんとした顔になった。
「別にいいよ? 母さんたちは」
……へ?
「は、か、母さんまで何をっ……」
「だーって二人がいてくれるんだよ? もしもなんて絶対起こりっこないじゃない! ねー! お父さん!」
二階にいるらしい父さんに説明なしで同意を求めた母さんは、「何よりっ」と未来の頭の上にいるヘビに手を近付けながら、ニカッと笑って言った。
「可愛いじゃないの!!」
ああ、だめだ。普通のペット感覚なんだ。
でもヘビだってまんざらでもないらしい。少しだけ戸惑うような仕草を見せたのち、未来同様に頭をその手へ擦り付けた。
「ほらね? だから大丈夫よ隆。未来のお友だちなんだもの、一緒に暮らしていこうじゃないの!」
母さんの許可が得られたからなのか、未来の目がパッと輝いた。それこそ、美味い物を食べたときみたいに。
「大丈夫、おいたが過ぎるようならすぐに消すから!」
びくっと、消される可能性があると感じたらしいヘビが体を硬直させる。
慌てて未来が「いい子だから今はしないよ」と付け足すが、それでもまだおどおどするヘビは助けを求めるように俺へちらっと視線を寄せた。
次いで未来もこちらに目を向ける。
最後に母さんが親指を立てたグッドマークを作って、「おかず温めてくるよ」と中へ入っていった。
この場にはいないけど、父さんは母さんの決定に基本口を出さない。つまりこのヘビを拒まない。
反対派がいないこの家で、俺に拒否権などあるはずもなく。
「ああもう、わかったよ!!」
ヤケクソになって、乱暴に頭を掻きむしった。
「未来、約束しろ。まずその子から絶対に目を離さないこと。名前を考えてやること。あと、ほかの悪い死人と間違えられないように何か飾りをつけてあげること! いいな?」
約束というか条件のようなものを一方的に未来へ叩きつけ、俺は先に玄関をくぐる。
「ありがとう。隆」
未来の小さなお礼の声が聞こえて、「別に」とそっけなく返してやろうと思った俺はくるりと振り向いた。
「……あ」
花が、咲いているのかと錯覚した。
腕に乗せたヘビを見る未来の表情が、あまりにも柔らかくて。
桃色に染まった頬と潤った青い瞳のコントラストがとてつもなく綺麗で。
今までに見たことがないほど幸せそうなその笑顔から、俺はしばらく目が離せなかった。
【第六十五回 豆知識の彼女】
隆一郎は照れ屋さん。
第一章、これにて完結です。
ここまで読んでくださった皆様。
心から感謝いたします。ありがとうございます!
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