第六十四話 下校前
前回、凪と司令官のお話でした。
拝啓、弥重凪様。
先ほどあなたに頼まれた、未来といつもどおりに接するという件ですが、その前に俺は大きな問題を解決せねばならないようです。
いったい何が起きているのか簡単に説明します。
電話のあととりあえず体育館に戻ったのですが、そこではなんだか激しい言い争いが繰り広げられていたのです。
先生方は学校が戦場になったせいで、報告やらなんやらがあって職員室に戻っていて、止める大人もいないんですね。
そんなわけで、俺は今、とてもとてもびくびくしているのです。
俺の背中にピッタリ張り付いて隠れやがった男一人と、切羽詰まったようにゲシゲシと蹴り、殴りをする女二人に挟まれて。
「そこどいて、つっちー! アタシにはそいつの口から『阿部』の二文字を引き出すっていう、ちょー重要な役割があるんだから!」
「いでっ!!」
「そうだよ土屋君! 凛ちゃんだけ呼び捨てにしてもらうなんてズルいっ! 私も秋月君に呼び捨てにしてもらいたいのに!」
「いたっ、た!」
「言ってない、僕は言おうとしてない! あれは驚いてつい出ちゃっただけの不可抗力っ!」
「ほらああああっ! やっぱり呼んだんじゃないのぉおおおっ!!」
「いっ、阿部っ、いた、いてぇって!!」
何か言うたびに足を出す長谷川と手を出す阿部。
長谷川はともかくとして、阿部。こいつ思ったよりも力が強い。
叩かれたところが赤くなりそうなぐらい強い。
しかも寝起きなんだろこいつ。
愛か? 秀への大きすぎる愛のせいなのか?
「だからさっきから言ってるでしょう!? 長谷川さんを呼び捨てにしちゃったのは、幽霊だと思ってた長谷川さんが実在してたから驚いてさん付けするのを忘れただけだって!」
「誰が幽霊よ、このおたんこなす! さっきはそんな言い方してなかったでしょうが!」
「どっちでもいいよぉ!! とにかく秋月君は凛ちゃんを呼び捨てにした! 私もしてほしい!!」
堂々巡り。バシバシバシ、ゲシゲシゲシ。
「だああああもう! 一回ぐらい呼んでやれよ秀、これ以上俺が守ってやるのも限界があるわ!!」
グイッ、からのポイ!
痛いし同じ言い合いばっかだしで面倒になった俺は、ついに後ろの秀を強引に引っ張り出して力任せに放り投げた。ひょろっこい体はいとも簡単にふっ飛んで、阿部の目の前を通過して遠いところで尻から着地する。
「いった、何するんだよ土屋!」
「知るか! 俺に隠れてねぇでとっとと言っちまえっつってんだよ!!」
つまり長谷川と俺が仲介に入るから面倒になってんだろ? だったら阿部も秀に向けて送り込んでやればいいんだ。
その役目はきちんと俺がやってやる。
だからその不毛な争いさっさと終わらせてこい、このバカ夫婦!!
「わわわっ!?」
体の正面を秀に向けさせ、俺はほんのちょっと力を込めて阿部の背中を押し飛ばした。今回はぶん投げてない。
だけど急に秀の目の前に立たされた阿部は、近かったからだろうか。顔をりんごの如く真っ赤に染めて、意味を持たない「あ……あ……」といった小さな声を漏らすばかり。
そして最後には、発火。
「やっぱり無理ぃいいいいっ」
「おぉい加奈っち! 千載一遇のチャンスだよ!?」
長谷川が止めるのも聞かず奇声を上げながらその場から逃げ出した阿部は、体育館の出入口へと直行。「あの暴走癖なんとかしねーとな」と俺が誰に言うでもなく呟いたその瞬間。
「あうっ」
ドンッと衝突の音とともに、出ていったはずの阿部の体が館内に跳ね返ってくる。
「わっ! ごっ、ごめんね加奈子ちゃん。大丈夫?」
阿部を心配する慌てた声を聞いて、ぶつかった主が誰かわかった俺は扉の向こうに目を向けた。
「あっ、未来ちゃん! やっと帰ってきた、みんな心配してたんだよ〜」
大丈夫だと体現するようにすっくと立ち上がった阿部は、そこにいる申し訳なさそうな顔をした未来の手を取って、体育館の中に引き入れた。
阿部だけが尻もちをついたのを見るに、恐らく中に入ろうかどうしようかと悩んで突っ立っていたんだろう。
心の準備ができていないまま連れ込まれた未来は、俺たちの視線を受けてモジモジと身をよじる。
目の充血は引いたらしいけど、腫れはまだ若干残っていた。それを隠すためか俯いていた未来は、つと顔を上げ、俺たち一人一人に目を向ける。
普段に比べ少しふっくらとした唇が、小さく動いた。
「みんな……ごめんなさいっ!」
「へっ!?」
腰を九十度に折っていきなり謝ってきた未来に、俺たちは揃って困惑の声を上げる。
何がと言いながら長谷川が未来の頬に手を添えて顔を上げさせると、その目からボロボロと大粒の涙が溢れ出てきた。
「わああ!? 未来ちゃんどうしたの泣かないでぇえええっっ」
「ごめ、なさっ……ごめっ……」
「なんで未来ちーが謝んのよー!? ってか、何この焦げっぽいにおい、大丈夫?」
怪我はないらしいと未来との電話のあとでみんなに伝えてはいたが、俺が何度もやってしまった炎の攻撃による焦げのにおいまでは消せなかったみたいだ。
そのせいでどこか火傷しているんじゃないかと心配になった長谷川は、未来の身ぐるみを剥ごうとする。
しかしぴたりと急に手の動きが止まって、
「男衆、出てけ!」
ゲシッとまた容赦のない蹴りが入り、俺と秀は追い出された。バンッと大きな音を立てて扉を閉められる。
「あたた……。出てけは当然だけどさ。乱暴すぎやしねぇか、あいつ」
足がめり込んだ腰をさすりながら秀に同意を求めると、すぐそばから「ぶはっ」とよく知る噴き出した音が聞こえてきた。
「なに笑ってんだよ斎」
不服を言葉に乗せつつ声のほうを見てみれば、ポケットに手を突っ込んだ斎が壁に背を預けた状態で笑っていた。
「いやっ、さっきの土屋だってそれなりに乱暴だったけどなーと思ってさ。なあ、秀?」
「いつきぃ……」
どうやら成り行きを見られていたらしい。
斎の姿に安心したのだろう秀は、よろよろと歩み寄ってその肩にもたれかかった。長谷川も阿部も怖いと。もっと早く帰ってきてほしかったと。
いつものクールぶりはどこへやら、かなりメンタルを串刺しにされていたようだ。
「おーおー、よく頑張ったな秀。えらいぞ」
背中をぽんぽんとリズミカルに叩いて斎は秀を慰める。
なんだろうな、この溢れ出るお父さん感。
「土屋。相沢さんな、電話で言ってたとおり怪我はしてないみたい。というか技で治したって言うほうが正しいかな」
秀への対応はそのままに、斎は未来の体の状態を教えてくれた。
負った怪我は全て、ノコギリソウの花言葉『治癒』によって完治していると。何度も使っているうちに精度が上がって、阿部の【痛み無し】と同じぐらい早く治せるようになって驚いていたんだとか。
「そっか……良かった。ありがとな、斎」
「なんもしてねーよ。捜しに行っただけだし」
「いや、マジで。未来の気持ちわかってくれて、受け入れてくれてさ。本当、斎ってすげぇよなってさっきからずっと尊敬しっぱなしで……」
そこまで言った俺は、ハッとして自分の口を両手で押さえた。
でも斎のきょとんとした顔を見て、悟る。遅かったと。
「……俺、まだ怪我の話しかしてないと思うんだけど」
言い訳。言い訳を考えろ俺。この状況を打開できる何かいい言い訳を。
「つーちーやーくん? ちょーっと二人で話そうか」
にっこり。普段のニカッて感じの笑みじゃなくて、にっこりって表現がしっくりくるその表情を見て、俺は諦めた。
秀に少し待ってるように言った斎はカタカタと震える俺に再度にっこにこ顔を向け、猫の首根っこを掴むように、俺を体育館の裏側へと引きずり込んだのだった。
【第六十四回 豆知識の彼女】
隆は嘘をつくのが苦手。
何も考えずに喋るとぽろっと話に出ちゃいます。ふふ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 染まる桃色、青の花》
第一章最終話です。
よろしくお願いいたします。