第六十話 答え合わせ
前回、斎は未来を見つけました。
そのまま、無言の時間が過ぎていった。
何を喋るでもなく、ただただ二人揃って暗い空を見上げていた。
言うべきか、言わざるべきか。
知らないフリをするべきか、はっきりとさせるべきか。
だけどそろそろ決めなければと斎が頭を抱え始めたころ、呼吸を落ち着けた未来が話の口火を切った。
「どうして怒らないの」
不意をつかれた斎はびくりと肩を跳ねさせる。
驚いた表情のまま首を九十度横に回して未来を見ると、彼女は体の正面を斎に向けて正座をしていた。
覚悟を決めたような、とても鋭い瞳を持って。
「わかってるよ。谷川君が、全部知ってて何も言わないの。谷川君勘がいいんだもん。今日の件だって気付かないわけないもんね」
確信のある言い方をする未来を前にして、斎はもう逃げられないと瞬時に悟った。
足の上に置いていた拳をぐっと握りしめ、彼女と向かい合わせになるよう座り直す。
そして、全てを話す覚悟を決めた。
これから自分がする問いかけの答え次第では、もしかしたらもう友だちでいられなくなるかもしれない。そうわかっているために、斎は敢えて低い声で未来に告げた。
「怒ってたよ。ちょっと前まではね」
未来の機微を窺いながら、斎は冷めた表情と熱のこもらない話し方で語り出す。
「俺の大事な幼なじみで、親友で、研究の良きパートナーだから。俺が血まみれになった秀を見つけて駆け寄ったあのとき、あの瞬間に理解したよ。やったのは、相沢さんだって」
秀に怪我を負わせたヘビの死人。あれは君だったんだろう? と斎が指摘すると、未来はやっぱりというように口角を上げた。
「早いね。そんなにすぐバレてたの?」
「終礼のあと、二人を追いかけるように出ていったからね。そのときは単にいつも通り土屋と帰りたいんだろうなって微笑ましくも思ってたんだけど……。実際行ってみたら、いないんだもん、相沢さん。それにね」
一度言葉を切り、酸素を取り込んだ斎はさらなる理由を提示する。
「研究の関係で知ってたんだ。日が出てる時間に生まれた死人は動きが鈍いって話。だからイレギュラーで時々昼間に出てくる場合があっても、その理を知らない雑魚ばっかりだっていうのもね」
「マダーでもないヤツがこんなふうに言っちゃいけないけど」と付け加えながら、応対の変わらない未来を斎は見続ける。
「あまりにも出来すぎだと思ったんだよ。人型で、目は青くて、自由に能力を扱える。哀しい気持ちから命を宿らせて、殺人に快楽を覚え、命を奪う行為に悦びを感じる。凄まじい身体能力で人間を攪乱させ、この世のものとは思えない奇怪な声を上げる」
死人の特徴を淡々と上げた斎は一呼吸置いた。
「そんな、どうやっても死人にしか見えないだろう生き物が、昼間に。しかもゴミ箱じゃなくて学校で、最初に手をかけるのが秀。それでいて最初から最後まで殺しにかかっていたのは、秀と、土屋だけ」
「……確かに、言われてみれば出来すぎだったかもしれないね。でも考えすぎだって思わなかった? 死人たちはまだまだ謎の多い生き物だよ。新種が出たのかもしれない、そうは思わなかった?」
「思った。でも奴らの力を扱えるらしい相沢さんならできるだろうから、疑いは晴れなかった。それに、電話で言ってた大男二人についてもそう。あれは秀と土屋のことでしょ? アリバイなんてしっかり考えてなかったから、とっさに戦ってたときの印象が出ちゃったんだよね」
印象の部分を強調し、少女の姿だった未来の身長を「これぐらいだったかな?」と手で示した斎は、口の端をわずかに上げてみせた。
真っ直ぐ向けられていたはずの未来の目が一瞬、揺らぐ。
「最初はもちろん怒ってたよ。なんでって。でも落ち着いて見てたら、全部二人のためかもしれないって思えてきたんだ。喧嘩してどうにもならないあいつらを仲直りさせて、チームとしても上手くやっていけるように、わざと二人で戦わなければならない機会を作ったんじゃないかとね」
ここから、君は傷ついた顔をするのだろう。
自分はそうさせてしまうんだろう。
そんな確信を持ちながら、斎は深部に踏み込んだ。
「算段が狂ったのは、長谷川と阿部がすぐに来られないよう校舎を先に破壊しておいたにも関わらず、思いのほかみんなを避難させるのが早くてすぐに応援に駆け付けてきたこと。阿部のパワーアップはまだ良いにしても、戦うのは二人だけじゃないと意味がない。だから折を見て長谷川だけは追い出した。あいつらの意欲の着火剤になってもらうために、タイミングを見計らって、なおかつ殺されたと思うような残酷なやり方でね」
怪我をさせるわけにはいかない。ならばどうすれば死んだように見せられるか大いに考えた結果、消化という見えない殺し方を選んだ。
信憑性を高めるために、取れてしまった凛子のシュシュはわざとヘビの中に残ったままにして。
そう改めて説明しなくとも、未来の表情には若干の陰りが見えた。
「チームで協力できないマダーはすぐに死ぬ。だから死ぬかもしれない極限まで追い込んで、無理やり成長を促した。自分の力がどれくらいなのか把握している人なら、そんな悪魔みたいな方法が使えるからね」
張り詰めた空気の中、斎は自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえたような気がした。
「これが、俺が考えた君の行動の真実。心の底からあいつらを思ってくれているから。本当なら、今せっかく楽しく過ごせてるこの関係をなくしたくはないだろう。きっとこんな危ない橋を渡るような行為はしたくなかったはず。……だから信じたいんだ。相沢さんのこと」
冷淡だった声に感情を乗せる。
願うように。確かめるように。
真偽を知るために、斎は泣きそうになりながら彼女が傷つく言葉を浴びせた。
「相沢未来さん。君は、死人ではないんだよね?」
疑われた未来は目を大きく見開いた。
斎を見ていた麗しい碧眼に、瞬きが増える。
「マダーとしてそうしたのならそれでいいんだ。二人を殺そうとしていたのが、相沢未来だと知られたくなかった。それだけなら。……だけど」
斎は唇を噛んだ。
「だけど……もしかしたら。たった〇・〇一パーセントでもその可能性があるうちは、俺は君を心の底から信用してあげられない。だから、言って? 人間だって。死人なんかじゃないって。転校してきたあの日と同じようにっ、生まれつき碧眼で、正真正銘人間だって!」
強く願った。
「応えて、俺の気持ちに! 俺は……俺は君を信じたい。だからっ」
「そうだよ」
願いをはね除ける彼女の口から出た回答に、斎は続けたかった言葉を飲み込んだ。
「私は、死人だよ。人を殺すのが何よりもだぁーいすきな……ね」
青い瞳を携えた美しい顔は、妖艶な声色でねっとりと言いながら不気味に笑った。
「谷川君の大事な人、殺せなかったなあ。でも血がぶぁーって出てすごーく綺麗だった……。あともう一歩だったのにねぇ、隆に邪魔されちゃって。なら隆も殺しちゃえばいっかーって思ったんだよね」
可笑しくもないのにクスクスと笑う未来は、斎の頬に冷たい手を添える。
「学校もほら……思い出して? あんなにぐちゃぐちゃにしちゃってさ。校舎を破壊すれば抵抗する術のない一般人を大量虐殺できると思ってたのに……案外人がいなかったから実際は誰も殺せなかったんだよねぇ。あれは残念だったなあー」
光景を思い出させながら、未来はゆっくりと話し続けた。
「でもみんなが来て、頑張ってくれて……つい楽しくなっちゃってさあ。すっごく気分が良かった。凛ちゃんがいなくなってからも二人が協力して頑張って、最終的に私がやられちゃうんだもん。びっくりしたよぉ。学校、壊滅させてやろうと思ってたのにさ。結局私、なーんにもできなかったんだあ」
未来は斎の頬から手を離して立ち上がる。
「それで? 騒動の原因は私だって突き止めて、あなたはどうしたいの? 周りの人たちと同じようにバケモノって罵るのかな? それとも二度とこんな事件を起こさないように今この場で私を殺しておく?」
キューブを展開して木の短剣を作り出した未来は、斎の前に投げ捨てた。
斎は目の前にある武器に視線を移す。しかし手には取らないでいると、未来は煽るようにセリフを足した。
「いいよぉ私は、どちらでも。バレてしまった以上どうせこの学校にはもういられないし、好きにしてくれたらいい。あなたの気が済むほうを選んでよ。ほら、どうぞ? 私は逃げも隠れもしないからさ」
斎は短剣をしばらく見つめていた。
数分が経ってから口を小さく開いた。腕を少し広げてずっと待っている未来を、緩やかな動作で睨め上げて。
「演技が上手だね。本当に」
目を潤ませながら発した言葉に、未来の手がぴくりと反応した。
「演技? ちがうよ、私は――」
「だったらどうして泣いてるの……?」
言葉を紡ぐたび笑顔を貼り付けていた未来へ、斎は反論を制し震える声で言葉を返した。
沢山溢れ出る大きな粒を指摘され、やっと自分が泣いていることに気が付いた未来は慌てて目を擦る。手についた透明の液体に彼女は驚きを、いや、戸惑いを隠せなかった。
「なんで……」
「ねぇ相沢さん。頑張るのはもうやめよう?」
かすれ声で諭しながら、斎は立ち上がり未来の濡れた手を取った。
「わかってるんだよ。君はめちゃくちゃな行動をしたように見せかけて、実際はとても繊細に動いていた。秀を殺そうとなんてしてない。だって、土屋が完治薬を持っているかどうか君は確認していただろ?」
隆一郎と秀が口論になってしまった昼休み。ご飯中の何気ない会話の中で、未来はこっそりと探りを入れていた。
液体の薬を買ったのかという問いに対し持ち歩いてると答えた隆一郎とのやり取りを、斎は世紀末先生と話しながら聞いていたのだ。席に戻ったあと、みんなの会話にすんなりと参加するために。
「でも万が一に備えて、秀への攻撃だって危なくないようにしてた。急所が絶対に当たらないような絶妙な角度、深さ。あと……朝顔の種が落ちてたよ」
脱力した秀の近くにあった、見知った一つの種。
秀の生還を祈っていた隆一郎は気がつかなかったらしいが、斎は惨い傷口を見てよろめいた際にそれを視認した。
「あれって、もしも土屋の気が動転して薬を使えなかった場合の予防線でしょ? 土屋が意思のない状態で受けたあの体育の時間みたいに、何が起きても薬を使えるようにしてたんだよね」
未来の顔に、焦りが見え始める。
「土屋も殺そうとしていたなら、どうしてマテリアルにぶつけなかったの? キューブの恩恵があってもマテリアルに穴をあけるほどの力でやれば、いくつも内臓破裂を起こして確実に殺せるのに。わざわざ相沢さん自ら穴をあけて、土屋がやったと信じ込ませるために前からも背中側からも同時に攻撃して。それって……死なせないための配慮じゃないの?」
掴んでいる冷たい小さな手が、震え始めた。
「学校を壊したのだって、事の重大さにいち早く気付かせるためでしょ? 一般の生徒を巻き込まないように、わざと誰もいないところだけ大きく破壊した。だから長谷川たちもみんなを無事に避難させられた」
やめて。小さな声が聞こえる。
「だけど君の思ってもみないことがあったとすれば、何も考えずにいたクラスメートを巻き込んでしまった点。でもあれだって、怪我をさせたフリだ」
やめて。また声が聞こえる。
「衝撃で吹き飛ばして、少し激しくコケたようなもの。ほかのみんなは騙せたみたいだけど、俺は薬を塗ろうとしてかなり近くで見たからわかったよ? あの赤い色は、血糊だった。植物から抽出して作り出せるから、大怪我したように見せるのなんて相沢さんにとっては簡単でしょ?」
「やめて……」
「つまり君がしていたのは、全部」
「言わないで!!」
斎の言葉を遮る悲鳴に似た声。ガタガタと大きく震える手は、腕を伝って、体ごと震わせていた。
「言わないで。もう、それ以上は……」
斎を見ていた目は地面へ視線を移す。
ポタポタと丸い液体が落ちて地の色を変えていく。
斎は未来の手を、ギュッと力を込めて握った。
未来は手から逃れようとする。しかし斎は放さない。ここで放したら、この子はきっと壊れてしまう。そうわかっていたから。
「大丈夫」
斎は自分でも驚くほど優しい声色で告げる。
そして、ハッキリと言い切った。
「相沢さん。君がしていたのは全部、死人らしくするための演技だよ」
青い目に沢山溜まった透明な粒が、耐えられなくなってまたボロボロと零れ落ちる。
止まらない涙は斎を理解へと導いた。
未来は、周りから浴びせられる暴言暴力に耐えるために、自分は化け物と罵られる存在であると自ら言い聞かせていたのだと。
自分は化け物なのだから。化け物は化け物らしくしていないといけないのだと。
そんな考えのまま今まで生きてきた彼女には、喧嘩をした友だちに向き合う方法などわからない。声のかけ方もわからない。慰めや助言の言葉なんて出てこない。
そんな中で見つけられた手段といえば、己が持つ強大で特殊な力を最大限に利用することだけ。
死人の力を使えばきっと上手くいく。仲直りも、チームとしてのこれからだってきっと。
ならば全力で敵のフリをしよう。
自分は死人だと彼らを信じ込ませてしまおう。
疑いようもないほど不快な化け物になり切ってみせるよ。
しかしそんな思いとは裏腹に、後悔の念が渦巻いた。
友だちに牙を剥いた時点でもう心はボロボロだったのに、斎に対しても死人を装い『罵る』か『殺す』の二択を迫ったのは、彼女なりの懺悔。
怪我をさせ、学校を壊し、皆を恐怖に陥れた。
どんな理由があったとしても決して許される行為ではない。自分は処罰を受けるべきだという反省の表れだったのだ。
――難しすぎるよ。
未来の心情を整理して必死に考え思考に寄り添おうとした斎は、そう心の中で呟いた。
「意地悪な聞き方をした。ごめんね」
「……ダメだよ、優しい言葉なんてかけちゃ。私は、人間でないモノとして、ひとりで生きていかないといけないんだから」
「誰がそう決めたの? 今までに会ってきた人たち? それとも自分? どうしてそう思うの?」
涙を流す彼女は、それらの問いには答えなかった。
化け物。そう言われ続けてきたらこう思うようになるのかもしれない。この先は斎でもわかってあげられない。
悪意に塗れた世界で生きてきた、彼女にしかわからない深い闇であるために。
「土屋がいるでしょ」
その言葉の鎖を、斎は解いてやりたかった。
「長谷川と、阿部がいるでしょ?」
人間なのに、自分から化け物だと思い込んで生きていくなんて悲しすぎると。
「俺も、秀も。みんなそばにいるよ」
友だちの顔を思い出させながら、斎は無意識に未来を抱きしめた。
誰より傷ついて、悪意に心を蝕まれて生きてきて。
自分自身ではわからないぐらい、壊れる寸前まできているのだと知ってしまったから。
だから斎は、柔和な声で優しく未来に告げた。
「もうひとりじゃないんだよ」
これ以上彼女が孤独の闇に落ちていかないように、そばにいてあげたい。そんな思いを募らせながら。
しばらくだんまりを続けていた未来は、声を詰まらせて泣き始めた。
震える手がゆっくりと斎の背中へ回される。
怯えながら。恐れながら。
邪険にされるのを怖がる子どものように。
「相沢さん。もう一回聞くよ」
もう、頑張って答えないでね。
そう願いながら、彼女を信じる斎は今一度問う。
「君は、死人?」
「……がう」
押し出すような声に伴って、肩が、揺れる。
「ち、がう。違う。私は、うあ、私は、人間です……っああ……うあ、うああああ……っ!」
腕の中にいる彼女は、タガが外れたように大きな声でわんわんと泣いた。
「そうだね。君は人間だ。忘れないで」
泣き叫ぶ彼女の頭を、斎はゆっくりと撫でた。
「なんで、なんで責めてくれないの? こわい、こわいよぉ……」
「うん……こわいね」
心底が流れ込む。
未来には、愛情も、優しさも、温かさも足りていない。
飛び交う悪意の中で生きてきた彼女は、いつの間にかその悪意に安心するようになってしまっていた。
鬱憤の吐き出し口として、一切抵抗しない都合のいいサンドバッグを演じていれば、異端であっても周りは自分を受け入れてくれるから。
それが唯一自分にある価値なのだと知って、つらさを忘れるために自分は化け物なんだと言い聞かせ、耐えて、受け入れて、必死に居場所を作り続けてきた。
だから今の幸せが怖い。友だちがいるのが怖い。仲間がいるのが怖い。優しさが怖い。守りたい絆が増えたのが怖い。仲違いして戻れなくなるのが怖い。孤独に戻るのが怖い。
皆と同じように関われない自分が。
悪意を欲する自分が。
二人のためと行動した根底に、自分へ安心を届ける思惑があったのではないかと。
未来は心のどこかで、そう疑っている。
彼女が責めてと願うのは、悪意という名の安心が欲しいから。今までとは正反対の優しい世界に、心の底から怯えているのだと。
未来自身も気付いていないその全てを理解して、斎は目を閉じた。
「大丈夫」
今まで以上に強く、抱きしめる。
「その『こわい』は、相沢さんが前に進んだ『証拠』だ」
体を引き寄せる。
人の温もりが、少しでも多く感じられるように。
「だから怯えないで。ひとりじゃないことも、誰かとともに生きていくことも」
この国が持っている本来の優しさを、斎は知ってほしかった。そして、覚えていてほしかった。
君はもっと愛されるべき人間であると。
もっともっと、大事にされるべきなんだと。
「怖がらないで。大丈夫だから」
泣きじゃくる彼女に、斎は何をどれだけ伝えられたかはわからなかった。
もしかしたら言葉の一つも届いていないかもしれない。温もりなんて感じられていないかもしれない。
それでも沢山言葉をかけた。
めいっぱい力を込めて抱きしめ続けた。
孤独でいる必要なんてない。そう伝えるために。
それだけ伝えられたなら、自分が話した内容など全部忘れてもらって構わない。聞かなかったフリをしてもらっても構わない。
もうひとりぼっちではないのだと知ってほしい一心で、斎はずっとそうしていた。
溢れ出る大粒の涙が、枯れ果てて尽きるまで。
斎は精一杯、未来の心に寄り添い続けた。
【第六十回 豆知識の彼女】
死人の力が扱える理由はまだ判明していない。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 情報の炎》
隆一郎の炎は優秀です。
よろしくお願いいたします。