第五十三話 俺の答えは⑧
前回、一人で頑張っていた秀が水で流されそうになったところ、誰かにガッシリと支えられ校舎内へと避難しました。
「おっそい!! ふつう戦闘経験ほとんどないやつを十分以上ひとりにする!? ねぇ!」
「わ、わるかったって! んな怒んなよ、初心者らしからぬ動きするくせしてっ」
「動きの問題じゃない、心の問題だよっ!」
「本当、ありえない!」と秀は眉間にシワを寄せてそっぽを向いた。
倒しても倒してもどこから湧いてくるんだってほどのヘビの大群を討伐しながら走り続け、やっとこさ合流して攻撃できたと思えば洗濯機に入れられた服みたいになってる秀を見つけて。やばいと思って助けたら今度は怒涛のお叱りタイム。
悲しい。いや、秀の言うとおり置き去りにしてしまった俺が悪いですごめんなさい。
「とか言いつつ、なかなかいい勝負してたんだろ。随分と楽しそうだったじゃねぇか」
「どこが。僕は微塵も楽しくなかったよ。ていうかなんで知ってるの? 僕の通信機壊れてたと思うんだけど」
「俺も壊れたと思ってたんだけどさ。体育館の中にいる間は砂嵐の音で全然聞こえなかったのに、外に出た瞬間すっげークリアになったんだよ。電波の関係だわ、あれ。要改善案件。哲郎博士に言って、超強化マテリアルでも外部と連絡取れるようにしてもらわねーと」
マテリアルの創造者、谷川哲郎博士。斎の父に当たるその人と俺は関わりがないから、斎に言って話を通してもらうぐらいしかできないけど。
とにかく戦況は耳で知れたからあんまり心配はしてなかったよと伝えると、不服そうではあったが秀はそれ以上何も言わず、代わりに一つため息をついた。
「……斎と阿部さんは、大丈夫そう?」
濡れて張り付いた前髪を掻き上げながら、秀は二人の心配を口にする。言うまでもない、長谷川がやられた瞬間を目の当たりにしてしまった二人の精神状態についてだ。
「斎は案外平気そうだった、明るかったよ。けど阿部は……多分、大丈夫じゃない。泣いてた」
「そう……」
秀は目を伏せる。
いつもと変わりないように見せているが、内心では色んな思いが渦巻いているんだろう。
もしくは今の俺と同じように、この事態をどうにかしなければという考えが、友だちを失った悲しみよりも先に出てくるのかもしれない。
エイコやナツの死を目の前で見た長谷川が、その瞬間は精神を乱されてもすぐに『マダー』として動いたのを思い出す。
未来のキューブを取りに帰り、討伐して、全てを終わらせてから彼女らの遺体に向き合った。あのときの長谷川と同様に、今はその気持ちを無意識に抑え込んでいるのかもしれなかった。
……あのときのあいつの気持ちが、当事者になって初めてわかるなんて。
皮肉にもほどがある。
自分で自分を殴りたくなった。
「けど、頑張るって言ってくれた。これのために」
思考を過去から現在へ戻すため、強めに言った。
作業が終わったらしい斎に渡された物をポケットから取り出して、秀に見せる。
「なに? それ」
色は真っ赤で、俺たちが使っている両手でやっと覆える大きさのキューブと比べると、その半分ぐらいのサイズしかない小さな立方体。
あっと反応するかと思いきや、意外にも秀は不思議そうな顔をしてひょいと手に取った。
「斎が最近作った新しいキューブだって。二つで一セットになってるらしいんだけど、もしかして秀も知らなかったか?」
「うん、全く。色々見せてはもらってたけどこんなに小さいものは初めて見る」
「そっか。試作段階だって言ってたから、しっかり完成してから教えるつもりだったのかもな。二人までっていう人数制限の壁が越えられなくて、まだまだ改善の余地があるんだとよ」
激流の音が階段側から聞こえてきた。水が校舎内に浸入し始めたらしい。
「時間ねーから手短に説明するぞ。このキューブから半径五百メートルの範囲内なら、これの対を持ってるマダーの力の恩恵全てが常時受けられる。もう片方のキューブは阿部に持たせてきた」
水が俺の視界に入り込む。
波は教室を荒らしていく。
窓が割れて椅子も机も投げ出される。
自分の右腕をちらりと見た秀は、汚れてはいるが傷一つない白い肌を「へぇ」と興味深そうに手でなぞった。
「つまり阿部さんがここにいなくてもわざわざお願いしなくても、僕らの身体能力は上がったままだし怪我もすぐに治る。僕のさっきまであった怪我が、今はないように」
「ご名答。さすが、理解が早い」
「だからどんな危険も大怪我も心配しなくていい。……なるほど。無敵ってやつだね?」
詳細を言わずともわかってくれた秀に俺は「そういうこった」と同意しながらニヤリと笑い、手を開いて差し出した。
「こんな機会滅多にねーからな。暴れようぜ?」
「……楽しそうだね」
挑発的な声の返答。秀は俺の手の平を軽く叩き賛同の意をあらわにする。
襲い来る大きな波に体を預けるようにして二人揃って巻き込まれ、赤いキューブによって再度阿部の【泳者】が自動的に付与された。
『くひひっ、何カ作戦デモ立テテイタカ? デモモウ遅イ! ココハワタシノ場所。水ノ中デオマエタチニ勝チ目ナドナイゾ!!』
嗤う。嗤う。一度逃げた存在は俺たちを殺すために舞い戻る。姿は見せず、水の中で反響する声だけが頭を殴る。
「土屋。あの子はもしかしたら、人間に育てられていたのかもしれない」
「ペットだったってことか?」
「そこまではわからない。でも憎みきっていないような気がするんだよ。だからさ」
【氷盾】を周囲に作り出し、奴からの襲来に備えてくれた秀は、一拍置いてから俺に言った。
「元に戻してあげたい。生前哀しい運命を辿ってしまったのなら、せめて死人としては満足のいくかたちにして終わらせてあげたい。まだ伝えきれていない哀しかったんだって気持ちを、もっときちんと聞いてやりたい。……と、思います」
「なんだよその思いますって」
「いや、甘いって怒られそうだったから……」
自信なさげに目をキョロキョロと動かす秀を、珍しく弱気じゃねーかとつい声に出して笑いそうになった。
「怒らねぇよ。あの死人を思う秀の純粋な気持ちなんだからさ」
けど元に戻すというのは言葉で言うほど簡単じゃない。それはつまり、死人の命を奪わずに、恨みや哀しみ、怒りの魂だけを浄化して、本来の姿に戻りたいと思わせ自ら成仏させるという高難度の戦法。
未来みたいに死人と話して和解できるなら望みもあるが、今の奴が話し合いなんてしてくれるとは到底思えない。
となれば、相手の怒りを鎮めてこちらの声を聞いてもらうところから始めなくてはならなかった。
あるいは――戦う気力を完全に削ぐか。どちらかといえばこちらのほうが現実的かもしれないな。
二つのやり方を秀に提示して選ばせると、やはり可能性が高い後者を選択された。
「否定しないでくれてありがとう」と小さな声が礼を伝えてくる。
「でも上手くできる自信はねーからな。途中で音を上げたりすんなよ」
「当然。土屋こそやっぱ諦めよーぜとか言ったりしないでよ?」
『余裕ダナあ小僧ドモ!』
秀の調子が戻るのを待っていたかのように、どこにいるかもわからない死人、もとい少女はこちらへ大量のヘビを飛ばしてきた。周りにある氷の盾を大きな口が何度も噛む、噛む、噛む。
「とにかくあの子を引っ張り出さなきゃなんねー。こいつら頼んでいいか?」
「わかった。【氷像】、剣山!」
花を生けるために使う針を秀は巨大な氷で再現し、鋭利な先端で群がるヘビたちを串刺しにして消し去った。
その間俺は視界を広く保ちながら前方を注意深く観察する。
水に擬態して隠れている少女の位置を特定するため、次の攻撃に移るべく動くその瞬間を、確実に目で捉えるために。
「――見つけた。【回禄・連】!」
一瞬の水の揺らぎ、泡、声のする方向。微細な情報を頼りに少女の居場所を割り出して、大きめの円形の炎を三重にして覆い、捕まえる。
水に弱い炎が水中戦で不利なのは百も承知。でもこれならいけるはず!
「【プラズマ】!」
重ねて張った炎の中に、雷を起こす。
解釈が正しいかはさておき、火は燃料の酸化から高温になって、電離してプラズマ状態になるとかいうどこかの文面を見て連想したもの。
重ねられた【回禄】の中を雷が何度も跳ね返り、ダメージを与えるとともに少女の擬態を強制的に解除させる。
『小賢しいガキどもっ……!』
「褒め言葉だよね、それ。【凍傷】!」
苦痛の表情で姿を現した少女。彼女の右腕へ秀の氷が張り付いて、局所的に凍傷を引き起こす。鱗の下にある組織を壊死させて、内部から飛ばされてくる捻れの攻撃を封じ込めた。
『懸命ナ判断ダネ。でも誰が、右腕からしか出せないと言ッタ?』
少女はまた死人らしく青い目を見開き口の端を極限まで引き上げた。
「うそっ、まさか左腕からも!?」
――違う。
脳より先に体が動き、俺はとっさに後ろへ飛び退いた。
刹那、重なった。少女の持つ大きな牙と歯が、寸前まで俺がいた場所でガキンッ!! と。
「はったり……。マジで人間に近い行動を取るやつだな」
左腕からは何も出ていない。右腕と同じような鱗が張り巡らされているだけだった。
少女を囲っていたはずの【回禄】には穴があいていた。水の中でスピードを増す性質を利用して、ドリルの如く無理やり突き破り俺に食らいついてきたのだ。
『ふふ……おにーさん、ワタシの最高スピードにまで慣れちゃったんだね。うんっ、うん!! あああっ、凄いねオニイチャン! うんうん!! 凄いねぇええええ』
感激を絶叫で表現する少女の一部の言葉は、無意識に俺の目と口を開かせた。
「秀、頭だ! あのヘビだ!!」
「え!?」
勢い任せに言うだけ言って【火の粉】を起こし、少女と距離をとってから俺は【弓火】を頭のヘビに向け連続で放つ。
『ヤメるのだ!!』
少女は手をカッと開いてヘビを生み出し防壁にした。守りに使われたヘビたちは矢の刺さった状態で無惨に吹き飛んでいく。
遅れて秀の【氷柱】も乱射されるが、こちらもヘビを盾にされ少女自身には当たらない。
「ちょっと、ちゃんと説明して! 喧嘩の原因といい今といい、土屋はいちいち説明不足なんだよ!!」
「わ、わるいっ! あの頭にいるヘビだけが奴の家族でっ、つまりキクノサワヘビの魂なんだ! ほかに出してくるやつは全部模造だ!」
最近俺は謝りすぎじゃないかと思いつつ、慌てて秀に言い直した。「模造?」と秀は一瞬眉を寄せたが、すぐに理解して追撃の用意を始める。
「なるほどね。あの子は自分を『キクノサワヘビのかたまり』だと言っていた。もし死人として確立してるのが本当にヘビの集合体だからであるならば、頭にいる他のヘビを倒してしまえばあの子は一人になる。死人の姿を保てなくなるってわけだ」
「ああ。間接的ではあるが、それであの子は元に戻れるはずだ!」
気にはなっていたのだ。
一人称はずっと『ワタシ』なのに、こちら側の呼び方が変わるのが。年代が変わるのが。声が何重にも聞こえるのが。
少年、お兄さん、若造、小童。
彼女はずっと、自分が単体で生まれた存在ではないと伝え続けていた。敢えて己を倒すための答えを明示させていたのだ。
「ヒントまで出すぐらいだ、人間を憎みきっていないっていうお前の読みは恐らく正しい。だからやってやろうぜ、あの子の本音を聞くためにも!」
【第五十三回 豆知識の彼女】
隆一郎の【プラズマ】は、文字から連想、発想できるものであれば何でも作り出せるキューブの機能が十分に活かされた、『間違ってるかもしれないけど作り出せちゃった物質』である。
谷川哲郎博士については第八話で一度名前が出ていますが、こちらでしっかりと解明。斎のお父さんでした。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 俺の答えは⑨》
加奈子視点、体育館の中の様子です。
よろしくお願いいたします。