第五十二話 俺の答えは⑦
前回、これ以上被害を出さないよう隆一郎は斎と加奈子、怪我をしたクラスメートを体育館へ避難させました。
屋上に取り付けられたフェンスの一部が落ちたらしい。
耳障りな音と振動は未来の体にできた怪我に響き、ズキズキと痛みを増幅させてきた。
――頭、痛い。さすがに一人で複数人の相手はしんどいな……。
じわじわと増えていく怪我。
激しい動きの連続で乱れそうな息。
未来の体力は限界に近かったが、しかし相手に悟られてはならない。
自分の倍ほどの背丈がある真正面の大男に斬撃を加え、気付かれないようボソリと花の名前を呟いた。
「【治癒】」
いくつかあるノコギリソウの花言葉のうちつい最近知った『治癒』を思い浮かべ、癒えるイメージから傷口を塞いでいく。
しかし回復の技を使うのは初めてであったために、思っていたよりも想像が難しく実際は少ししか治せていない。
それでも幾分か痛みがマシになった未来は戦いながらボロボロの校舎を一瞥し、逸る心を抑えて祈った。
――頑張ってよみんな。学校が完全に潰れちゃう前にどうか……勝って。
◇
『クヒヒッ、ドウシタ、ドウシタ! 一人ニナッタ途端ナンダカヘッピリ腰ジャナイカ? ン?』
「くっ! そんなわけ……ないでしょ!」
隆一郎たちの会話を通信機で聞き取ることもままならず、縦横無尽に襲いかかってくる死人の鉤爪を秀は二つの【氷剣】でなんとか捌きながら反撃の隙を窺った。
『マア、見捨テラレタト思エバソウナッテシマウノモ無理ハナイヨネ! モウオニーサンタチ帰ッテ来ナイカモシレナイシ?』
「随分好き勝手言ってくれる……っ! だけど残念だね、帰ってくるよあいつは!」
秀は隆一郎がすぐに戻ってきてくれると心の底から信じていた。しかしあらゆる方向から飛んでくる鋭利な爪はまともに食らえば無事では済まない。そうわかっているからこそ、どうか早く帰ってきてくれと願わずにはいられなかった。
「そっちこそ、ちょっと疲れてきてるんじゃないのッ! さっきから動きが同じだよ!!」
連続で切り付けてくる爪を大きく体をひねってかわし、避けられない分は【氷剣】で受け止める。
『ナッ!』
「【氷像】、ストレリチア!」
物体を氷で形成する【氷像】を使い、鳥のクチバシに似た花を作り出して、槍のような鋭い一撃を放った。
死人化した隆一郎との戦いで未来が見せたストレリチア。そこから得たインスピレーションによる攻撃は死人の右の腹に直撃し、丸く穴を開ける。
『うあ……!』
痛みに顔を顰めた死人は傷口を両腕で押さえよろめいた。
そこで追い打ちをかけていれば勝てたかもしれなかった。しかし秀は次へ繋げられず、むしろ動きを完全にストップさせてしまった。
死人にはあるはずがないモノ。それが傷口から噴き出したからだ。
――血?
動揺した瞬間を死人は見逃さない。青い目が一瞬赤く変わり、生み出された強い水波が秀を呑み込んで屋上から地面へと突き落とす。
上手く受け身が取れず全身を強打した秀は「うっ」と短い呻き声を漏らした。
「はあっ……はあっ、これは……痛い、なんてものじゃないね……」
加奈子が付与していた【防御】はタイミングが悪く作動しておらず、頭から酷く出血し幾らか肋の骨が折れてしまっていた。
立ち上がろうにも体はほとんど動かず、回復を頼むべく通信機で呼びかけても砂嵐の音が広がるだけで応答はない。どうやら衝撃で壊れてしまったらしい。
ズキンズキンと脈打つ痛み。朦朧とする視界。
ここまでかと、秀は死を覚悟した。
一度死にかけたのだから、元より敵う相手ではなかったのかもしれないと。
冷静に考えてみれば、人に近い形をした死人の体液が赤いのなんて当たり前だった。
馬鹿だなあ、絶好の機会だったのに。もう意味のない反省をして、奴がここへ来るのを恐れた。
すぐに自分の目の前に降り立ち、うっとりとした快感の表情で殺されるのだろうと。
だけどしばらく経っても死人からの追撃はなかった。
生き在えている自分の状況をなぜだろうと不思議に思いながら、秀は荒く呼吸を繰り返して笑う。
「まだ、生かすの……? 神様がいるんだとしたら、随分と残酷な人なんだねぇ……」
ならば仕方がない。
すぐ横にある瓦礫を支えにして、重い体を無理やり立ち上がらせた。
動くために必要な部位なんて、強引に構成してしまえばいい。
想像できれば、どんな窮地からでも抜け出せる。
連想できるなら、キューブは使用者の体にもなる。
秀は歯を食いしばり、最大限にその力を発揮した。
「【氷像】……骨ッ!!」
体の中が冷たい感覚で満たされ、ピキンピキンと高い音が鳴る。折れた骨を自ら粉砕して消し飛ばし、氷でできた骨で体を作り直す。
出血部分に薄く氷を貼り付け止血してしまえば、自分はまだ、十二分に戦えた。
「ああああああああッ!!」
これは、覚悟の雄叫び。
――死を望んでも神が許さないというのなら、僕の全身全霊をかけて戦ってやる!!
それで命を落とすならば、無慈悲な神もきちんと天へ導いてくれるだろう。
バッと顔を上げ、死人がいる屋上へと真っ直ぐ目を向けた。
大きく踏み込み走る。崩れかけた校舎の断面を足場にして上へ上へと駆け上がる。
傾き始めた日の光を背中に浴びて空高く跳び上がり、死人を眼光鋭く睨みつけた。
敵はまだ立ち上がっていない。秀にあけられた腹の穴を押さえ肩で息をしていた。
「【氷剣】!」
幾多の氷の剣が死人の周りを囲む。
反応が遅れた死人は後ろへ転がるようにしてかわした。
『往生際ノ悪い……!』
死人の右腕の鱗が蠢いた。
認識してマズいと身構えた直後、ドゴォッ!! と激しい衝突音とともに木の幹のような捩れに殴られ、秀の体はまた外へと投げ出される。
「ぐ……ッ!」
間一髪で変形しているフェンスに右手が届き落下は免れたが、『無様ダネ』と嘲笑いながら死人が近づいてきた。
『バカなニンゲン様。ジットシテイレバ単に殺シテヤルノニ!』
「がッ……!」
痛みで顔が歪む。
フェンスを掴む手に死人が足を乗せ、体重をかけてギリギリと踏みつけてくるのだ。
崩れて鋭利になったマテリアルの断面が突き刺さり、手首を、腕を、ゆっくりと肉を断裂させ始めた。
『手ヲ離スガイイ! サスレバスグニ楽ニナル!!』
「ははっ、なにそれ? まるで人間みたいな口ぶりだねぇ!」
痛みでおかしくなったか、それとも本来持っていた自分の気質であるのか。
このままだと右腕がもたないというのに、秀はどこか楽しそうだった。
「人を恨んでる割には君が人に近すぎるように思うけど? 人間ふうの見た目に人間みたいな物言い! 本当は僕らをよく知ってるんじゃないの!?」
死人はその問いに一瞬だけ息を呑んだ。
『黙れ若造が!!』
怒って叫んだ声をかき消すように足元からいきなりドンッ!! と爆発音が鳴り、炎が上がる。
激しく焼かれた死人は悲鳴を上げ、水を張って姿をくらました。
「うわっ……!」
激しい水流で手がフェンスから離れてしまい自由が利かなくなった体を、がっしりと誰かに支えられる。
覚えのあるその筋肉質な腕に秀は安堵し、誘導されるまま校舎内へと避難した。
【第五十二回 豆知識の彼女】
ノコギリソウの花言葉:戦い、勇敢、治癒など。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 俺の答えは⑧》
隆一郎、合流します。
よろしくお願いいたします。