第五十話 俺の答えは⑤
前回、水中戦に持ち込まれました。
死人がニヤリと唇の端を広げ牙を見せた瞬間、俺の周りの水が赤く変わった。
「いっ……!」
「土屋、危な――」
言い終わる前に感じたのは、腹と足の激しい痛み。
「ぐあ……ッ!!」
勝手に口から出てきた声。
水の中だというのに大量に発汗したような感覚。
その奇妙な現象が俺を冷静にさせ、自分の体の重みが左右で違うことに気付かされる。
そして急速に理解した。俺の脇腹と太ももの一部が、死人の牙によって食いちぎられてしまったのだと。
――クソ痛てぇ……ッ!
ドクドク溢れ出る赤い液体の気持ち悪さと叫び声も上げられないほどの痛みに耐えながら、自身の周りに【火の粉】を起こし、死人を寄せ付けないようにする。
「なんなのアイツ、ぜんっぜん見えないじゃん! 【風壁】!」
長谷川も俺を囲むように風の防壁を作り奴からの攻撃を牽制してくれた。
「長谷川さん、土屋の近くに行って! 引き上げる!」
「りょーかいっ! どこにいんのか知らないけど、水の中全体の攻撃ならいつか当たるでしょ!? 【鎌鼬・オール】!」
速すぎて姿が視認できず、長谷川は鎌鼬を大量に起こしてから俺のすぐそばまで泳いでくる。秀が作り出した大きな氷の板に押し上げられ俺たちが水上に出ると、秀も遅れて飛び乗ってきた。
「阿部さん、また土屋の怪我治してもらえる? お腹と左足」
『任せてっ!』
「て、めぇ……。また、とか言うんじゃねぇよ」
文句を言う間に傷が修復される。
よく見れば制服のあちこちが切れていて、腹と足以外にも怪我をした痕跡があった。周囲の水が赤くなった原因は奴の攻撃で斬られた自分の血だったらしい。ありがたいことに、こちらも阿部が一緒に治してくれていた。
『大丈夫? 土屋君。ちゃんと戻ってきた?』
聞き方が怖ぇよ。ちゃんと戻ってきてるけどさ、肉。
「ああ、大丈夫。ありがとな」
足一本喰われたりしたら『生えてきた?』とか聞かれそうで怖いから、そうならないために三人輪になって座り策を練る。
「なあ、あいつ水の中だと余計に速くなってる気がしないか。序盤の攻撃、俺せっかく反応できるようになってたのに振り出しなんだけど」
「キクノサワヘビって確か、渓流が生息地だったはずだよ」
「そのせいね。水中戦は奴の十八番ってわけだ」
水の中で【鎌鼬】がまだ舞う中、長谷川は「妙なんだよね」と指を顎に添えた。
「奴はなんでかアタシを狙ってこない。逆につっちーには本気で殺しにかかってるように見えたよ」
「土屋、あの死人の生前に何かしたんじゃないの」
「それ言うならお前もだろ、秀。最初に死にかけたのお前なんだからさ」
冗談混じりに話すも、多分それはみんなが懸念していた点だった。
あまりにも狙いの的が俺に限定されていて、それはもしかしたら奴の弱点になり得るかもしれなかったから。
「サポートがやられたらアタシらもしんどくなるのはわかってるだろうに、今は秋月も加奈っちも狙ってこない。何か理由があるんだと思うよ」
「その理由がわかれば。あるいはそれを逆手に取るか、だな」
考える俺に秀がわざとらしく提案する。
「単純に土屋をエサにして、僕らで討伐するとかね」
「おま……性格悪いぞマジで」
「来るよ!!」
長谷川が危機を知らせ立ち上がった直後、波が大きく揺れ、俺たちから数メートル離れたところに死人が飛び出してきた。その体には、【鎌鼬】によってできたのだろう切り傷が数箇所だけあった。
『ワタシノ水ヲ穢シタナ!! 許サンゾ!!』
水が一瞬で消し去られ、それに伴い三人が乗っている氷も地面へ落ちていく。すぐそばにある校舎の一番上、屋上へと急ぎ飛び移った。
「ひああ……」
着地した場所で聞こえた男の声に、全員揃って視線が吸い寄せられる。しばし、絶句する。
動揺を隠せない長谷川が誰よりも先に口を開いた。
「な……ば、バカ!! アンタ何でこんなとこにいるの、すぐ逃げなってアタシ避難させたよね!? 先生点呼してたでしょうが!!」
「ご、ごめんなさい! お、おれ、マダーの勇姿を写真に収めるのがしゅ、趣味で……えへ」
述べられた自分勝手な理由に唖然とした。
長谷川が怒る先にいたのは、応援に来る前に避難させてくれたはずの俺たちと同じクラスの男子。
カメラを見せ、悪びれる様子もなくヘラヘラと笑うその顔は、命懸けで戦っている俺たちにとっては悪魔のように見えた。
『ナンダ、トモダチカ?』
つまらなさそうな平坦な声が上空からかけられ、全員ハッとする。
大きなヘビを生み出してその頭部分に立っていた死人は、戦闘を放棄されたのが面白くなかったのか、俺たちの顔を見下ろすように視線だけ向けてそう聞いた。
「あ、あ……」
『フン。非戦闘員カ』
守ろうとしたが遅かった。
狙いに気付いて手を伸ばしたと同時、ヘビの尻尾が屋上を勢いよく叩き付け、衝撃で男が数メートル吹き飛んだ。
「てめぇ、わかってんなら手ぇ出すんじゃねーよ!」
再度狙われないよう【炎神】を放ち攻撃する。だが奴はヘビの上で軽やかに跳ねてかわしてきた。
「ちょっと! ちょっと、大丈夫!?」
長谷川が男に駆け寄り容態を確認する。
彼の制服はこちらから見てもわかるぐらい広い範囲が赤く染まっていた。何か突き刺さってしまったのかもしれない。
「【氷盾】!」
炎の龍で奴を四方八方から追い続けていると、秀が死人の行く先々に氷の盾を作り出して動きを制限させてくれた。
――しっかり見ろよ、俺!
死人の動き、かわされるタイミング、秀のサポート。
周りの情報を目で取り込み、死人の体へ【炎神】の照準を合わせていく。
炎が奴の足の一部を絡め取って、ほんの少しだけ動作を止められたとき。秀の【氷盾】が死人の体を覆うように生成され、捕獲に成功した。
「あったまきた……」
長谷川が呟いた。ゆらりと人差し指を奴に向け、その指先に蝋燭ほどの小さな火を灯す。
「【風前の灯】」
息を吹きかけ火を消した直後、死人が叫び声を上げた。初めて苦しそうに踠き、心臓にピシッと亀裂が入る音を響かせる。
「長谷川っ、お前何したんだ!?」
「『風』を含むことわざから取ってんの。今にも命が尽きようとしてることのたとえ、つまり体力を大幅に削る技! 狙いを完全に定めないとできないから捕まえてくれて助かった!」
男を抱き起こして腕を肩にかけさせた長谷川は、校舎から飛び降り中庭の木の影に隠れている阿部と斎に向かって走った。手当てを頼む声が通信機越しに聞こえる。
『ふ、フフフ……。痛いデスネェ……苦しいデスネェ。……デモ。それだけですねぇ』
苦しそうにしていた死人が氷の中で不気味に笑った。
体力を奪われたにも関わらず【氷盾】に鉤爪を突き立て強引に穴を空けられる。そこから外に出た死人は長谷川がいる方向に片手を広げた。
「長谷川さんを狙い始めた? いきなりどうしてっ」
「知らん、でもさせねーぞ!」
【炎神】を奴の顔ど真ん中にぶっぱなし、一瞬怯ませる。
「隙あり、【氷剣】!」
秀が作り出した幾多の氷の刃が、今まで速すぎて狙えなかった奴の心臓に向け打ち込まれる。
だがそれを見越していたように死人は空中で一回転してかわし、巨大なヘビを俺たちの背後から飛ばしてきた。
「【回禄】!」
凄まじい速さでこちらに飛んでくるヘビから身を守るべく秀と自分に防壁を張ったが、そいつは俺たちのどちらにも噛み付いてこなかった。
「えっ……」
ごくん。無駄に大きな嚥下の音。
まさかと思い俺はその音が聞こえた中庭の一箇所を身を乗り出すようにして確認した。
そこにいたのは、今俺たちを無視して横を過ぎ去っていった巨大ヘビ。そして、斎と阿部、長谷川が運んだ男だけ。
長谷川自身はいなかった。
代わりにヘビの腹部分が異様なほどに膨らんでいて、その膨らみがどんどん小さくなり、引っ込み始めていた。
つまり、消化が行われている。
今腹の中にいるのであろう長谷川を、消化している。
「あああああああ!!」
「土屋危ない!」
秀の声も聞かず、俺はヘビに向かって校舎から飛び降りた。
後ろから死人の捻れに襲われ吹き飛ばされそうになっても踏ん張った。
手にしていた【炎の槍】の穂の部分を大きくさせ、ヘビの首をほとんど刀状態で斬り裂いた。
ズシンと奴が横に倒れ、中味がドロドロと溢流する。
さらに何度も表面に斬撃を加え胴体部分を完全に開いたが、助け出したい長谷川の姿はもうなかった。
彼女の黒髪を束ねていた柔らかそうなシュシュだけが、役目を失いころころと転がり出てくる。
ころころと。ころん、と。
よく使っていた、よく似合っていた濃いピンク色のシュシュだけが、そこにある。
【第五十回 豆知識の彼女】
凛子のシュシュはいくつか種類がある。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 俺の答えは⑥》
凛子が狙われた理由。
よろしくお願いいたします。