第四十七話 俺の答えは②
前回、隆一郎は片足を地につけました。
『――へぇ、立ち上がりますか』
耳にかかる、息。
いくつも重なったような少女の声が、俺と数センチの距離からかけられる。
いつの間にか隣にしゃがみ頬杖をついていた死人の顔を、手に炎を纏い反射的に払い除けた。
すぐに退かれ直撃こそしなかったが、奴の頭のヘビを掠ったらしく爬虫類の焼ける臭いが漂った。
だがそれぐらい大したダメージには至らないのだろう。死人は全く顔色を変えず不思議そうに小首を傾げてみせた。
『変なヒトですね。どうしてそんなにボロボロになってまで頑張るんです? そこまで体に傷を負いながら、アナタはこれ以上何を求めると言うのですか?』
口調に微かな違和感を覚える。
さっきまでの全てを破壊しようとしていた悦楽の声ではなく、一変して丁寧な喋り方。年相応な幼い少女の声。
『見たところ、腹部、足ともにいくらか折れているようですね。頭部の出血も酷いですが……ワタシの拳はそんなに痛かったですか? 単発食らっただけでそうなるのであれば、アナタがワタシに勝てる確率なんてほとんどないでしょう。もう降参なさってはいかがです? あまり無理をされてはつらいだけですよ』
死人の背後に見える校舎の一部が崩れ落ちていく。
どうかそこに人がいませんようにと願いながら、一つ深い呼吸をしたのち俺は低い声で答えた。
「ご心配どうも。わるいけど、戦う理由がある限りは降参なんてしねぇからさ。そっちが諦めてくんねぇかな」
死人から目を離さず、ふらつきを隠して立ち上がる。
観察眼が鋭いのか、奴は俺が痛めた位置を正確に指さしてきた。肋と、俺自身も立ってから気付いた左足首の骨折に向けて。
――この怪我であの速さをかわす……ってのは、かなり厳しいよな。
ならばと、右手に【炎の槍】を作り出す。
普段は投槍として片手に持つが、今回は柄の両端を握り横一文字にして構えた。
纏う炎も穂先も自分のほうに向いていないと奴は怪訝そうな表情を浮かべたが、戦意は読み取ったのか体勢を低くする。
『やはり変なヒトですね。抵抗なんてしなければ簡単に終われるのに。ニンゲンなんていう傲慢で己のことしか考えていない自然に害なす破壊の生き物、苦しい思いをしてまで守る価値がありますか?』
「そういうお前も見た目は人間に近いように見えるけどな」
人の形で生まれる死人の多くは、相応の大きな哀しみを持っている。
物や動物は魂を宿しても言葉が通じないせいで、哀しい声を俺たちに届けられないまま討伐されるのが大抵だ。
だからこそ、伝えたい目的が強く鮮明であればあるほど人の形に近くなり、人の言語を話すようになる。そしてその思いが強ければ強いほど、死人自身も強くなる。
「あんた、何から生まれた?」
端的に問うと死人はまたネチャリと不気味に口角を上げ、目を三日月に歪ませた。
『ニンゲンへ答える義務などありませんよぉ』
バキィッと硬い物が折れるような音が鳴り、鱗状の皮膚をした死人の右腕から得体の知れない何かが顔を出す。
脳天めがけて一直線、来る!!
「ぎっ!」
体を仰け反らしスレスレで回避した。
鼻の数ミリ上を通っていったその得体の知れない何かとは、木の幹を思わせるゴツゴツとした渋茶色の捻れ。
後ろへ倒れる重心を利用して片手でバク転し距離を取る。
『もう一度聞くぞ少年。ニンゲンなんていう傲慢で己のことしか考えていない自然に害なす破壊の生き物、守る価値があるか? いいや、答えはノーだ。いないほうがワタシタチは幸せだ。幸せだった。オマエタチがいなければ。オマエタチさえいなければ、ワタシタチはずっとずっと幸せに暮らしていけたのだから!!』
また口調を変化させた死人がこちらに飛びかかる。
両手にある鉤爪がギラリと日の光を反射して消えた。
「ぐっ……!?」
上腕、腹、後ろ足にとてつもない衝撃が走る。
消失したように見えた奴の手は既に俺の胸部にあった。体格に見合わぬパワーで押し付け、その先にある鋭い爪が今にも体を切り裂こうとしている。
『ほう? これは驚いた、よく受けたな』
少し意外だったとでも言いたげに死人の両眉が上がる。
防御に使ったのは、間一髪構え直して盾の代わりにした【炎の槍】。
爪から俺を守っている槍を壊そうと死人はさらに力を加えるが、火の粉を散らすだけでこちらまでは届かない。
『ふん、実に面白い使い方をする。見るに先ほどの炎のシールドだな? それを今度は我が身ではなく物へ纏うか』
「何もない単純な炎と軸がある炎なら、あるほうが格段に強いからな……!」
槍に火を纏うだけでは防御として使えない。
生み出していたのはその火に被せるようにして薄く【回禄】を覆わせた、攻防一体となった武器。
穂先を奴に向けないのは今は攻撃するつもりがないから。奴の速さを凌ぎ、身を守りながら反撃の瞬間を窺っているためだ。
『発想は面白い。ただ……』
小さなヒビが入る音がした。
『衝撃に耐えられるかなあ!?』
拳が襲い来る。右上、左側、振り上げ、殴られる。
高速の物理攻撃はわざと槍を狙ってきていた。
マテリアルを壊すほどの威力がある拳を槍が繰り返し弾くたび火の粉が上がり、炎は一瞬大きく燃え盛る。ヒビの音も大きくなる。
「持ってくれよ、足……!!」
重い打撃に圧倒され、足が地面についたまま後退させられる。体に響く猛烈な衝撃一つひとつに腕も足も悲鳴を上げている。
――力に歯向かうな。押し合いなんかしたらすぐ折れる!
攻撃されるたび前足をほんの少し宙へ浮かせる。
相手の力の向きそのままに流れさせ、新たな位置で地を踏み勢いを緩和して四肢を守る。
傷口から伝い落ちる赤い雫が、動かされた量だけ地面に模様を広げていった。
『きゃはっ、あははははっ!!』
殴り続ける死人。
何度弾かれてもまた同じように槍に狙いを定め拳を打ち付ける。
「まだだ。まだ、視認しろ」
口を動かし自分に命令する。
軌道の見えないその拳を認識しろ、見極めろと。
――無駄な思考は切り捨てて、全意識を目の前の敵に集中。
考えるな、感じ取れ。
狙われている場所、奴の視線の向き、殺意の矛先。
「『感覚を研ぎ澄ませる』」
見る。
『さっきから何をブツブツ言っている?』
怪しがる死人にわざわざ答えはしない。放たれる高速の拳が向かう先へ自分の眼球を寸分違わず追わせ、今度はこちらから槍の柄を合わせにかかる。
拳と槍をぶつけ合う。
拳の来る位置へ槍の中心を持っていき、その都度、火花を散らせた。
『ほう? もう反応するようになったか。成長著しいな』
「敵に褒められても嬉しくねぇよ……!」
防御にいっぱいになるな。
流れを読め。流れを読んで分散しろ。
作り出せ、反撃の瞬間を!!
『あっ……?』
間の抜けたような声を死人が出した。
放たれた拳が接触した瞬間に俺が槍を旋回し、力を外へと流したからだ。
奴の拳は柄から外れ、その小さな体とともに俺の横腹をすり抜ける。
「だあああっ!!」
膝蹴り。目を見開く死人の体を抱え込み、炎を絡ませた渾身の一撃を腹部へ打ち込んだ。
『くっ……!』
「まだだ。【爆破】!!」
直撃を余儀なくされた死人を押さえ付けたまま、自分の体ごと巻き込み周囲を爆破させる。
連続してドンドォンッ! と爆発音が轟く中、死人の小さな呻き声を聞き、その背中に青い玉が附着していることに気がついた。
それは間違いなく死人の心臓。まさか見える位置にあるとは思ってもみなかった。
狙うなら今。槍を回し、切っ先を死人へ向ける。
無防備に露出した心臓へ真っ直ぐ槍を突き刺そうとした。
『甘いのぅ、小童』
突然、視界を赤黒いものが覆う。
それが硝煙ではなく自分の右腕から噴き出した血であると認識した瞬間、激痛が走る。
「ちぃ……っ! 【火柱】!!」
強引に俺の手から転脱した死人を逃がすまいと、痛みに耐え辺り一帯に炎を巻き上げた。
しかし奴の誇る俊敏な動きで距離を取られ、今俺の右腕を抉った木の幹のような捩れが再度飛んでくる。
「【炎神】!!」
龍を模した炎をぶつけ相殺した直後――槍から嫌な音。捻れに隠れるようにして伸びてきた死人の頭のヘビに噛まれ、【回禄】を纏った【炎の槍】はあの凄まじい噛砕の餌食になり、真っ二つにされていた。
『やはり脆いなあ。その守りも、オマエも』
死人の鉤爪が俺の真下に迫る。
反応が遅れ、切り裂かれた太腿から血が噴き出した。
「止まるな……止まるなっ!」
痛みを感じる暇もなく奴の顔を炎の拳で殴りつけたが、やはり柔らかい。
槍も通さぬその弾力は、殴打の勢いさえも拒絶する。
『ダメじゃないですかあ、女の子の顔を殴ったりしちゃ……』
目前、青い瞳。
『ねぇ、おにぃーさん?』
鉤爪が左肩に奥深く突き立てられ、投げ飛ばされる。
自分の叫喚と空気の震えが耳を支配する中、誰かに名前を呼ばれた気がした。
【第四十七回 豆知識の彼女】
キューブの能力は自分のものであれば巻き込まれても怪我をしない。
爆破に巻き込まれそうになり、ちょっと考えてほしかったという愚痴に巻き込まれても怪我せんやろ、と未来さんに返されていました一話目の隆一郎。
今回は押さえ込むため自分も爆発の中心にいます。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 俺の答えは③》
名前を呼んだ人が登場です。
よろしくお願いいたします。