第二話 二年三組①
前回、白熱電球の死人と戦った隆一郎と未来でした。
大丈夫だって、なんの根拠もなく言えたらいいのに。
俯いて隣を歩く未来の様子を窺いながら、俺は言葉を探すべく空を見上げた。
晴れ一色。雲のくの字もない爽やかな青空に、周りで忙しなく蝉が鳴いている。
ぱしゃっ。一瞬だけ、彼らの鳴き声は未来がわざと踏んだ水溜まりの音によって掻き消された。未来の足元へ視線が誘導される。
靴に跳ね返った水がするりと流れていくのは、未来の泣き顔を真似ているようにも見えた。
「……ごめん。なんて言っていいか、わかんねぇ」
ぼろぼろと涙を流す未来を慰めようにも、かける言葉が出てこない。
学校に行くのが怖い理由を俺は知ってる。精神的な頑張れとか行ってみれば大丈夫とか、口先だけの応援はしたくない。できない、と言うべきか。
――怖い。
今朝、転校が決まってから初めて未来が気持ちを吐露した。
――隆、怖いよ。また、前みたいに怖がられて、避けられるのが、怖い。
どうフォローしたらいいかがわからなくて、ついに何も言ってやれなかった。
口に出すには長い隆一郎という俺の名前を、未来はいつものようにあだ名で呼ぶ。だけど昨日みたいに未来さんと俺が呼んだところで、ノリよく隆さんとは返ってこないだろう。これから数十分先のことで頭がいっぱいだ。
わかってるのに、何もしてやれない。
ごめんと内心で謝りながら、無言で学校への道を歩いていく。一歩、また一歩と怖い場所に近付いている。見ようとしなくても見えるぐらいの位置に、俺たちの学校、ジーニアス中学がそびえ立つ。
天才の中学校って、誰だよこんな名前付けたやつ。文句に似たツッコミだって、今は口から出しても萎れていくだけだろう。
「……何があったって、俺は変わんねぇから」
絶対に自信を持って言えることだけを伝えて、もう着くからと、無慈悲にも涙を引っ込めるようお願いした。
未来はこくんと首を振って、目を埋めるような勢いで擦り出す。
泣き続けた未来の目は充血してパンパンだった。
「ケアだけしとこうぜ」
ズボンのベルト部分にチェーンで繋いでいる、うっすらと赤い立方体に手を添えた。
言葉で例えるなら多分、カリカリ、チキチキ。そんな形容しづらい音が鳴る。
『キューブ』と呼ばれるこの物体がパタパタと階段状に展開し、腕に染み込むように巻かれる形で張り付いた。
左の手のひらには、俺の能力源とも言える『炎』の文字が刻印される。
「ん。目あっためて冷してを繰り返して」
目の腫れを抑えようと、体育用に持っていたタオル二枚を水筒の冷たい水で濡らし、うち一枚を手から火を出して燃えないように温めて渡した。
キューブは本来、昨日の夜に討伐したような、捨てられた哀しみから生まれる『死人』と渡り合うために使うもの。
彼らは基本的に夜しか姿を現さないから、規定では夜のみ使うようにってなってるけど……今回は緊急事態ってことで。
「ありがと、いつも」
珍しい色の瞳がこちらに向けられる。
「泣き虫未来さんのためなら、いくらでも」
ふざけて言ってみたけど、口もとに笑みを作るだけで未来は返事をしなかった。
学校の門を通り過ぎ、足取り重く職員室へと向かう。
着いた先は空気の入れ替え中なのか、引き戸を開けていた。軽く二回ノックをして「失礼します」と声をかけてから入室し、一番手前の席に座る担任の世紀末先生を呼ぶ。
世紀末と書いてなんでそんな読み方をするのかとみんなによく聞かれてるけど、毎回はぐらかされるから誰も理由を知らないままだ。
「お、土屋か。おはよう」
「おはようございます。あの、未来……相沢さん連れてきました」
「ああ、ありがとう。幼なじみだと言ったか」
未来はまだタオルを目から外そうとしない。俺の後ろに隠れるようにして、肩を叩いても無反応を貫き通した。
「いいよ土屋。そのままで」
構わないと腰を上げた先生は俺たちの前に立つ。俺が少し横にずれて、先生と未来が向かい合った状態になる。
「相沢さん、はじめまして。担任の世紀末だ。担当教科は社会、可愛い奥さん募集中のぴっちぴち二十七歳だ」
ハッハと笑って、筋肉質でガタイのいい体がリズム良く揺れる。
ふ、とタオルに隠れながら未来が笑った。
こちらもきちんと話さなくてはと思ったのだろう、タオルがゆっくり下ろされる。
伏せている目をまたゆっくりと先生に向けた。
俺の知り合いというだけで、何の手続きもせず転校生として受け入れた適当な学校。だから必要な書類だけ郵送されて、対面するのはこれが初めてだった。
でもあらかじめ未来の目については触れているから、先生は大丈夫だろうと思った。
「相沢未来です。よろしくお願いしま」
言葉を、先生の持っていた書類がバサッと落ちる音で遮られた。
その瞬間、俺の考えが甘かったのだと自覚する。
先生は目を見開いて、一歩後ろに下がる。
口が引きつったように見えた。
「あ、ああ、書類にも書いていたね。ごめん、初めて見るから理解はしてるんだけど、ちょっとびっくりしちゃって。本当にごめん」
だめだった。やっぱり、異質だと思われるのか。
未来の瞳は俺からすれば綺麗だ。でも、他の人にとっては怖いらしい。
「いえ……。慣れてるので」
未来はまた目にタオルを当てて俯いてしまった。
先生はやってしまったとでも言いたげに、頭をガシガシと掴んで申し訳なさそうな顔をする。
嫌な沈黙が流れ、外から門が閉まる音が聞こえた。
「土屋、もうすぐ予鈴だから先に行ってなさい」
そう促された俺は仕方なくその場をあとにした。未来が持った目に当てていないほうのタオルに、淡く赤い色が付いているのを認識しながら。
【第二回 豆知識の彼女】
なぜか、世紀末先生の下の名前は誰も知らない。
名字についてはまた語られる日が来ますので、その時に楽しんでいただければと思います。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 二年三組②》
教室へ向かいます。
どうぞよろしくお願いいたします。