第四十六話 俺の答えは①
前回、唐突の襲来に秀は生死の境目に。
――ジュワリ。
傷に染み入る音が、大きく聞こえたように思う。
一度痙攣するように秀の体が波打って、副作用の激痛に耐える顔にはシワが寄っていた。
「あ! 土屋いたっ……て、秀!?」
おっかないものを見たかのような斎の声が俺を呼んで、すぐさま血相を変え駆け寄ってくるのを背で感じた。
斎が認識した時点での秀の傷口はまだ深くて、未だに斬られた断面の肉が見えてしまっている状態だ。
「秀! お、おいこの怪我っ!?」
「完治薬使ったところだ。大丈夫、あと少ししたら完全に閉じるはず」
まだ収まらない自分の焦りとは対照的に、飛び散ってしまっていた血も肉片も、普通ではありえない速度で修復されていた。
その様子を青い顔のまま見つめていた斎は一度よろめいたのち、何かに気付いたように口元を動かした。
「……たね。しかも、秀……」
ブツブツと呟き考え込んでいるように見えるが、今の俺にはそれを気にしてやれるほどの余裕はない。
秀の治療は最高峰の薬に任せて、俺は奴をどうにかしなきゃ。
チェーンでベルトに付けたキューブを展開。
痛みで歪んでいた秀の顔が緩んできたのを確認して抱き上げようとすると、遠くでガラスの割れる音が鳴った。
「土屋。いったい何が起こってるんだ? 教室のほうもめちゃくちゃなんだ。廊下とか、気がついたら周りの物が散乱してた。一瞬だけなんか不気味な女の顔が見えた」
我に返った斎に状況の説明を頼まれたとき、今度はもう少し近い位置から破壊の音が響いた。こちらに向かってきているようだ。
「死人だ、こんな昼間っから。秀もそいつにやられた」
ギリッと奥歯を食いしばり、脳裏に焼き付いた光景に腹を立てた。
「速すぎてほとんど見えなかった。気付いたときには、もう」
ガラスが割れる音。マテリアルが崩れる音。蛇口から吹き出す水の音が、四方の壁に反響する。
「奴がこっちに来る。斎は秀を連れて安全なところに。みんなの誘導はこっちでどうにかするから」
「いや、誘導に関しては大丈夫だ。長谷川と阿部が今やってくれてる。多分お前らを襲う前にこっちの廊下を跳梁しに来たんだよ。だから長谷川が一気に風で運んでくれて、もう結構な数の移動っ、がっ!?」
突如激しく学校が揺れた。パラパラと細かいマテリアルが天井から降り、砂埃が立ってくる。
「どうやら学校ごとぶっ壊すつもりみてぇだな」
あの非情な生き物は、俺たちの日常をも奪うのか。
平和な白日にさえ足を踏み入れるというのか。
「ふざけんじゃねぇよ」
怒りの感情が口から漏れ、秀を支える手に無意識に力が入る。
「ん……土屋。僕、もやる」
「秀っ?」
ぐったりとしていた細身の体が、小さな声とともに腕の中で動いた。衝撃でひび割れた眼鏡の奥。閉じられていた瞼が長いまつ毛ごと上下するのを見て、斎の体からガクンと力が抜けた。
「はあ……よかった。心配させんなよバカ秀。土屋に感謝しろよな」
「生還したそばからバカって。斎も大概だよね」
たった今死の淵から戻ってきたとは思えない憎まれ口に少し安心する。
しかし傷が完全に塞がっても血色は戻り切っていない。
とても戦わせられる状態じゃないと、参戦の意を否定しようとしたその瞬間。全身に刺さる鋭い殺気。
「【回禄】!」
俺が持てる最大限の炎の防壁を、とっさに全員の体へ纏わせ守りに入った。だが、
「なっ!?」
ドォッ!! と一秒も待たず多大な衝撃に襲われ、次いで切り裂くような音に重なり守護の炎はいとも簡単に破られた。
失われた防壁のあった位置――目と鼻の先に見えるのは、幼い少女の死人。今振り抜いたのであろう手に有すのは鋭く大きな鉤爪。
火の神の名から取った防壁【回禄】は、圧倒的な防御力を誇る。突破されたためしなど一度もない。
あの鉤爪はそれほどまでに凄まじい威力を持つのかと驚きを隠せない俺の顔を、死人のギョロリとした青い双眼がハッキリと映し出す。
『脆い。脆い脆い脆い脆い脆い脆い脆いぃいい!!』
思考が停止して動けなくなる俺に、死人は金切り声を上げながら自身の拳を振り上げた。
「【氷盾】!」
「くっ、【炎の槍】!!」
気力を頼りに立ち上がった秀が氷の盾で殴打を阻む。遅れた俺は炎を纏う槍で死人の頭を貫いた。
――やばい、一般人の斎がいる状態で、こんな……!
せめて斎にだけは怪我をさせないようにと、槍を押し込んだまま俺は前に立つ。斎は腰が抜けたのかへたりこんでしまっていた。
「えっ、うそ、土屋!」
「わかってる。くそが、妙な感触がしたと思ったら!」
突き刺したはずの槍に手応えはなく、メキョッと変な音がしていた。見れば頭を突き抜けるどころか、押し返すような弾力に守られ傷一つ付けられていない。
攻撃、防御、スピードその全てが、俺が知る死人から遥かに逸脱していた。
豪快な高音が校舎に響き渡り、根源に気付いた俺たちを畏怖させる。
それは、秀が作り出した【氷盾】が壊れる音。
かなり分厚かったはずの氷の盾を粉々に砕いたのは、少女の髪が変形してできた十数匹のヘビの口。そこにある鋭い牙による噛砕。
『雑魚が』
ネチャッと笑う少女の死人が、消えた。
ぞくりとした瞬間視界に映るのは、ゼロ距離の死人。目の前にある気味の悪い大きな青い瞳。
『きぃやっはっはあああああっ!!』
快楽の声。学校をぶち破る音。殴られた鳩尾と強打した背中同時に息が詰まるような痛みを感じた。
「かはッ……!」
グラウンドまで転がる自分の体。
全身に広がる激痛に意識が朦朧として。
至るところから血を流し、横に倒れたまま俺は動けなくなってしまった。
――マテリアルまで壊すパワーって、なにそれ。わけわかんねぇんだけど。
遠くで斎と秀が俺に何か叫んでいた。
だけど立ち上がれない。
呼吸が荒い。
奴に対しての理解が追いつかない。
力の差は歴然だった。
秀が復活できたとしても、二人でどうにかできるとは思えない。
――誰か……未来は、今どこに。
キューブの恩恵による回復でどうにか持ち堪えただけ。もう一度マテリアルに叩きつけられようものならきっと体は耐えられない。
俺は必死に右手を動かして左腕に添え、キューブを展開した状態を保ちつつ周りのマダーの情報を開示した。
そこで最初に見えた相沢未来の文字。その横に表示されているのは、漢字三つ。
「せん、とう中……」
戦闘中、そりゃそうだ。こんなにも大きな被害が出ていて、あいつがすぐに動かないはずがない。
ならばなぜここにいないのか。答えは明白、ここ以外のどこかでみんなを守るために動いているからだ。
あいつもどこかで戦ってる。
同じように命を張ってるんだ。
「なあ未来さんよぉ……。お前、そばにいないくせにさ。なんで俺に、力くれんの?」
負けてられない。
一度瞼を閉じ、呼吸を整える。
――隆一郎は何か力を隠してるように見える。それが使えるかどうかはさておき、もっと色んな技を磨きなさい。
少し前、同様に意識が途切れそうな中で、凪さんは確かにそう言った。だけど俺には隠している力なんてない。特別な力もない。
何かあるたび妙に考えすぎてしまう頭を除けば、今の俺にできるのなんてあなたに教えられたこの一つだけ。
「骨が折れようが内臓が破れようが立て……か。はは。ほんと、無慈悲なんだから」
でも、それが今すべきことだから。
瞼を開ける。
遠くなってしまった半壊の校舎を、しっかりと見据えた。
――考えるんじゃない。体で感じなさい。
「立て」
――相手の動きを自分の目と肌で読み取れるようになりなさい。
「立て、俺」
凪さんの教授を思い出せ。
経験の全てを思い出せ。
教えを教えで終わらせるな。
知ってるもの全てを使ってこの状況に食らい付け!
「立てっ……痛くねぇだろ!!」
口から吐き出した血を拭い、拳を握って腕に力を込める。折れた肋の痛みを思考の外に追いやって、片側の足を地に踏み込んだ。
【第四十六回 豆知識の彼女】
隆一郎が無意識に使ったのは己を鼓舞する言霊の力。
痛くないと言い張ることで体の痛みを取り除きました。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 俺の答えは②》
立ち上がる隆一郎、頑張ります。
よろしくお願いいたします。