第四十三話 違い
前回、改めて凪さんに疑問をぶつけた隆一郎でした。
その日の夜、凪さんが帰ってからの鍛錬は未来に付き合ってもらった。
普段なら頑張りすぎる未来を俺が止めているところ、今回はこちらからお願いするものだから大丈夫かと心配されてしまったけど、火傷の完治もあり元気が有り余っていたようで嬉々として受け入れてくれた。
内容は昼間と同じキューブを使わない状態での攻防戦。さらに追加注文で、凪さんみたいなハンデはなしにしてもらったのだが。
「あたたた……」
こうなってくると、残念ながら五分程度しか持たない。反撃の隙が見えた瞬間、未来に叩きのめされる。
何度やってもその五分以降は耐えられず、座り込んだ俺はど突かれた腹を撫でた。
「うーん……隆は死人相手なら全力でやれるけど、対人戦は本当にダメダメだよね」
「だっ……」
タオルを取りに行く未来を見ながらガックリと首を垂れた。
実際そうなのだから何も言い返せないけど、今のは結構グサッときたぞ。
「凪さんにも言われてるんだけどな。自分の気持ちに納得がいかないせいか、どうにも死人相手と同じようにはできな……って、だあああ!! お前は何やってんだよ!!」
「ひぇっ!? な、何やってんだって、なにが?」
「なにがじゃねぇよ、このバカ! もう少し恥じらいを持て! 男の前で脱ぐなアホ!!」
俺が激怒して首を百八十度ひねったのは、躊躇なく服を脱いだ未来の姿を視界の端で認めてしまったからだ。
「な、なに言ってるの、下着じゃないんだから」
「んな問題じゃねぇよこのドアホがああああ!!」
わかってない。わかってない、わかってない!!
俺は喚きながら手で顔を覆った。
未来が言うとおり、別に服を脱いだからって裸でもないし増してや下着姿になったわけでもない。
ただ未来の着ていた戦闘服は動きやすさ重視の製法だから、防具が着けられているのは胸部のみ。柔らかい装甲、その上に服、さらにその上に硬い装甲といった次第。
今回キューブは使わないからと上の防具は着けていなかった。そんな状態で服なんて脱いでみろ、肌を隠すものは鎖骨の五センチぐらい下からアンダーバストほどまでしかないソフト装甲のみだ。下着同然だろう!?
「もうちょっと自覚を持ってくれよぉ」
一瞬見えてしまった未来の細い腰。ぎゅっと抱きしめたら折れてしまいそうで。
どうしても思い出してしまう今見た記憶をかき消そうと俺は首をブンブン振り、謝ってくる未来を横に置いて無理やり話題を作るべく奮闘する。
「み、未来はさ。普段どんな感じで鍛錬してんの? お前のことだ、やり過ぎだって怒られないように俺が見てないとこで隠れてもっとやってんだろ?」
「うっ!」
図星かよ。
「俺が鍛錬場にいない時間つったら、早朝か? 俺が朝弱くて起きられないからって、いったい何時からやってんだよ」
「え、えぇと……その……よじ」
「四時!?」
「は、半! 四時半!」
「半もクソもあるかアホ! 四時も四時半も一緒だ、んなもん!!」
後ろから悲しそうな「あああ……」なんて声が聞こえる。バラしてしまったのを後悔しているようだ。
「凪さんに言うからな!? 未来がまたやり過ぎてるからどうにかしてくれって!」
「お、怒られるからそれは」
「怒ってもらうために言うんだっつの!」
明日からまたしばらく来られないって話だったから、今のうちに連絡して電話越しにでも言ってもらおうと携帯に手を伸ばす。
しかし意地でも許さない未来は全力でそれを止めにくる。
「わ、わかったよ! 私の朝の鍛錬方法教えるからそれだけは!」
「は!? それとこれとは話がちがっ――」
「強くなりたいんでしょ隆はっ!」
「くっ、てめ、卑怯な……!」
天秤にかけられる。
未来が無茶をしないように怒ってもらうか、今回は見逃してアドバイスをもらうか。
どうするか迷う。めちゃくちゃ迷う。
迷うが、それよりも。
「とりあえずお前は服を着ろぉおおおお!!」
まだソフト装甲状態の未来に降参の意味も込めて自分のタオルを投げつけた。
「あっ……」
「あっ、じゃねぇよ!!」
着替え途中だったと完全に忘れていたらしい未来に、俺は今のところ男として意識されていないんだなと少し悲しくなる。
もう怒る元気もなくなって持っていた携帯をポケットに仕舞うと、未来の安堵したような声が聞こえた。契約成立してしまったようだ。
「ったく、あんまり頑張りすぎんなよ。体壊したら元も子もねぇんだから」
「うん、気をつけるよ」
ほんとかねぇ。
あまり信用できない返事をしたあと、着替えた未来は置いていたキューブを持ってきて俺の横に腰を下ろした。早速その鍛錬方法というものを教えてくれるらしい。
「単純な話なんだけど、自主練のときはキューブを使わないほうがいいと私は思うんだよ」
「ほほう?」
使わなくてもいいじゃなくて、使わないほうがいい?
若干の言い回しの違いを不思議に思っていると、未来は指を三本立ててみせた。
「あくまで私の中だけの話なんだけど、キューブの力を百パーセント発揮するために必要なのは、知識、想像力、使用者自身の身体能力、だと思うんだよね。凪さんが隆に教えてくれてるのは、三つ目の身体能力のところ」
「いつもこっ酷くやられてます」
「手加減してても強すぎるもんね、凪さん。続けるね? 知識は色んなところで集めるべきだから、鍛錬場ではしない。考えた能力はある程度実践でやってみるべきだけど、連想できるなら基本的に実現可能だからこれも普段からする必要はなし。だとすると、ここで毎日するべきなのは何だと思う?」
今は全く反応を示していない翡翠色のキューブを大事そうに手のひらで包み込み、未来は俺に問いかけた。
「知識と想像をここでしないとしたら、残りは身体能力の向上……筋トレとか体力作り。さっきみたいな手合せか?」
「そう。要するにキューブの扱いを練習するんじゃなくて、いかに日常の体とキューブをリンクさせるか、無駄のない的確な動きができるようにするか、だね」
未来がキューブのボタンを数回押して、ある一面に何かのパラメーター画面を映し出した。
「な、なにこれ?」
初めて知るその画面を、俺は食い入るように見る。
攻撃力、防御力、素早さ、体力、身体能力なんていう、ゲームでよくあるような名称が書き出された表示には、五段階評価S、A、B、C、Dのうち最高のSが並んでいた。
「随分前のマダーの回覧で知った機能だから、隆はまだ使用者じゃないときだったかも。ゲーム方式にしたらみんなわかりやすいかもしれないっていう谷川君の計らいで、キューブを使わない状態での個人の技量を視覚化してくれてるんだよ」
「へぇ、知らなかった。凪さんからも教えられてないぞこれ」
「凪さんだからじゃない? こんなのわざわざ見なくても絶対Sしかないもん」
「ああ……十中八九それだわ」
しかも体に教え込むタイプの人だからな、凪さん。そのうち評価も上がるからって言いそうだ。
「斎がさ、阿部に見せるのに表示してたオフェンス値とかディフェンス値とかのやつあったろ? もしかしてああいうのもそのゲームの一貫なのかな」
「どうだろう? キューブでもパーセンテージの表示はできるけど説明とかはついてないから、もしかしたらそっちは別かもしれないね。必要なら詳細まで書いてそうじゃない?」
「ん、確かに」
色々考えてる斎のことだ。そこにも何か理由があるんだろうな。
自分もキューブのボタンを何度か押してパラメーターを表示させ、未来から見えないように手で囲う。
映し出された評価は、マダーになった当初を仮に一番下のDだったとすると、恐らく悪くはないと思う。
想像していたよりも案外高評価を付けられていたのは良かったが、凪さんに褒められた攻撃力以外の欄は残念ながら未来には及ばなかった。
「どうだった?」
「あー……うん。もっと鍛錬が必要かな」
それだけ伝え、俺はそのアルファベットを最後まで見せずに画面を閉じた。
少し残念そうにする未来には悪いが、今はまだ堂々と開示できる程度ではなかったのだ。
「とにかくこういうパラメーターを参考にして、自分の得意分野と苦手分野を見つけて底上げしていくとだいぶ違うと思う。基礎力向上だね」
「おっけー、頑張るしかねぇな」
礼を言おうとキューブから未来に視点を移すと、「でも」と彼女の口が先に動いた。
「隆はさ、今でも十分強いなって私は思ってるよ」
「んぇ?」
意外な言葉に変な声が出る。
未来は笑ったりせず、なぜか目を伏せた。
「あのとき、【蒸散】消されたから。最終的に勝ちはしたけど、もし今じゃなくて、これから先。もう少しあとだったら、もっと技術を身につけた状態だったとしたら。もしかしたら私は、勝てなかったかもしれない」
未来の言う『あのとき』が、昨日の死人化した俺の話だと認知するのはそう難しくはなかった。そして、次があれば同じようにはいかないだろうと危惧していることも。
「可能性が無限大だから私たちは人を守れる。だけど反対に、その可能性が……キューブが、敵側にまわると怖いなって今回の一件で思ったよ」
ぎゅっと立方体に添える手に力が入るのを見て、聞くなら今しかないと思った。
「もし、さ。次に俺が死人化して、またキューブも使われてて。倒すために俺を殺さないといけなかったとしたら、未来は」
「もちろん殺すよ」
一切の迷いもなかった。
間髪を入れず、むしろ俺の質問に重なって未来は答えた。
「情に流されず守るべきものを守る。それが私たちの役目だから。仲間は確かに助けられたらいいと思う。でもね。私たちが何より優先しないといけないのは、この国で、この国の人たち。だからそれを守るために仲間が死ぬのは……尊いことなんだよ」
そう自論を述べた未来は、天井の一点を見つめた。
「尊いこと……」
「うん、私はそう思ってるよ。守りたいものと守らなければいけないものは同じじゃないからね」
未来の考えを聞いて、よくわかった。やっぱり俺の考え方が幼いのだと。未来や凪さんとは覚悟が違うのだと。
だからだろう。同じようにキューブを握りしめても、俺は未来が見ている先へ視線を向けることができなかった。
【第四十三回 豆知識の彼女】
未来の腹筋には縦線が入っている。
小柄な未来さんはパワー押しが難しいので、素早さで勝負するべく無駄に大きな筋肉は鍛えていません。腰、細いです。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 物思いによる》
一触即発です。
よろしくお願いいたします。