第四十話 バカ正直
前回、凛子さんが何かを話そうとしました。
声が少し小さくなり珍しく肩を窄めた長谷川に、俺は落ち着かない気持ちになって聞いた。
「どうした、なんかあったのか」
「ん。今回のつっちーの件、どうやらアタシも一枚噛んでるみたいだったから、きちんとしておきたくて」
長谷川の口から出た前置きに、未来の目が大きくなった。
「凛ちゃん、聞こえてたの?」
「ああーううん。そうじゃないけどね。状況思い返せばアタシらに用があったのは明白だし、加奈っちに対して何を思ってたのかはわかんないけど、アタシは自覚があるからさ」
「自覚?」
その状況というのを全く覚えていない俺はイマイチ言いたいことがわからず直ぐに問い返した。
「そ。未来ちーを傷つけた自覚。物理的にも精神的にも、両方ね」
長谷川持ち前の綺麗な吊り目が俺と未来の顔を往復して、艶やかなリップの奥から真剣な声が発された。
「だからもし言うに言えなかった何かがあるなら、この際だから全部ぶつけてもらいたい。全てきっちり受け入れるから」
立ち上がりお願いしますとほぼ九十度に腰を折る長谷川に驚いて、俺も未来も大慌てでその姿勢をやめさせる。座ってくれと言ってもそれだけは断固として聞き入れず、結局手を腹の前で軽く握った立ち姿勢で落ち着いた。
「長谷川はさ、いいやつだよな。知らんぷりしようとか思ったりしないのか?」
「残念ながらプライドの塊だからねぇアタシ。そういうのはしたくないんだよ」
自虐気味に笑う顔に、そういえばそうだったなあと納得してしまう。
数十秒考えた末、未来を一瞥。
こちらへ一直線に視線を突き立てる未来からは、俺が何を言うだろうかという心配の気持ちが露呈していた。
「一つだけ、聞いていいか」
「うん」
俺は質問を投げる。
死人の俺が長谷川に対して何を思っていたのかはわからない。どんな意図があったかなんて想像するほかない。
だから俺が聞いておきたいのは、この一つだけだ。
「ずっと聞きたかったんだ。長谷川は未来が転校してきたあの日、言い方は悪いけど、こいつが長袖を着ている理由を執拗に知りたがった。それこそ服を脱がそうとしてまで。流れで傷痕を隠すためだったと知ったあのときも、今度はその原因が気になっていたように見えた。でも聞くまいとすぐに口を閉じた」
保健室で手当てをしてもらっている間、嬉しそうに自分の右腕を見せてきた未来。
包帯の代わりとして、暑い中でも涼しく感じるジェルパッドタイプのケガかくしを長谷川がくれたのだと。聞けば戦闘にも使えるタイプの代物らしく衝撃への耐性が尋常じゃなくて、俺がキューブで生み出した炎でも一切燃えず火傷もしていなかった。
そんなすごい物、プレゼントするにはかなり高価だったはずだ。
「もしその理由を知れたら何をしようとしていたのか、それだけがずっと気掛かりだった。だから、教えてくれないか。何をするつもりだったのかを」
俺が最後まで言い切ったところで、未来はもじもじと自分の両指を絡ませ長谷川に視線を移した。
「凛ちゃん、あのね。それは私も気になってたの。傷痕見ても凛ちゃん気味悪がったりしないし、何があったかとか全然聞いてこないから」
未来の右腕のブラウスが皺を寄せる。
傷痕を隠すように当てた左の手には、力が入っていた。
「今までこれを見た人はね。碧眼のせいもあってこれまで以上に化け物とか、気持ち悪いとか、言うの。だからこんなふうに優しくしてもらうの初めてで……なんでかなって思って」
俺たちの重なる疑問点に、長谷川は下唇を噛んだ。
数秒の間、長いまつ毛が下を向いて、意を決したように一度ゆっくりと瞬きをした。
「悪い人間ってさ。相手の嫌がる行動、するものだよ。嫌いな相手には特にね」
さらに狭まっていく肩の正面が未来へと向けられる。
「今は本当に本当に大好きだけど、あのときのアタシは……心の底から未来ちーを嫌ってた。未来ちーがどんな人かなんて全然知らなかったのに、勝手にヤなやつだと思い込んでたんだ。だからあれは、嫌がらせだったんだよ」
「え。そう、だったの? 全然わからなかった」
「周りから傷つけられることに慣れないで。それは当たり前じゃない。それが普通だなんて思わないで」
長谷川の表情は、泣きそうだった。
「長袖はね、意地悪に使えそうだなって思ったの。弱みを握って、困らせたくて、その理由を知ろうとした。定規もハサミも投げた。キューブまで使った。怪我、させた。ホントにごめんなさい」
「わわ、凛ちゃん大丈夫、大丈夫だから顔上げてよ!」
再度深々と頭を下げる長谷川に未来はぶんぶんと手を振り、無理やり引き起こそうと肩をガシッと掴んだ。
勢い余って長谷川が後ろに倒れそうになる。やばいと思ったらしい未来の対応は迅速で、今度は手前に引っ張ったせいで掴まれている本人は何度も前後に揺れた。
泣きそうだった顔がぽかんとに変わり、最後には苦笑。未来の焦りもお構いなしに長谷川は少しずつ元の調子を取り戻していった。
――そういうことか。
合点がいった。どうしてだったのか。
さっき長谷川の表情が硬くなったのは、未来のおでこを見たがために自分のした行為を思い出したから。
そしてこうした場を設けられるのはきっと、改心の表れなんだろう。プライドというよりは、自分に正直。そんな言葉のほうが良く似合う。
「こんなに綺麗な目なのに、逆につらい思いをしないといけないなんてね」
「みんな怖いんだよ、きっと。同じ色だから」
「それだけなのかなあ……」
長谷川のボソッと言った懸念に未来はうん? と聞き返すも、なんでもないとはぐらかされてしまった。
俺は凪さんとの会話でよぎるものがあるが、彼女らにその話をするわけにはいかないので未来と一緒にクエスチョンマークを頭に浮べるフリをする。
そんな俺たちの勘案を逸らすべく、長谷川は先の質問に補足を加えた。
「傷痕の理由は、そうね。気にならないって言えば嘘になっちゃうかな。でも聞かないほうがいいと思ったから聞かない。見た感じ、その……死人との戦いでできた怪我じゃなさそうだったから」
「……ありがとう、凛ちゃん」
「お礼言われるようなことじゃないない。んで、ほかには? 何かあればホントなんでも言って!」
どうぞどうぞと両手をぐいぐい自分の体へ引き寄せる長谷川の動きがそれはもう全力の全力で、つい可笑しく思った俺は口に手を置き下を向いた。
「あー、つっちー珍し。笑ってやんの」
「うっせぇよ。へんなうごきするからだろ?」
「うわ。超笑ってんじゃん」
声が震えてると指摘を食らう。うっせぇよ。
「まあでも、つっちーが元気になったなら良かったよ。らしくなかったからさ」
「え?」
不意を突かれた俺は少し戸惑った。
何がと言おうとすると、長谷川はさっきまでの俺の姿を再現してくれるらしく、こんなだったとか、ああだったとか言いながらしゅんとした顔を何通りも作ってみせた。
俺、そんなに表情豊かか?
「つっちーが保健室でバカになってるとき、未来ちー言ってたよ? 隆が私を大事に思ってくれてるのがすごく伝わってきたって」
「ちょっと凛ちゃんそれ言わないって約束っ!」
「だめだめ、こういうのはちゃんと伝えるべきだよ。しっかりきっちりみっちりと!」
言っちゃダメだと口を押さえようとする未来の手を阻止した長谷川は、俺の鼻にビシッと人差し指を向けた。
「いーい、つっちー? 今回の件について今後気にする必要はない。結果良ければ全て良し、もう自分を責めたりしないこと。いいね!」
「は、はい」
有無を言わせず約束させた長谷川はニッと歯を見せたのち、「じゃあ帰るわ」となぜか急に帰り支度を始めた。
「どうした、いきなり」
「あーうん。つっちーの後ろにある時計がさ、丁度今見えてね? そのね、門限が」
「「あ」」
やばいと俺たちも気がついた。
時計が指し示す現在の時刻は六時ジャスト。そして土屋家の門限もまた、六時である。
「しょうがない、連絡入れとくかー。長谷川んとこは門限何時?」
「六時半。今からダッシュで帰ったら十五分には着けるはず。てなわけで、またね!」
言いながら走り始めた長谷川に、俺は未来と顔を見合わせた。
まだまだ余裕があるのにこの慌てよう。俺たちとはその門限に対しての考え方がまるで違う。
普段おちゃらけてるけど、やっぱ根は真面目なんだよなあ、あいつ。
「ああそだ、未来ちー!」
公園を出てすぐにある家の前でくるりと振り返った長谷川は、大声で未来を呼ぶ。
「アタシ、さっき傷痕のこと聞かないって言ったけど! 未来ちーがもしその話をしたいって思うときが来るなら、アタシは誠心誠意聞くから! だからっ、無理に言わなくていいからねー!!」
そう叫んだ長谷川の真横にあるのは、犬小屋。
「グルルル……ッ、ワン!!」
「うひょあ! ごめんわんこ!!」
何やってんだか。
驚かせてしまったお犬様に長谷川はパンッと手を合わせ、謝罪をしていた。
「いい友だち持ったなー、お前」
「ん。私にはもったいないや」
照れくさそうに笑う未来は腕で大きな丸を作った全力の返事で長谷川に応え、その背中を見送った。
姿が見えなくなったところで、俺は何度見ても変わらない時計の針の位置を確認する。
「そんじゃまあ……怒られに帰りますか?」
「そうだねぇ」
空笑いをしながら今日も残業になりましたーって連絡が入ってこねぇかな、なんていう考えに至ってしまう俺。
全力疾走していった長谷川との性格の違いを感じつつ、足取り重く公園をあとにした。
【第四十回 豆知識の彼女】
帰宅後、凛子は薬の勉強をしている。
凛子さん、根はいい子です。超真面目です。それはもう門限の十五分前に帰りつけるのにやばいと思うほどに。
そして、未来へしたことを改めて償いました。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 低声の接続詞》
凪さんの声色の変化、恐怖。
よろしくお願いいたします。