第三十七話 土屋隆一郎の本音⑤
前回、隆一郎が死人化した理由の断片を知りました。
『ああ、そうだ。俺は、土屋隆一郎の意思から生まれた。未来を守る。そのために、こいつは強くなる道を選んだ。弱さは己を守るための盾なのに、逃げる選択を捨て、前に進むと誓った』
流れ落ちる涙は止まり、彼は、静かに自身の生まれと思いを語った。
『俺は応援したかった。強くなろうとした自分を支えるために、最期に隆一郎の覚悟を見てから消えようと思っていた。……頑張れって、伝えたかった。だけどあの日、奴らは現れなかった。こいつ、すごく気を張ってたのに、必要なかったんだよ。可哀想にな』
「……背中を押したかったんだね」
隆一郎らしいと思った。死人化の理由でさえも。
未来はその想いに強く賛同し受け入れようとした。
彼は隆一郎自身であると。だが。
『だから、それならば力を貸そうととどまった』
胸騒ぎ。
『お優しい隆一郎にはできないことを、俺が代わりにやってやろうとな』
隆一郎が口を閉じた途端、凛子たちを捕捉する炎が爆発した。
瞬間的な轟きに空気が揺れ、地にヒビが入る。
炎の内側にあった水の防壁が、爆撃に押され一度大きくうねりを打った。
急に起きた命を奪う行動に未来は怒号を飛ばす。
「手ぇ出さんといて! 隆が私を守るんとあの二人は関係ないやろ!?」
『いいや、大アリだ。あいつらは未来を傷つけた。だから殺す』
莫大な炎を彼は身に纏う。
火の粉があちらこちらに飛んで、燃えていく。
空気が熱い。呼吸のたび喉が焼けそうになる。
これまでと一変して殺意を撒き散らし始めた隆一郎を前に、未来はしっかりと気を張り直した。
「傷ついてない、仲良くしてくれてる! さっきだって友だちだって言ってくれた!」
『傷つけた。怪我をさせ、傲慢な態度で未来を陥れようとした。能力の本質を見極められず、多くの人を見殺しにし、結果未来が怪我をした』
ピンと、糸が繋がるような錯覚に至った。
この死人が生まれたのは未来が学校を休んでいた日の夜である。その日に生を受けた彼の中には、翌日二人と一緒に遊びに行った記録はない。
その前日までの隆一郎が見たものしか知らない。
ゆえに彼の目には、今もなお未来を悲しませた原因として映っているのだ。
「通信機……外しといて正解やった」
未来は歯を食いしばる。
『殺す』など、隆一郎の口から言わせたくなかった。
感情の死人はその元になった意識よりも闇が深まる可能性がある。当の本人は全くそう思っていなかった事柄でさえ、邪気が障って、心ない言葉を吐き散らすようになる。
そのせいなのだろう。彼は目をグワリと見開き、カタカタと唇を揺らしながら言葉を羅列した。
『お前は大丈夫だと言った。傷ついていないフリをした。元気なフリをした。自分は何もつらい思いをしていないと思い込むことで、俺や凪さんに心配をかけまいと自らを鼓舞し、明るく振る舞っているんだ』
曲げた人差し指が、未来のおでこに向けられる。
『このままだと、近い将来お前は壊れてしまう。だから俺は、お前を壊す可能性があるものは全て殺す。破壊する。あいつらも、この学校も、ここが終わったら街に出て、未来を否定するもの全てを消す』
隆一郎の体の炎がさらに燃え上がる。門のそばにある花壇からも発火して、ドアや窓から校舎内にまで燃え広がった。
後半は、何を言っているのかよくわからなかった。けれど心配してくれていることは、痛いほどよくわかった。
殺意に塗れてしまった存在は、未来自身には心当たりがない心配までしていた。その深い意味合いまではきっと、教えてくれないのだろう。
「わかった。あなたが私を本気で守ろうとしてくれていること。私を理解してくれていること。土屋隆一郎の一部であること」
自分を大事に思ってくれている。こんなにも心が温まる話はないと、未来は感謝の気持ちを表情に浮かべる。
『やっとわかってくれたか』
「でもね、お前はやっぱり隆じゃない」
突き放すような未来の返答に少し、死人の顔が歪んだ。
足元の芽の一つを急成長させ【玄翁】に変化した未来は、目の前にある隆一郎の顔を思い切り殴り飛ばした。
続けて二つめの芽を急成長。【蒸散】をさらに強くして空へ空へと水蒸気を排出。学校の上全体を雲が覆い、痛いぐらいの雨を降らせる。
校舎内にも火が消えるほどの水を張る。
『なぜだ、なぜわかってくれない!? 俺は――』
「あなたは隆の一部が負の感情に巻き込まれてできた、破壊するだけの意思だ。あいつとは違う」
雨で顔が濡れて、泣いているようにも見える。
三つめの芽を校舎半分ほどの大きさの【木琴】へと変化する。
「それに隆は、私が育てた花は絶対壊さない」
雨で弱まった火の中から見える灰になった花たち。
そこに面影などない。
「隆から出ていきなさい。哀しい生き物」
渾身の力で木琴を叩く。頭にぐわんぐわん響くような凄まじい轟音が放たれる。耳ごと頭部を押さえ悶え苦しむ死人に追撃の【玄翁】を投げ付けた。
横へ転がり間一髪、避けられるが、その瞬間に合わせて未来は後ろに回り込む。
「【光線】」
オヤマボクチ――丸い口を思わせる形状、暗紫色の花からの可視光線攻撃。
パォンッ! とくぐもった音を放つ光の筋で、死人を校舎までぶっ飛ばす。
「【しなれ、一ノ矢】」
体を突き抜けない柔らかいバルサの木で作った弓を大きく引いて射る。そのあとを追って距離を詰めた。
だがそこに死人の姿はない。
『【貫け、二ノ槍】!』
後ろを取られ、鋭い切先が未来を襲う。
「真似事のつもり?」
炎でできた槍を身を反らしかわしながら、両拳の側部を突き合わせた。
「それは、二ノ槍なんて名前じゃないよ」
刀を鞘から抜くような仕草で【木刀】を生み出して、繰り出される槍の突きを難なく往なす。
「それはね、【炎の槍】。使わないで、隆の技だから」
死人の腹部に強打をぶち込んだ。
顔が歪み口腔から血が数滴飛び散ったのが見える。
「【落ちて、三ノ矢】」
ヒノキでできた矢を頭上から急降下させる。
本能的に防御しようとする死人は頭に腕を重ねた。
「そう。それでいいよ」
射貫くのが目的ではない。
死人の腕に届くギリギリの瞬間、矢の軌道を旋回へと変える。
持っていた【木刀】を上空へ投げ飛ばし、右手の甲をぼこぼこと変形させた。
――あれ綺麗だったな。なんだっけ、鳥のくちばしみたいになってるやつ。
思い出すのは、楽しそうに話す幼なじみの声。
「あのとき、説明してあげられなかったね」
指の付け根まで変容した右手。そこにあるのは、鳥のくちばしを思わせる花。
「【引き抜け】」
隙が生まれた隆一郎の胸部へ、殴るようにストレリチアを叩きつける。
それは死人を吸い込み、取り除く効果のある哀憫の花。
死人の魂だけをどうにか引き剥がせれば。そう未来は考えていたが、今回は上手くはいかないらしい。
隆一郎の意思であり、隆一郎本人の体であるために。
『【火柱】!!』
死人自らも巻き込む筒状の火が地面から上り、二人の全身が猛炎に包まれる。
『わかってくれないのなら、お前を殺すしかない! そのあと俺も死んで今度は天国でお前を守るんだ!』
炎が強すぎて、未来の体に纏った水が消えてしまいそうになる。
直接当たれば軽い火傷では済まないだろう。
集中して水を保ち、上空から舞い戻る【木刀】をバシッと掴み取った。
「……お前は何もわかってない」
強く、水を作る。
「私たちは殺しすぎた。死人と呼ばれる命も、仲間も」
強く、強く、水を張る。
「天国で私を守る? バカを言うな」
命あるものを守るために命を奪う。
それが自分たちの仕事。だから、
「私たちが行くのは、地獄だよ」
地面に張った水は渦を巻いて、【火柱】同様に天へと上る。
強大な渦動はその場にある全ての炎を飲み込み消し去って、静寂を迎え入れた。
動揺と怯えが映る死人の瞳へ、未来は刀の先を真っ直ぐに向ける。
「【木刀・改】」
丸みを帯びていた木刀の無駄を削ぐ。
日本刀を思わせる切れ味を増した『改』の【木刀】を手に、未来は地を蹴った。
『脅しならきかねぇ! そんなモノ使えば土屋隆一郎が死ぬぞ!』
言葉と裏腹に炎の防壁を作る死人。
「脅しじゃない」
その炎の中へ。溶けてしまいそうな灼熱の火の中へ飛び込む。体を守ってくれている纏った水が――消える。
手に馴染む刀の柄を、苦しいながらもギュッと握りしめた。
「必要なら殺す。この世界の必然だ」
死人の、いや、隆一郎の目から出た小さな涙。
火で蒸発してしまうのが見えた。
「黙祷……」
ごめん。そう思って刀を振りかざす。
一息に彼の右胸へと突き刺して、力任せに押し倒した。
痛い。苦しい。
そんな隆一郎の声を聞きながら、刃先にある青い玉が壊れる音を待った。
『未来……なん、でわかって、くれないんだ……』
ぽろぽろと涙を流す隆一郎に、未来は自分の考えと思いをゆっくりと告げる。
「あなたの言うとおり、私は自分を偽って生きてるのかもしれない。本当は自分が思ってるよりも傷ついて壊れそうなのかも。あなたのほうが私を理解しているのかもしれない」
ピキピキとヒビが入る。
同時に胸から血が溢れ出た。
「でも、私はこんな世界でも生きていたい。自分が周りからどんな目で見られようと、私の大切な人が生きてるこの世界を守りたい」
一際大きな音が鳴る。貫通する音が。
『……人間に殺されるかもしれないお前が、人間を守るのか』
割れた心臓から、さらに細かく細かくヒビが入る。
「そうだよ」
小さな割れる音が鳴る。
『お前の存在を否定するこの世界を……守ると言うのか』
「うん。そうだよ」
未来を恨めしそうに見ていた隆一郎の顔が、少しずつ緩んでいく。そうか、と諦めたように瞼が閉じられる。
「でもあなたのおかげで、もう少し自分を大事にしてあげようって思ったよ。だから……ありがとう」
木刀の柄から、そっと傷口に手を移す。その瞬間、死人の心臓が粉々に割れ、ガラス玉へと変わっていった。
最後は少し、笑っていたように見えた。
【第三十七回 豆知識の彼女】
本物の隆一郎は、凛子も加奈子も憎んでいない。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 後始末》
ぶっ倒されてしまった隆一郎、その後。
よろしくお願いいたします。