第三十六話 土屋隆一郎の本音④
前回、死人に乗っ取られた隆一郎を見つけました。
秀の声を背に受けながら、未来は勢いよく外へと飛び出した。
周囲を覆い尽くす火で前が見えないが、今の未来には関係ない。纏った水が体から離れないようほんの少しだけ前方に出して、火を相殺しながら進む。
揺らめく炎の先にある見知った背中。そこに向けて、気を引くために水を纏わせた【木鳥】を送る。名前の通り鳥を象った美しい樹枝は、大きく羽ばたき隆一郎の周りを翻弄するように飛翔した。
だが宙返りして帰ってこようとした瞬間、聞き慣れた炎の音源が未来の鼓膜を揺らす。
ボッと音を立てて炙られた【木鳥】は、見る間に灰へと成り果てた。
「……隆」
こちらを認識したであろう隆一郎に声をかける。
意識が少しでもあれば手荒な真似はせずとも正気に戻せるだろう。
でも返ってくる言葉はない。
それどころか、振り向いてもくれなかった。
「隆。やめて」
もう一度呼びかけてみるが、やはり反応はない。
同じ方向、凛子と加奈子を捕捉している炎の渦巻きをじっと見つめたままだ。
『あー、未来ちーごめん、全然連絡できなくって。未来ちーが言ってた微弱な邪気? 探してたら、なんかおかしいつっちーを見つけてさあ。何言っても答えないしアタシらもこんな状態だしで、どうしたらいいかわかんなくって』
『そうなの未来ちゃん、土屋君変なの! なんでか沢山火を出してね、さっきも未来ちゃんそれで危なかったし! ちがう人みたいだよ〜!』
通信機越しに述べられた経緯の声は、困惑はあっても恐れや戦意は感じられない。
それはきっと、隆一郎が変である理由が死人関係だなんて夢にも思っていないからだろう。
言っておくべきだった。隆一郎が死人に押さえ込まれてるかもしれないと。
手を借りるという経験をしてこなかったゆえに、こうした場合の良き対処法が未来にはわからない。
今からでも伝えて協力を仰ぐべきだろうかと思考を巡らせていると、凛子は自分に非があった行動を思い出してはその全てに謝罪をし始めた。
『ねぇつっちーってばー。食べ歩きで沢山からかったのそんなに怒ってたの? ごめんってば、帰りにしっかり謝ったじゃーん!』
謝って、謝って、未来が知らないところでそんなにいじり倒していたのかと何も言えなくなるほどに謝って、ついには思い当たることがなくなったらしく、凛子はおでこに手を置いた。
『もしかして私が席替えにキューブ使ったの怒ってる? 【運気の解放】……キューブの使用ルールを守らなかったから……』
何だか聞き捨てならない加奈子の発言があったが、それでもやはり隆一郎は動かない。
代わりに校舎のほうから警報が鳴り響く。
現状を見る限り、炎の渦に捕らえられているだけで彼女らに怪我はなく、拘束もされていない。そして、腰に着けたキューブも健在。
単純に行動の邪魔にならないように捕まえただけなのであれば、二人が何もしなければ危険はないはず。だが理由があっての行為なら、その限りではない。
「不安要素の排除と、周囲の警戒」
ぽそっと、呟いた。
「上がれ」
彼女らの周り、炎の渦よりも内側に蒸散でできた水の防壁を作り出す。
『わっ、未来ちー!?』
『未来ちゃん!?』
イヤーカフ状の通信機をむしり取り、二人の驚き声を物理的に引き離す。
ここから先、自分たちの会話を聞かせないために。
おかしくなった幼なじみに集中するために。
「隆。いや……お前は誰だ?」
自分たちがいる中庭、隣接する校舎。
避難がどれだけ進んでいるか再度【木鳥】を飛ばして探りながら、未来はそこにいる隆一郎が誰なのかを問う。
名乗れと声を上げると、錆び付いた鉄のようだった背中がやっと動きを見せた。
『俺は、土屋隆一郎だ。お前の幼なじみだ』
「嘘。隆は私が嫌がることはしないんだよ」
『いいや、俺は土屋隆一郎。土屋隆一郎の中にいる土屋隆一郎で本物の土屋隆一郎だ』
何を言っているんだろうか。
おツムがあまり良くないのか、それとも何かしらの意図があるのか、どうにも判断に困る答え方だ。
ならばと次の質問を行おうとすると、早くも索敵を終えた【木鳥】の帰還が見えた。
すいと滑空して未来の肩に止まり、人は近くにいないとの報告が入る。
火が出ているのを利用して、火事が起きた体で先生を巻き込み避難してもらっていると、斎と秀から預かったらしい伝言を受け取った。
――こんな短時間で。
彼らの機知に心からの敬意を払うべきだなと、未来は口角に笑みをこぼした。
「じゃあ土屋隆一郎さん。その二人を解放して。私の知ってる土屋隆一郎ならすぐに聞き入れてくれるでしょう」
『残念ながらそれはできない。こいつらは今すぐここで抹殺する』
「そんなのおかしいよ。本物の隆は人を殺せないもん」
諭しつつ、攻撃の準備をする。
今は手を出していないとはいえ本気で殺すつもりならこちらも手段は選べない。
相手からは見えないぐらいの小さな植物の芽を、足元に三種類生やす。
『それは今までのこいつが仮の姿だったからだ。この俺が本当の土屋隆一郎だ。お前の知ってる土屋隆一郎は、ニセモノだ』
「酷い物言いだね。十一年も一緒にいるのに私の知ってる隆が偽物だって? 笑わせる」
『そうか? ならばお前は、こいつの心をどこまで理解しているというのだ』
ニタァと笑う隆一郎の顔は、未来が今までに見たことのない人間離れした、言うなれば死人に近い表情をしていた。
『お前は、こいつが今どれくらい追い詰められているか知っているか?』
「……は?」
『こいつが今何に悩んで、何を決意していて、何を守りたいのか。本当にお前はわかっているのか?』
「あなたはそれがわかるとでも?」
『わかるさ。俺は土屋隆一郎なのだから。何に怯えているのかも、全てわかるぞ。可哀想に、こんなにつらい思いをしてな』
びくりびくりと痙攣したように笑う、こちらへ歩み寄る普段と違う幼なじみに抱くのは、若干の恐怖。後退り。
『死人が怖い。死ぬのも怖い。友達が死んでいくのが怖い。未来の急成長に置いていかれるのが怖い。守れないのが怖い。守られる側になるのが怖い。強くなれない。努力が足りない。もっともっとやらなきゃ。何かあったときに俺がそばにいてあげなきゃ。俺が未来の一番の理解者でいなければ』
言葉を紡ぐたび溢れるものが、ぼろぼろと頬を伝う。
隆一郎は泣いていた。
「何を……」
『いつも守れなくて守られる側で、こんな俺じゃ、きっとずっと、ずっと……守れない』
何を言っているんだろう。まるで隆一郎が本当にそう思っているようではないか。
未来は戸惑った。
死人が己を土屋隆一郎だと言ったのは、未来が迂闊に手を出せないようにするための単なる言いぐさではなかったのかと。
もし今の言葉が本意であるのなら、でまかせでないのであれば、この死人は。
距離にして、残り五十センチ。哀しい顔が、瞳が、未来を純粋に見つめる。
『俺は、未来を守りたい。未来を傷つけるやつは、俺が全部ぶっ潰してやる』
――ああ、そうか。そういうことだったんだ。
未来は理解した。実体がないのに消滅しなかったのも、やたら丁寧に二人を拘束しているのも、未来自身をこんなふうに言うのも。
「あなたは、隆の心の一部なんだね」
大人になろうとした隆一郎の、子どもの心。
まだ十三の幼い命だ。
どれだけ決意をしようと、どんなに強がろうと、必ずどこかに弱さがある。恐れがある。
割り切れ。そんな簡単な言葉で片付けられない。
我慢して、我慢して、必死に耐える。
逃げ出したくなる気持ちに抗い杭を打って、全てを放り出したくなるたび強くあろうとする。
大切なものを失わないように。
この国は、子どもが子どもでいることを許さない。
子どもに大人と同じだけの強さを、それ以上の強さと考え方を求める。それが、必要であるために。だけど。
――忘れちゃいけないんだ。私たちは……。
『私たち』はまだ、今年等しく十四歳になる、ただの平凡な子どもなんだ。
【第三十六回 豆知識の彼女】
隆一郎は秋生まれ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 土屋隆一郎の本音⑤》
無理やり押さえ込んだ幼い心は、怒りから変化する。
よろしくお願いいたします。