第三十五話 土屋隆一郎の本音③
前回、隆一郎の体の中に死人が入り込んだのだと確証を得ました。
水の中。そんな感覚。
面白半分で湯船に潜ってたガキの頃、風呂場に入ってきた父さんに怒られたときとよく似てる。
ゴポゴポと耳の機能を遮る独特の圧力が、聞き取れるはずの声の侵入を邪魔するんだ。
「土屋ー。おいこら、つーちーやー」
遠くから叫ばれているような、反響してぼんやりとした声。
ああ、俺また寝ちゃってたのか。
ありがとな斎、ちゃんと起こしてくれて。
けど、なんだろう。起きなきゃって思うのに、体がいうことをきかない。
「起きないね」
「ん……全く反応なしだね」
いや、起きようとはしてるんだよ。
だけどなんだろうな。すんげぇ体が重いんだ。
「疲れてるなあ」
「授業終わって凛ちゃんたちが出ていった途端バタンキューだったもんね」
ああ、そういえば日直だーとか騒いでたもんな。
「でももう休憩時間終わっちゃうし。氷作ろうか? 当ててたら冷たくて起きないかな?」
げ、もうそんな時間なのか?
そりゃまずいって。早くどうにかして起きないと。
「さすがにちょっと可哀想じゃないか? あのガム食べて寝られるって相当眠いんだと思うぞ」
「うん……どうしたのかな。でもこのまま起きなかったらまた先生に怒られちゃうよ」
そうだ。これ以上眠気なんかのせいで授業態度『悪』なんて評価をつけられるのはごめんだ。
起きろ俺。今すぐにだ。
起きろ、起きろ、起きろ!
「昨日急遽当番だったことにして、敢えて相沢さんも寝ちゃったら先生も何も言えないかもな」
「斎名案。でもそれだと相沢さんも授業受けられなくなっちゃう」
「うーん……。寝たフリして授業受けようかなあ。先生が黒板のほうに向いてる間にノートとって」
「普通は起きてるフリして寝るのにな」
キーンコーンカーンコーン……。
――なんで?
おかしくないか、こんなにも起きられないのは。
周りの声は聞こえてるのに覚醒できないってのは。
そもそもこの空間の居心地の悪さはなんだ。
この、異物が体の中にあるような感覚はなんだ。
何度か鳴るチャイム。
みんなが起こしてくれる声。
自分を笑うクラスメートの会話。
時間が経つほど徐々に鮮明になってくる体内の存在。
「お昼だけど……隆、起きない?」
やばい、これ、俺じゃない。
「外、なんだか騒がしくない?」
俺の意思じゃない、別物だ。
「すぐ戻るよ」
脳裏に蘇るあの小さなカタコトの声。
――チカラガホシイカ。
どうして気付かなかった。気付けたはずだ。
「きゃあっ!?」
体が勝手に動き始めた。
「わあ!?」
手を出し始めた。
「お、おい土屋!?」
まずい。
「お前何して……っておい! どこ行くんだ!!」
斎の声が遠くなる。周囲の音が遠ざかる。
意識が保てなくなってきた。
どこに行くのか、俺にもわからない。
俺はなにがしたいんだ。
お前はなにをしてるんだ。
くそ……どうしたら、いい。ど……すれば……。
◇
走る。走る。長い廊下を通って、階段を下りて、また廊下を走って、走って、捜す。
「でもさ、あの日ゴミ箱からは何も出なかったんでしょう? いつ土屋の体に入ったのかな」
隣を走る秀は未来に問う。
彼の言う通り、あの日ゴミ箱からは何の反応もなかった。
そのいつかというのはまだ未来にもわからない。
それでも当番の際に起きたと確信をもって言えるのは、次の日の授業中、渡したガムが何であるかが理解できないくらい眠そうにしていたから。
あのときはほぼ徹夜明けに近いせいだと思っていたが、それが前触れであったのだと考えれば納得もいく。
「いつかはわからないけど、大方、形がない死人なんだと思う。だから気配も感じにくい、気付こうとしても気付けなかった」
「形がない? そんなことあるの?」
「例えば、意思とか、感情とか。ごく稀にあるの。すっごく強く願っていた気持ちが不意にいらなくなっちゃったりしたときなんかにね」
凛子と加奈子が今回の事態を認識しておらず、隆一郎自身もわかっていなかったその理由。それは、三人に共通するマダーとしての『経歴の長さ』によるもの。
長く戦場に足を運べば運ぶほど、身の毛のよだつ死人の雰囲気を敏感に感じ取るようになる。逆に言えば、その雰囲気を纏うモノのみが、死人であると思うようになる。
ここで問題となるのが気配の違い。
心境から生まれる死人と哀しさから命を宿らせる通常の死人との明らかな差。
それが、隠微な邪気。
あれは恐らく、対面した経験のある者にしかわからないシロモノだ。
彼女らは死人に気付かなかったのではない。
要素自体を知らなかっただけなのだ。
しかしそんな中でも秀や斎は空気を気味悪がった。
学校中の生徒も軽く騒ぎを起こしている。
未来の憶測に過ぎないが、その二つの現象は一般人に備わった『危機感』により引き起こされたもの。
死人独特の雰囲気は彼らにはわからない。
だからこそ無意識に外へ出る。
それが、一般人が死人から身を守るための唯一の術であるために。
「感情か……。極端な話、大会で優勝しよう! って意気込んでたのに大会自体なくなって思いのやり場がない、とか?」
「そう。でも実体がないから力を出せずに自然消滅するのが普通なんだけど」
元いた三階から一階まで下りて、最後の廊下を走る。
――凛ちゃんも加奈子ちゃんもまだ連絡してこない。お互い見つけられていないということか。
未来は秀と手分けして捜すか悩んでいた。
もしここにもいなければ、ほかの校舎か外。校外に出てしまえば見つけるのは困難を極める。
急がなければならないとわかってはいるが、隆一郎の体を操っている死人がどんな感情から生まれたのかがまだ判別できていない以上、何をしてくるかが不明。
何より秀は最近マダーになったとあって、戦闘経験が少ない。そんな彼のそばを離れるという選択は非情にもほどがある。どうにも踏み切れなかった。
廊下の終わり、外に出るドアの数歩前。
『未来ちゃんダメ!!』
通信機越しの加奈子の声が思考を遮り、ドアを出かかっていた未来は止まれと秀に手を翳した。
次の瞬間目の前が火に覆われる。
火も煙も、高く高く立ち上る。
――いる。捜していた人物が、そこに。
「キューブまで使われてる。厄介だな」
「どうするの? こんなに一面火の海じゃ近づくこともままならないよ」
予想外の出来事に、不安げな顔をした秀は指示を仰いだ。
彼の文字は確か『氷』だったなと寸刻考えてから、未来は手を翻す。
「【蒸散・オール】」
少し前にも使った、蒸散作用という植物が大気中へ水蒸気を放出する現象。それを手のひらに作った小さな植物から通常の何億倍かのスピードで生じさせ、さらにその水蒸気を集積して水へと変換する。
オールとは、想像力が全てであるキューブの能力において、纏や広範囲に技を繰り出す際に想像しやすくするための言葉。
すなわち、形成されたその水は、二人の体を覆うように纏い付く。
「これで火の中でも動ける。でも秋月君はきっと相性が悪いから、ここから出たら他の校舎にいるみんなに避難するよう誘導してほしい。こっち側の校舎は谷川君がするって言ってくれてたから大丈夫だと思う。私は先に出て隆の気を引くよ」
「わかった。気を付けて!」
【第三十五回 豆知識の彼女】
未来は、感情から生まれた死人と戦った経験がある。
隆一郎の意識はここでGood night。
彼の体は中に入り込んだ死人によって動かされています。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 土屋隆一郎の本音④》
いったいどんな感情から生まれた死人なのか。
よろしくお願いいたします。