第三十四話 土屋隆一郎の本音②
【前書き】
前回、眠りについた隆一郎でした。
女子組は屋上へご飯に。
周りがざわついているような気がして、秀は外に出て様子を確認しに行っています。
玉子焼きが落ちた。
隆一郎の好きな、甘めの味付けがされた玉子焼きが。
「未来ちゃん? どうしたの?」
微動だにしない未来の肩を、加奈子は心配そうにトントンと叩く。
制服のスカートに助けられたいのちも、食べてくれないのかと悲しげに見上げてくる。
それでも未来は金縛りにあったように動けなかった。
――この、嫌な感じはまさか……。
朝から変だとは思っていた。
いつもと違う、妙な空気。肌を撫でる非日常な感触。底冷えだとか、冷気に当てられたとか、そんなイメージができる気持ち悪さに。
だけどそれが何によるものなのかの判断材料が足りず、未来は考え込むほかなかった。
おかしい点はないように思えた。
隣を歩いていた隆一郎が、妙に眠そうにしていたこと以外は。
当の本人は特別変な空気を感じ取っているようには見えず、自分の気のせいかと悩みすぎて聞き逃した会話も多数ある。
だが昼になって、急激に嫌な感じが膨れ上がった。
何かを探している。そんな空気の揺らめきが。
「動きあり……」
「え?」
未来を気遣う加奈子には何も答えず、頭を戦闘モードに切り替えるべく長い髪をひとすくいで頭の上に集め、髪ゴムを回してポニーテールを作る。
玉子焼きだけはぱくりと口の中へお迎えして、半分残った弁当をしまってすっくと立ち上がった。
「あれ、未来ちーどしたの?」
ガチャッと、屋上の出入り口が開かれ冷たそうなフラッペを持った凛子が顔を見せた。
食後のデザートに何か買いに行くと再度購買に赴いていた彼女もまた、加奈子と同じく未来の様子を不思議に思っているらしい。さらに言えば、焦りや不快な感覚を抱いている様子も見られない。
この場において状況を察しているのは自分だけなのだとその時点で把握。
ならば違和感の正体に巻き込むのは申し訳ない。
未来は一人で解決すべく校舎内に戻ろうとした。
「待って、未来ちー」
屋上から中へと続く階段に踏み込むと、後ろから凛子に呼び止められた。
その真剣な声に、急がなければと思う反面足の動作を強制的に遮断する。
「よくわからないけど、何かあるんでしょ? 手伝うよ」
瞳孔が開いた気がした。
理由も一切わからないまま、自分が何かの行動を起こそうとするだけで『手伝う』など、なぜ言えるのかと。
とててっと加奈子が凛子の近くまで駆けてくる音で、未来は我にかえる。
「私の、勘違いの可能性もあるから」
「それでもいいよ。もしなんにもなくて勘違いだった、なら万々歳じゃん。でも、違ってたら困るんでしょ?」
もちろんそうだ。何かあってからでは遅いし、困る。だから行動に移っている。
反論ができない未来に、気高ささえも感じる凛子の声が突き刺さる。
「力を貸すよ。友だちなんだからさ」
心臓が跳ね上がった。
聞きなれない友だちという言葉に。
生涯縁のないものだと思っていた言葉に。
目立って瞬きが増えた。
「まあその……うん。アタシからそんなふうに言っていいのかはわかんないけどさ」
少し気まずそうな雰囲気を拾い上げた未来は、やっとこさ彼女の表情を確認した。
空気に漂う若干の後ろめたさはあるが、凛子の瞳は真っ直ぐに未来を捉えていた。
「わっ、私も! 私でも何かできるなら手伝わせて!」
加奈子がずいと前に出て、焦り口調で同様に引き留める。
可愛らしい声にはそぐわない真剣な顔が、三歩ほどさらに距離を詰め未来の目に大きく映る。
「こういうときはね、みんなで一緒にするのがいいんだよ。一人で抱え込むとしんどいの。だから頼って? きっと上手くいくから!」
青い瞳がまん丸になる。
頼るとは、人にたのむこと。
頼るとは、人に委ねること。
頼るとは、その人を信じ任せること。
それらはお願いであり、託しであり、支えである。
一人でやらなければ。その心意気は変わらない。
今までもずっと、そしてこれから先もそうであり続けるべきだと思っている。
しかしこれまでにはなかった、力を貸してくれる存在に。
強い眼差しを前に。
未来は、生まれて初めて友の手を借りる決意をした。
「……学校敷地内、全てを見て回りたい。協力してもらってもいいかな」
◇
マダーが常日頃から携帯しているイヤーカフ状の通信機を凛子と加奈子に着けさせ指示を出したのち、未来は校舎内を駆けずり回った。
廊下は走るなのポスターは見えているが、それを実行している余裕はない。
昼休みで生徒の往来が激しい中、小柄な体を活かして人と人との間をすり抜け走った。
お弁当を食べ終わったころとはいえ、階段にも廊下にも人が多すぎるように思う。
よもや教室内にいた生徒全員が外に出てきていると言っても過言ではない事態に、心中のマズイという感情が表面化するのが抑えられない。
ここまで人が多ければ自由に動くこともままならず、被害を抑える方法も視野に入れなければならなかった。
脳がピリつく。
思考が学生のそれからマダーのものへと移り変わる。
頭がクリアになっていくと同時、半ば確信に近い仮説がどの段階で起きたのかを考えた。
朝か、午前の授業中か。はたまた――。
「あっ、相沢さん」
化学室前の人混みの中、消え入りそうな静かな声が未来の耳に届く。
「秋月君?」
数メートル先で秀が周りの生徒に押されながら手を上げていた。
お互い駆け寄り大丈夫かと無事を確認し合う。
「今屋上に行こうと思ってたんだ。なんだか騒がしいように思って外に出てみたら、びっくりするほどみんなザワザワしてたから」
「うん、私もここまで見て回ってきたけど、どこもこんな感じだよ」
「そっか。何だかね、人も沢山だけどそれ以上に空気が気持ち悪い気がするんだ。嫌な感じがするというか、どう言えばいいのかわからないんだけど……」
秀の言葉に、未来は自分の耳を疑った。
凛子や加奈子は何も不思議に思っていなかったのに、目の前の男の子は自分と同じような空気の不気味さを感じ取っている。何かがおかしいと察している。
――どうして。
疑問は未来の目を周囲に向けさせる。
異様なほどの生徒の数。ざわめき。
そして自分だけが朝から持っていた奇妙な違和感。
ああと未来は納得した。逆だったのだと。
マダーとしての経験が長いから気付かない。
知識があるからこそ疑わない。
変化として捉えられない。
仮説であったモノが、確信へと変わる。
「教室へ戻ろう、早急に」
動くべき手順が頭に構成される。
実行に移るべく秀を連れて生徒の流れに逆らいながら走ると、曲がり角で斎と出くわした。
「おわっ! ってあっ、二人とも! よかった、捜してたんだ」
驚き一つだった顔に焦燥が映る。その表情の変化がこれから告げようとしている言葉に信憑性を持たせた。
「やばいんだよ! 二人連れてかれた!!」
その断片だけでは理解し難い言葉の意味を提示させるべく、秀は落ち着いて聞き返す。
「連れてかれたって、誰に?」
「あああえっとな、つまりっ……」
「隆だね」
「あっ、そう、土屋! 急に立ち上がってフラフラしてると思ったらクラスのやつ二人とっ捕まえて飛び出してっ……って、え?」
冷静でない前のめりな説明は途中で打ち切られ、代わりに斎の視線が未来の顔一点に注がれる。
なぜ知っているのか、なぜ聞く前に確信を持った言い方ができるのか。その答えを待つかの如く、瞼が上部に固定されたまま動かない。
「どういうこと?」
平静を崩さない秀からの問いに、未来はキューブを展開して戦闘を始める意をあらわにした。
「この間からだったんだよ。この間の、死人が出なかったあの日。何もなかったんじゃなくて、どこかのタイミングで死人が隆の体の中に入り込んでたってこと。急いで隆を見つけなきゃ。このままいけば、隆が人殺しになっちゃう」
【第三十四回 豆知識の彼女】
未来はこれまで友だちがいなかったため、何かあれば一人でどうにかするという思考が頭に染み付いている。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 土屋隆一郎の本音③》
隆一郎の現在と、凛子や加奈子が気付かなかったことを秀が気付いた点についての解説。
よろしくお願いいたします。