第三十三話 土屋隆一郎の本音①
前回、妙なカタコトの声を聞きながら隆一郎は眠りにつきました。
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
どこからかはよくわからないけど、随分と遠いところから呼ばれてる気がする。
「――――」
行かなくちゃ。そっちに行かなくちゃ。
ここにいるのは良くない。
早くここから出たほうがいいって体が危険を訴えてくる。
「――。――!」
「――――?」
だけど、なんだろう。
そっちにいけない。
いこうと思ってもいけない。
「――――」
耐えられない。
なんだかすごく……ねむい……。
「つっちー。おーい、大丈夫ー?」
「……長谷川。てめぇ俺の口に何を入れやがった」
「あ、起きた。おはよー」
急に意識がハッキリした俺は、目の前にある長谷川の顔を睨みつけて問いただした。
この、口の中にある妙にモチャモチャとした食べ物の正体を。
「睡眠阻害ガムだよ土屋。もうすぐ授業始まるのに、僕らがどれだけ起こしてもピクリとも動かないから」
予習中らしい秀に、斜め後ろの席から状況を端的に知らされる。
重い体をなんとか持ち上げて時計を見ると、確かにあと数分で授業のチャイムが鳴る時間だった。
学校に着いたところまでは覚えてるけど、そのあとの記憶が全くない。席に着いてそんなにすぐ寝てしまったのだろうか?
「あんまり相沢さんに心配かけんなよ。昨日の怪我の影響かもしれないってずっと気にしてたぞ?」
「あ……わるい斎。未来もごめん。怪我は大丈夫だから心配すんな」
「なら頑張ってシャキッとしろ」
斎に背中をバシッと叩かれて、ガムと相まって少し頭が冴えてきた。今のうちにと思って自分の体がどうなってるのか懸命に考える。
朝起きたときにはもう肩の痛みはすっかり消えていたし、体の打撲も綺麗に治っていた。
だけどその代わりなのか、どうにもならないほどの眠気に苛まれている。今日は学校を休もうかと思ったぐらいだった。
「あっ、土屋君起きた?」
ガラッと開けられたドアの向こう側、どこかに行っていたらしい阿部と目が合った。俺を見て走ってきてくれるのはいいけど、進行方向を見てないとぶつかるぞ。
「あー加奈っち、先生なんてー?」
「うん、やっぱり休憩時間手伝いが欲しいって。一限終わったらすぐに来てって言ってたよ〜」
「げー、日直も楽じゃないなあ」
「そうだねぇ。手伝うから一緒に頑張ろう?」
長谷川に答えながら自分の席まで来たかと思えば、阿部は座りもせずになぜか俺の前で少し前かがみになった。
「……なに?」
「ううん、熱はないみたいだね」
そっと俺のおでこと自分のおでこに置かれた手は、どうやら体温を測っているらしい。もしや一番心配してくれてるのは阿部なんじゃないだろうか。
「平気平気。眠いだけだから」
「ほんとう?」
「ああ、ほんと」
そうだ、眠いだけだ。
でも凪さんとのメールのあとすぐに寝たのに、なんでこんなにも睡眠不足を感じるんだろう。
「まあ授業中にまた寝てそうだったら叩き起してやるよ。席後ろだしな」
「おお、頼むわ」
ガムの効果はしっかり出てるから問題はないと思うけど、もしかしたらを踏まえて斎に甘えることにした。
残り少ない休憩時間でわいわいと話が賑わう中、先生が教室に入ってくる。
起立の号令がかかって各自席に戻った際、少し気になった俺は、ちらっと左隣の席に目を向けた。
そこにいるいつも通りに見える未来は、写真の件をまだ怒っているのかもしれない。今朝も今も、一言すら喋ってはくれなかった。
◇
「土屋ー。おいこら、つーちーやー」
「……起きないね」
「ん……全く反応なしだね」
「疲れてるなあ」
「授業終わって凛ちゃんたちが出ていった途端バタンキューだったもんね」
「でももう休憩時間終わっちゃうし。氷作ろうか? 当ててたら冷たくて起きないかな?」
「いや、さすがにちょっと可哀想じゃないか? あのガム食べて寝られるって相当眠いんだと思うぞ」
「うん……どうしたのかな。でもこのまま起きなかったらまた先生に怒られちゃうよ」
「昨日急遽当番だったことにして、敢えて相沢さんも寝ちゃったら先生も何も言えないかもな」
「斎名案。でもそれだと相沢さんも授業受けられなくなっちゃう」
「うーん……。寝たフリして授業受けようかなあ。先生が黒板のほうに向いてる間にノートとって」
「普通は起きてるフリして寝るのにな」
キーンコーンカーンコーン……。
「先生がこっち向いてないタイミングこっそり教えようか?」
「ううん、大丈夫。それだと秋月君大変だから、この子にお願いする」
「何その植物。目がついてる」
「【視覚】、アリストロキア・サルバドレンシス。この目みたいに見える窪みのところから周りの監視をしてくれるの。可愛いでしょ」
「……ごめん、可愛くはないかな」
◇
「まる一時間サボりっとー」
「ぐっすりだったね隆」
「斎見てた? 相沢さんすごかったよ。先生が黒板に向いてるときだけバッて顔上げてダッシュで書いてこっち向く前に突っ伏して」
「見てた見てた。すげーって思ったよ」
「ちょっと大変だった。でも先生には何も言われなかったから、良かったかな」
「未来ちー! ちょっと来てー!」
「未来ちゃーん!」
「はーい?」
「仲良いなあ」
「そうだね」
「未来ちんだったのがなんか未来ちーになってんね」
「呼びやすいのかも」
「かもな。しかし土屋、まさか一日寝るつもりじゃないだろうな」
「無理だよ、次の次体育でプールだし」
「……起こして起きるか?」
「無理」
「即答!」
「でもどうにか起こさないとね」
「だなあ」
◇
「ごめん未来ちー、また用意あるから先に行くねー!」
「私も行ってくるよ〜」
「うん。またあとでね」
「忙しいね長谷川さんたち。土屋起きて。移動だよ」
「土屋ー。起こすって言ったけどここまで起きないとは思ってなかったぞー」
「んー……。しょうがない。こうなったらもう、強行手段だね」
「何か案があるの?」
「うん、この子に助けてもらおうと思って」
「朝顔だよね?」
「そう、この子の蔓を使って……」
「うお!? 動いた!」
「巻き付いた部分ならこの子が自由に動かせるの。あとは起きてるように見せるために、テープか何かで目を開けさせよう」
「白目! 相沢さんストップ、白目むいてる!!」
「えっ、でも顔にまで蔓があるとさすがに目立つかも」
「いっそのこと黒のペンで書いちゃえば?」
「あ、秋月君。さすがにそれはまずいよ……」
「冗談だよ。でもどうする?」
「どうしよう……。基本視線が下を向くようにしておいて、どうしても前を見ないといけないときだけ顔を上げさせたらどうにかならないかな?」
「厳しそうだけどそれでいこうか」
「相沢さん着替えだけは俺らでやるよ」
「あ、本当? ありがとう。真っ直ぐ立って腕上げさせておくね」
「……なかなかシュールだな」
◇
「未来ちーやっぱプールは入れないんだよね?」
「うん。見せられるほど綺麗な傷痕じゃないからね」
「足だけでもプール入れさせてもらう?」
「ううん、全身入りたくなっちゃうからやめておく。凛ちゃんがくれたケガかくし、包帯よりうんと涼しくて気持ちいいから耐えられるよ」
「いいでしょそれ。この暑い中長袖だし蒸れるだろうなって思ったから。ジェルパッドならマシでしょ?」
「うん、ひんやりする。ありがとう」
「どーいたしまして! じゃあアタシの番だからいっちょ泳いでくるね」
「頑張って!」
「相沢さん相沢さん」
「谷川君、どうかした?」
「次、土屋泳ぐ番なんだけど、呼吸ってどうなる?」
「……」
「えっと」
「考えてなかった……。普通の呼吸しかできないから最悪水の中で呼吸しだすかも」
「ど、どうしよう?」
「起きない、よね?」
「全く」
「土屋!? アイツなにやってんだ!?」「どうした気でも触れたか!」「いや、笑いとってんだって!」「なーにやってんだよ土屋ー!」「ははははは!」
「なるほど、犬かきときたか」
「まあ、溺れないよね」
「しばらく笑いの的にされるな。特に長谷川とか」
「あとで私から謝っとくよ……」
「笑ってない? 相沢さん」
「斎も人のこと言えないよ?」
「だってあれ、ぶふ、笑っちゃうだろ」
「土屋が起きたら言いつけてやろーっと」
「やめてくれやめてくれっ」
◇
「お昼だけど……隆、起きない?」
「さっきからかなり揺すってるんだけど、全然起きない」
「僕ちょっと心配になってきた」
「私も……」
「息はしてるし、もう少し様子見るか。食べ物の匂いで起きるかも」
「ふふ、かもね。じゃあ私もお昼食べてくるよ」
「教室出るの?」
「うん、凛ちゃんと加奈子ちゃんと屋上に。二人は購買に行くらしいから現地集合で」
「場所わかるか?」
「教えてもらったから大丈夫。ありがとう」
「おっけー。またあとでな」
「面白い組み合わせだよね、あの三人」
「だなー。元ギャルと、天然と、相沢さんは……」
「異彩人。どう?」
「カンペキ」
◇
「……外、なんだか騒がしくない?」
「うん、ザワついてるな。何かあったのかな」
「僕ちょっと見てくるよ」
「俺も行こうか」
「大丈夫。土屋起きるかもしれないから待ってて」
「そうか? わかった」
「うん。すぐ戻るよ」