第三十二話 巧み
前回、写真を取られた腹いせとして、未来にお好み焼きを食べられてしまいました。
「そうだ、ごめん凪さん。隆に【デリート】についてちょっと言っちゃった」
空になった皿を恨めしそうに見ている俺など気にもせず、未来は手を合わせて凪さんに謝った。
キューブの文字は『言わない約束だから』と教えるのを断固拒否していたのに、記憶を消す効果がある技については口を滑らせてしまったことを。
「すみません、俺が食い気味に聞いてしまったせいです」
顔を上げて未来が悪いんじゃないと補足をする。
凪さんはこちらを一瞥してから少し残っていたお好み焼きを上品に食べ切り、静かに箸を置いた。
「いい機会だね。せっかくだからりゅーちゃんに一つ問題を出そうか」
「げっ」
反射的に出た言葉は口だけにとどまらず、表情にも出てしまったらしい。おでこを指で突かれ「露骨に嫌そうな顔をしないの」と叱られた。
でも未来の告白をいい機会だなんて言う問題って、どう考えてもあれだろ。
嫌だ。絶対嫌だ。
答えを出すのにいったいどれだけの時間がかかるのか、想像するだけでまた眉間にシワが寄ってくる。
「あっ、片付けは私がするからいいよ。凪さんはゆっくりしてて」
凪さんが全員分のお皿を下げようとするのを見て、未来がパッと立ち上がった。
「ありがとうみーちゃん。じゃあお願いしてもいい?」
「うん」
俺も何かしようとするも怪我人はじっとしてろというニュアンスの言葉で二人から制止されてしまった。
「なんか申し訳ねぇや」
「これくらいいつもやってることだから大丈夫だよ」
三人分のお皿とお箸、焼くのに使っていた平面プレートをシンクへ。コンセントは元からついていた形に丁寧に合わせられ、付属の帯できちんと留めた未来はひょいとホットプレートの本体を持ち上げた。
元あった収納場所は調理場の上にある扉で、未来が背伸びをしてやっと届く位置。出してきたときもちょっと怖かったけど、落としたり足を滑らせたりしないかが心配になる。
それは凪さんも同じらしく、扉がしっかり閉まったのを確認してからこちらへ向いて、ズボンのベルト部分に手を添えた。
「ではりゅーちゃん、問題です」
「……はい」
嫌だ嫌だと思いながらも俺に拒否権はないから、一応聞く姿勢を取るべく凪さんに体の正面を向けて背筋を伸ばした。
ベルトに付けたチェーンごとチャリッと音を鳴らして外し、俺の目の前に置かれたもの。それは薄い山吹色を帯びた立方体。
てことはつまり……。
「『弥重凪が割り当てられたキューブの文字は何か? 記憶を消す技【デリート】から、連想される文字を答えなさい』」
「だああやっぱりね!? そうだと思ってましたよ!」
「あはははっ、はーい想像を膨らませてー?」
楽しそうに笑ってるけど、わかってんのかこの人は。
俺に自分の能力を隠し続けてもう八年ぐらい経つってこと。しかもそれまで一切当てられていないということも。
「答えなんて出ないですよ……日本の文字全部でいくつあると思ってるんですかー」
「でもそのぶん考えがいがあるでしょ?」
むしろ考えがいしかないって言うんだよそれは。
けど今回は今までとは違って技が一つ既にわかってるから、少しは希望があるのかもしれない。
仕方なく頭で考えながら電話の横に置いてあるメモとボールペンを持ってきて、思いつくままに文字を書き出した。
「んー、とりあえず単純に『消』」
「ぶぶー」
そこまで簡単じゃないか。
「『滅』?」
「ううん、ぶぶー」
「じゃあ『白』、『抹』とかは?」
凪さんは指でバッテンを作り続ける。
「『失』、『削』あっ『無』とか!?」
「残念違います、ぶぶー」
マジかよ。ほかにこの系統の文字って何があったっけ。
「ヒントください、ヒント」
「えぇ? 自力で頑張ろうよ」
「そりゃ俺だってほんとは自分の力だけで答えたいですよ」
だけどこのままじゃ一生答えが出せそうにない。
お願いしますと頼み込むと、凪さんはうーんと唸りながら食器を洗ってくれている未来へと顔を向ける。
視線を感じたのか未来は一旦顔を上げ、またすぐに食器へ目を落とした。
「私からヒント出すの?」
「うん。今考えてたけど、僕じゃ答えに直結してしまいそうなヒントしか浮かばなかったよ」
俺としてはそれでもいいよと思うけど、さすがに良しとはしてくれない。
頼まれた未来は天を見上げ、数秒考えてから俺に顔を向けた。
「固定観念を払拭したらいいんじゃないかな。『消える』ばかりのイメージでいたら答えには辿り着けないと思う」
「さすがみーちゃん。上手く核心を突くね」
返ってきた言葉に凪さんは納得したらしいが、俺には何が言いたいのかさっぱりだ。それはヒントなのか?
「ほか、ほか、これ以外で、消えるは違う、固定観念を排除……消える、違う……」
文句も途中で挟みながらブツブツ言って、色々な文字を頭に浮かべては書いていく。
指のバッテンはなかなか崩れない。
さらにまた考える。
考えて、考えて、考えて。
だけどどれだけ考えても答えは全く出てこない。
凪さんがそろそろ帰ると言い出した頃にはもう百を超える文字が紙を黒く染め上げていた。
「これだけやっても正解が出ないって。凪さん、恥を忍んで言います。ギブアップは有効ですか?」
「認められません。今日の宿題にします」
「ですよねー」
俺が聞けば教えてくれるんじゃないかと未来が言っていたのも伝えてみた。
凪さん曰く今回は問題として出したから教えてくれないけど、そうでなくて俺が興味本位として聞いてきたら隠すつもりはなかったらしい。
俺が意地を張って聞かなかったから知らないだけだと。
運が悪かったとしか言いようがない。
帰り支度をして玄関へと向かう凪さんの後ろを、見送りのために未来と一緒にゾロゾロとついて行く。
「でも凪さん。隆が最初のほうに言ってた白は惜しかったと思わない?」
「お、マジで?」
「そうだね。確かに白は近いかもしれない。何から想像したの?」
二人の言葉で微かに希望が見えてきて、俺は少し舞い上がりながら両手で丸を作って見せた。
「空白というか、記憶の一部をまっさらにしてポッカリ穴が空くイメージでした」
その消したい部分が忽然と消えるような、最初から何もなかったようにできるのではないかと。
説明を聞きながら靴を履いていた凪さんは、くるりと振り向いてリュックを肩にかけた。
「じゃあ僕からもヒント。今のりゅーちゃんのイメージを、反対にしてみると答えが出やすくなるよ」
「反対? 穴が埋まる、ですか?」
「そう。【デリート】は抜き去るんじゃなくて、記憶を包み込んであげる技だと思ってくれたらいいかな」
さらりと行われた説明に、実際に受けた未来がぼんやりしてはっきりしないと言っていたのを思い出す。
だとしたら言葉の意味合いは『消去』でも、連想してる元になるところは『隠す』系統だったりするんだろうか。
それならまだ文字が捻り出せそうだとぐるぐる思考を巡らせていると、凪さんにくすっと笑われた。
「じゃあまた土曜日に。りゅーちゃんはかなり体を酷使してるはずだから、ストレッチとマッサージを入念にね」
「あっ、はい。ありがとうございました!」
考えるのは一旦止めて見送りに出ようとすると、凪さんは俺の耳元に顔を近づけた。
「さっき撮ったみーちゃんの写真、正面からの送っておく。今度は消されないように気をつけてね」
神だ。神様だ。天使の羽が見える。
礼を言ってから深くお辞儀をして、神様が角を曲がって見えなくなるまで未来と一緒にぶんぶんと手を振った。
心の中で何度も何度も礼をした。
ぽかぽかの気持ちで家に入った俺を、さっきの行為が怪しく見えたらしい未来が見上げてくる。
「隆。凪さんが最後に耳打ちしてたの、なに?」
本人にだけは知られてはならない。
教えたらまた晩ご飯のときの二の舞になる。
もう消されてたまるもんか。
「何でもない。次の鍛錬の予定聞かされただけだ」
「本当かなあ?」
「ほら、見てみろよ。俺には前科があってもお前が消しちまったから写真フォルダはこの通りだ」
未来の疑いの目からなんとかして逃れようと、自分の携帯に保存されている写真を見せた。
そこに入っているのは今日以前に撮った、これといって特別なものではない日常の瞬間たち。
「な? 特に何もないだろ?」
「んん、確かに」
未来が納得して、携帯から目を離しかけた瞬間――ピロンッ。
凪さんからの『写真が送付されました』のメッセージが届いた。凍りついた俺の代わりに、未来は無表情でそこを開く。
「……前科があるのは隆だけじゃなかった、と」
ごめんなさい、ごめんなさい凪さん。
届くはずもないのに何度も凪さんに謝った。
未来はリビングに入った瞬間姿を消した。
そして数分後に戻ってきた。
以降、俺とは一切口を聞いてくれなくなった。
放心状態になった俺は夜中に送られてきた凪さんからのメールで、実際の現場で何が起きたかの詳細を知らされる。
恐らくリビングに置いてある観葉植物を使って【接木】で帰宅途中の凪さんの前まで飛んできたのだろう未来は、即刻あの画像を消去したそうな。
隠す素振りを見せずにいたら黙々と作業を終え、何も言わずにまた近くの木を使って消えていったと。
[ただ、残念ながら今回は僕が上手だったみたいだよ]
その一文のあとに追加で送られてきたのは『写真が送付されました』の文字。
「……凪さん、早めに送ってきたのわざとかよ」
無情にも削除されたはずの正面から撮った未来の写真が、そこにあった。
多分先に複製か何かで違うボックスに入れておいて、自分も持っているよと知らせるために敢えて未来に見られそうなタイミングで俺に送ってきたんだろう。
俺が不審に思われるのがわかっていたから、確実に消したと認識させるために。
「はは、すげぇや」
未来にはわるいと思うけど、あまりにも可愛かったあの表情が消えてしまうのはもったいない。今度こそバレないようほかの写真をちらほらと追加しながらフォルダを移動する。
「よし」
カモフラージュを終え満足して横になると、思い出したように右肩に激痛が走った。
――朝までの我慢。寝るまでの我慢。
寝返りを打つと意味がないだろうけど、とりあえずベッドに当たらないよう左肩を下にして目を閉じる。
ほどなくして耐え難い眠気におそわれた。疲れていたんだと思う。
ただ意識を手放す数秒前、耳の遠いところで、また小さなカタコトの声を聞いた気がした。
【第三十二回 豆知識の彼女】
キューブの色は、それぞれの文字に応じて変化する。
凪さんのキューブの文字、隆一郎は今回もわかりませんでした。いったいどんな文字なのやら。自分では隠し上手ではないと思っている凪ですが、周りから見れば正反対。
頑張れ隆、考えるのだ。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 土屋隆一郎の本音①》
問題発生です。
どうぞよろしくお願いいたします。