第二十七話 不思議な声
前回、当番でしたが珍しく死人が生まれませんでした。
「うわあ……」
学校へ行こうと家を出た瞬間、俺は落胆の声を上げた。
景色が揺らいで見える。陽炎ってやつだろうか。
昨日の雨による水たまりは既に蒸発して消え去っていて、代わりに地面から反射してくる光が目を貫いてきそうだった。
「あっつ」
当然のように口に出すと、玄関先から未来のため息が聞こえた。
「言っても変わんないよ?」
「それはわかってるけどさあ、つい言っちゃうのがこの季節だろうよ」
俺のぶすったれ顔を見た未来からの反応は、今にも溶けそうですって表現がしっくりとくるヘンテコな顔と生返事。
これは……やってしまったかもしれない。
当番から帰ってきて少し仮眠を取っただけの、ぶっちゃけ徹夜明けに近い体にはこの暑さ眩しさがマジできつい。内心とはいえここ最近は常に空模様を愚痴ってたぐらいだし。
だけど未来は長袖だから、俺よりもっと暑いはずなのだ。特に服の下は傷痕を隠すための包帯が四六時中巻かれているんだから。
それも重なってか、未来は学校へ向かって三分と経たずに大粒の汗をかき始めた。
「だ、大丈夫か未来。のぼせてないか」
何をしてやれるでもなくうろたえていると、ヘンテコな顔のまま首が小さく左右に振れた。
「あんまり大丈夫じゃない……包帯してるとこ、汗で痒くなってきた」
「げ、マジか。それはつらいな」
掻こうにも掻けない痒みなんて地獄もいいところ。
未来に悪いから天候については今後口に出さないようにしよう。
「教室は冷房ついてるはずだから、あとちょっとだけ頑張れ」
学校に着くまで残り十分弱。
未来を励ましながら歩みを速めた。
「おはなー!」
前触れもなく叫んだのは、急ぎ足の俺たちを追い越すぐらい元気よく隣を走っていった小学生の集団。
道端に咲いた花を囲って物珍しげにきゃあきゃあと騒ぐチビたちの反応に、未来は指の腹を重ねてモジモジと動かした。
「良かったな。昨日育てた花、気付いてくれて」
「ん……嬉しいね」
植物を扱う能力とあってもちろん花にも詳しい未来は、生み出した花を見つけるたびに名前を教えてくれた。
中には変わった名称だったり姿かたちが面白かったりで案外興味をそそられて、日照地獄だった通学の時間はあっという間に終わってしまう。
「あれ綺麗だったな。なんだっけ、鳥のくちばしみたいになってるやつ」
「ストレリチアだね。あれは私も気に入ってて、それこそ技の」
話しながら教室に入ったときだった。
「未来ちーーん! おはよーっ!」
「うわっ」
「ひゃあ!?」
待っていたかのように長谷川が俺を押し退けて未来に飛びついた。
失礼だが一瞬サイが突進してきたのかと思ったほどの勢いで、よろめいた未来が今後ろから来たらしい秀にぶつかった。
「「あっ、ごめん!」」
ほとんど同時に二人が謝るも、表情一つ変えない秀は線が細いにも関わらず全く体勢を崩さなかった。
ひょろっこくてもやっぱり男だな。
「大丈夫。相沢さん体の具合はどう?」
「あっ、もうすっかり。ありがとう。凛ちゃんも、昨日薬届けに来てくれたって凪さんから聞いたよ。ありがとう」
「心配したーっ!」
そう言ってまた抱きつく長谷川の勢いはやっぱり激しい。秀の二の舞になりそうな位置にいた俺はとっさに横に避けて難を逃れた。
そこで見えたのは、戸惑う未来にマシンガントークを繰り出す長谷川の後ろにいる人物。
「はっ、長谷川さんちょっと、ちょっと待って。ストップ! 相沢さんっ、一昨日の夜ごめんね。大丈夫?」
「ちょっと阿部っち、今アタシ未来ちんと喋って……いひゃひゃひゃひゃ! ふひ! ふひひっはらはいへよ!」
「ああっ! ご、ごめんね!」
何やってんだこいつらは。
黙らせようとしたんだろうが、長谷川の頬を引っ張るとは……阿部もなかなかやりおる。
「り、凛ちゃん大丈夫?」
「あー……うん。口裂けるかと思った。そうだ未来ちん! 昨日席替えしたから場所変わってんのよ。こっちこっちー!」
握力で赤くなったところを手でさすりながら、長谷川はテンション高く未来を案内した。
「えっ、ここ?」
「そう! びっくりでしょー?」
未来が驚くのも当然だと思う。俺たちだって昨日は驚いた。
何せ長谷川が指定した未来の席というのは、不思議なことに斎を含めたこの場にいる俺たち五人全員がすぐ近くにいる状態。左の前から阿部、未来、秀。右の前から長谷川、俺、斎の順に並ぶ、図られたのではないかと思うような配置だったから。
――けど、最初からセットにされてた俺と未来はさておき、他のやつらはちゃんとくじ引きだったもんなあ。
妙に運命的な席替えを未だに面白く感じながら席に着く。先に登校していた斎は凪さんからもらったサインをにこにこと眺めていた。
「おはよ」
「はよー。相沢さん来れて良かったな」
「ああ。もう完全復活みたいだから、俺も安心した」
顔を上げた斎に答えながら未来をひと目見る。
長谷川と阿部と元気に話しているのを確認して、後ろに振り返り斜めにいる秀に手招きをした。
「なに?」
鞄を置いてこっちに来てもらって、斎にも来い来いと手を振る。
頭をくっつけ輪になって、昨晩死人が出なかったことを二人に小声で話した。不気味に思う案件を学生の噂話にされてしまうのはなるべく避けたかったからだ。
昨日の帰り際未来も気にしていたから、研究所でデータは管理してるだろうけど一応言っておくほうがいいと思って。
「あ、そうそう。土屋に聞こうって今朝斎と話してたんだ。本当に何もなかったの?」
「ああ、全く」
俺が首を縦に振ると、斎は怪訝な顔をした。
「俺はマダーじゃないからよくわかんないけどさ。例えば……そう、なんかちっこいほぼ目に見えない奴とか、一体も出なかったのか?」
「おう。小さすぎて見えなかったとしても、体が勝手にゾワッとくるからすぐにわかる」
質問されて答えてをしばらく繰り返したが、結局参考になるほどには至らなかったらしい。悩む二人に調べておくと言われ、その話は一旦終える運びとなった。
「悪いけど頼むな。じゃあ俺ちょっと寝るわ」
「あいよ」
おもむろに自分の鞄から小さいクッションを取り出して、授業まで寝る体勢に入る。これは当番だった次の日のお決まりの状態。時間だけセットしておけば振動で起こしてくれるスグレモノ……。
――チカラガホシイカ。
吸い込まれるような眠りを前に、俺はやけに小さなカタコトの声を聞いた気がした。
◇
ブ、ブブ、ブブブ……ブブ……。
寝たのか寝てないのかもわからなくなるほど一瞬に感じた睡眠の時間は、頭に響く振動によって起こされた。
――まだもうちょっと……。
強烈な眠気に耐えかねて、電源を切ってもう一度クッションに顔をめり込ませる。ただの枕状態になったところで再度眠りに入ろうとすると、すぐにまた体が揺れた。
おかしいな、アラームは切ったはずだけど。
もう一度電源ボタンを押してみたが、やはり揺れは収まらない。壊れたのだろうか?
いや、でもなんか、クッションじゃなくて体がぐらぐらしてるような気が。
「土屋ー。当番で疲れてるのに申し訳ないけどな。相沢が起きてキッチリと授業を受けている以上、お前の居眠りは許されないぞー」
名前を呼ばれ眠いながらもノッソリと顔を上げると、現国の先生の顔があった。
やべ、寝過ごしたか。
慌てて時計を見てみると、授業の半分が終わったぐらいの時間だった。
どうやらクッションの振動にすら気付かないほど爆睡して、今切ったのは本来の時刻のアラームじゃなくてスヌーズ機能の揺れ。
そして状況から察するに、いつまで経っても起きない俺を見かねた先生が起こしに来てくれたらしい。
「さーせん……」
頑張って起き上がり、クッションを鞄に戻すと先生は「すまんな」と謝って教壇に戻っていく。
ぼんやりとその様子を見届けてから教科書とノートを広げ、いざ書き出そうとペンを握ったが授業は全く入ってこない。
それどころかまた寝てしまいそうだ。
仮眠なしで当番に行ってしまったのが、かなり堪えているらしい。
「隆、隆」
隣の席から小声で呼ばれ、今にも閉じてしまいそうな目をそちらへ向ける。
声の主である未来がぽんと俺に手渡してきたものをボーッと見るが、それが何であるかもわからなかった。
「睡眠阻害ガムだよ」
ああ、あのめちゃくちゃ効果が高いガム。十二時間ぐらい全く寝られなくなる眠気対策の最強ガムか。ありがてぇ。
厚意に甘えてガムを受け取り、包み紙を開けて口に入れる。ツンとくる爽快感が口から鼻と目、さらに頭まで突き抜けて、一分もせずにかなりスッキリとしてきた。
「未来さんきゅ。授業受けられそう」
ほっとした様子の未来に親指を立ててから、ふと思った。
――チカラガホシイカ。
なんだったんだろう、さっきの声。
一度寝たのにまだしっかりと耳に残っているあのカタコトの声を疑問に思いながら、とりあえずまたあとで考えようと頭を切りかえる。
これ以上授業に置いていかれないことを第一優先として、なんとか読めるぐらいの乱雑な字で急いで板書をした。
【第二十七回 豆知識の彼女】
さんれんぼくろは睡眠阻害ガムが現実にあったらいいなぁと思っている。
ひょいっと食べて丸一日集中して執筆したいなぁ、誰か作り出してくれないかなぁ。と思ってます。
眠気対策って調べたら色々出てきますが、結局負けちゃっていつの間にか寝てるんですよね。どうにかしたいものです……
お読みいただきありがとうございました。
《次回 学生が学校帰りに行く所と言えば》
妙な声は聞こえましたが、シリアス展開もだいぶ落ち着いてきました。次回はコメディーをお楽しみくださいませ!