第二十六話 無戦の夜
前回、隆一郎たちを見送った凪は、本部との連絡後、危険にさらされた土地東北へ向かいました。
今回は隆一郎視点に戻って、ゴミ箱当番です。
ざり。ざり。じゃり。
自分の耳がさっきからずっと拾っている、少し離れたところからの何かを刮げるような音。
なんの音なのか気にはなるが、それよりも強く訴えかけてくる自分の腹からの鳴き声を優先した俺は、そちらを全く見ることなくおにぎりを頬張っていた。
「塩加減が絶妙すぎる……」
絶品。
シンプルイズベスト。
塩にぎりというのは幸せの塊だと思うのだ。
堪能しながら美味な米たちを全て腹に送り込んで、最後にお茶を飲む。
「ごちそうさまでした」
夜食と言えど食への感謝を忘れてはいけない。
パンッと両手を合わせ、食後の挨拶をきちんと終える。
未来の食欲を無駄にそそってしまわないよう五メートルほどの距離を置いて食べていた俺は、未だに妙な音を出し続けている物体そのものへと目を向けた。
「未来。お前さっきから何してんの?」
俺が尋ねた途端、続いていた音はピタリと止む。
代わりにちょいちょいとその根源の前に立つ未来の手が何度か上下に仰がれた。
どうやらこっちに来いと言っているらしい。
ゴミ箱前にある階段で座ってリラックスしてるのはよく見るけど、立って何かをしているのは割と珍しいと思う。
だから、普段聞かないその音の正体は近付かなければわからない。
ここに着いた時点でキューブは展開していたけれど、死人と対峙してるわけでもないのに能力まで使って何をしているのだろうか。
「どう?」
すぐそばまで来た俺に未来が自分の足元を指さした。
「ぷっ、何やってんだよ」
つい笑いそうになるのを必死で堪えた。
微笑んで見せられたものは、大きくしっかりと描写された、未来が愛してやまない例のコンビニプリンの絵だった。
どうやらキューブで作り出した小さな木の棒で、手を使わずに技で動かして地面に描いていたらしい。
「土を削ってる音だったのか。寝てたから食ってないもんな俺が買ってきたやつ」
「うん。また明日のおやつにでも食べるよ」
絵の完成後、宙を浮いて移動する棒は階段の一段目に落下してコロンと小さく音を放ち、そのまま動かなくなってしまった。
「つーか、すげぇなこれ。よく描けたな」
「頑張った。小枝を操る練習も兼ねてね」
「練習ねぇ……」
ダウト。嘘だ、絶対。
だってここにあるプリンはパッケージの細かい部分まで精密に再現されていて、練習だなんて言われてもとてもそうは思えない。
ましてや見本もなく描いたなんて誰も想像できないほどのクオリティーを博していたのだから。
「見たものをしっかりと頭にインプットしておくんだよ。そうしたら、いざってときに何かしらを掴む糸口になるかもしれないでしょ?」
「なるほど、勉強になる。で、プリンが何かしらの糸口になるかもしれないその状況とは?」
「それは……わかりません」
俺のからかいに答えが出せず苦笑いをする未来は、今日食べられなかったのが相当ショックだったようだ。それもこんな渾身の一作を創り上げてしまうほどに。
結局その絵は俺が携帯のカメラで撮ったあと、未来が滑らかに靴で擦って痕跡ごと綺麗さっぱりと消してしまった。
「もったいない、上手かったのに」
「置いておくわけにもいかないからね。写真には残してもらったし、いいかな」
ほんの少しだけ名残惜しそうな未来は、上半身をひねって後ろを見上げた。視線の先にあるものは、ゴミ箱の上部に備え付けられた堅苦しいデザインの茶色い大時計。
「暇だね」
「ああ。珍しく何も起きないな」
零時を回って早二時間。針が示す丑三つ時の数字は、いつもなら戦闘の真っ最中だ。
にも関わらず今のところ何の変化もなく、今日は死人の姿を一度も見ていなかった。
もちろん何もないのが一番なんだけど、こんなにも長い時間ただ待つなんていつぶりだろうか。
「隆、今のうちに仮眠とる? 凪さんが来てたってことは、夕方もご飯のあとも寝てないんじゃないの?」
「あー言われてみれば、確かに今日は寝てないな」
深刻な話のせいで眠気なんて感じる暇は全くなかったが、さすがは三大欲求。こうも静かだと考えた瞬間急激に睡魔が襲ってきた。
「私見てるからいいよ。少しゆっくりしておいで」
簡素ではあるが、ゴミ箱の操作室に備え付けられた休憩スペースを指して未来は俺を休ませようとしてくれる。
けど俺としては完全に寝入らないように、ここで座って少しウトウトする程度で済ませてしまいたかった。
「いや、こっちのほうが応戦しやすいからいいや。ありがとな」
奴らが命を宿す瞬間は何度も経験しているから、現れたら気配ですぐにわかる。
だからもしウトウトを通り越してそのまま眠りこけてしまったとしても、感覚ですぐに戦闘に入れるからその点は心配しなくていい。
未来に軽く断りを入れてから階段に腰を下ろし、膝に両腕を重ねて置いて、顔を埋めた。
「【落葉】」
ふわりと、肩に暖かい何かが触れる。
恐らく秀にも作ってくれていた葉っぱの掛け布団。いや、背中ぐらいまでが暖かいから今回は肩掛けなのかもしれないな。
「さんきゅ」
「うん」
礼を言って顔を上げると、未来も俺から一メートルぐらい空けた隣に座っていた。
「冷えるね」
「ああ」
真夏でも、ゴミ箱の周りは寒さを感じる。
それは物体を燃やさない分、二酸化炭素は出ないけど、代わりに圧縮段階で膨大なエネルギーを使うために冷却機能が働いているせいだ。
へそが出るミニ丈のチャイナ服みたいな俺の戦闘服は、肩もしっかりと出ているせいでその冷気を直接肌で感じてしまう。
ズボンは暖かい素材にしてもらってるけど、丹田から火を出すのが特に強いだろうって理由じゃなきゃ普通の丈の服が着たい。ぶっちゃけ寒い。
未来は俺と違って長袖だから羽織るほど寒くはないのか、首から下げた水晶のネックレスを手にじっと見つめていた。
「なあ未来? お前そんなネックレス着けてたっけ」
眠い頭を叩き起して記憶を辿っても、未来がアクセサリーをしているのは今までに見たことがない。というよりは見た目にあまり関心がないようで、自身のケアはしていても服装には無頓着だと言うほうが正しかった。
「ううん。今日初めて着けたよ」
「やっぱそうか。凪さんから?」
「そう、山梨に行ったお土産だって」
「土産だったのか。確か有名だもんな、水晶」
さすが凪さん、菓子とかでいいのに大人な買い物をする。
「最近見かけなかったと思えば県外に行ってたのか」
「そうみたいだね。明日は夕方から広島に向かうって言ってたよ。あ。明日じゃなくて、もう今日か」
「マジで? 忙しい人だな」
それなのに俺の鍛錬まで……すげぇ。
自分で頼んでおいてだけど、ちょっと申し訳ない気もしてきた。今度改めてお礼をしないとな。
「もみじ饅頭買って帰ってくるって言ってたよ」
「あああいいな、美味そう」
「ね。あと、広島焼きの正しい作り方も学ばせてもらうってさ」
ん? もみじ饅頭が土産で広島焼きを学ぶ?
「あの人は何しに広島行くんだ?」
「遠征だよ。巣くった死人たちの殲滅」
「なのに観光みたいなことして帰ってくんのか……」
ある意味遠征を楽しんでるようにも思える。
計り知れん。本当に。
「ねぇ隆、ちょっと聞いていい?」
「ん?」
なんだ改まってと思って俺はしっかりと未来の顔を見た。
「昨日の夜って、私どこで何してたかな?」
「え……」
全く予期していなかった問いかけに俺は困惑した。
昨日の夜ってのはつまり、ここであった悲惨な光景と、遺族のところへ行って殴られて怪我をした事態についてだろう。
だから今日凪さんが見舞いに来てくれたというのに、今の聞き方だとまるで……。
「思い出せないのか?」
俺の問い返しに未来はんーと唸った。
「えっとね、なんて言うんだろう。ぼんやりしてるというかはっきりしないというか……。でも隆が言い淀むなら、私にとってはあんまりよくないことがあったんだね。ならやっぱり、凪さん記憶いじったんだろうなあ」
膝に頬杖をついて「なんとなく弱音吐いた気がするもん」と考え始める未来だったけど、今の言葉は俺の頭にさらに疑問を浮かべる種になってしまう。
「ちょっと、え、待ってくれ。記憶をいじるって、なに? 凪さんってそんなこともできんの!?」
「あれっ、知らなかった?」
知らない。全然知らない知るもんか。
だってキューブの文字が何なのかすら知らないのだから。
「記憶を消すって、すげぇな。なんて技?」
「うーん言っていいのかなあ? 【デリート】だよ。そのまま、消去って意味の」
「なにそれカッケェ」
デリート、消去。そんな連想ができるような文字って何だろう。
「未来は知ってたのか?」
「うん。前に一度してもらったからね、これのときに」
笑顔のまま俺に手で指し示した『これ』とは、未来自身の右腕だ。明るく言う未来に釣られ、普段ならそこから先は踏み入れない俺もそのまま話を広げていく。
「そうなった理由も覚えてねぇの?」
「ううん、覚えてるよ。怖いと思った瞬間の記憶だけ消してくれたみたい。何があったか完全に忘れちゃうと、もしまた出会ってしまっても自分の身を守れないからって」
未来は右腕を服越しにさすった。
「消せるよって言われて、迷わず消してって言ったよ。私からお願いしてるはずなのに、凪さんってば何度もごめんねって謝ってくるの。優しいよね」
「そりゃ色々思うところもあったんだろうよ。未来も、それだけ怖かったんだし」
「かもしれないね。まあ、もうなーんにもわからないんだけどねー」
考えるのを放棄して腕を少し前に出した未来は、手のひらを上に指を広げた。
「【育め生命よ】」
呟きを受けた足元の土が、命に従い小さな芽をぴょこぴょこと生えさせる。ぐんぐん育って小さな蕾をつけ、色鮮やかに開花してみせた。
「でも」
その様子をじっと見る未来の声のトーンが少し、落ちた。
「わからないはずなのに、もう二度と会いたくないっていうのは……ずっと思ってるかな。不思議なことにね」
自嘲の笑みを浮かべて結ばれた言葉に、胸が痛む。
それは多分、心中からの拒絶反応だ。
「在るべきところへお行き」
生み出した花のそばで未来がしゃがんで囁くと、まるで魔法がかかったかのように花たちがひとりでに動き出す。
根を器用に使って二足歩行して、すぐ近くの植え込みや町方面に迷いなく真っ直ぐ向かっていった。
死人との激しい戦いや温暖化のせいで、夏場でもほとんど草木を見かけない。あるのは青々とした人工の植物たち。
それが悲しいのだと、未来はいつも嘆いていた。
――忘れてるのなら、そのほうがいい。
未来の代わりに心を痛めてくれた凪さんに感謝して、明るい話に切り替えた。
「ところで未来さんよ。凪さんのキューブの文字ってなんなの? お前知ってんだろ?」
それ以上自分を嘲る必要のないように。
「うん、知ってるよ。でも言わない約束だから隆にも教えてあーげない」
「ひでぇ! 俺だけ除け者じゃんか」
「本人に直接聞けばいいじゃない。隆にならきっと教えてくれるでしょ?」
俺もそう思う。でもだからこそ聞きたくないんだ。
「負けたみたいになるんで、俺からは絶対に聞かないと決めています」
ビシッと言った俺に、未来はにやりと口の端を上げる。
「今私に聞いた時点であなたは負けています」
「……おっしゃるとおりで」
負けましたと冗談を交わしながら会話をしていくうちに、眠気はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
生命の種を地面に作り出して、顔を見せた花を送り出すのを何度も繰り返す。
そうして俺たちの周りが全体的に華やいだころ。
ちかりと、眩しい光に目が眩んだ。
夜明けだった。
【第二十六回 豆知識の彼女】
隆一郎が相手なら、未来は冗談交じりな返しができる。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 不思議な声》
平和な日常の次の日。学校へ。
よろしくお願いいたします。