第十七話 頭痛
前回、谷川斎がキューブを作った人であること。人がホイホイ死んでいくのは、選ばれたマダーではなく、意図的にそうさせられたマダーであるからだろうという見解に至りました。
けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。朝が弱い俺はその音の根源を無造作に叩いて静かにさせる。
機嫌が悪いまま自分のこめかみ部分に手を当てた。
「いてぇ……」
頭全体に広がる鈍い痛みのせいで、図らずも意識がはっきりとしてくる。
頭痛の原因は連日の寝不足のせい。そう言いたいけど、多分そうじゃないんだろうなあとも思う。
痛み出したのは昨日家に帰ってきて眠りに落ちる直前だった。さすがに寝苦しくて鎮痛薬を飲んだけど、起きてすぐからまた痛い原因は恐らく……ストレス。
昨日斎から聞いたキューブの話と、その前後に見たもののせいだ。
「……起きねぇとな」
風邪じゃないんだし、サボりはできるだけしたくない。
布団から出るのが心底嫌だと思いながら、俺はノロノロと学校に行く準備を始めた。
「あの……土屋君。おはよう」
一時限目の授業が始まる少し前、肩身が狭そうな阿部がおずおずとやって来て、「昨日はごめん」と、ほっぽり出して帰ってしまった件を謝罪してきた。
「相沢さんは、今日はお休み?」
「おう。休ませたんだ、無理やりな」
使用者のいない俺の左の席を見るなり、阿部は何かあったのかと慌てて聞いてくる。先ほどまで一緒に話していた秀が阿部から隠れるように俺の右に回りこんで、その問いに質問を加えた。
「やっぱり体調悪そうだった?」
「なんもねぇところでこけるぐらいには、昨日はふらふらだった。何ともないって今朝は言ってたけど、一応な」
昨日、火葬が終わってから。遺族のもとへ報告に行こうと、未来がシフトの名簿に書かれた住所を示して言った。でも秀は、未来は行かないほうがいいと諭した。理由はみんな知ってのとおり。
キーンコーンカーンコーン……。
運がいいのか悪いのか、チャイムが鳴ったのを理由にさらっと事の流れだけを説明して、問題ないからと阿部を席に帰らせる。詳しい話は、したくなかった。
――この人殺しが!!
「きりーつ」
日直の号令に、椅子から立ち上がるガタガタッという音が一斉に響く。
「礼、着席。えー、社会の時間だが。ここ最近生徒が多く亡くなっていることから、前半は臨時で高等部の弥重凪君の授業を受けてもらう」
世紀末先生がそう説明すると、教室の前の扉から長身の青年が顔を出した。クラスの女子が小さな声で彼の容姿を讃え、悶えている中、俺の思考は昨日の記憶を辿っていた。
――なんで息子が死んだって報告を死人にされないといけないんだ!
「おはようございます。高等部一年の弥重凪です。今日はこの時間をお借りして、僕たちの生活の現状を説明させていただきます」
微笑を浮かべ静かに前置きをした彼の声は、俺の耳に残る、昨日の乱暴な声で掻き消されてしまっていた。
――やめてください! 殺す気ですか!?
――うるせえ!! なにが形は残りませんでした、だ。ふざけるな!
「えっと、配布する資料の1をご覧ください。これは今年に入ってから半年間の死人による死傷者を纏めたものです。読み上げますね。『6ヶ月と2日。これだけの間に1720人が死亡、そのうち一般人は166人、残り1554人がマダーであり――』」
ドシュッと、バシッと……殴る、音。殴られて、地面に叩きつけられる音が。されるがまま、一切抵抗しようとしないあいつの悲しそうな顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
遺族の気持ちが、負担が、少しでも減らせるのならそれでいいと。そのために自分ができることは全部やる。だから、もし自分が酷い目にあったとしても、遺族のすることを止めないでと。
そうお願いされてしまった俺たちは、その実態を目の当たりにしても、言葉でやめてくれと言うしかなかった。
「えーっとそうだな、右から二番目の列の真ん中の、土屋君?」
「えっ、はい」
急に名前を呼ばれ、俺は俯き加減だった顔を上げた。俺がよく知っている爽やかで優しそうな青年が、温厚な性格を思わせる優しい笑顔をこちらに向けていた。
「今年の東京の人口はどれくらいだったか覚えていますか?」
「……年末にやってたニュースで、毎年昔では考えられないほど人が激減して、今は五十万人程度だと」
「はい。どうもありがとう。例えば半年で千五百人これからも死に続けるとします。生まれてきた子どもがどれだけいるかはとりあえず置いておいて、これを計算するとね」
一拍おいた彼は、声を低くして告げた。
「一六六年後。僕たちの孫が生きている時代に、東京は壊滅します」
教室の中に誰も人がいないかのように、全員が静かにその話を聞いていた。俺たちは既に寿命で死んでいるけど、こんなにもこの国の終わりが近いと誰が予想していただろう。
「みなさん知っていると思いますが、五十万人もいるのはここ東京のみ。都外ではもっと少なく、中には一万人もいない県もあります。あくまで東京が壊滅するのが一六六年後というだけで、もうそれまでに日本は終わりを迎えているでしょう。資料の2をご覧ください」
ページをめくる音だけが教室に広がる。
資料2の前のページがすっ飛ばされたのは、そこにあるコラムがあまりにも他人事のような書き方だからだと思う。
――二〇三〇年。機械、医療、建物、食物。目に入るもの全てが発展していた。その一方で、必要ないと判断されたものは急速に衰退していった。ゴミを捨てる場所がない日本では、不必要な物を小さく細かく圧縮する巨大な『ゴミ箱』が造られ、衰退した何かは全てそこへ入れられた。そしてそれらは静かに、寂しく、哀しく、ひとりでに魂を宿らせていった。人々はこの魂を『死人』と総称し、これを狩る者を『マダー』と呼んだ。
数行だけ読んで、あとは斜め読みした。たった六年で、この国は随分と変わってしまったらしい。
「資料の3をご覧ください」
ページをめくる音がまた広がる。
だけど俺の耳にはまた、切り離してしまいたいと思う痛い音が再来する。やめてくれと懇願する、自分の声が。
「これには死因を多い順に纏めてあります。もし気分が悪くなったら無理しないで言ってください、外に出てもらって構いません。では続けます。十位から――」
――アイツはな、ただ役に立ちたいと、そう願って戦場に出る道を選んだ。墓なら死んでから作ってくれたらいいと言われてな。なのに遺体が無いだって? バカにすんじゃねぇよ!
――申し訳、ございまっ……!
泣きながら振るわれた拳によって、息を詰まらせる未来の声が。
「次、五位。これはしっかり覚えていてください。五位は――」
――お願いします、やめてください!
――庇うな! この人殺しっ……!
「遺族による敵討ち」
――殺してやる!!
「僕たちマダーは、チームを作ってグループで戦っています。メンバーが死んでしまった場合は遺族のもとへ報告に行き、遺体を届けます」
彼の淡々とした説明が耳に入り、俺の意識が教室に戻ってくる。
「遺族にとってそれはとても残酷な現実で、耐えられなくなり、なぜ我が子を守ってくれなかったのかと怒りをぶつけられることが度々あります。僕たちが必死で戦ってどうしても守れなかったとしても、遺族には関係のない話です。我が子は今夜も無事に帰ってくる。立派に街を守ってくれる。そう思って毎日送り出すからこそ、失った際の気持ちは計り知れないものです」
そうだ。昨日の未来もそうだったんだ。
守れなかった。生きて帰れなかった。遺体もない。しかもそれを報告しに来たのは死人と同じ色の目を持ったマダー。
あの父親が暴力に身を任せてしまうのも、何も不思議ではないんだ。
気持ちがおさまることはないし頭痛もやんではくれないけれど、それでも同情してしまった俺は、頭を切り替えるべく教壇に立つ青年、弥重凪に目を向けた。
視線に気付いた彼もまた、しばらく俺から目を逸らさないでいた。
【第十七回 豆知識の彼女】
新キャラ、弥重凪の名字は『みかさ』と読む。
本来は『やしげ』と読む。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 無傷の先導者》
授業後です。
よろしくお願いいたします。