第一八三話 ダイス
前回、結衣博士に出会いました。
「あぁ……愛するいっちゃん。ごめんね、母様もう行かなきゃならないの……」
「そうそう。聞き分けの良い子ですねぇ」
「あと一時間したら行くからね……」
「聞いてましたかぁ? 本部まで時間がかかるんですよぉ。結衣さんが『いっちゃん成分が足りない』とか言うから遠回りしてここへ来たんですよぉ。時間が無いんですよぉ〜?」
「そうじゃなければ凪くんを家まで送り届けられましたのに〜」と、少しずつ声色が変化していく先生。怖い。
顔は笑ってるし口調もいつも通りだけど、イライラしてるのは多分ここにいるみんながわかった。
……いや、ひとりだけ。斎を抱きしめて動かない結衣博士を除いて、か。
「さぁほら、行きますよ」
「いやぁああっ! まだいるもん。まだいっちゃんとひっついてるもんーっ!」
「つべこべ言わずに。出発は明日ですよ? それまでに囲いの修復と保存、研究番号1から16の残骸処分や荷造りに引き継ぎ更に離れている間に誰も困らないようキューブとダイス分のクローンを――」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
必死の抵抗虚しく、結衣博士は国生先生に連れていかれてしまった。
いいんだろうか。
叫び声がここまで聞こえるけど、大丈夫だろうか。
「ん……」
「あ、斎起きた」
危険が消えたのを察知したかのように、ナイスタイミングで斎が目を開けた。
一番に気付いた秀が平気かと聞く。いつものことだし大丈夫だろうけど、なんて付け足したのは聞かなかったことにしよう。
「あれ……なんか大所帯? 俺何してた?」
「ダイスの完成祝い兼お披露目会。逸れてキューブについて話した後、結衣さんに突進されて気を失った」
「あぁ、またか……」
またかって。それでいいのか斎さんよ。
「んで、そのおふくろは?」
「国生先生に連れていかれた」
「本部かな?」
「そうみたい。明日出発って言ってたから、しばらく家空けるかもね」
受け答えがハッキリし出した斎にさっきの会話が伝えられる。気絶した点は追求せず「じゃあ色々手伝ってやんないと」と動き始めるあたり、本当に『また』なんだろうと思う。
それはそれでどうなのかと心配になるが、ひとまず邪魔にならないようみんな立って壁際に移動した。その際小さなバイブ音を聞く。
「……未来、隆一郎」
呼ばれて顔を向ける。
携帯を鞄から取り出した凪さんに廊下へ出るよう手で示され、なんだろうと未来と顔を見合わせる。
隣にいた加藤へちょっと行ってくると伝えて靴を履き、俺と未来は部屋を出た。
「大事な話がある。ここでは言えないから家におじゃましたいんだけど……いいかな」
スーツのジャケットを脱ぎながら、話の内容には触れずに凪さんはそう言った。言外に早く帰るよう告げている。
「それはもちろん構いませんけど……凪さん、どっか行ってたんですか?」
「朝から政府との会議でね。未来には先に言っておいたんだけど、そこで決まった話の共有と、協力の依頼がしたくて」
申し訳なさそうな顔で凪さんは未来を正視する。
ごめんと、ほとんど何も言っていないのに謝った。
「……決議した?」
「うん。今できる最大限の護衛をつける。僕を含めた精鋭部隊四人を配属すると、司令官は約束してくれた」
表情の曇りは晴れず、けれど視線は真っ直ぐで。
凪さんの言葉に未来の瞳が揺れる。
唇をきゅっと結んで、俯く。沈黙する。
顔を上げた時にはもう――泣くのを必死に堪えているのが見て取れた。
「……未来」
「大丈夫。何も言わないで」
一声かけることも許されない。
自分に言い聞かせるように大丈夫と言った未来は目をこする。精一杯、笑ってみせる。
「あのままじゃダメだって。いつかは向き合わないとって、ずっと思ってたから。だから……大丈夫。頑張るよ」
「ありがとう。本当にごめん」
「謝らないで。いっぱい考えてくれてありがとう」
右腕を庇うように、未来は左腕を重ねる。
強がる台詞とその行為、二人の会話。凪さんの言う『大事な話』が何なのか、察するには十分過ぎた。
「凪さん、どうして……」
「家で話そう。未来のためだけど、隆一郎もきっと冷静ではいられないでしょ?」
ぽん、と頭に手を置かれる。
教えてほしい。どうしてなのか。どうしてそんな話が決まってしまったのか。なんで未来とアイツを接触させる必要があるのか。俺にわかるよう今すぐ言ってほしい。
だけど凪さんの心配はもっともだ。冷静に聞けるとは俺も思えないし、むしろ迷惑をかける気さえする。
人様の家で声を荒げるなんてことはしたくない。
「わかりました。帰るって、みんなに言ってきます」
「うん。外で待ってる」
「はい」
平静を保つのがギリギリな未来にも待っててもらうことにする。怖い顔にならないよう気をつけて、部屋に入るべく扉を開ける。
ひゅっ……と、小さい何かが俺の横をすり抜けた。
「え――」
尾を引く、虹色の光。
驚いて後ろを振り返る。エレベーターに向かって未来と並んで歩き出した凪さんの肩に、ダイスが乗っていた。
「あ……凪さん、その子」
独りでに飛んでいった立方体。キューブが使用者を選ぶ瞬間を思わせる小さな存在に、未来が気付く。言われて凪さんも認識する。
凪さんがそっと触れた途端、キューブと同じ音を鳴らして展開したダイスが六つの文字を映し出した。
「……君は優秀だね」
驚く俺とは対照的に、凪さんは当然のように言った。
微笑して、作り手のもとへ帰るよう優しく諭す。意思を受け取ったダイスはまた俺の横を通って、賢く部屋の中へと戻っていった。
――見間違い……じゃねぇよな。
半開きの扉の向こう。みんなの話し声がする。
動いてると驚く誰かへ、中身はキューブとほぼ同じだからと説明が行われている。
中に六個の球体を入れていて、その個数分、文字の選択範囲を広げられるのだと。与える文字を自ら選ぶキューブに対し、ダイスは提示した六つの中から使用者に一つを選ばせる。
決定権がダイスにないからこそ、キューブみたいに好まれる必要もない。斎は自信を持って語る。
そのダイスが文字を提示する瞬間を、俺は今この目で見た。
だけど……見間違いだと思いたい。
階段状に映し出された、凪さんが選べる六文字。
光、光、光、光、光。
五つの『光』と、最後に現れた一つは――『闇』。
「凪。今の……」
「ふふっ、うん。びっくりするよね」
笑顔を貼り付けたまま未来に答えた凪さん。ポケットからキューブを取り出して、見つめる。
空笑いをした。
「いい戒めになった。……授けられた『光』の文字を、裏切らないようにしないとね」
綺麗な山吹色だったはずのそのキューブは、端っこだけ黒く染まっていた。
【第一八三回 豆知識の彼女】
『囲い』は死人死滅協議会本部、最上階に設置された死人の保管庫。
117部分《知らない空間》にて初登場の囲い。窓がついている青い巨木ですが、119部分《観点の違い》にて、ケトが暴走してひとつぶっ壊しています。
隆がアイツと表現した相手は、凪や司令官、谷総理が会議にて言っていた生き物で正解。細かい話は次回に持ち越しとなります。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 実力不足だと言うのなら》
一ヶ月ぶりの師弟勝負、口論。凪のいう大事な話の詳細です。
よろしくお願いします。