第十六話 谷川斎⑤
前回、破裂音が響きました。
一瞬だった。パンッと風船が割れたような音が五回鳴ったから、ダメだったかと。
「……よかった」
肩の力が抜け落ちた。
秀の形は健在で、表情は和らいでいた。
その様子に上手くいったのだと確証を得る。
苦しそうだった息づかいが、徐々に整っていく。
気がつけば、少し霧を吸い込んで重くなっていた俺の体も一緒に解毒されたらしく、先ほどよりも軽くなっていた。
「秀……どうだ」
数分してから、斎はこの場に来て初めて心配そうに秀に聞いた。死にかけたから無理もないが、まだ未来に体を預けたままの秀は少し長く息を吸って吐き、大丈夫と言うように小さく親指を立てる。
それを見て、本当の意味で、この場にいる全員がほっと安堵の息を漏らした。
秀。お前はまだ死ぬべきじゃない。
良かったよ、本当に。
「阿部さ……ありがと」
かすれ声ではあるが少し笑って礼を言う秀に、阿部はブンブンと首を横に振り、何を思ったのか木に頭を打ち付け始めた。
「阿部っ、何してんの!?」
普段からぼーっとしてて何を考えているのかわからないがもっとわけがわからない。羽交い締め状態にしてその場はやめさせたが上手く抜けられて、真っ赤な顔をしながら走り去っていった。
……ははーん、なるほどなあ。
「秀モテモテじゃねーか。確かこないだも隣のクラスのやつが」
「やめてよ気持ち悪い……。僕、女はダメなんだよ怖いんだって」
「そうは言っても未来だって女だぞ?」
今の完全密着状態では全く信憑性のないその言葉に、少し意地悪を言ってみた。秀からいつも通りの反応が返ってくるのが心の底から嬉しくて。
「相沢さんは、なんだろ……懐かしい感じがする。安心する……」
体力の限界がきたのか、何とかそれだけ言って寝息を立て始めた秀に、未来が【落葉】で作った葉っぱの布団をかけてくれた。
「ごめんね相沢さん。少しの間でいいからそのままにしててやってもらえる? 秀のこんなに安心した顔、久しぶりだからさ。あんまり動かしてやりたくないんだ」
「うん、大丈夫だよ。谷川君ありがとう。私じゃ何もできなかったから、おかげで助かった」
話している二人に背を向け、俺は会話を聞きながら散らばった残骸をどうしようか考え始めた。
無惨な姿になってしまった彼らを、早くどうにかしてやりたくて。だけど未来が言っていた通り、どれが誰のものかがわからない。
ちゃんと家族に帰すのは……難しそうだ。
「本当は相沢さん一人でどうにかできたんじゃない?」
斎の声に、俺の思考はすぐに停止した。
「そんなことないよ。買い被りすぎ」
「そう? じゃあ能力の本質には気付いてたんじゃない?」
「んーん。ただ昼の感じと、さっきの感じを見てたらもったいないなあと思っただけで」
「本当に?」
「うん、本当に」
「んーそっか。でもおかげで冷静になれたよ。本当にやばかったら相沢さんがどうにかしてくれるって思えたから」
斎の話し方、確信を持ってる。
未来一人で秀を助けることもできた? 俺の認識している範囲だとさっきの【光合成】ぐらいしか方法が思いつかないけど、実はほかにも何かできることがあった。
だから斎、あんまり焦ってなかったのか?
「それなら良かった。でも……また人が死んだよ」
「今日は何人いたかわかる?」
「シフトは六人だった。秋月君と……阿部さん? とあと四人。電話中に聞いた破裂音、あのときに三人死んで、私がこっちに来た瞬間に一人死んだ」
「じゃあ、昨日と合わせて一気に六人も?」
「うん。……私、死神みたいだね」
違う。そんなんじゃない。
お前がいたから助かってるやつがいるんだ。
この街は毎日死者が出るのが当たり前で、お前が来たからなんてそんなの、絶対にないのに。
そう、言ってやりたいのに。
状況が状況であるだけに、口先だけで『それはちがうぞ』なんて俺が言ってもきっと……納得できないよな、お前は。
「話しておきたいことがある。周りが死んでいくのは君のせいじゃないってことと、その、理由について」
「うん?」
「土屋もそのままでいいから聞いててくれ」
大分霧が薄れてきて、正しく帰せるとしても毒液の遺体を遺族に渡すわけにもいかず、一つひとつ火葬していた俺は手を止める。
少し顔を向けると、抱えていた秀を今は膝枕状態にしている未来がありがとうと両手を合わせてきた。
「昨日したかったこと、改めてさせてもらうね」
斎が持っているサイコロの目の一つを押す。
すると突然視界がぐわんと歪み、真っ白になる。目を開けていられないほど眩しくてしばらく閉じていると、辺りが暗くなってきたのを感じた。
『できた! ぼくのさいこうけっさく!』
子どもの声に瞼を開けてみると、真ん前に斎によく似た少年がいた。とってもいい笑顔で俺を見つめている。
『なまえ、なまえをきめなきゃ! 箱、ぼっくす、なんかちがうな。じしょがたしかこの辺にあったはず。んーと……りっぽうたい……キューブ? キューブ! 君はキューブ! こんにちは! ぼくはいつき。よろしくね!』
ミニ斎が俺を高く持ち上げる。すると妙な力が働いて、ふよふよと浮いた俺はその手から離れてしまった。
『あっ、待ってどこいくの!』
追いかけてくるミニ斎よりも速く飛ぶ俺は、建物を出る。
流されるままいると一軒の家に辿り着いた。そこは、紛れもない大阪にいた頃の我が家。
鍵が開いているベランダの窓から器用に侵入し、部屋をうろちょろと嗅ぎ回る。二階にあるリビングに到達して、俺にとっては懐かしい小さな未来と対面した。
すると急に俺の視界は白い雪みたいな肌で覆われる。展開して腕に絡み付いたらしく、使い方を教えるように未来の周りに草花が生えていくのを感じた。
……ああ、そうか。
本当に、未来は世界で一番最初のマダーなんだ。
そう思った瞬間また視界が真っ白になった。
「俺だって、まさかキューブがひとりでに使用者を選ぶなんて思わなかったんだ。こちらが選べる、誰でも扱えると思ってた」
本物の斎の声が聞こえる。目を開けてみると、さっきまでいたゴミ箱前の風景に戻っていた。
謎の現象から戻ってきた未来も、俺同様に少し周りを見渡した。
「でも作ったキューブは人に対する好き嫌いがあって、好きなやつにはその使用者に一番合う能力をキューブ自体が選んで添付。嫌いなやつにはちゃんと手を貸してくれないし、好みの人がいなければまず動きもしない。だから俺はキューブが使用者を選んだとき、『好まれた』って言うんだ」
斎の補足により確信する。
あれは、キューブの記憶。キューブから見た俺たちの世界。それを斎の作ってるメカの何かしらの作用で見せてくれていたのだと。
「このあと同じようにもう一つキューブを作ったけど、結果は変わらず。長谷川のところに飛んでいったよ。だから二人の間に亀裂を生んでしまった。本当にごめん」
斎が未来に頭を下げる。未来は首をゆっくり横に振るが斎はまだ顔を上げられず、再びサイコロの目を押した。
さっきまで出していたパーセンテージの表示が消え、今度は文書が載ったモニターが映る。
「それから補佐に秀をつけてずっと研究を重ねてきたけど、八年経っても結果は変わらなかった。どうしたってキューブが相手を選んでしまうか、大抵は使用者を選ばずにただの箱型の機械になってしまう。だからこんな記事が出たんだ」
映された文書は、確か今朝見たマダーの回覧の一節。
『現在十四歳の彼は今、キューブの改良に努めているという。果たして完成させることができるだろうか。私たちの明日は、彼の手にかかっているのだ』
「こんな……プレッシャーのかかる書き方しやがって」
「そう、酷いだろ? これが配布される前、だから、三ヶ月ぐらい前。ゲラの状態で見た政府が研究所に入って来て、俺に向かって怒鳴ったんだ」
「なんて言ったと思う?」と斎は俺と未来に聞きながら、答えを待たずにそのセリフを口から吐き出した。
「もう君には任せられない。ここから先は我々の手でこいつを完成させる、だってさ。そんなの、納得できるもんか。必死に抵抗したよ。でも、相手が悪くてな」
「お偉いさんの力……か?」
「そう。勢力に負けて、作りかけていたキューブは全部押収された。そうしたら何が起きたと思う、わずか三日で完成したと連絡が来たんだ。意味がわからなかった。何年もかけた研究がそんな数日で……できるわけないんだよ!」
「嘘なんだろうって、僕は言ったんだ。政府に。でも作られたキューブと、使用者を連れてこられて、認めざるを得なかった……」
怒りをあらわにした斎に次いで、秀がのそりと起き上がる。
「秋月君、起きて大丈夫?」
「うん。寝てたみたいだね。ごめん、ありがとう」
氷を作って溶かし、水分補給をしてから秀は静かに続けた。
「だけどやっぱりおかしいと思って、僕らはその作っていく様子を見させてもらいに行ったんだ。そしたら」
「飛んでいくキューブはそのまま放置、その場に残るただの機械なら政府が独自に文字を考えてマダーになりたいと願う者に渡す。彼らが作ったキューブっていうのは、ただ能力を人間が扱えるようにしただけのものだった。それじゃあキューブの力を百パーセント発揮することなんてできない、そう言ったよ。だけど……」
斎はサイコロの機械を強く握りしめた。
「それでもこうしないとマダーは増えない、私たちは死んでいくだけだと、いつまで見殺しにする気だと、言われた」
「政府は二人の反対を押し切って、その新しいキューブでマダーを大量生産したってこと?」
「そう。これを見てくれたらわかると思うよ」
秀が斎にお願いして、グラフを幾つか映し出してくれた。
「去年までのマダーの死亡数と、今年の死亡数。こっちのグラフが去年までのマダーの数と、今年の新たなキューブが作られてから計算したマダーの数。もう、見たくない数値でしょう」
増えた分だけ死んでる。
これが、選ばれていない者の末路か。
「こんなの……許されないよ」
「そうだよ、許しちゃいけない。僕らだって加担するつもりはない」
「だけど、こうでもしないと東京は回らない。現段階では、この政策に頼るしかない。だから一日でも早くキューブを改良しないといけないんだ」
「全員が死んでしまう前にね」と、斎が覚悟を決めたように話を締めた。
四人全員が沈黙して、その場に佇んだ。
つまりキューブに選ばれていない人でも、志願すれば戦いに出られるようになってしまっている。
それで死者が増える可能性があるというのも、政府はわかった上で行っていると。
――そんなバカな話あるかよ。
こんな事態になっていると知っていて、本部は黙っていない。黙っているはずがない。
だけど、相手は国。
政府というのは、今日行ったマダーの本部よりも上になる存在なのだと聞く。国の人間か、それともマダーだけか。そういう統率している規模の問題なのだろう。
だからきっと、どうにかしようにもどうにもならない、できない。そんな膠着状態なのではないだろうか。
だとすれば。俺たち子どもがそんなのおかしいだろと声を上げたところできっと、なにも変わらない。
斎が決心しているように、その課題がクリアできなければ、この先ずっと。
そこまで考えたところで俺は後ろに向き直り、火葬の続きを始めた。
大人がどうにもできないのなら、俺にできるのは目の前の命にしっかりと向き合うこと。これぐらいしかないのだと、自分に言い聞かせた。
「家に……帰してあげたかったね」
未来が太めの枝を作って俺に差し出す。その先に火を灯すと俺の範囲外の所にある遺体へ火をつけに行ってくれた。
「霧ができたときに、僕を突き飛ばしてくれた先輩マダーがいたんだ。……もう、どれかわからないけど」
秀も近くに落ちている木を手に、俺から火を受け取り去っていく。
「斎、無理しなくていいぞ。俺ですら吐きそうだから。臓器見る機会ないしキツいだろ」
「……戒めだよ」
眉間にシワを寄せながら同様に火を求める斎に、俺は強い信念を感じた。
点火した枝を一番近くにあるそれにゆっくりと焚きつける。斎は吐きそうな声を漏らしながら、長く、誰よりも長く、合掌していた。
【第十六回 豆知識の彼女】
キューブの創設者である谷川斎は、学校以外の時間は全て研究に捧げている。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 頭痛》
新キャラ登場。そして、マダーとこの世界での日本の状態。
よろしくお願いいたします。