第一七三話 総理
前回、隆は不思議な夢を見ました。
東京都礎区。
死人死滅協議会本部と同じく、首都の中央に位置する横に長い建物。
爆破しても壊れないと謳う建築素材『マテリアル』を更に精製、増強した『超強化マテリアル』で建てられたそこは、威厳を保つためなのか、見た目は煉瓦造りになっている。
そんな仰々しい建物の一室。大人たちは苦悶の表情を浮かべていた。
特に上座にいる六十代男性、政府の長。
総理大臣と皆が呼ぶ人物。
彼の名前に、凪は興味がない。
つい数ヶ月前にかわったその新しい総理大臣を、凪は覚えようとはしていない。
理由は明白。この人もすぐ辞めるだろうと思っているからだ。
死人という脅威を前にして、逃げたり、自殺を図ったり。国の一部が滅ぶたび、彼らは責任の重さに耐えきれず辞任しようとする。
任期なんてものは言葉だけ。
死人が現れた二〇三〇年以降、もう何代目の首相かすら不明だ。
ゆえに覚えない。
悩んでいるように見せかけて、結局本部と現場に出るマダーに丸投げの国のトップなど、尊敬するに値しない。
凪が心の底から信じ、ついていくと決めているのは、今隣にいる司令官。四十万谷悠吾なのだから。
「以上。弥重凪を筆頭とした九州遠征、組織産月についての報告を終了する」
厳かな声で締めた司令官は、一礼して席に座った。
「……死者数は不明。間に合った方々は四国や中部へ移動、産月の詳細は特定できず……ですか。承知いたしました。死人の殲滅と報告、感謝いたします」
なんと答えていいかわからない。そう言いたげに総理は頭を下げる。
「その、『ケト』というのは。何者だ」
総理の隣、副総理が胡散臭そうな顔で尋ねた。
死人対策会議と掲げられたこの集まりは、総理と副総理、その他政府の関係者とマダーの議論の場。
総理か副総理の指名、または挙手によって発言権を得る。
円滑に話すためと彼らは言うが、司令官が指名されることはほとんどない。大抵は彼の隣にいる女性、国生あいかに答えさせる。
政府のやり方――マダーを増やすために作った量産型のキューブによって、多くの者が命を散らしている現実を責められたくないからだ。
「ケトさんは、ジーニアス中学のバスケットボールから生まれた死人です。わたしたちが目指すもののために、未来さんが密かに育てている死人」
議員たちがどよめいた。
総理は口をぽかんと開け、副総理は「な……」と困惑を前面に出す。
ガタン、と音を出して立ち上がったのは、副総理の方だった。
「どういうことだ。死人を育てるなど、いつからそんなことを」
「昨年八月です。右腕のリハビリを終えた未来さんが、今の学校に転入し、養護教諭のわたしと話をしてから始めました」
「提案自体は彼女が大阪にいた頃に出したもので……」と、あいかは当たり前のように続ける。
政府の連中は言葉を失うばかり。
当然だろう。プロジェクトの邪魔をされないために、できる限り隠してきたのだから。
政府のみならず、この話はほとんどのマダーが知らないこと。未来のそばにいる隆一郎でさえ、いつ始めたか知らないのだから。
青い顔をした副総理はなぜ、なぜと繰り返す。
対して総理は開いた口を元に戻し、唾をごくりと飲む。より真剣な面持ちとなった。
「あなた方が目指しているもの、とは……なんですか」
総理の視線があいかから外れ、ゆっくりと動く。
司令官、凪、再度あいかへ。
回答権は変わらず彼女にあった。
「mutual coexistenceの関係……『MCミッション』。わたしたちは、死人と共に暮らす未来を目指しています」
ダンッ!! 激しい勢いで机が叩かれた。
「何を言っているんだ貴様は!? 奴らは人を襲う、殺す! 国民を皆殺しにするつもりか!?」
「まあまあ、落ち着いてください副総理」
「これが落ち着いてなどいられますか!? 総理っ、あなたは彼らが何をしようとしているのか、何を言ったのか確とおわかりですか!?」
「君こそ、彼らが何をしようとしているか本当にわかっていますか? 断片だけ聞いて撥ね除けるのではなく、きちんと理解した上で意見すべきだと、私は思いますがね」
総理の制止に副総理が沈黙した。
彼の言うことが正しい。混乱した頭でもそれだけは理解できたのだろう。
――今回の総理は……少し、話が通じそうだ。
過去の首相と違い、聞く姿勢を感じ取った凪は、彼の卓上名札に目を向ける。
内閣総理大臣 谷 陽介
「こちらの者が失礼いたしました。国生さん、説明を続けていただけますか?」
「……続けてよいのですか」
「ええ。ぜひ、お願いします」
穏やかな口調にあいかは目を見張る。彼女も凪と同様に、今までとは違う何かを感じたようだ。
「では……失礼して」
口端に笑みが見えた。
立ち上がり、流れるように『知』のキューブへ手を伸ばす。
カリカリ、チキチキと鳴る展開音に、一部の議員が身構えた。
「【通知】」
刹那、部屋が群青色に染まる。
驚きの声を上げる彼らへ、あいかはにこやかに笑ってみせた。
「ご安心ください。攻撃用の技ではありませんので」
その言葉を体現するかの如く、あいかの手元にあった筆記具の一つが動き出す。
宙に浮かんだペンが光を放ち、群青の世界に金色の文字を書き連ねる。誰も何もしていないのに、MCミッションについての概要から現在の成果までが――あいかの頭の中にある全てが、この部屋を彩っていく。
「こちらとしては、準備ができるまで内密にしておくつもりでした。話せば混乱を招く、そうわかっていましたので」
ペンが踊り終わったのを確認して、あいかは書かれた文字の補足に入る。彼女の声を聞きながら、凪もプロジェクトの概要だけを目で追った。
《MCミッション》
死人を殺さず、共に生きる未来を目指すプロジェクト
第一人者 相沢未来
研究者 谷川結衣
補佐 四十万谷悠吾、谷川哲郎、国生あいか
構成員 弥重凪、杵島流星、小山内湊、土屋隆一郎
施設 死人死滅協議会本部、最上階
対象 新種の死人(現在は主にケト)
流れ 生捕り、もしくはガラス玉として新種を捕獲。一度退化したのち成長させ、能力の変化や感情の移り変わりを記録。ヒトとの平和な関わりを見出す。
――ああ、そうだ。こういうの好きだったな、この人は。
性格が出る。凪なら全部言葉で説明していた。
「先にも言ったとおり、内密にしておくつもりでした。しかしながら……産月などという存在を知ってしまった以上、黙っているわけにもいきません。相手を知るために、こちらが提示できる唯一の手がかりですので」
部屋の群青が消えていく。
それらにまた驚く議員たちは放置して、あいかは総理を真っ直ぐに見る。
谷総理大臣、と強くはっきり名を呼んだ。
「私たちが目指すこの政策とケトさんについて。全国民……一般人、マダー全てに、周知していただきたい」
また独断を。
相変わらず己が信じる方へ突っ走る人だ、周りに相談しない悪癖は直してほしい。
「止めますか」
小声で司令官に問いかけるも、彼は腕を組むだけで何も言わない。黙ってやり取りを聞いていた。
「周知ですか。マダーだけでなく、一般の方々にも?」
「はい。でなければ彼らへの風当たりが強くなる。いずれ来る平和のために、早い段階で国全体に伝えるべきだと、わたしは思います。それに……」
ちらっと、視線が凪に向けられる。
気付いた凪も条件反射でそちらを見るが、目が合った瞬間彼女は気まずそうに顔を背けてきた。
「失礼しました。今のは、わたしのエゴです。忘れてください」
ぺこ、と礼をして俯くあいか。
表情は横髪に隠れてよく見えない。けれど母親として、凪を心配しているのだろうことは雰囲気でわかった。
……何を今更、なんて思わなくもないが。
「ありがとうございます。意見しても?」
「もちろんです、総理」
しばしの沈黙の後切り出した総理へ、あいかは深く礼をする。
着席して言葉を待った。
【第一七三回 豆知識の彼女】
一章で一度だけ出た『超強化マテリアル』は、学校の体育館、避難所、死人死滅協議会本部、国の重要施設に使用されている。
マテリアル自体はほとんどの建物に使われていますが、こちらは高度な技術や材料が必要で、そうもいかないそう。
一章(51話)では死人の襲撃で崩壊寸前な校舎に対し、超強化マテリアルで建てられた体育館は傷一つありませんでした。強い。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 権力ある大人が、子どものためにできること》
凪視点続きます。総理の意見とは。
どうぞよろしくお願いいたします。