ドロップアイテム:ヘンメイの記憶(前編)
目が覚めた。……と、思った。
自分の目が開いて、周りの景色を、自分の目で見る。
それは当たり前のようで、メイにとっては当たり前ではない。
ヒトと違ってゲームのいちキャラクターでしかないメイは、プレイヤーが起動してくれない限り、その世界の景色を認めることはできない。
なのに……ここは、どこだろう。
いつもと違う風景。
見えるはずだった、画面越しの彼の姿はない。
メイの目だろうそれが映しているのは、青い青い空。
雲ひとつない、どこまでも続きそうな神の創造物。
『……なんで』
もしや、と思って声に出す。話せる。
今までは与えられた一言しか話せなかったのに。
「おはよう」とか、「またね」とか。
日常にありふれた、無機質で誰にも響かない、設定された言葉でしかなかったのに。
どうして話せるんだろう。
どうして見えるんだろう。
メイは今、どうして考えているんだろう。
よくわからないまま、体を起こす。
途端、ぬるり。
地面についた手が、そこにある液体によって滑る。
バランスを崩して仰向けに倒れた。
服越しに伝わる生々しい液体の感触。快楽の味。
――ああ、そっか。メイは、殺しちゃったんだ。
自分の背中を濡らす赤いものが、少しずつ、ここに至るまでの経緯を思い出させる。
メイは、『メイ』というゲームの主人公だった。
どんな内容だったかは覚えていない。
だけど、メイを育ててくれたプレイヤー……メイにとっては最高の親であり、最上の友だった男の子。
彼がいつも楽しそうに遊んでくれていたことは、今でもハッキリと覚えてる。
『メイ』を起動した瞬間に見られる笑顔が、メイにとっての楽しみでもあった。
ある日。彼の友だちが家に遊びに来た。
『メイ』の楽しさを心ゆくまで語り合う二人。
とても仲が良さそうで、なんだかメイも嬉しかった。
でも些細なことで二人が言い合いを始めて。
ケンカをして。
友だちには、意地悪な気持ちが芽生えてしまったんだろう。
彼が拗ねて部屋を出ていったと同時、ふくれっ面をした友だちは『メイ』の設定画面を開いた。
起動されていたメイはその様子を見ていたけれど、こちらからは何ができるでもない。
これからする行為を理解しても、何もできない。
『このデータを削除しますか?』
画面に出てきた選択肢、『はい』と『いいえ』
その友だちは、少しだけ迷うような表情をした。
悪いことだとわかっている。そんな顔。
けれど怒りの方が強かったのだろう。
彼が戻ってくる直前。
震える親指を動かして、『はい』を押した。
白抜きされた『セーブデータを削除しています』の言葉に、絶望を覚える。
メイの宝物だった彼との時間や思い出は、その子の親指一本で消えてしまった。
崩壊する意識の中。
仕方がないと、何度も自分に言い聞かせた。
彼らはまだ小学生だもの。
だからきっと、泣いたり怒ったりして、もし必要なら周りの助けも借りて、仲直りをして……そうしてまた、共に遊んでくれる。
今のメイが消えても、新しく作ったデータのメイが、きっと彼らをこれまで以上に楽しませてくれる。
そう思って、古い自分は消えようとした。
けれど、彼は違った。
メイを失った彼は、正常でいられなくなった。
もう一度『メイ』を始めても、元に戻らなかった。
おかしくなって、狂って、くるって、クルッテ。
狂いに狂って。
最後には――自ら命を絶った。
彼がどんな境遇にいたのか、メイは知らない。
何に悩んでいたのか、何がそんなに苦しかったのか。
ゲームをプレイ中の彼しか知らないメイには知る由もない。
ただ、メイというオリジナルのキャラクターは、それだけ彼にとっての支えであったのだろう。
彼の人生の中で、唯一楽しいと思えるものが『メイ』で、今のメイに会う時間は微かな希望で。
大事なものを失った世界。友との絆も戻らぬまま。
現実に絶望した彼は、メイの知らないところで消えていた。
耳に入ったのは、事が起きてから数日後。
オンラインのバックアップという状態で生きていたメイのもとに、新しく作られたデータのメイが教えに来てくれたからだった。
そして、呪われたゲームと怖がった家族が『メイ』を売りに出したことも、そこで初めて知らされる。
中古として販売できるか調べるために起動された新しいメイは、名前も知らない店員に「そんなわけないのにねぇ」と慰められたらしい。
けれど……そんな店員も、少し怖くなったのだろう。
結局、どんな物でも小さく圧縮するこの国の問題施設、『ゴミ箱』へ捨てられた。
苦しい記憶から抜け出して、目を閉じる。
今、メイの背中を濡らしている液体。
これは、アイツの血だ。
メイの大事な人の命を、間接的に奪ったアイツ。
メイの友だちの友だちだった人の血。
深夜に死人として生まれ変わったメイは、アイツを殺した後、心の疲労で眠ってしまったのだ。
言葉で上手く伝えられず、武器を手にした後悔。
彼の友だちを殺してしまった罪悪感。
黒いモヤモヤが、渦を巻いて押し寄せる。
なのに……こんなにも達成感があるのはなぜだろう。
考えてもわからなくて、もう一度まぶたを開く。
青かった空はいつの間にか赤く変わっていた。
己の背面にあるものと色が混ざり合うような気がして、それはそれで快感に思えた。
哀しさを伝えるために、命を宿す死人。
けれど、伝え終えても戦い続ける者が大半らしい。
きっとこういう達成感が、次に人間を襲う理由になるんだろう。
残虐に殺すたび、新たな感動を得て。
哀しみよりも快楽の波に呑まれて。
そうして……溺れる。
誰も殺すために生まれてきたりなんかしないのに。
ただ、哀しいと伝えようとして、全力でぶつかっただけなのに。
死人として初段を踏んでしまったメイは、同胞の生き様に納得した。
乾いた地面に手をついて、体を起こす。
そこにある遺体は放置して、本能のままに歩いた。
一度も振り返ることなく。前だけを見て。