第一六二話 トモダチのトモダチ
前回、チビヘンメイを倒しました。
――おいおい、今の技って確か、ヘアトリートメントだろ!?
二人のコンビネーション自体にも驚いたが、それより未来が使った金の液体の方に目がいく。
【椿オイル】。椿の種から抽出した油で、他にも植物の成分を追加したもの。 保湿と撥水力を兼ね備えた、未来オリジナルの洗い流さないトリートメント!
「未来っ、お前まさか、あれか!? 前にキューブ対素体で斎と戦った時、【ジェット】を素手で払い除けたのも!」
「そう。髪をくくった時に効果を手に移してた。さすがに生身であれを受ける自信はなかったからね」
どうやら正解らしい。
考えてみれば当たり前だ。キューブの攻撃を素体で受けるなんて危ないマネ、絶対に大丈夫と自信を持ってなきゃ、やるわけがない。
だけどそんな簡単なことを頭からほっぽり出して、未来ならできるんだと純粋に考えた俺は、つい昨日まで水道と睨めっこをしていたわけだ。
キューブで作り出した技でも、手のひら一つで何とかできる方法があるんだって。でもなんで俺はできねぇんだろって。
蛇口をひねって、閉めて、水を触って弾いてを真剣に繰り返してたのに!
「んだよ……母さんに断ってまで頑張る必要なかったじゃねぇか」
ため息。落胆する。
帰ったら全力でごめんなさいをしよう。
俺がバカでしたって謝ろう。
笑顔を貼り付けた母さんに怒られる覚悟を決め、途切れた集中を取り戻そうとした。だけど。
「未来っ!?」
大きくふらついた未来を慌てて支える。
技を出していない方の腕に未来の体重がズシッとかかって、完全に脱力しているのがわかった。
「「つっちー、どうしたの!?」」
「わかんねぇ! なんか、急に……っ!」
異変に気付いた長谷川を筆頭に、斎と秀もこちらへ駆け寄ってくる。
ヘンメイの心臓から【熱線】を離さないようにして、状況判断のために阿部が隠れている場所へ急ぎ避難した。
「未来ちゃん、つらそう」
阿部は未来の手を握る。【痛み無し】や【解毒】を使ってくれるが特に改善する様子は見られない。
眉間にシワを寄せて、目を固く閉じたまま。
呼吸も苦しそうだ。
「なんで……」
考え始めた直後、床にある水たまりが視界に入り、ハッとする。水面に反射して映った、天井に付いている大きな時計の現在時刻に。
「二時!?」
本物の時計を見上げる。
表示されている時間は14時10分。
Death gameで模擬戦を始めたのが十時ジャストだったから、ゲームに潜ってから四時間と十分が経つ。
僅かだけど、未来のタイムリミットを超過していた。
「土屋、時間がどうかしたの?」
「こいつ、このゲームとの相性が良くないんだ。それこそ体調に変化が出るくらいに!」
みんなへ早口で説明する。
鍛錬のために未来とDeath gameに来た日、恵子おばちゃんがカツカレーを作ってくれたあの日もそうだったと。
ゲームに入ってから四時間。その後、現実に戻った時の未来は、ぼうっとしてクタクタになっていた。
「模擬大会で暴れ回った上、未来は俺らより長くヘンメイと戦ってたんだ。疲れだって比じゃねぇよ」
「そういうことか……阿部の技が効かないのも無理はない。どうする? 現実にいる相沢の体調がDeath gameに反映されるなら、こっちからは何もできないぞ」
「「未来ちーだけリタイアさせるのは? 先にゲームから退出させて、少しでも早く休んでもらった方が」」
「馬鹿なのか。ヘンメイは相沢を狙ってるんだよ? ゲームから出たら間違いなく追いかけてくる。それこそ現実で戦って殺されでもしたらどうするのさ」
「「それはっ、アタシらがどうにかしたらいいでしょ!? ヘンメイが追いかける前に先にどうにかすればっ!」」
「どうにかって何? がむしゃらにやっても勝てないのはもうわかってる。そんな漠然とした作戦で上手くいくとは思えない、僕は却下」
「「じゃあどうすんのよ、何もせずこのまま放っておけって言うのアンタは!?」」
「そんなこと誰も言ってないでしょう!?」
睨み合い、声が大きくなってきた二人を阿部と斎が止めに入る。落ち着くように諭すも、どちらも未来の身を案じて言っているだけに着地点も見つからず。
俺も未来を抱えたまま考えるが、遅かった。
『ダメだよ、ハズレ』
真後ろから降りかかる、怒りを込めた呟き。
それは、電話越しの人の声を思わせる、合成したような死人独特の音色。
声の主であるヘンメイは、天井のライトを背中に浴びて、逆光の中で俺たちを見下ろしていた。
『ダメだよ。トモダチのトモダチをコロしたら。ダメなんだよ!!』
目を見開いて、泣いて、叫ぶ。
【熱線】が弾き飛ばされ、心臓が再生して体から出ていたゼリーも内部へ移動。
未来の意識が危うくなったからなのか、ヘンメイの目を正常に戻させていた【朝顔】が消えていた。
「やば……っ!」
赤く光ったREVERSALの文字。
世界が色褪せる。
全員が喉を詰まらせ、膝をつく。
パキンと割れる三度目の光景を俺は目の当たりにした。
残ったのは白い陶器みたいな欠片が四セット。それもまた、見る間に崩れ落ちていく。
――やられた、この土壇場で……!
反射的に【回禄】を作り出した俺とそばにいた未来を除いて、周囲にあるのはモノクロの景色。
言い合いをしていた秀と長谷川、宥めようとした斎や阿部はもういない。呼吸と脈を止められて、体力ゲージを0にされた。
今ごろ現実の体に戻っているだろう。
俺と未来だけが、神の名を持つ炎に守られていた。
『ねぇ、ナイト君。ナイト君も、トモダチのトモダチ、殺すの? トモダチのトモダチ、何も言わずに、捨てるの?』
青の瞳に戻る。
周りに色が帰ってくる。
ヘンメイは、目を充血させていた。
『ダメだよ。トモダチのトモダチは、大事にしなきゃ。トモダチのトモダチを殺したら、トモダチが死んじゃうから。トモダチが大事なら、トモダチのトモダチも大事にしなきゃいけないんだよ』
要領を得ない彼女からの指摘。
何を伝えようとしてるんだろう。
何を教えようとしているんだろう。
わからない。
俺では上手く汲み取ってあげられない。
必死で伝えてくれているのに、セーブデータだった頃のヘンメイが、自分の生を失った瞬間に残った哀しい記憶ということしか、わかってあげられない。
――ごめんな。
彼女の動きに用心しながら、未来へ【回禄】を纏わせる。横にさせて、自分の体にも炎の盾を張ったまま、潤んだ瞳を正視した。
「ヘンメイ。教えてくれないか、お前のこと」
全部を察してやるには足りないから。
わかってやりたいけど、まだ足りないから。
だからどうか……教えてくれ。
俺に、お前自身の気持ちと考えを。
『――メイ。ハズレを殺す、命令、受けた。主君との絆、切られた。代わりに命令、受けた。抗えない。逆らえない。強い、産月からの命令』
ヘンメイは語る。
少しずつ、失った言葉を思い出すように。
つらい記憶を絞り出すようにして、続ける。
『メイ、殺すつもりなかった。ただ、制裁を加えようとしただけだった。でも、やりすぎた。主君の弟君まで……殺そうと、した』
拳がゆっくりと、俺の前に突き出される。
その手に生み出された鋭い銀の剣は、小刻みに震えていた。
『もう、会えない。凪や、精鋭部隊のみんなにも。司令官や、あいかちゃんにも。この世で誰よりも大切で、大好きなメイの主君にも』
言葉も震えて、歯がカチカチと鳴って。
恐怖と悲しみが混ざった感情が、赤い雫になる。
『逃げて。メイはもう、誰も殺したくない』
刃に映るのは、涙を溢れさせたヘンメイの顔。
剣が揺れる。
切っ先が横に向いて、振る。
【回禄】を突破したヘンメイが、足を上げた。
【第一六二回 豆知識の彼女】
未来が【椿オイル】に撥水効果を加えていたのは、シャワー後のドライヤー時間を短くするため。
本当は超実用的な技でした、こちらのオイル。髪を綺麗にするほか、頭皮や肌にも使える椿油の特性を未来さんは上手く使っています。さらさら髪は手入れの賜物。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 願い》
止まらない涙を見て、隆一郎は。
よろしくお願いします。