第一五〇話 ハズレ③
前回、加奈子は死んでいないと未来に教えられました。
「キューブの表示が死亡になってない。加藤君の声も聞こえない。多分……今、手当をしてくれているんだと思う」
死人から目を離さずに、自分の左腕に表示された画面が俺たちに示される。そこにある、阿部加奈子の横に書かれた文字は……
「しゅっ……けつ?」
出血。亡くなった大学生のような、死亡の文字はどこにもなかった。
無傷ではないし、その重さがどれくらいかもわからない。もしかしたら重傷かもしれない。
だけど……死んでない。生きてる。
阿部は、生きてる。
「あ……」
ぺたん。力が抜けたらしい。長谷川が地面に座り込んで、瞳に安堵の表情を映した。
俺の剣先も地面へ向く。目の前の敵、その周辺しか見えなかった視界が徐々に広がって、音を拾い始める。
戦っていた場所は思いのほか離れていなかった。未来の教えがあっても血のついた服を見て放心状態の秀、その横にいる斎と俺たちは数メートルほどの距離。
斎に一つ頷かれる。大丈夫だと改めて言うように。
でも、なんでだ? 同じ白い欠片があって、体力ゲージもゼロになってるのに……死なないで済んだ理由は?
生きていてくれて良かったと、安心や嬉しさの反面、何が違ったのかと考えずにはいられない。
「教えてもらってもいいかな。あなたは誰なのか」
一歩前に出た未来は、死人へ問いかける。
「何から生まれたのか。なぜここにいるのか。私が狙いなのに、どうして他の人にも危害を加えるのかを。……ねぇ。教えてもらえる?」
……怖い。そう、感じてしまった。
未来の声色と、指を折り曲げながらゆっくり質問を投げる仕草に。相手を理解するために未来がいつも死人に聞いている言葉なのに。
怒ってる。あの未来が。
俺たちに落ち着けと言った未来が、未来自身が、ここにいる誰よりも死人に怒っていた。
『ふふ、どうして……だって? 簡単だよ』
手を顔に置いた死人はくくと笑い出す。
指を開き、これみよがしに青い瞳を覗かせた。
『ハズレを殺せ。そう命じられたからさッ!!』
「ッ未来!!」
「未来ちー!」
死人の青色が線を引く。
ギラギラした殺気が隣を走り抜ける。
俺の前にいたはずの未来と死人が後ろへ、部屋の壁にぶつかる鈍い音が幾度となく響き渡る。
何が起きているかわからない。見えない。
死人の速度が今までの比じゃない!
――あいつ、手加減してやがったのか……!?
武器の殴り合いが続く中、「そう、わかった」という低い声。二つの影のうち小柄な方が、一瞬だけ姿を見せた。
「私だけにしろ。ほかの人には手を出すな」
刹那、轟音。
地面が、いや、部屋自体が揺れた。
ミシミシと重低音を鳴らしながらひび割れる。隙間から這い出る木の根。部屋中が森になる。
「いけ」
生まれた木々たちが、未来の命令で力強く動く。
だけど未来は既にいない。
離れたところから刀らしからぬ衝撃波が届くだけ。手助けをするようにそこに向かって根と枝が駆けていく。
「ヤバいよ、アタシらも加勢に行かなきゃ……っい、わぁ!?」
「うわっ! びっくりした、大丈夫か」
「だ、大丈夫。なんか足にっ……て、なに、これ?」
「どうした!?」
長谷川が何かに足を取られ、斎の目の前ですっ転ぶ。起き上がって確認した右足首には、覚えのあるものが巻きついていた。これは確か、未来が対象を自在に操る時に使う細い植物の蔓。つまり、
「【朝顔】」
「ひっ!」
長谷川の体が動く。勝手に。
近くに寄ってきていた俺と斎にラリアットをかましてきた。
いきなりなんだと言いたいが長谷川に言っても意味はない。盛大に後ろへ吹っ飛ばされた俺たちの後を追うように長谷川もこちらへダイブ。秀と『譲』の子を巻き込んで地面に投げ出された。
「……重い。二回目、キツイからやめて」
小言。長谷川の下敷きになった秀がやっと喋った。
「なあ、土屋。これ……」
「え?」
なんだと言いながら起き上がる。すると、今まで無かったはずの大量の樹木が、天井から地面まで、まるで巨大な塀のように隙間なく立っていた。
「なっ……おい、未来!?」
「ここから離れて。他のエリアにいる模擬大会参加者にも伝えて、今すぐDeath gameから退出」
壁の向こうから未来の声がする。端的に指示したのち、「狙いは私みたいだから」と声量を落として付け加えられた。
「ごめんなさい。私は……いつも、誰かを巻き込む」
「ッ違う! 誰もそんなこと思ってない、勝手に謝んな!」
「未来ちー、話を聞いて! この壁消して!?」
俺と長谷川は未来へ抗議する。
しかし変化はない。何度も謝られる。
ドォッッ!! と、見えなくても大技を出したことがわかるくらい部屋が揺れた。
上手くいったのか、次いで静寂が訪れる。
話すなら今しかないと、片手を広げた斎が俺たちを黙らせた。
「なぁ……相沢。俺、言ったはずだぞ。誰かと共に生きていくことに、怯えるなって」
落ち着いて語りかける。未来からの返事はない。
けれど斎の言葉には耳を傾けているように思う。連続していた「ごめんなさい」の単語が止まった。
「みんなそばにいるって、一人じゃないって、伝えただろ。……伝わってたんだろ。お前がその事実を受け入れてくれたから、今の俺たちの関係があるんじゃないのか?」
斎の声に震えが見えた。
……同じだ。斎も。
とても静かで、落ち着いているけど。
自ら背を向けて離れていこうとする未来への、焦りと、嫌だという気持ちが。置いていくなという感情が、見え隠れしてる。
「だから、相沢……」
「ごめん」
続く言葉が遮られた。
「変われたと、思ってたよ。私も。だけど……」
もう一度、か細い声が「ごめん」と言って、鼻をすする音がした。
「ごめんなさい……やっぱり、私はっ……孤独から抜け出せない。私がいることで、みんなを危険に晒してしまうなら。私は独りでいい! 誰も……っ、失いたくない」
悲しい気持ちが、木を通して伝わる。
見えないはずの表情が頭に浮かぶ。……泣いてる。
ぼろぼろと、大きな青い瞳から沢山の透明の血を流す姿が、よく知っているその姿が、今この向こうにある。
……しばらく経つな。未来が泣かなくなってから。
笑顔が増えた。感情が自然に出るようになった。
生まれて十五年目にして、初めて口にした。
幸せだと。
なぁ、未来。お前……全部捨てるつもりか?
今までの全てを無かったことにして、自分から苦しい環境に戻るつもりかよ。
「加奈子に伝えて。巻き込んでごめんって」
呼吸を整えてから未来はそう言った。
それを最後に声が聞こえなくなる。
数秒後には戦闘の音が始まった。だけど、ほとんど聞こえない。かなり遠いところでやり合っているらしい。
あいつのことだ。俺たちがすぐにここから離れないと踏んで、ならばと場所を変えたんだろう。
「あの、バカ……」
木の壁におでこを付けて、文句を言い放つ。
だけど何も返ってきやしない。
だって、未来はそこにはいないんだから。
自分から死地へ飛び込んでいったのだから。
俺たちを来させないための、拒絶の壁なんだから。
「……斎。長谷川」
「おう」
「うん」
名を呼んで、三人顔を合わせる。
にこり。楽しくもないのにニコニコと笑ってから、全員揃って――ピキッ!
「あんま甘く見てんじゃねぇぞ、このアホ未来がぁああ!! 【火柱】!!」
「【鎌鼬】!」
「【津波】!!」
額に青筋を浮かべ、立ちはだかる樹木に力いっぱい殴りかかった。
怒るぞ俺は。俺たちは。
危ないとわかっていて「じゃあお先に〜」なんて言うと思うか? 言うわけねぇだろ、このあほんだら!
「くそがっ! かなり強度のある種類で作りやがったな、あいつ!」
「マジで参加させないつもりね! まったくもう、世話が焼ける!!」
今度は【熱線】と【風神の舞】を浴びせる。けれどビクともしない。
どうやったらこんな強さにできるんだあの鍛錬バカは!
「どけ二人とも! 【バシリスク】!!」
斎が足に水を作り、蹴破ろうとする。
それでもダメなのだ。
声はあれだけ届いていたのに全く手応えがない。
突破できる気がしない。
「いらねぇ……いらねぇっ!!」
蹴る。足に炎を纏い、【炎拳】の足バージョン、【炎脚】で何度も蹴る。
いらないんだよ、こんな壁。
拒絶すんじゃねぇ。自分のせいだなんて思うんじゃねぇ。
誰がそんなふうに思う。お前だけだぞ、そんな考え方してんのは!?
「あんのっ! アホ、ボケがぁあああああ!!」
【炎拳】。体重をかけて殴りつけた。
だけど木の壁は全く動かない。燃えもしない。
立ちはだかる木の強靭さに、次第に誰も技を出さなくなっていく。
叫ぶのも疲れ、乱れた呼吸音が辺りに広がった。
「はぁっ、はぁっ、土屋。お前、悪口のレパートリー、増やせよ。バカと、アホ、ボケの三つしか、言ってなかったぞ」
「うっせぇ……はぁっ、チビって、言わねぇようにしてんだよ」
「はぁっ、き、気にしてんの? 小さいこと、はぁっ、未来ちー」
「知らね。ヤだったら、げほっ、わるいから」
とはいえまだ十四。もう少し大きくなる可能性はあるし、完全にチビと断定してやるには早い。なんて思ったりもするわけだ。
高ぶった神経と息を正常に戻すべく深呼吸をする。
「なんで相沢は、頑なに全部自分のせいだと思い込むんだ。違うだろ……」
「……多分だけど、大阪にいた頃に言われた言葉を、ずっと引き摺ってるからじゃねぇかな」
「言われた言葉?」
長谷川の問い返しに俺は首を縦に振った。
「人間でないものとして、生きていかないといけないんだってさ」
俺はその言葉を直接は聞いていない。そう言われたと未来に聞かされただけ。
でも未来は、まるで洗脳にでもあったかのようにその考えのまま生きるようになった。
何度俺や凪さんが違うと言っても。それこそ、さっきみたいに。
「……馬鹿なのは、おツムだけじゃないわけだ」
とりあえず『譲』の子を撤退させようと、その子の体力ゲージが表示されているパネルに手を伸ばした時。
秀がふらりと立った。
「過去に捕らわれて今すべきことをしないなんて、僕らしくない。ウジウジしてる間に相沢にもしものことがあったら、それこそ阿部とも顔を合わせられない」
目をぐいと擦り、尻を叩いて気合いを入れる。
双眼に強い光を戻した秀が、氷で巨大な何かを作り上げた。
「【氷像】……超特大ッ! チェーンソー!!」
「ぶふっ! いいねぇ!!」
うぉおおおお! と叫び声を上げるらしくないイケメンに、長谷川が吹いた。
氷でできたチェーンソーを秀はとにかく振り回す。
暴走ぎみだけど、頭の切り替えができたらしい。
長谷川も【鉄扇】を壁に添わせ、刻みながら走っていった。
「みんな……気持ちは一緒だな」
斎が微笑を浮かべ、再度、足に水を生み出し走る。
「ああ」と相槌を打った俺は木の壁の外側だろう部分に火種を起こし、【爆破】で広範囲に衝撃を加えていく。
全員で協力しながら、去っていった未来を思った。
孤独が当たり前という認識を改めるのは、一朝一夕にはいかない。
確立した考えを変えるのは難しい。
わかってる。時間と経験が必要なことも、長い目で見なければいけないことも、十分理解してる。
だけど!
「いい加減ッ! ちゃんっと周りを頼れよな、バカ野郎!! 【炎神】!!」
少しして見つけたわずかな綻び。樹木の繋ぎ目の部分へ、龍を模した炎を渾身の力で叩きつけた。
ビクともしなかった木の壁にひびが入る。
ひびに沿って樹木が裂け、強靭な壁に穴が空いた。
「っしゃ!!」
「ナイスだよ土屋。行こう!」
忘れず『譲』の子をゲームから退出、現実世界へ送り返してから全力で走る。
未来はもう、近くにはいないんだろう。声も音も聞こえない。
反響するのは俺たちの足音だけ。
「全員掴まれ。多分俺が一番速いから!」
斎が腕を広げる。秀ほどではないが、研究ばかりで細っこい。だけど知ってる。努力家の斎の腕は、見目に反して筋肉がしっかりついていること。
マダーになってから頑張って鍛えている斎の二の腕は、硬い。
「頼むぞ。【バシリスク】!」
足に水を帯びて走る。
両腕に一人ずつ、肩に一人の計三人を乗せても、水面を走るトカゲは速かった。
「見つけたら一発殴ってやるわ。痛いって泣いても知らないんだから!」
強気に吠える長谷川に、「そうだな」と苦笑した。
捜そう、あのバカを。
頭に染み付いた常識を覆すために。
生きていてもらうために。
【第一五〇回 豆知識の彼女】
あほんだらは関西弁。
阿呆を強めた言い方、と検索したら出てくるのですが、こちらから見ると割と可愛らしい罵りのイメージだったりします。
お読みいただきありがとうございました。
《次回 ハズレ④》
戦闘中の未来さん視点へ。
よろしくお願いいたします。